3-I 嵐の前の静けさ
その後いろいろなお店に寄って、きれいなアクセサリーやかわいい服などを見た。レオンハルトといっしょに探した、アイリスに似合う水色のリボンも買ってもらった。他にも、お母様や生まれて半年くらいの妹レイチェルへのお土産を選んで、わたしたちは家に帰った。もちろん、アイリスもいっしょに。
家に着くと、セシリアお母様が出迎えてくれた。淡い桃色の髪の毛に、透き通るような紅い瞳をしている。
「テオ様、リーナ、レオン、おかえりなさい」
「「「ただいま」」」
順番にお母様に抱きしめられる。ほんのりラベンダーの香りがして心が落ち着く。全員を抱きしめたお母様は、やわらかく微笑んだ。
「夕食を食べましょう?もう準備は出来てますの」
お腹を空かせて帰ってくると思ってました、といたずらっぽく言ったお母様に続いて、食堂に向かった。
夕食を食べ終えると、お母様が口を開いた。
「今日は何を見てきたのかしら?」
「アクセサリーとか服を見ました。お母様、これ、プレゼントです」
「レオン、おねえしゃまとえらんだの」
「まあ、きれいなネックレス!ありがとう二人とも」
顔をほころばせたお母様は、わたしたちの頭を撫でた。そして、初めての街に興奮したレオンハルトが、今日何があったのか、がんばって伝えようとする。
「まちで、ねこみたの。つれてきたの」
タイミング良くアイリスがやってきて、お母様の横で鳴いた。
「あら、かわいい子猫ね、リーナそっくり」
「やっぱりシシーもそう思うか?」
「ええ、でもどちらかと言うとリーナが猫っぽいようね」
「お母様まで、もう!」
「なまえ、アイリス言うの。レオンつけたの」
「良い名前、よろしくねアイリス」
答えるようにニャーと鳴いたアイリスがとても気に入ったようで、お母様はアイリスを膝に乗せるとしばらく撫でていた。
部屋に戻ったわたしは、ミルに明日の予定を聞いた。
「ミル、明日はダンスの講義で合ってる?」
「はい、ですがフランジーナさまがマナーの講義を入れたいとおっしゃっております」
「今日休んじゃったからね、いいよ」
「ではそのように申しておきます」
確認し終わったわたしは、ミルが部屋を出ていったのを見て、部屋に置いてもらった本棚から一冊本を取り出した。本棚には絵本から歴史書、料理本まで、様々な本が五十冊以上は並んでいる。そのほとんどが、お父様に買ってもらったものだ。
そもそも、そんなことになったのは、わたしが毎日のようにあの夢を見ていたからだ。
ここセイレンベルク公爵領に来たばかりの頃は、それこそ夜も眠れないほどだったらしい。夜が来るたび泣いて怖がり、いっこうに寝ようとせずに弱っていくわたしを見かねたお父様とお母様が、良く眠れるようにと読み聞かせを始めた。
夜になってもお父様とお母様が隣にいて、絵本を読んでくれる安心感から、わたしは少しずつ眠れるようになっていった。
やがて絵本に興味を持ったわたしは、お母様に文字を教えてもらい、自分で本を読むようになった。半年ほどでここにあった絵本を読み尽くしたわたしは、普通の本にも手を出した。
他にすることも無く、一日中本を読んだ結果、四歳にして家中の読める本を全て読破してしまったわたしは、お父様に頼んで、街に行く時にたまに本を買ってもらうことになり、それが部屋に置いてある。
今取り出したのは魔術の書。といっても魔術が書いてあるわけではなく、魔術とは何か、どんな属性があるのかという初歩的な内容のものだ。街でお父様が言った言葉が気になっていたわたしは、だいたいの意味を調べることにした。本の一ページ目を開く。
『魔術が使える、通称魔導師は、その目の色で使える属性が分かる。赤、青、緑、茶、水、黄、金、黒色の瞳はそれぞれ火、水、風、地、氷、雷、光、闇属性を表す。ただし主属性となるのは火、水、風、地、光、闇の六属性で、氷、雷の二属性は補助属性となる。また、主属性の中でも光、闇の二属性は珍しく、特殊属性とも呼ばれる。一般的には魔導師は単属性だが、稀に複属性持ちもいる。この場合、瞳は使える属性の色が混ざった色になる。魔導師が魔術を使う際には、瞳が輝きを増す。複属性持ちの場合は、その瞳が使う属性の色に輝く。一方、魔導師であれば使える生活魔術もある。また、魔導師でない者は、灰色の瞳をしている。』
一回ではほとんど何も頭に入ってこなかったわたしは、思わず本の表紙を見た。そこには小さく、大人向け、と書いてあった。
(ああ、道理で難しいわけね。でも、あの言葉気になるし……)
好奇心に負けたわたしは、本棚から辞書を引っ張りだして、調べながらゆっくり読み進めた。しばらくすると、”茶色の瞳”に関する記述が出てきた。
『地属性魔術を使う際には、瞳は茶色く輝く。この属性は、地、すなわち土と植物に関する魔術である。代表的なものに、『土壁』『地揺れ』『成長』などがある。また、地属性に長けた者は『対話』などの動物に関する魔術も使える。この中の極めて魔力が高く、コントロール能力が優れている一部の者は、動物に変身する『変身者』になることが出来る。』
(動物に変身……なりたいっ!)
しかし、残念ながらそれ以上のことは書いてなかった。がっかりしたけれど、もともとの目的は『変身者』について調べることだったので、本を閉じて本棚に戻した。
ベッドに入って寝ようとして目を閉じた時、控えめなノックの音がした。
「リーナ、起きてるか?」
「お父様……?」
ドアを開けると、申し訳なさそうにお父様が立っていた。
「こんな時間にごめんよリーナ」
「どうしたの?レオンとチェルの読み聞かせはいいの?」
わたしのことがあって以来、家では寝る前の読み聞かせが習慣になっている。わたしもたまに読み聞かせをしてもらうけど、今日は頼んでいないはずだ。
お父様を部屋に通しながら聞くと、シシーに頼んだ、と返ってきた。椅子に座った彼は真剣な面持ちでわたしの目を見つめた。
「リーナ、今日街で何があったのか教えてくれないか?」
「えっ?ど、どうして…?」
「うん、リーナがいつもとちょっと違ったからね」
─何もなかったならいいんだけど、不思議なことがあったのなら言って欲しい。
お父様の質問に少し動揺したわたしは、続く彼の言葉で心を落ち着かせた。
「お父様、実は……」
そうしてわたしは、街であったこと、感じたことをお父様に話した。お父様がいつもより早歩きでついて行くのが大変だったこと、アイリスに魔術を使ったお父様が少し怖かったこと。そして、アイリスを抱き上げたら声が聞こえたこと。
「…そうか。怖い思いをさせてごめんな」
「いいえお父様、もう大丈夫」
目を伏せて謝り、わたしの頭を撫でていたお父様は、しかし、すぐに顔を上げた。
「リーナ、ちょっと手を見せて」
言われた通りに両手を出すと、彼はわたしの手を軽く握り、何かを探すようにじっと見つめた。そしてある一点に目を留めた。
「リーナ、これは何だ?」
お父様が示したのは、朝わたしが見つけた小さな白い紋章。朝よりも少し色が濃くなっている。
「今日の朝、起きた時に気づいたの。何かはわからない」
「ちょっと手を借りるよ」
そう言ってお父様はわたしの左手を胸に当てた。行動の意味がわからず、理由を聞きたいと思った。
「理由か?それはこの紋章の持つ力を確認するためだ」
まるで心を読んだかのようなお父様の一言に、驚いて顔を上げたわたしは、彼の口が開いていないのを見てさらに目を丸くした。
「ど、どうやって……」
『頭の中で言うんだ。この紋章には、お互いの考えていることを伝える力があるようだ』
『じゃあアイリスとも話せるの?』
『出来ると思うよ。だけど、この力は出来るだけ使わないでくれ。悪いことに使われるかもしれない。たぶん強い感情がなければ、力は発動しないと思う』
『わかりました』
わたしが頷くとお父様は手を離してわたしの頭を撫でた。
「きちんとした魔術の先生を呼ぶまで、僕と練習しようか」
わたしがはいと答えると、お父様はわたしをそっと抱きしめ、立ち上がった。
「ありがとう。それじゃあおやすみリーナ」
「おやすみなさい」
お父様を見送って、わたしはベッドに潜り込んだ。