52-S 伝わらなくて
やっぱりアイリーナがいるだけで学院は断然楽しくなった。ふとした時に少し話すだけで、心が軽くなる気がした。天真爛漫でかわいくて、つい目で追ってしまう。
ところがアイリーナは、その優しさと天使のような風貌でどんどん人を惹き付けていく。僕はアイリーナが男子と話しているのを見る度に胸が小さく痛んだ。
特に、アレックス殿下と二人きりでお茶会しているのを見た時は、胸が締めつけられた。気がつけば僕はアレックス殿下に言っていた。
「リリーは、渡しませんっ」
驚いたように目を見開いたアレックス殿下は、やがて真顔のまま小さく笑った。
「私など、シリウス殿下には及びませんよ。ただの従兄弟ですから」
それを聞いて今度は僕が驚いた。何もそこまで言う事もないだろう。しかし同時に少し安心した。
「だから、私に嫉妬する必要はないですよ」
言われて初めて気がついた。そうか、僕は嫉妬していたのか。アイリーナが男子と話す度に感じていた感情は、嫉妬だったんだな。僕は、そこまで……
もうすっかり寒くなったある日の事、魔術指導を終えたアイリーナと会った。前に勝負で無茶をしでかして、結果その場にいた皆に認められるという暴挙を成し遂げたらしい。そのおかげで魔術を教えてくれという人が後を絶たず、優しいアイリーナは彼らの面倒を見ていた。
今日も全力を尽くしたらしく、アイリーナは見るからに疲れていた。
「リリー、お疲れ様」
「お疲れ様、シルは何してたのかしら?」
筆記試験の勉強をしていたと答えると、アイリーナがため息をつく。
「筆記試験…そうね、その勉強もしなくては」
「あんまり無理するなよ?試験が終わったらダンスパーティーがあるんだから」
思わず言ってしまった。最近のアイリーナはかなり無茶をしがちだから、僕はいつも心配している。合成魔獣の事件に始まり、部屋荒らし、そして勝負。そのせいで強く言ってしまった事もある。だが、そのまま言っても大丈夫と返されるだけだ。
しかしアイリーナは行事を大切にしている。だから、ダンスパーティーを話題に出せば、賢いアイリーナの事、きっと冬の行事を考えて無理はしなくなるだろう。
案の定何事か考え出したアイリーナを見ていて、僕は閃いた。そうだ、いつも僕がいない所で無茶するのなら、僕が傍にいれば良いのでは?
前回は筆記三位でアイリーナに負けてしまったが、僕もそれなりの成績だと思う。それに、アイリーナと一緒にいられる!そうすれば、きっとあの事を聞く機会があるはず。
ちょうど顔を上げたアイリーナに、僕が教えてあげようかと言おうとしたが、一緒に勉強しないかと先に言われた。まさかアイリーナの方から言ってくるとは思っていなかった分、その申し出に心が躍る。アイリーナが僕と一緒にと言ってくれた事が何よりも嬉しかった。
「実は、僕も同じ事を言おうとしてたんだ。リリーが無理しないように、見張ってるからな」
「ちゃんと勉強もしてよ?」
僕の一言に頬を膨らませてからあどけない笑顔を見せるアイリーナ。ああ、かわいい。何年経っても変わらないその飛び切りの笑顔は、僕だけに見せてほしい。ずっと見ていたい。ねえアイリーナ、僕がそんな事言ったら困る?
「じゃあ、勉強会楽しみにしてるよ」
「ええ。また明日会いましょう」
残念ながら、寮が近くなってきたのでアイリーナと別れる。ああ、勉強会が待ち遠しい。ベッドに入ってもソワソワして寝られない。それは、勉強会のせいだけではなく、その先のダンスパーティーの準備の事もある。
毎年デビュタントのダンスパーティーは王宮で行われるが、そこで誰と踊るか父上に聞かれたのだ。もちろんアイリーナと踊るつもりで、そう申しあげた所。
「……実は、そろそろお前の婚約者を決めなくてはならないのだ」
真顔で告げる父上に、何か嫌な予感がした。確かに、一般的にはもう婚約者が決まっていておかしくない。むしろ遅いくらいだ。だけどまさか、アイリーナ以外の令嬢と婚約しろ、なんて言わないよ、な?
「そこで、私からの課題だ。今度のデビュタントの時までに、本人の許可を取ってこい」
「本人、とは……?」
父上の決めた相手だろうか?それは嫌だ。僕は真剣に父上の碧い瞳を見つめた。少し柔らかい瞳になった父上が言う。
「お前には、もう心に決めた相手がいるのだろう?」
「…………!はいっ!」
つまり、アイリーナとの婚約を認めるという事で。僕は飛び上がるほど嬉しかった。しかし、苦笑いした父上が釘を刺す。
「良いか、嫌と言われたら諦めろ」
「……っ」
「そのくらいの覚悟は持て」
「…分かりました」
それ以来、どう言おうかと迷って、断られたらどうしようと悩んで、結局まだ何も出来ていない。父上との約束までは、後一ヶ月とない。それまでに、僕の想いを伝えなくてはいけない。
あっという間に勉強会の日になった。上手い言葉が見つからなくて、僕は内心焦っていた。あんなに人気があるんだ、きっとダンスのお誘いも多いだろう、と。だから、早くしないと取られてしまう。
授業が終わって、教室から移動する。アイリーナにどこが良いか聞いた。すると、少し考えたアイリーナは、小さく微笑んで言った。
「人の邪魔が入らない所が良いわ」
聞いた瞬間、まるで電撃を受けたみたいに動けなくなった。一気に鼓動が速くなる。そんな甘えたような笑顔でそんな事を言われたら、誰だって期待してしまう。アイリーナはさらに続けた。
「邪魔されるのはもう嫌よ。少しくらい好きにさせて欲しいわ。ねえシル、そう思うわよね?」
純粋な瞳に見つめられて、僕はそうだねと返すのがやっとだった。こんな事を言っていても、アイリーナには全くその気がない。だから僕は何でもない風を装って歩き出した。
学院の特別ラウンジに入る。ここは、特別な者しか入る事が出来ない。それこそ王族や学院長に認められたアイリーナくらいだ。
僕はとりあえずソファに座った。ラウンジの中はまるで王宮のようで、ソファの座り心地も良かった。先程の事もあり、一度心を落ち着けたかった。大きく深呼吸して体を伸ばす。
そしてアイリーナはというと、何と隣に座ってきた。これでは心を落ち着けた意味がない。
「リリー、他にも席はあるよ?」
「ここの方が勉強しやすいわ。分からなかったらすぐシルに聞けるもの」
そうだ、ここには勉強しに来たんだ。そのためにはこれが一番良い座り方だ。自分を強引に納得させて教科書を開く。隣でアイリーナも勉強を始めた。
時折質問に答え、逆に質問したりして大体の勉強が終わった。横でアイリーナが伸びをする。その瞬間に思い出した。そうだ、僕にはもう一つやる事があった。今まで散々悩んできたが、正攻法で伝える事にする。
伸びをする振りをして立ち上がると、徐にアイリーナの前に跪いた。キョトンとするアイリーナの手を取ってその甲に口付けた。
「シル……?」
「アイリーナ·フォン·セイレンベルク公爵令嬢、僕、シリウス·サン·アイルクスと婚約して頂けますか?」
アイリーナの事だ、ここまで言わないときっと伝わらない。見上げるようにしてアイリーナを見つめる。突然の事に混乱しているらしいアイリーナは、困ったように辺りを見回す。その仕草もかわいい、今すぐ抱きしめてしまいたい。
やっと僕の方を見たアイリーナは、迷った末に答えた。
「アイリーナ·フォン·セイレンベルク、謹んでその婚約をお受け致しますわ」
「……っ、リリー!」
もう我慢出来なかった。受けると聞いた瞬間には体が動いていた。しっかりとアイリーナを抱きしめる。僕の、僕だけのアイリーナ。誰にも渡しはしない。
その後王宮で父上に報告する。
「父上、許可を得て参りました!」
「そうか、流石だな。ところで相手は誰だ?」
「アイリーナ·フォン·セイレンベルク公爵令嬢です」
「あの子か、良いだろう。それでは早速だがお前のデビュタントの時にでも発表しようか」
僕は驚いて父上の顔を見た。心なしか喜んでいるように見える。僕が呆気にとられているうちに、今後の様々な予定が組まれたらしい。
「という事でシリウス、試験が終わり次第アイリーナを連れて来い。クラウスに会わせよう」
「分かりました父上」
僕の弟、クラウスはある事情があって滅多に人に会わせない。その上、クラウス自身も人に会いたがらず、侍女でさえ拒否したりする。だからかあまりその存在は知られていない。
アイリーナなら、もしかしたらクラウスとも仲良くなるかもしれないな。それは嬉しいが、同時にもしアイリーナを取られたらと思うと怖かった。




