30-I お母様の心配と過去
「……そういうつもりじゃ……」
「………結局…」
お父様とお母様の話し声が聞こえる。わたしはゆっくりと目を開けた。
「リーナをこんなに……リーナ?」
「気がついたか」
ちょうどお母様と目が合った。心配そうに覗き込んでくる。お父様は優しく微笑んでいる。
「お、おはようございます」
「おはよう」
「リーナ、体調はどうかしら?」
「大分良くなったみたいですわ」
「それは良かった」
頭にのっていたタオルをどかし、お母様の手が置かれる。その後お母様に手伝ってもらって体を起こした。
「リーナ、これを飲んで。私の国から取り寄せたのよ」
「ありがとうございます」
そういえば、お母様ってファルク王国の王女様だったわね。ぼうっとする頭でお母様にカップを渡されて見れば、茶色く濁った液体がなみなみと入っている。何も考えずに飲んだ。それはとても甘くて、そしてほろ苦くて。どこかで感じた味だわ。
「美味しい。これ、何と言うのですか」
「ココアよ。気に入ってもらえたようで何よりだわ」
「ココア……」
わたしはココアを飲みほした。体の奥がぽかぽかしてくる。すっかり目を覚ましたわたしは、お母様に聞かれた。
「リーナ、学院はどうかしら?」
「とても楽しいです。来年はもっと楽しくなると思っていますわ」
「危険に晒されたのに?」
「あれはミレイルだったから逃げられなかっただけです。来年はきっと大丈夫です」
「リ、リーナっ、あなた、どれだけ危険な目に遭ったと思ってるのっ」
「っ、それは……」
言葉が続かない。お母様の言う事は尤もだわ。わたしだって、またミレイルとして通えと言われていたら、断ったに違いないわ。だけど、来年は違う。わたしには地位があって、頼もしい仲間がいるのよ。今回みたいな事にはさせないわ。
「私は、一週間前に何があったのか、さっき聞いたのよ。息が止まるかと思ったわ。『魔獣合体』のモンスターのいる暗い部屋に閉じ込められたなんて。昔、王宮にいた優秀な魔導師五人でかかっていって、傷一つ付けられなかった。それどころか、全員がぼろぼろになって見つかったのよ。そんな危険な所に、リーナを行かせるなんて、今回は助かったけれど、次はないのよっ」
「お母様……」
お母様は途中から涙を流しながらお父様に詰め寄る。お父様は困った顔つきでおろおろしている。
「だ、だから、それは倒したって言って」
「またあったらどうするの!今回は運が良かったのよ!リーナが魔力切れを起こすまでになって、たくさん怪我して、モンスターにやられそうになった所を、ギリギリで助けられて…」
「えっ?」
思わず声が出てしまった。お父様が苦い顔をしている。
「シシー、それを倒したのはリーナだ」
「それは有り得ないわ!だって、あの時はっ……」
その時の事を思い出しているのか、お母様が震えている。わたしはそっと手を握った。気づかれないように紋章の力を使う。
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「王女殿下、こちらへ!」
私は侍女に連れられてそこを離れる。時折振り返ると、五人の魔導師が一体の大きなモンスターに攻撃していた。しかし、攻撃が効いている様子はなく、むしろ尻尾で二人が吹き飛ばされる。
「やっ、嫌っ!」
一瞬モンスターがこっちを向いた。そのせいで足がもつれて転ぶ。まだ距離があるのに、どうしても動けない。嫌よ、私まだ死にたくないわ!恐怖で目をぎゅっと瞑った。
「シシー、大丈夫か?」
そっと体を持ち上げられる。この声、まさか、ここにいるはずないわ。
ゆっくり目を開ければ、朱色の髪の、心配そうに見つめてくる紅い瞳と目が合った。
「お、お兄様、どうして……」
「シシーの帰りが遅いから、少し見に来たんだ。さあ、帰ろうか」
そのまま歩き出すお兄様に、あわてて言う。
「お兄様、下ろしてくださいっ」
「いいけど、シシーは一人で歩けるのか?」
ひ、一人で……無理だわ。
「うう、無理です」
「私が連れて行ってやるから、安心して」
ふと後ろを見れば、魔導師達はまだ戦っていた。だけど、皆疲れているようで、勢いがない。一方のモンスターは何も変わっていないように見えた。
「こら、シシーは見てはいけない。寝ていなさい」
頭をお兄様の胸元に寄せられる。私はお兄様に包まれて目を閉じた。
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「リーナ、まさか……?」
お父様が何か言っている。今のは、お母様が子供の頃の記憶よね。とてつもない恐怖が伝わってきた。でも、今度はわたしの記憶を伝えるのよ。
一つずつ、丁寧に思い出す。閉じ込められた所から、禁術の本を読み、魔獣のことを知り、覚悟を決めて魔獣に立ち向かった事。そして、吹き飛ばされながらも、攻撃を通し、全力で打ち倒した事。
「うう、ふぅ、っ」
「え、今のは、一体……」
お母様がぼうっとしている。わたしは、思い出すのも三回目で、また恐怖がやって来たが、初め程ではない。
しかし、何か魔力をごっそり持っていかれた感じがする。それに、体が熱い。どうして、今まで力を使ってこんな事になった事なんてないのに。
「リーナ?どうした、大丈夫か!」
「はぁっ、お、お父様、何か、とても疲れて、お、おかしいわっ」
「これは、もしかして…」
お父様が何かに気づいたようで、わたしの瞳を覗き込んでくる。何だろう、わたし何か変な病気にでもかかってしまったかしら?
「やっぱり、『魔力変質』だ」
「それは何ですか?」
「魔力の質が高まるんだ。一週間しないくらいで落ち着くが、それまでは魔力を使えないか、今みたいにとても疲れるんだ」
「ねえリーナ、今のは何かしら?」
お母様が我に返ったようで聞いてきた。
「あの、わたしの記憶を、共有しました」
「ああ、リーナ、ごめんな。また辛い思いをさせてしまった」
「記憶を、共有、ですって?」
申し訳なさそうなお父様と、訳が分からずに困惑するお母様。そしてわたしは、体が熱くて説明どころではなく。部屋がしばらく静かになった。




