21-I 入学
2019年4月17日 一部加筆修正しました
「アイリーナ、王立学院には一年間、平民として通いなさい」
わたしは驚いてお父様の瞳をじっと見つめた。
こうなったのはこの前のフォナムとの戦いの後よ。家に帰ってレオンハルトとレイチェルと三人で感想を言い合っていた時に、お父様はお祖父様達と何やら話し込んでいた。そして、入学が二週間後に迫ったある日、わたしはお父様に呼び出されて言われたの。
「あの、どうしてでしょう?」
何とか声を絞り出して質問する。お父様は疲れ切った表情に心配の色を浮かべている。
「リーナの、安全のために」
「え?」
さらに混乱するわたし。どういう事、わたしの安全ですって?ある程度なら対処出来るわ!
お父様は静かに告げた。
「この世界には、リーナの存在を消したいと思う奴がいる事を忘れるな」
「そ、それは、あの魔王ヴィレヒト·マイド·ヴァイスの事かしら」
声が震える。あの恐怖は克服したとはいえ、彼がわたしに明確な殺意を持っているとなると別よ。
「学院に彼がいるのかしら?」
「いや、それはない。ただ、奴の手の者はいるだろう。公爵令嬢ともなれば、目立つだろう。だから、目立たないように…」
「王子殿下達とも接触出来ないのね?」
思わず口に出してしまった。公爵令嬢が目立つのなら、王子や公爵子息、侯爵子息であり、しかも顔立ちのいいあの三人は相当目立つはず。お父様がわたしを目立たないようにするのなら、彼らには近づけないわ。
それを聞いたお父様が辛そうな表情を浮かべた。
「そういう事だ」
ずっと一緒に魔術を学んできた三人と、知らない人の振りをする。それは、先程言われた事と混ざって、思ったよりも心をかき乱した。言い知れぬ不安が襲いかかってきて、涙がこぼれた。
「ごめんなリーナ」
「わっ、わかり、ましたわ。ですが、どうやっ、て、あのさんっ、人を欺くの、かしら?」
涙を止める気も起きず、そのままお父様に聞いた。自分の命を狙うような人がいる中で、たった一人で過ごさなければならないのは、相当の不安と恐怖よ。
お父様がそっと抱きしめてくる。
「攪乱を掛けるよ、三種類の」
「さんしゅ、るい?」
「ああ。見た目、魔力量、使える属性の三つだ。だが、何か危険が迫ったら解除していい。リーナなら出来るな?」
「はい」
涙を溜めたまま頷く。攪乱はかけた人しか解除出来ないような物だが、わたしは自分で攪乱を制御出来る。だから、一部だけ解除する事も出来るの。フォナムの時は、最後の攻撃だけは全力を出したわ。
「僕らも見守ってる、大丈夫だよ」
わたしはしばらくお父様の腕の中で泣き続けた。
次の日、お父様と一緒に王宮に向かって、カリオン様に会った。
「アイリーナ、それにテオドール、今日はどうした?レッスンは明後日だぞ」
「カリオン様、リーナに攪乱を掛けて欲しいのです」
「……それで良いんだな?」
「はい」
攪乱を掛けられれば、しばらくシリウス達とは話せない。わたしは昨日一日かけて覚悟を決めた。
「お願いします」
「分かった。『攪乱』」
何かに覆われる感覚。でも、これの解き方は知ってるわ。続けて二回この感覚を味わった。
満足気に頷くカリオン様の横で、お父様が言った。
「リーナ、魔術使ってみて」
「はい。『水泡』」
しかし、泡は出来ない。手に魔力が通らない。それを見てカリオン様が微笑む。
「よし、ちゃんと掛かってるな。アイリーナ、今使えるのは生活魔術と地属性だけだ」
それなら、と土壁を出そうとした。しかし、今度は魔力が上手く集まらない。結局何も出来ないわ。
「リーナ、解除だ」
「はい」
自分を覆う見えない膜の一枚の一部に穴を開ける。途端に魔力が集まってくる。
「『土壁』」
今度は上手く作れた。今まで通りの大きさの土壁が出現した。さらに、別の一枚にも穴を開ける。
「『水泡』」
泡が現れる。これで、何かあった時の対処は大丈夫ね。土壁と泡を消して、穴を塞ぐ。お父様は微笑んでいた。
「これで大丈夫だな」
一方のカリオン様は何処か諦めたようにため息をついた。
「見た目の攪乱はいじらず、二つを部分解除するのか……」
首を振るカリオン様に、わたしはお礼を言って家に帰った。これ以上ここにいると、シリウスと出会いそうだった。そんな事になれば、せっかくの覚悟が無駄になってしまうわ。
家に帰ると、フランジーナ様と共にマナーを復習する。一通り終わると、次は平民としての態度を覚える。
わたし達は当たり前のように生活しているけれど、やっぱり貴族と平民との間には大きな格差がある。それも、貴族が気に食わない平民を傷つけたり亡き者にしたりしても、大した罰則を受けないくらいの、大きなものが。だから平民は貴族の機嫌を窺い、貴族はそれを当然のように受け止めている。
マナーの方は特に変わらないけど、口調が結構違うの。語尾にわ、かしら、などは使わないというのが一番大変よ。それ以外は、相手を目上の人として見れば大丈夫だけど、気を抜くと語尾は出て来てしまうの。
「はい、分かりましたわ。……あ」
「ふふ、さあもう一度」
「はい、分かりました」
この特訓を二週間続けて、明日はいよいよ入学式よ。わたしの入学にあたって、シリウス達世間向けには、アイリーナ·フォン·セイレンベルク公爵令嬢は療養のために一年間休学するとしている。一方で秘密を知るレオンハルトとレイチェルには念を押した。
「いい?わたしが学院に通うことは内緒よ。特にシル達には絶対に言わないでね」
「リナ姉様……分かりました」
「アイリスは任せて!」
そう、アイリスも置いていくことにしたの。わたしは王都で「しろねこ姫」という渾名で呼ばれているので、アイリスを連れていくとばれてしまうのよ。
そして、当日。わたし、アイリーナ改めミレイル·エンジュは制服を着てアイルクス王立学院に向かう。王都の街並みと王宮のちょうど真ん中辺りに建てられているそこまで歩いた。
辿り着いた学院には、人があまりいなかった。あれ、もしかして遅刻したかしら?慌てて辺りを見回し、制服を着た人を見つけて駆け寄った。
「あの、すみません」
「ん?どうした?」
「入学式はどちらですか?」
その男の人は目をパチクリさせた。
「君、新入生か。入学式は一時間後だよ。まだ準備中だ」
「よ、良かったぁ、遅れたかと……」
ほっと胸を撫で下ろす。ふと見上げると、微笑む男の人と目が合った。燃えるような紅い瞳と、濃い紺色の髪の毛。少しすると何かを思いついたような顔になった。
「そうだ、どうせ暇なら僕が学院を案内してあげるよ」
「良いんですか?」
「もちろん!僕は四年生のライアックス·フォン·アスピシャンだ。よろしくな」
「あ、わたしは……ミレイル·エンジュです。よろしくお願いします」
危うくアイリーナだと言いそうになって少し止まってしまった。ライアックス様は特に気にした風でもなく歩き出した。
「それで、ここが寮だ。こっちが女子寮であっちが男子寮。基本、異性の寮には入れないんだ。寮では基本は二人一組で部屋を分けられる」
立派なレンガ造りの建物を指しながら説明するライアックス様。わたしは頷きながら話を聞いていた。そこに駆け寄ってくる足音がした。
「お兄様!」
「ん?ああ、シャル」
やってきたのは、ライアックス様より少し明るい紺色の髪をのばし、紅い瞳でこちらを見つめてくる女の子。
「妹のシャルロッテだ」
「シャルロッテ·フォン·アスピシャンですわ」
「ミレイル·エンジュです」
「シャル、一緒に会場まで連れてってくれないか」
「新入生ですのね、分かりましたわ」
「あの、ライアックス様、ありがとうございました」
「ああ、学院生活、楽しんでくれ」
ライアックス様にお辞儀して、シャルロッテ様と共に入学式の会場に向かう。
「ミレイルさん、お兄様と何を話してたのかしら?」
「はい、学院を案内して頂いてました」
答えると、シャルロッテ様が険しい目つきで見てきた。
「アスピシャン侯爵家を何だと思ってるの、お兄様を困らせるなんて」
「申し訳ありません」
「分かればいいわ」
ツンと言い放つとそのまま歩き去ってしまった。わたしはため息をつく。普通の貴族って平民相手にはああいう態度なのかしら?
シャルロッテ様が歩き去った方向に向かう。しばらくして会場に入ると、案内された席についた。前を見ると、最前列にシリウス達がいた。何やら話し込んでいる。
しばらくして式が始まった。といっても学院生活における注意事項や禁止事項などの説明の後に、学院長であるお祖父様が一言言うだけで呆気なく終わった。その後新入生全員で寮へ移動する。
寮につくと、そこに待っていた女の人によって部屋に案内されていく。わたしは最後だった。
「ミレイルさんで合ってる?」
「はい、ミレイル·エンジュです」
「あなたの部屋はそこよ。人数の関係で一人部屋だけどいいかしら」
「大丈夫です、ありがとうございます」
礼を言って部屋に入る。備え付けのベッドに寝そべって伸びをした。まさか平民になっただけでここまで疲れるなんて、これから大変だわ。これからの生活に思いを馳せながらぼうっと天井を見つめた。




