97-S 一年前の影響
「……マナーも教養も、申し分ないのです」
「だから何です。父上、いや、国王陛下が発表されたこの婚約に、何か文句でもあるのですか?」
僕はうんざりしていた。何に対してかといえば、ダンスパーティーでの貴族達の挨拶に対してだ。昨年は王宮で父上や母上が狙われるというとんでもない事件があったせいで、僕やアイリーナはそれ以降のパーティーには一つも出なかった。
つまり、今回のパーティーが、僕達の婚約が公に発表されてから初めての一般のパーティーとなる。もちろん王太子として今年度のデビュタントにも出たけれど、あれにはこんな挨拶などはない。だから正真正銘初めての挨拶だったのだが………
まさか、こんなにあからさまにアイリーナの座を奪いに来るとは思いもしなかった。怒りをなんとか王子スマイルに隠して相槌を打ち、そして婚約を解消する事は決してないと釘を刺していく。
挨拶に疲れ果ててふと横を見ると、アイリーナが珍しくぼうっとしていた。今回は髪の色に合った、かわいい花柄のピンクのドレスを着て、僕の贈った銀の髪飾りをつけたアイリーナ。いつにも増してかわいく着飾ったアイリーナに、タイミングを見て話しかけた。
「リリー、どうした、疲れたか?」
その僕の言葉にはっと気を取り直したアイリーナ。首を振って大丈夫な事を知らせてきた。そのまま作り物の笑顔を浮かべて貴族達に対応する。
そんなアイリーナよりも、僕の隣に相応しいだって?そんな人間はいない。マナーも教養も、公爵令嬢で王妃教育も受けているアイリーナの方があるに決まっている。成績だって学年一位だし、王都の孤児院の事も気にかけている。
そして、自らの思いなど微塵も見せない今のアイリーナの態度。きっと傷ついているだろうに、そんな事を決して表情に出す事はない。
ああ、僕のたった一人の愛しい婚約者、アイリーナ、傷つけてごめんね。君は僕が絶対に守るから、安心して。
「リリー、一曲踊ってくれないか」
やっと挨拶を終えるとアイリーナにダンスを申し込む。即座に頷いたアイリーナの手を引いて、流れ出した曲に合わせて踊り始めた。しかし、先程までの貴族達の発言を思い出して思わず呟きが漏れた。
「全くどいつもこいつも……」
「仕方ないわ、それだけ多くの貴族にとって、王太子の婚約者というのは魅力的な地位なのよ」
その諦観した微笑みに、申しわけなさで一杯になる。
「……ごめんな、リリー。あそこまであからさまに言われて、リリーを傷つけた……」
「わたしは大丈夫よ」
そんなわけないじゃないか。アイリーナはいつだって、わたしは大丈夫だと言うから。
しかし、僕は次のアイリーナの言葉に固まる事となった。
「だって、シルが助けてくれるんでしょう?」
「……え?」
「シルを頼りにしてるから。だから、あのくらいどうって事…」
え………今、なんて………?僕を、頼りにしてるから、だって……?
嬉しさのあまり、僕は思い切りアイリーナを抱きしめた。
『わたしも、シルの事好きよ』
そう言ってくれたアイリーナに、頼りにしてもらえるのが僕の願い。何でも一人でやろうとするアイリーナに、何でも一人で出来てしまうアイリーナに、頼ってもらいたかった。それは僕が自分の想いを自覚してから、ずっと思っていた事。
今僕の腕の中にいるアイリーナは、突然の事に驚きを浮かべていた。戸惑いと共に見上げてくるアイリーナの空色の瞳を見返せば、アイリーナはそのふっくらした頬を赤く染めた。
その瞬間、僕は胸を鷲掴みにされたような感覚になった。デビュタントの時と違って、今回は僕がアイリーナを赤くさせたんだ。こんなにかわいいアイリーナを、他の人になど見せたくない。暫くそのまま見つめあった。
「…ありがとうリリー」
ずっとこうしていたいけれど、やっぱり僕らは目立つ。渋々ながらもアイリーナを離す。やっぱりアイリーナに頼ってもらえるのは嬉しい。もっともっと頼って欲しい。
「もっと頼ってもらえるように、努力するよ」
「………無理はしないでね?」
心配そうなアイリーナの表情に愛しさが込み上げてくる。僕の事を気にかけてくれている、それは嬉しいがいつも無理をしているのはアイリーナの方だろう。
「リリーもだ、無理しないでくれよ」
「……ええ」
まだ熱がありそうな顔で、アイリーナはしっかりと頷いてくれた。
それにしても、アイリーナはずっと頬を赤くさせたままだ。それに、心なしか呼吸も荒くなっている気がする。そこまで僕の事を意識してくれているのならとても嬉しいが、挨拶の時もぼうっとしていたし、もしかして具合が悪いのだろうか?
一応大事をとってダンスの輪から抜け、二人で休む事にした。出来るだけ人を避けてアイリーナを連れていく。
やっと落ち着ける場所について、途中で取ってきた飲み物をアイリーナに渡す。具合が悪いのかと聞いたが、アイリーナはそれには答えずにグラスに口をつけた。
目を瞑ってあまりにも美味しそうに味わっているものだから、ついついその頬に触れたくなってしまう。そっと触れると、やっぱりその頬は熱っぽかった。
「ああ、少し熱があるみたいだね。ごめんね、気づかなくて。少し休んでいて」
「大丈夫、きっとダンスのせいだわ」
「そう……無理はしないでよ、今のリリーは酔っ払ってるみたいだから」
熱のせいか、はたまた先程の僕の行動のおかげか、とろんとした瞳をしたアイリーナ。冗談めかした僕の言葉に可笑しそうに笑った。
「流石にぶどうジュースでは酔わないわ」
言いながらそれを口に含むアイリーナを見て、とある欲求が生まれた。そう、ぶどうジュースを飲む、少し熱のあるアイリーナがこんなにかわいいのなら、ダンス中みたいに僕の事を意識させたらどれだけになるだろうか。
「本当に酔わせてしまおうか」
僕に酔わせてしまいたい。とろとろに甘やかして、いっその事僕しか見えないようにしてやりたい。
「シル……?わたし、まだ、十五歳、よ……?お酒は、飲んではいけないわ……」
ひゅ、と息を飲んだアイリーナは、慌てたような素振りを見せた。そうやって慌てている姿も、勘違いも、かわいい事この上ない。
だけど、もっと僕の事を男として見てもらいたい。
「……そうだね、楽しみは取っておこうか」
アイリーナに僕の想いが伝わっていない気がして、少しだけショックだ。でもまあ、何もこんなに人に注目される場でやらなくても良いか。それこそ二人きりの時にでも、思い切りかわいがろう。
それなら庭にでも連れ出そうか、そう考えていた僕の元に父上からの呼び出しが入った。後ろ髪引かれる思いで僕はアイリーナの元を離れた。
呼ばれた通り、王族専用の休憩室に向かう。一礼して入室するとそこには父上だけでなく宰相もいた。二人ともパーティー中とは思えない程真剣な顔つきだ。
無意識のうちに全身に力が入る。宰相が『防音結界』を発動させる。パーティーの喧騒も聞こえない重苦しい雰囲気の中、父上が口を開いた。
「パーティーだというのに呼び出したりして悪いな。お前にはこの前の事件の事を言っておかなければならん」
この前の……あの、王宮が襲われた事件か。
「王宮に侵入した者共はインヴェノ帝国の者で、しかし国は関与を否定している。実行犯達も誰一人として口を割らずじまいだ。しかし皇太子の手の者である可能性が高い」
帝国の者がアイルクスの王宮に侵入…………返り討ちに出来なければ、今頃どうなっていたか。恐らくは軍事国家である帝国に侵略される結果となっていた事だろう。
「さらにその裏でセトルータの者がアイルクスの子供達を奴隷として連れ去ろうとしていた」
これは王都でアイリーナが解決した誘拐事件の方だな。
「こちらは簡単に元締めが判明した。セトルータ王国の王弟、ギリジャフ·フォン·シュベマ公爵。そしてまた面白い事を言っていた。帝国とセトルータが秘密裏に同盟関係にある、と」
「な…………」
それが事実であれば、由々しき事態以外の何物でもない。国の西側が砂漠と化しているセトルータにとって、資源が豊富なアイルクスは喉から手が出るほど欲しい土地だろう。しかし如何せん軍事力が圧倒的に足りなかった。
が、帝国が味方についたならどうだろう。軍事国家の帝国は流石に軍事力が高く、侵攻を防ぐのは一筋縄ではいかない。この二国が手を結んだなら、アイルクスはいつ侵略され始めてもおかしくないのだ。
「あの事件の裏に、そんな背景が……」
「まあ、今すぐ侵攻される事はない。今回失敗したから帝国は暫く動かないだろう。一方でつい先程確定した事だが、我がアイルクスと隣国セトルータでは交換留学を実施する事となった」
「交換留学、ですか」
「ああ。向こうからは王女が来るんだが、こちらからは議論の末アイリーナを遣わす事にした」
まあ親交を深めるためにも交換留学というのは有効か、そんな事を考えていた僕は一瞬何を言われたか分からなかった。向こうからは王女が来る、これは妥当だろう。しかしその次に何て言った?アイリーナを遣わす、だって?
「な、なぜそこでアイリーナが出てくるのですか」
交換留学に行ってしまったら、最短でも一年近く会えないのだ。先日やっと想いが通じあったというのに、それはあんまりではないか。
「適任者が彼女しかいないからだ。王太子であるお前は論外、さらに人見知りでまだ世間に慣れていないクラウスにも荷が重いだろう」
確かに父上の説明には非の打ち所がない。向こうが王女を送ってくる以上、こちらもそれに見合う立場の人を遣わす必要がある。しかし父上の言った通り僕ら王族には行けない事情がある。だからアイリーナに、公爵令嬢で僕の婚約者の彼女に白羽の矢が立ったわけか。
理解はしたが、納得は出来なかった。アイリーナを敵地に送り込むようなものだ、心配どころではない。
「……………っ」
「シリウス。アイリーナは強い、たとえセトルータの民が纏めてかかってきたとしても跳ね除けるくらいの力は持っている」
「……しかし……っ」
「正直に言えば、僕だってアイリーナを遣わしたくはない。彼女の持つ力に向こうが気づいて利用しないとも限らない。………だが、良い機会だ、お前は一年の間アイリーナと離れてみなさい。きっとそれで初めて見えてくる事だってある」
その後も散々説得され、結局僕は納得せざるを得なかった。アイルクスが侵攻される恐れに比べれば、僕のわがままは些細な事に過ぎない。しかし僕の心は荒れ狂っていた。
三年前、一年生の時にアイリーナと離れていたのとはわけが違う。あの時は少なくとも療養だと聞かされていたため、会えないのは辛かったがアイリーナが危険にさらされているわけではなかった。結果として近くにいたが。
しかし今回は、アイリーナは隣国に、それもアイルクスに侵攻しようとする国に行くのだ。どんな危険があるか分からない。
呆然と歩いていた僕はいつの間にかパーティー会場に戻ってきていた。とりあえずアイリーナを探そう、そう思った瞬間に会場に声が響き渡った。
「逆らいませんから……!それ以上しないでください!」
何事かとそちらに目を向けると、果たしてアイリーナがそこにいた。その足元には蹲る令嬢の姿。先程の発言と合わせて考えればアイリーナが彼女を虐めているように思えるが、アイリーナの憐れむような表情からは微塵もそんな事は感じられなかった。
「何があった」
僕はそんなアイリーナの元に行き、アイリーナに話しかけた。しかし、アイリーナが何か言おうとするより先に、蹲っていた令嬢が口を挟んできた。
「で、殿下……アイリーナ様が、私のドレスを汚して……」
へえ、この令嬢は確か、挨拶の時に父親が「マナーもよく出来ます」と薦めてきた人だな。そのくせして、話しかけられてもいないのに勝手に喋り出すのか、マナーが出来るなんて良く言ったものだ。
その上言っている事は誰が聞いても明らかに嘘と分かるようなもの。僕は早々にこのくだらない茶番を終わらせたかった。
「ふうん。つまり君は、アイリーナが手に持っているこの白いぶどうジュースを、器用にも少しだけ残して、黄色のドレスに赤い染みをつけたと?」
「そ、それは……」
あーあ、この調子だと頭の方も宜しくないんだろうな。こんな事でアイリーナを貶める事も、僕に興味を持たれる事も、あるわけがない。
さっさと連れて行ってもらうと、ぼうっとしているアイリーナに近づく。
「リリー、大丈夫だった?」
まだ何事か考え込みながらも、アイリーナは首を縦に振った。
「ごめんね、こんな目に遭わせる事になって」
「ううん、大丈夫よ。ただ少し、あんな事をするなんて、言ってはいけないかもしれないけれど、馬鹿なのかしら、と思ったわ」
仕方がないというように頭をゆらゆらと揺らすアイリーナ。僕も全く同感だ。しかし、来年はアイリーナに何かあっても僕は駆けつけられない。
「リリー、セトルータに留学するんだって?」
「ええ。少し不安だけれど、役目は果たすわ」
「そう………ねえリリー、これだけは覚えておいて」
アイリーナの決意の籠った瞳を見て、僕も覚悟を決めた。僕は一緒には行けない、だからここアイルクスで出来る事をやろうと。そして……
「……僕は、どこにいても何をしていてもリリーの味方だからね。ずっと大切に想っているよ」
それを聞いたアイリーナは、また頬を赤らめながら心底嬉しそうに笑った。




