93-S 特別になるために
僕は机に向かって、明日の計画を立てていた。明日はアイリーナと、かわいい僕の婚約者とずっと一緒にいられる。先程聞いてきたアイリーナの希望も全て計画に盛り込んだ。
ああ、明日が楽しみだ。アイリーナと一緒に過ごす時間に思いを馳せ、作り上げた計画を見返していると、侍女が来客を告げた。
「殿下、ノエル様とディラン様がお越しです」
「通して」
「かしこまりました」
二人を招き入れると、侍女にお茶を用意させる。書き上げた計画を大事にしまって振り返ると、腰かけていたノエルが全てを察したように薄らと笑った。
「邪魔したか?」
「……いや、大丈夫だ。それより何の用だ?」
「んー、様子を見に来たんだが……」
「見た感じだと僕らの心配は杞憂だったな」
心配……?何か心配させるような事をした覚えはないんだが……
「僕、何かしたか?」
すると、二人は顔を見合わせ、揃って苦笑いした。
「逆だ。シルが何もしていないから何かあったのかと」
「いつも手を繋いで帰る程なのに、学院祭で何もしないわけがないと思ってな」
「なっ………」
鋭いノエルの指摘に言葉が出てこない。そしてそんな僕にノエルがにやりと笑った。
「なあ、そこまで大切に思ってるのに、何で告白しないんだ?」
「それは……」
「せっかく学院祭っていう良い機会だし、明日思い切って言ってみろよ」
「………っ」
僕だって、言った方が良い事は分かってる。きちんと想いの丈をぶつけて、その上でアピールするくらいはしないと、アイリーナに伝わらないだろう事も嫌という程思い知った。それでも告白する勇気がないのは、僕が弱いからにほかならない。
「……怖いんだ」
「え?」
「リリーが僕から離れていくのが、怖いんだ。僕の世界を彩り豊かにしてくれたリリーが、優しくてかわいいリリーが、僕のそばにいないなんて考えられない。………だから、もし告白して振られるくらいなら、今のままで良い。いつかリリーが僕を好きになってくれるまで……いや、一生でも、ずっと」
アイリーナは無意識だろうけど、僕も、クラウスも、きっとノエル達だって、アイリーナに救われている。僕にはアイリーナしかいないが、アイリーナには僕みたいにアイリーナを大事に思う人がたくさんいる。その中で僕が一番だなんて保証は、どこにもない。
「今のまま何もしなければ、リリーは僕の物だから」
余計な事をして失うなんて、冗談じゃない。
しかし、そう言った次の瞬間、僕は頭から水を被る事となった。目の前には瞳を蒼く輝かせたノエルが、僕を睨みつけるようにして立っていた。
「……僕は!僕は、リリーのためを思って!言ってるんだよ!僕だってリリーが一番大事だ!だけど、シルの方が、僕より、リリーを大切にしていたから!」
「ネ、ネル……」
「少し落ち着け、一気に言ってもシルが混乱する」
僕に掴みかかる勢いで捲し立てたノエル。思わず僕が退くと、その隙にディランがノエルを宥めた。そして『乾燥』で服を乾かしてくれた。
一方一度だけ大きく深呼吸したノエルは、再び椅子に座って落ち着かせるようにお茶を飲んだ。
「……僕はリリーが一番だ、そう言ったが、正確にはリリーの幸せが一番なんだ。だからこの前王都で会った時、僕は安心したんだ。リリーが今まで以上に幸せそうだったから。それなのにシルは…」
「ちょっと待て。リリーが幸せそうだった?」
「ああ。気づかなかったのか?」
「……いつ?」
「プレゼントを買ってた時だ。僕がどう思うか聞いたら、リリーが『シルが選んでくれたから』って本当に嬉しそうに笑ったんだ」
あのアクアマリンのネックレスか。あれは、正真正銘アイリーナの事を思って選んだものだ。『災難よけ』の効果があって、髪と瞳に合うと言ったが、もちろんそれだけではない。アイリーナへの想いも、アクアマリンに託したのだ。結局気づかれなかったけど。
ノエルの真っ直ぐな瞳と目が合う。とりあえず何か誤解があるようなので、それは解かないと。
「……ネル、僕だってリリーの事、ちゃんと考えてるよ」
「逃げられないように婚約までして?」
「は?」
「王家からの正式な婚約を、断れるわけがないだろ?」
「いや、僕はちゃんと許可を取った。リリーに直接婚約を申し込んだんだ」
父上にも言われていたし、僕は流石にそこまで強引な事はしない。僕の物だと言えるのも、アイリーナがそれを認めてくれるから。だからこそ、アイリーナを大事に思って、その気持ちを尊重しようとする考えのせいで、大事だからこそ離れたくないという僕の願いが崩されるのが怖いのだ。
「……ごめん、僕はてっきりシルが強引にリリーを縛りつけているんじゃないかと思ったんだ」
「僕はそんな事絶対にしないし、そもそもリリーが大人しくしてないだろう」
王宮の事件の時だって、僕は引き留めたのにアイリーナは迷子を探しに行ってしまった。きっとアイリーナを縛りつけておくなんて、誰であっても不可能に違いない。
申し訳なさそうに俯いたノエルは、今度は自分の頭に水をぶっかけた。そして軽く頭を振る。
「……本当にごめん」
「いや、大丈夫だ。誤解を招くような事をした僕も悪かった」
僕だってアイリーナが縛りつけられていると思ったらそうなると言えば、ノエルは少し安心したように笑った。
「……でも、明日のうちに一回告白した方が良いと思う」
「ディ、ディル……!?」
「リリーのためを思ってるんだろ?だったら、今日より楽しくて、印象に残るようにしてやれよ」
「……ル、シル?」
「……ん?なに?」
「どうしたの、やっぱり疲れたかしら?ほら、そこに座りましょう」
アイリーナが僕の手を引いて、手近なベンチに座らせてくれる。そしてちょっと待っててと言い残すと、そのままどこかへ行ってしまった。その後ろ姿を見つめて僕はため息をついた。
あの後、ディランに言われたように計画を見直した。ポケットから新しく作り替えた今日の計画を取り出し、最後に小さく書かれた文字をそっと押さえた。
弱い僕に、出来るだろうか。優しいアイリーナの事、きっと拒絶はされないはず。でも、それじゃ駄目なんだ。アイリーナは誰にでもそうするだろうから。ねえアイリーナ、僕はどうすれば君の特別になれる?
「………わがままなのは、僕の方だな………」
優しいアイリーナが僕から離れられなくなるように、吸収まで使って。アイリーナの性格を、困っている人を放っておけない性格を上手く利用して傍においているのに、その上僕は………
「ごめんね、わたしのわがままに付き合わせちゃって」
「……ぃりゃっ!?」
アイリーナの声に、慌てて計画をポケットに突っ込んだ。それに今の発言、もしかして僕の声、漏れてたか?
そんな僕の不安とは裏腹に、アイリーナはのんびりと飲み物の入ったコップを渡してきた。そして徐に僕の隣に座る。
「ハーブティーよ。疲れを癒す効果があるらしいの。今までずっと歩き回っていて疲れたのでしょう?わがまま過ぎたわ、ごめんね」
「い、いや、大丈夫」
僕の本心はバレていないようで、ひとまず僕は安心した。アイリーナが持ってきてくれたハーブティーに口をつける。それは普通のハーブティーよりも甘く、だが嫌にならない甘さだった。
「……美味しい」
「ふふ、良かったわ。やっといつものシルになったわ」
いつもの僕……?どういう事だ?
「だって、いつも楽しそうに笑ってるシルが、今日は疲れてるような、辛そうな表情を浮かべてたもの。何かあったのかと心配したのよ?」
覗き込むようにして僕の顔を眺めたアイリーナは、もう大丈夫そうねと微笑んだ。安心しきったそんなかわいい顔、僕以外の人になんて見せないで。
手を伸ばしてアイリーナの頬を撫でる。アイリーナは擽ったそうに笑った。
「ごめんね心配かけて。リリーのおかげですっきりした」
そう、僕がアイリーナの特別になりたいなら、僕が何かしないといけない。アイリーナの心を捉えるような何かを。そこに恐れはない。アイリーナはきっと、ちゃんと僕に向き合ってくれるから。
決意と共に真っ直ぐアイリーナの瞳を見つめる。アイリーナ、僕の想いを知ってくれ。
「……好きだよ、リリー」
一瞬虚をつかれたようなアイリーナ、その頬がほんのり赤く染まった。そのまま固まってしまう。僕の鼓動がうるさいくらいに耳に響き、少しの沈黙が果てしなく長く思えた。
そして──やっとアイリーナが口を開いた。
「……ありがとう。わたしも、シルの事好きよ」
にっこり笑ったアイリーナ、それが嬉しそうに見えるのは、僕の気のせいじゃ、ないよな?




