90-S 分からず屋
「そうよ、燃えていた火を消してあげたのよ。いじめの犯人だというのに、それにも関わらずよ」
僕は耳を疑った。今、この人、何て言った?この状況で、アイリーナがいじめの犯人だと?
それまでも先生に対して怒りを覚えていた僕は、流石に我慢できなくなって飛び出そうとした。しかし、後ろにいたディランに掴まれて動けなかった。
「何をする、離せ……!」
「駄目だ、リリーに任せとけ」
ディランが強い目をしながら言う。その視線を追うと、立ち上がったアイリーナが笑顔で先生に詰め寄るところだった。
「あら、ご自分で仰ったように強い先生なら、もちろんあそこまでびしょ濡れにしなくとも、火くらい消し止められますわよね?」
その声と、その表情を見て僕は納得がいった。心底面白そうに言っているのに、目が全く笑っていない。あれは、相当怒ってるな。
「リリー……これは怒ってる以外の何物でもないよ……」
「ここまでリリーの笑顔が恐ろしく感じたのは初めてだな……」
「無表情より怖い……」
アイリーナの無表情……想像出来ない。というか、想像したくもない。一体何をしたらそんなにアイリーナを怒らせるんだよ?
「あれだ、学院長様を馬鹿にされて大暴れした時だ」
「ああ、あの時か………それより怖いのか?」
思わず聞き返したノエルに、ディランが頷く。そしてアイリーナから目を離さずに告げた。
「あの時の迫力は半端なかったな。闘技場の真ん中にアイリーナがいて、僕は入り口だったのに、僕の周りまで気温が下がったからな……」
「それは……」
アイリーナなら何をやってもおかしくないな……
昔から一緒にいる僕らは慣れているから、アイリーナの魔術の実力を良く分かっていると、少し前までは思っていた。しかし、それはいわば思い上がりだったと思い知らされた。
王宮でアイリーナがクラウスの呪いを解いた時、奇跡が起きたのだと思った。だが、それは違った。後々気になって王宮の図書室でアイリーナが唱えた呪文を調べたのだ。
まさか、あれが伝説の属性最上級魔術だったとは思っていなかったため、その記述を初めて読んだ時は自分の目を疑った。その次に自分の記憶を疑った。だが、アイリーナは笑って言ったのだ。
『ああ、あれね、光属性最上級魔術よ。呪いを解くにはあれしかなかったから、相当努力したのよ?』
「どうせ魔力量が人並み以上なだけでしょうに!大した努力もしてないんでしょう!?外に来なさい!私の魔術を受けてもらおうじゃない!」
僕の思考は先生の叫びで途切れてしまった。それに不快感を覚えながらそちらを見やると、どういう流れでそうなったのか、かなりお怒りの先生がアイリーナの左手を引っ掴んで外へ連れて行くところだった。
対してアイリーナは、表情こそ穏やかになっていた。だけど僕には分かる。アイリーナ、全然怒りが収まってないな。
二人についていくと、先生は何を思ったか人のたくさん集まる中庭でアイリーナと対峙した。寮からついてきた令嬢達に加え、その場にいた男子達も何事かと二人を眺めている。さらには近くの建物の窓からも人が覗いていた。
「さあ、私の魔術の威力を思い知ってもらう!防いでみせるまで続けるから覚悟しなよ!但し、『防壁』は使用を禁止する!」
そんな中で大声でなされた先生の宣言に僕らは唖然とした。周りの人々も何事かひそひそ囁きあっているが……
アイリーナは大して気にした風もなく、社交的に微笑んだ。
「では始める!『滝行』!」
先生が叫んだその魔術は、上から水が降る攻撃。しかし、いつまで経ってもアイリーナの頭上には水など現れなかった。それはそうだ、『防壁』を制限されたくらいでアイリーナに攻撃なんか通じるわけがない。
手を上に向けているアイリーナは、紅く染まった瞳を決して上に向ける事なく、攻撃を無効化していた。そして微笑んだまま首を傾げた。
「たかが『乾燥』程度で何とでもなるほど、貴女は弱くはないでしょう?」
「………っ、それも禁止よ!」
攻撃が効かないと分かった先生は、今度は『乾燥』まで禁止した。それでもアイリーナは表情を変えない。再び先生が唱えた攻撃に対し、今度は瞳を茶色に染めた。
「『成長』」
中庭に生えている植物を使い、アイリーナがさっと作り上げたのは、蔓や茎が緻密に編み込まれ、隙間を葉っぱで塞いだ大きな傘だった。上から降ってくる水は傘に阻まれて、アイリーナに当たる事なく地面に落ちていく。
「リリー、完全に楽しんでるな……」
「ああ、昔から魔術を使うのもかけられるのも楽しそうだったからな」
「というか、先生は何がしたいんだ?」
またしても防がれたのを見た先生は、『成長』も禁止すると主張し、アイリーナに挑みかかっている。今度はどうするのかと思えば、アイリーナは『突風』で水を吹き飛ばした。しかも吹き飛ばした水を、集まった人々にも先生にもかからないようにする余裕まで見せている。
「恐らくアイリーナに一泡吹かせたいんだろうが……」
「そんなの無理に決まってんだろ」
僕らですら一人で挑んだら手も足も出ないのに、あの程度の威力でアイリーナに通じるなんて全くもってありえない。その証拠に、四度目の攻撃を『光壁』で受け止めたアイリーナは、上級魔術に対して一度も上級魔術を使っていない。今使っているのも光属性の中級だし、その前も初級と中級で対処している。
「全く、諦めれば良いのにな……」
「それに、どうしてこんなに注目を集める場所でやったんだ……余程の自信家なのか、恥知らずなのか…」
「いや、単に馬鹿なだけじゃないか?」
ディランの正直過ぎる発言に、僕とノエルだけでなく、近くにいた人々まで小さく吹き出した。同じく近くにいて、微妙な顔をしたライアックス殿がディランをちらりと見た。
「ディラン……その発言には大いに同意するが、万が一聞こえてたらどうするんだ」
「聞こえませんよ。こんなに騒がしくなってるんですから」
ディランの言う通り、辺りはアイリーナと先生の様子を見て相当騒がしくなっていた。そしてそのざわめきに、何事かとどんどん人が集まってくる。それはあいつらも例に漏れなかった。
「兄上!何してるの?」
ちょうど『光壁』も禁止されたアイリーナが水を凍らせて攻撃を防いだ時に、僕は後ろから声をかけられた。僕が振り返る前に横に並んできたクラウスは、アイリーナを見てわあと声を上げた。
「リナ姉様……?」
その後ろにはレオンハルトがいて、アイリーナを見て首を傾げている。
「遊ぶのなら僕が相手するのに、何であんなに弱い人と………?」
言いながらアイリーナの方に近づいていく。その呟きを聞いた人々が唖然としてレオンハルトを見送る。それもそうだ、上級が少しでも使えるのなら、文句なく一流の魔導師だと認められるのだ。それを『あんなに弱い』と言い切ったレオンハルトに唖然とするのも無理はない。寧ろそれが普通の反応だろう。
だが、レオンハルトの実力を知る僕としては苦笑いするしかなかった。この状況を知らないと、まあそうなるよな……
「リナ姉様、何でそんな人と遊んでいるのですか?」
「あら、レオン」
横から近づいたレオンハルトの方を向き、アイリーナが答える。
「先生が言うには、これは特訓らしいわよ?」
「完全に遊んでるじゃないですか」
「そうなのよね……でもレオンと遊ぶ方が楽しいわよ!あ、『闇球』」
レオンハルトと向き合って会話しながら、アイリーナは上に『闇球』を放って笑っている。普通の感覚を持って対峙している先生にはたまったものではないだろう。
「ちょっと、邪魔しないでよ!しかも、これを、遊んでるですって!?何も分かってないくせして、よく言うわね、このボンボンが!」
「あー、あの状態のリリーの前でそんな事を言ったら……」
ディランが頭に手をやった直後、今までざわめいていた中庭が一瞬にして静寂に包まれた。
「……こうなるよなぁ」
中庭が凍りついていた。いや、凍りついたのではないかと思わせる程気温が下がった。ディランがゆらゆらと首を振る。
「……あの時よりも寒いって……今は夏なんだが……」
「……先生、一度だけ反撃しても良いですか……?」
「リナ姉様……?」
アイリーナの声が一段と低くなり、それを不安に思ったのかレオンハルトがアイリーナを見つめた。その瞳は紅く輝いていて、僕らのいる所よりも寒いだろうに、全くそんな素振りは見せていない。
「リナ姉様、寒くないですか?大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ、ありがとう」
どうも咄嗟に『加熱』で自分とアイリーナの周りを暖めたらしい。アイリーナがレオンハルトに答える声は、いつもと変わらない。そのおかげか、先程より寒さが和らいだ気がした。
置いてきぼりを食らった先生はちょっと、と大声を上げた。
「一度くらいなら良いでしょう、かかって来なさい。どうせ今みたいに見掛け倒しに決まってるでしょうけど!」
「馬鹿だな……」
ノエルがぼそっと言った。僕はそれに大いに同意した。先生の見掛け倒しというのは一体何の事だ?今までのどこに、見掛け倒しになりそうな要素があった?アイリーナをまだ相当見下して言ったのなら、あれはもう救いようのない馬鹿だ。
一方で、許可を得たアイリーナはうっすらと微笑んだ。それを見たレオンハルトが何か囁いて、アイリーナが頷く。レオンハルトが仕方ないといった表情で小さく首を振った。
「では失礼しますわね。『毒霧』」
「バリア……りゃぁっ!?」
真っ黒く染まった瞳を先生に向け、アイリーナが先生の周りに黒い霧を発生させた。いや、あれ範囲魔術じゃないのか……?どうやったらそこまで狙い定めて相手だけを覆い尽くせるんだ?
アイリーナに『防壁』で対応しようとしたらしい先生は霧で姿が見えなくなった。ちょうどその時に、別の先生が二、三人連れでやって来る。
「そこで何をしている、アイリーナ嬢?」
「はい、一度だけ反撃を許されましたので、反撃致しましたの」
「は?」
やって来た先生達をアイリーナが呆然とさせたところで霧が晴れた。そしてその中から苦しそうに咽せる先生が現れた。
「あの、貴女は、何をしたのです?」
「何って、普通に魔術を使っただけですけれど」
「あの子……頭……おかしいでしょ…!教師を攻撃……する……なんて!」
その瞬間、アイリーナ達の一部始終を見ていた人々は皆僕と同じ事を思ったに違いない。
──いや、頭おかしいのはお前だよ!!!




