86-I 自称、弟の婚約者
生徒会の仕事と王妃教育の二つで忙しくしていれば、時が経つのはあっという間だった。そんな忙しさにも慣れてきた頃、夏の試験が近づいてきた。
というわけで、わたしは今訓練場にいる。以前の約束通り、わたしの横にはシリウスがいる。
「アイリーナ様、この『炎弾』なのですが…」
「ああ、それは…」
「シリウス様っ、『治癒』はどうすれば良いですか?」
「『治癒』はかける相手を優しく包み込むイメージで……」
前回までは試験前の一週間、毎日行っていた魔術指導も、王妃教育との兼ね合いで合計四回にした。そのせいか、それとも王太子であるシリウスがいるからか、今日は今までにないくらいたくさんの人が集まった。
魔術について聞きに来る人達が一段落した所で、シリウスがため息をついた。
「はあ、これ思ったより疲れるな」
「シル大丈夫?」
「まだ大丈夫。だけど、こんなのよく一人でやってたな」
辺りを見回しながら感嘆の声を上げた。そんなシリウスにわたしはそうでもないわと首を振る。
「今日は特に多いのよ。それでもシルがいる分、前よりは少し楽だわ」
「そ、そうか……」
苦笑いしたシリウスが、周りに気づかれないようにそっと左手を握ってくる。目線でその理由を察したわたしは、紋章の力を発動させた。
『どうしたの?』
『リリー、無理は…』
『してないわ。約束したもの』
『……分かった、せめて身体だけは壊すなよ』
『ええ、ありがとう。シルも気をつけてね』
「あっ、姉様!」
「リナ姉様、何してるんですか?」
クラウスとレオンハルトの声がして、シリウスがさっと手を離す。わたしが魔術指導をしていると答えると、クラウスは楽しそうな顔つきになった。
「僕にも、魔術教えて!」
一方でレオンハルトは大きく頷いて、ある事を頼み込んできた。それを聞いたわたしは一も二もなく了承し、シリウスは苦笑いした。
「レオン、お前も大変だな」
「ええ、もう三ヶ月くらいは経っているのに……」
「姉様早く!」
レオンハルトの話の間待たされていたクラウスがわたしの手を引く。そのまま少しの間クラウスに魔術を教えていた。途中からはレオンハルトにも一緒に教えていると、横からわたしを狙い澄ました魔術が飛んできた。
「あら、レオン、もうやって来たみたいよ」
「………はあ、速い……」
見もしないで魔術を防ぐと、レオンハルトに告げる。その事実にレオンハルトがため息をついた所で、ちょうど騒動はやって来た。
「貴女、自分の弟を誑かすなんて相当の悪女だわ!その上二人の王子様まで……幾ら私のお義姉様でも許せないわ!」
早くも自分がレオンハルトの婚約者になったつもりなのかしら。叫んだ彼女は赤い瞳を爛々と輝かせ、綺麗に整えられた濃青色の髪の毛を揺らして白い手袋を突きつけてきた。
「貴女に、私の事を認めてもらうわ!」
以前のような事が起こらないように、わたし達は訓練場の隅の方に移動した。それでも集まってくる人達には、丁寧に対応して下がってもらった。
証人は、自称レオンハルトの婚約者の令嬢が連れてきた二人に加え、わたしが集まった人達の中から一人選んだ。証人ではないけれど、レオンハルトはこの勝負を見守っている。
「では、勝負始め、ですわ!」
証人のうちの一人、相手が連れてきた二人のうちの一人が宣言すると、早速炎球が飛んでくる。それをのんびりと水球で対処する。
「『水泡』」
「『乾燥』」
続いてわたしが浮かべた泡は、その全てが蒸発させられる。そのままの勢いで炎が吹き出された。
「私の熱い想いを喰らいなさい!」
「……その程度の気持ちなのかしら?」
何というか、言っている割に威力も熱もないわね。水球で受け止めて思う。思わず聞き返すと、彼女は目を怒りに染めた。
「違っ、お義姉様だから手加減してあげただけよ!」
「そんなもの要らないわ。全力でかかって来なさい」
「言われなくてもそのつもりだわ!『炎射』!」
あら、やれば出来るじゃない。威力が1.2倍くらいにはなったわ。それでもわたしの水球を蒸発は出来ないかしらね。しかし彼女はわたしが水球を少し押したのを見て勝ち誇った笑みを浮かべた。
全く、わたしがそんな攻撃に屈するわけがないじゃない?わたしは社交的に笑って彼女に注意した。
「ふふ、上ががら空きよ。『滝行』」
上から降り注ぐ水に、彼女は対処しようとしたけれど間に合わず、全身びしょ濡れになった。それでも立ち上がり、乾かそうと魔術を発動させたところで、力が抜けたように崩れた。
「あっ、そんな…」
「まだ続けるかしら?」
のんびり質問すると、彼女の証人が思い切り首を横に振った。
「いいえっ、アイリーナ様の勝利ですわ!」
「ちょっ、勝手に…」
「制限はどうしましょうか?」
魔力切れを起こしてしまった彼女が証人の令嬢と言い争っている間に、わたしの選んだ証人が聞いてきた。まあ、これに関しては考えるまでもないわ。
「レオンハルトへの執拗なアピール、彼に必要以上に付き纏う事を禁止するわ」
「なっ、そんなっ」
地面に座り込んだまま赤い瞳を大きく開いた令嬢。再び怒りが湧いてきたらしい。
「っ、そんなの、認めないわ!レオンハルト様と話もできないなんて、そんな…」
「そこまでは言ってないわ」
わたしが言ったのは、執拗なアピールを禁じるという事。これはつまり、裏を返せば執拗でなければ構わないという意味。話をする事までは制限してないわ。
「レオンに嫌だ、或いは止めてと言われたら止める事。それが制限の内容よ」
そう、先程レオンハルトがしてきた頼みというのは、暴走気味の彼女をどうにかしてくれというもの。最近は朝会うなり抱き着かれそうになるとも言っていたわ。
流石にそれはやりすぎだと、そしてそんな彼女ならレオンハルトを追ってここに来るだろうと予想した。案の定こういう結果になって、レオンハルトはやっと落ち着けると笑った。
その後は特に何事もなく、クラウスとレオンハルトも入れて魔術指導をした。それも終わり、片付けをしてからシリウスと二人で寮に帰る。
「お疲れ様」
「うー、リリー、疲れたよー」
歩きながらシリウスが背伸びをする。そしてそのまま後ろから抱きついてきた。首筋に当たるシリウスの吐息が擽ったい。時間は遅くなったけれど、この間と違い日が長くなったのでまだ薄明るい。
「魔力ちょうだい?」
耳元で囁かれたその声に頷くと、わたしの肩に何かが乗せられた。先程までより吐息が近くなった感じがする。
「シルっ、く、擽ったいわっ」
身を捩って抵抗する。シリウスは笑いながら離してくれた。
「もうっ」
「あはは、ごめんよ」
シリウスはいたずらっ子だわ。流石は陛下のご子息よね。それでいてとても優しい。今だって、わたしの頭を優しく撫でてくれている。薄明るい中で見えたシリウスの表情も優しかった。
その後も色々話しているうちに寮に着いた。
「おやすみ、リリー」
「おやすみなさい」
最後に軽く抱かれて、シリウスと別れた。
部屋に戻ると、いつも出迎えてくれるアイリスがいなかった。不思議に思って部屋を見渡してもどこにもいない。
「アイリス?」
「ニャオ」
声は聞こえるのに姿が見えない。どこだろう、もしかして外かしら。
小さく空いていた窓から外の花壇を見ると、そこの端にアイリスが座っていた。そして、その脇にはソーア様もいた。
『ああ、お帰りアイリーナ』
「ただ今帰りましたわ」
ソーア様に挨拶している間に、アイリスが窓枠に飛び乗る。
「こら、汚れた足で入っては駄目よ。『掃除』」
部屋に入らないようにしながら汚れを落とす。それからアイリスを抱き上げた。
『お帰り』
「ただいま、アイリス」
『アイリーナ、今日は生徒会はなかったのではないの?』
「うん、そうなんだけど、魔術指導をしていたのよ」
『今まで?』
『それは大変じゃな』
アイリスと話していると、ソーア様が話しかけてきた。そちらに視線を向ける。
窓の外にソーア様が浮いていて、その視線はじっとわたしを見ていた。わたしはそんなソーア様にお礼を言った。
「ソーア様、わたしがいない間花を世話してくださって、ありがとうございました」
『気にしなくて良い。それに、この花達はアイリーナの事が気に入ったようだよ』
「まあ、光栄ですわ!」
いつかソーア様が言っていたわ。この花達に認められれば、どこにいても『成長』で成長させ、戦う事が出来るようになると。
かわいらしいピンクの花と、清廉な水色の花。ソーア様のくれた、精霊の花は、まるで笑っているかのように咲き誇っていた。




