第2話 幼馴染みのヒミツ 前編
「はあ」
教室に着くなり机に突っ伏し、聡樹は辛気くさいため息を吐いた。
昨日だけでも三発。強烈なハートブレイクショットをお見舞いされて、気分はすっかりダウナーモードだ。
「はあ~ぁ」
一発目、スライム少女を泣かせ。
二発目、魅麗に激しく誤解された。
そして三発目、ドラゴンは実は抽選だったという驚きの事実。
これはドラゴン族の日本もんすたぁ協会への登録数が少なく、さらに人気が高いので仕方がないのだそうだ。
認定試験で好成績を収めれば優先的に契約権が回ってくるらしいが、恐らくギリギリセーフで合格したであろう聡樹ではどだい無理な話だ。
これらは全部ネットで調べて後からわかったことだ。認定試験の合格ばかりを考えるあまりこうした情報収集を怠っていた自分に腹が立って仕方がない。
「俺ってばホントにバカ」
「そう。アンタってばホ~ントにおバカ」
聡樹はガバッと顔を上げた。
目の前には、額に柄付きのハチマキを巻いたポニーテールな女が仁王立ちしている。
彼女の名前は泥山真理。吊り目で口をへの字に曲げているので、いつも機嫌が悪そうに見える女だ。笑えば少しはかわいいのかも知れないが、残念ながらそれは希望的な憶測である。
聡樹は真理が苦手だった。だから思わずゲッて顔になってしまう。
「ゲッ、真理」
ゴチンッ。聡樹の目から一等星が飛んだ。
「~~~ッッッ、痛ってぇ~ッ」
「幼馴染みの顔を見るなりゲッとはなによ、ゲッとはっ」
聡樹はゲンコツが飛来した脳天をなでさすり、コブになっていないか確かめた。少し膨らんでいて、思わず顔をしかめる。
真理のゲンコツは本当に痛い。石で殴られたんじゃないかと錯覚するほどだ。
目尻の涙をごまかしつつ、聡樹は真理を睨み付ける。
「いきなり殴ってくる幼馴染みがどこにいるんだよっ」
「ここにいるわよっ」
「威張るんじゃねーよ」
「ふんっ。せっかくカワイイ幼馴染みが甲斐甲斐しく朝の挨拶にきてあげたってのに、気付きもしないで景気悪そうなため息吐いてるヤツが悪いのよ」
「どの口が『カワイイ幼馴染み』とかほざきやがるんだか」
「なにをっ」
真理がゲンコツを振り上げたので、聡樹は反射的に頭をかばう。
だが二発目のゲンコツは飛んでこなかった。
「ふんっ、まあいいわ。今日はアンタに話があってきたのよ」
「なんだよ話って。新しい必殺技の練習台なら断るぞ」
「……ここじゃちょっと話しにくいわ。顔貸しなさいよ」
「え~、もうじきホームルーム始まるぜ」
「いいから来いっての」
「痛てッ、腕引っ張るなって痛てててッッ引っこ抜けるッッ」
クラスメイトたちに奇異の視線を向けられながら、聡樹は為す術なく引きずられていく。真理の馬鹿力には、たぶんトロルだって敵わないだろう。
そして聡樹は体育館の裏まで連れてこられた。
体育館裏。そこで発生するイベントは、恋の告白かリンチの二択だろう。
真理の性格を考えれば、可能性は必然的に後者へと傾く。聡樹は戦慄した。
「ま、真理っ、あのさぁ、俺なんか悪いことしたか? だったら謝るから、だからさ、穏便にいこうぜ? なあ?」
「アンタ、なに怯えてんの? ……アタシってそんなに恐い?」
「正直恐い」
小学生の頃、女の子の真理に泣かされたのは今でもトラウマだ。
「……そう」
意外にも、真理は眉根を寄せて目を伏せてしまった。
てっきりゲンコツが飛んでくると思っていた聡樹は拍子抜けしてしまう。
「真理、なんかあったのか?」
「聡樹。アンタ、もんすたぁマスターになったんだって?」
「え? ああ、うん。耳が早いな」
「なに言ってんの。アンタの指のそれ、契約の指輪でしょ」
聡樹はハッとして自分の手を見た。薬指に契約の指輪をはめたままにしていたのを思い出す。
「それで、もう契約は済ませたの?」
「いや、それは、まだだけど」
「でしょうね。アンタ、ドラゴンがいいって言ってたから。ドラゴンは大人気でめちゃくちゃ倍率高いのよ。契約できなくてトーゼンよ」
「うぐっ」
素人の真理ですらドラゴンのことは知っているのだ。聡樹は自分が、もう情けないを通り越して惨めにすら思えてきた。
「そんなおバカな聡樹クンに朗報があります。なんと、このアタシが聡樹クンのためにお似合いのもんすたぁを紹介してあげます。喜べ」
「いや喜べって言われても」
真理が聡樹のためになにかをするなんて、どういう風の吹き回しだろうか?
真理は家庭科実習で料理を作ったから食べろと、わざと黒こげで食べられないようなものを押し付けてくる女だ。暴力を恐れて食べると、『おいしい?』なんて得意顔で訊いてくるような女だ。あの時は本当に死ぬかと思った。だから真理の言う『聡樹のため』は信用できない。
きっと今回もなにか裏があるに違いない。聡樹は警戒しつつ、一応話を聞く。
「そのもんすたぁは、ドラゴンにも負けないパワーとタフネスを誇り、スーパーロボットのようにかっこよくて、しかもとびっきりの美少女で、おまけにアンタのもんすたぁになりたいと心から望んでいる従順な性格なの。どう、嬉しい?」
「なんかツッコミどころが満載で、逆に会ってみたいなソイツ」
パワーとタフネスはともかく、スーパーロボットみたいな美少女なんて、喩えるならイチゴ味のからあげだ。しかもいきなり好感度MAXとはどんなチートなんだか。
「会ってみたい? それは今更よ。聡樹はそのもんすたぁのことをよく知っているわ。毎日のように顔を合わせてるんだからね」
「どーゆうことだよ? 俺、そんなもんすたぁに知り合いなんていないぞ」
「……聡樹。昔っから思ってたけど、アンタやっぱ鈍感だわ」
真理がジトーっとした目付きで見てくる。
そんなことを言われても、聡樹にはまったく身に覚えがない。
聡樹が困惑しているのを見て、真理はやれやれと首を振った。
「鈍感王のアンタに気付かせようとしたアタシが愚かだったわ。だから……単刀直入に言わせてもらう」
真理は一度深呼吸をする。深く吸って、長く吐いて。それから聡樹を真っ向から見つめ、言った。
「聡樹。アタシと『契約』しなさい」
「……。……は?」
契約。聡樹はその言葉の意味を考えた。人間同士の間で取り交わされる契約と言えば、仕事上の取引か、さもなければ主従関係くらいしか思い浮かばない。
「まさか、お前の奴隷になれってことか? めちゃくちゃ断りたいんだけど」
「違うわよおバカっ。マスターともんすたぁの契約に決まってるでしょ」
「ちょっと待てよ、俺はもんすたぁじゃないぞ」
「違う。もんすたぁは、アタシ」
「いや、確かにお前のことはもんすたぁみたいなヤツだと思ってたけど……」
「茶化すな。真剣なの」
言う通り、真理の表情は真剣そのもの。聡樹は息をのんだ。
「マジかよ」
「大マジよ。今まで黙ってたけど、アタシは人間じゃない。アタシは、もんすたぁなの。今からその証拠を見せてあげる」
パンッ、と真理が柏手を打つ。
ゴゴゴゴゴ――
地面が唸り声を上げた。そして乾いた音を立て、真理を中心にしてクモの巣のようにひび割れていく。
真理の足元の地面が隆起して、真理の下半身を包み込んでいった。地面は所々で隆起し、真理の元へ集まり、せり上がるようにして形を作っていく。
――全長はおよそ三メートル。それは、土を固めて作られた人形だった。まるでロボットか、巨大なヨロイに似たそれの頭部に当たる部分に、真理の上半身が乗っている。
聡樹は、そのもんすたぁの名前を知っていた。
「ゴーレム……」
「そう。アタシはゴーレム。泥でできた人形のもんすたぁ」
もはや疑う余地なんてなかった。今まで人間だと思ってきた幼馴染みは、ゴーレムというもんすたぁだったのだ。
聡樹は驚きを通り越し、呆然としてしまう。
「どう? これがアタシの真の姿よ」
最終形態に変身したラスボスのようなセリフを吐く真理。
聡樹には彼女の真意がわからなかった。
「なんで、今更……」
「言ったでしょ。アンタと契約するためよ」
「なんで俺なんだよ」
「愚問ね。アンタ以外の人間と契約するなんてまっぴらごめんだわ。アタシはアンタと契約したいの。聡樹の初めてのもんすたぁに、アタシはなりたいのよ」
聡樹を見下ろすその表情はいつもと同じ、吊り目のへの字口。機嫌悪いんだかそうじゃないんだかわからない顔。
でもたぶん、今は精一杯の虚勢を張ってるんじゃないかと思う。その顔が、少しだけ紅潮しているのに聡樹は気付いていた。
これは新手の告白……なのだろうか。
裏があるのではないかと思っていたが、まさかこんなことになるとは。この展開は聡樹的には予想外にもほどがあるといった感じだ。
だから聡樹は返事をしあぐねていた。聡樹の夢は、ドラゴンと契約すること。真理はゴーレムだ。真理と契約するということは、夢を諦めるということになる。
勇気を出してくれた真理を傷付けたくはない。女の子を傷付けたときの胸の痛みは、もう二度と味わいたくはない。
かといって夢は諦めたくない。聡樹の八年間は、この夢のためだけにあったと言っても過言ではないのだ。
しかし、真理を傷付けずに契約を断るなんて冴えたやり方は聡樹には考えもつかない。
「真理……俺は」
「アンタがドラゴン好きなのは知ってる。オトコノロマン、だっけ? でも、自分で言うのもなんだけど、ゴーレムだって結構イケてると思うわよ。そりゃ火は吹けないけど、ロケットパンチとか出せるし。アタシ勉強したんだから。男の子って、そういうの好きなんでしょ?」
もちろん、ロケットパンチも大好物だ。間違いなく男のロマンだと思う。
それでも、それは聡樹の目指した夢ではない。
(やっぱり、諦められないよな)
聡樹は自分が悩んでいるふりをしていただけだったことに気付いた。答えは、八年前から出ていたのだから。
真理を傷付け、自分も傷付くことを恐れていたのだ。それは男らしいやり方じゃない。
真理は勇気を出して正体を明かしてくれた。ならばこちらも、本心をぶつけてやるのが筋だと、聡樹は覚悟を決めた。
「真理、あのさ。俺はやっぱり、夢を諦められない。ドラゴンは男のロマンで、ドラゴンとの契約は俺にとって絶対に叶えたい夢なんだ。だから、お前とは――」
「アンタさ、現実見なさいよ」
真理の有無を言わさぬ一言に、聡樹は言葉を飲み込んでしまう。あまりの威力に、固めたばかりの覚悟があっさりと瓦解してしまった。
「アンタはおバカだし、ヘタレだし、ルックスも普通だし。そんな情けないヤツと契約だなんて、プライドの塊みたいなドラゴンが応じるワケないでしょ。夢、夢って言ってるけど、誰だってその夢を完璧に叶えられるわけじゃない。正直アンタはよくやったと思うわ。おバカなりにがんばって、認定試験に合格したんだから。でもね、それ以上はハッキリ言って高望みよ。初めてのもんすたぁでいきなりドラゴンと契約だなんて、現実が見えてないにもほどがあるってもんよ。身のほどをわきまえろって感じ?」
その一言一句がすべて矢に形を変えて、聡樹の心を容赦なく射貫く。そこまで言わなくたっていいじゃないかと思ったが、どこかで真理の言葉を否定しきれない自分がることに聡樹は気付いていた。
「だから、さ。アンタみたいなのには、アタシみたいなのがお似合いなのよ。もんすたぁの力の源であるマナを効率的に供給するためには、お互いの信頼関係が一番重要なの。初心者マスターは大抵そこでつまづくんだけど、その点アタシとアンタは幼馴染みだから問題にならないでしょ? たぶん、同期の連中なんてアタシらの敵じゃないと思う。アタシたちなら最高のコンビになれるのよ。だからさ、アンタもいつまでも夢を追っかけてないで、その……アタシで、妥協しなさいよ……」
「真理……」
これはアンタのためなんだからね、と真理は付け加える。
聡樹はいよいよ、自分が追い詰められていることを悟った。
このまま夢を追いかけるべきか、それとも真理の言う通りに現実を受け止めるべきか。
聡樹もあれからいろいろ調べて、初めてのもんすたぁにドラゴンを選ぶことの無謀さをイヤというほど思い知っていた。
ドラゴンの契約権は厳選な抽選というが、これは完全にランダムなわけじゃない。
噂ではある一定の条件があり、認定試験で好成績を収めた者たちが優先的に選ばれるというものらしいのだ。
そしてドラゴンは数が少ない。こうなればもう、聡樹のように滑り込みセーフ合格の新米には絶対に契約権なんて回ってこない。
さらに、プライドの高いドラゴン族は人間たちに混じって暮らすことをよしとせず、人里離れたところに集落を築いている。つまり、幼馴染みの真理みたいに知り合いとして仲良くなり契約までもっていく、という方法もとれないのだ。
見事なまでの八方ふさがりである。それでも、納豆のように粘り強くいけばなんとかなる、と信じてはみたのだが、正直それはただの楽観だった。真理の言葉で、聡樹は目が覚めた思いだった。
「夢、だったのかな」
夢には二種類がある。叶う夢と、叶わない夢。
「俺は見ちゃいけない夢を見ていて、真理が目を覚まさせてくれた。そう思って、いいのかな」
以前の聡樹なら、きっとそんな風には考えなかっただろう。夢は叶うか、叶わないかじゃない。叶えるモノなんだと、胸を張って言えただろう。
でも今の聡樹にはそれができない。現実という壁にぶち当たり、その高さと厚さに圧倒され、意気地をくじかれてしまった彼では。
そんな聡樹に、真理が優しく声をかける。
「そうだよ、聡樹。叶わない夢は、見ていても辛いだけ。それはもう、悪夢と呼べるものなんだよ。アタシはアンタが苦しむのを見たくない。アタシと契約すれば、ドラゴンへの未練も断ち切れる。だからこれは、アンタのためなんだよ」
「俺の、ため……」
「そう、アンタのためよ」
ゴーレムボディがガキョンと膝を折り、真理の上半身が聡樹に近づく。
「だから聡樹、アタシに契約の指輪をよこしなさい。アタシと契約を結ぶのよ」
真理がその手を、指を伸ばしてくる。白くて、意外と細い真理の指。この指に契約の指輪を通せば契約完了となる。
聡樹はブレザーのポケットから契約の指輪の片割れを取り出した。
指輪に輝く赤い宝石を、聡樹はまじまじと見つめる。
宝石に見えて実のところ、それは最新技術の粋を集めて作られた機械だ。
マスターからもんすたぁへ、効果的かつ効率的にマナを譲渡するための装置。そしてその機能を発揮するためには、契約と呼ばれる認証が必要になる。認証は契約の指輪に身体の一部を通すことによって行われる。
認証は、一度してしまえば対象を変更することはできない。だからどうしても慎重にならざるを得ないのだ。
聡樹は顔を上げ、真理の顔を見つめた。
「真理、お前はそれでいいのか? 俺はお前との契約を望んでいたわけじゃない。俺の心はまだドラゴンにあるんだ。それでも、お前は」
「いいのよ、聡樹。アンタがアタシを見てないのはわかってる。契約はね、手段の一つに過ぎないのよ。アンタをアタシに振り向かせるためのね。アタシと契約したことは、絶対に後悔させない。だから、アンタは気にしなくていい」
そう言って真理は、柔らかい笑顔を見せた。聡樹は思わず目を見開く。
真理のこんなに優しい笑顔を見たのはこれが初めてか……いや、確か何年か前に一回だけあったような気がする。
いつも吊り目のへの字口。機嫌悪いんだかそうじゃないんだかわからない顔。その真理が笑顔を見せるのは、とても珍しいことだ。
そして聡樹は、その笑顔を見て自分の憶測が間違っていなかったことを知った。
(かわいい……)
気心の知れた幼馴染みにそんな感想を抱いた自分を急に恥ずかしく思い、聡樹は顔を背けて鼻の頭を掻いた。
「……それで、アタシはいつまで待ってればいいのかしら、聡樹?」
真理が聡樹の目の前で人差し指をくるくる回している。表情もいつの間にか吊り目への字に戻っていた。
「ああ、ごめん。……真理、俺も男だ。こうなったら覚悟を決めるぜ」
聡樹は真理の手を取った。真理は薬指を中心に向けてくる。この指に契約の指輪を通せば、聡樹と真理の、マスターともんすたぁの契約は完了するのだ。
聡樹は生唾を飲み込んだ。
「じゃあ、真理。いくぞ」
「うん、聡樹。きて」
聡樹は緊張に震える手で、契約の指輪を真理の薬指に近づける。
ふいに、聡樹の脳裏にあのスライム少女の顔が浮かんだ。
彼女はドラゴンと契約したいという聡樹のわがままを聞き入れ、身を引いてくれたのだ。涙を流すほどだからよほど辛かったのだろう。その彼女の気持ちを、聡樹はこれから無為にしてしまう。
(あの子には悪いことしたな)
結果的にとはいえ、嘘をついてしまったことには変わりない。聡樹は心の中でスライム少女に謝罪した。
そのときだった。