エピローグ 新たな夢のはじまり
学校の帰り道、聡樹は真っ直ぐ家には帰らず寄り道をしていた。
片手には黒い学生鞄を。そしてもう片方の手にはフーズ大森の揚げたてコロッケが入った包みをぶら下げている。
聡樹はとある一軒家の前で足を止める。表札には『泥山』とあった。
小さな門をくぐって玄関戸の前に立ち、チャイムを押す。
ややあって玄関戸が開き、中から四十代後半くらいで痩身の女性が顔を覗かせた。
女性は聡樹を見て少し目を見開き、しかしすぐに穏やかな微笑みを浮かべた。その表情からは安堵すら伺える。
「こんにちは、おばさん」
「こんにちは、聡樹君。……真理を、お願いね」
「はい」
勝手知ったるなんとやら。聡樹は家の中に入ると、迷わず真理の部屋を目指した。
二階の一番奥の部屋。そこが真理の部屋だ。
聡樹はドアの前に立ち、一度深呼吸してからコンコンとノックする。
シ~ン。中からの返事はない。
真理の部屋には鍵が付いていないので、聡樹はドアを開けて中に入る。
部屋の中はカーテンが閉め切られているせいで薄暗かった。
タンスや勉強机などの家具類は飾り気のない質素なものだが、所々にぬいぐるみが配置されていたりと意外と女の子らしい部屋だ。
聡樹は部屋のすみにあるベッドに目を向けた。布団がこんもりと盛り上がっていて、まるでなんかのサナギみたいになっている。
鞄とコロッケの包みを勉強机の上に置いてからベッドに近づき、声をかける。
「真理」
布団がもぞっと動いた。しかし返事はない。
「真理」
もぞもぞ。しかし返事はない。
「真理、話があるんだ」
もぞりっ。やっぱり返事はない。
「すごく大切な話なんだ。頼む、聞いてくれ」
もぞぞぞっ。布団とベッドの合わせ目に小さな隙間が出来る。そこからハスキーボイスの蚊が鳴くような声が聞こえてきた。
「……悪いけど、具合が悪いの。また今度にして」
「そうはいかない。今すぐに聞いて欲しいんだ」
また返事がなくなる。だがここで諦めるつもりは毛頭ない。布団の膨らみをゆさゆさと揺さぶる。
ゆさゆさ、ゆさゆさ。しつこく揺さぶる。
ゆさゆさ、ゆさゆさ――
「――しつっこいのよコノ野郎ッッ」
布団がガバッとはね除けられ、中身が勢いよく聡樹に跳びかかってきた。
床に押し倒されてマウントを取られ、髪を下ろしたパジャマ姿の真理にブレザーのネクタイを乱暴につかまれる。
聡樹を真上から睨み据える真理の目はウサギのように真っ赤になっていた。
「泣いてたのか?」
「うるさいっ、アンタ一体なんの用よっ? アタシのことなんかアンタにとってはどうでもいいことなんでしょッ? もう放っといてよッ」
「真理っ……っ」
ネクタイをギリギリと絞り上げられる。あまりの怪力に首の骨が折れそうだ。
「ううん、丁度いいわね。アタシもアンタに言いたいことがあったのよ。アタシさ、アンタと約束したじゃない? アンタがどっちを選ぼうと、恨まないって。ずっとアンタの味方だって」
聡樹は首の痛みを堪えながら、黙って真理の言葉を聞く。
「でも……でもね……」
震えて、掠れた、小さな声。
ネクタイを絞り上げる真理の手にさらに力が込められる。
「一発だけぶん殴らせてッ。そしたら全部チャラにするから。アタシの夢を叩き潰してくれたこと、水に流してあげるからッ」
ネクタイを引っ張られてムリヤリ上半身を起こされる。
間近に迫った真理の顔。悲しんでいるのか、怒っているのかわからない、複雑極まりない表情。
細い眉がハの字に下がり、吊り上がった目は真っ赤に充血して、鼻の頭にはしわが寄り、口はへの字にひん曲がって奥歯をぎゅっと噛み締めている。
「いいでしょッ!? 一発だけ、一発だけだからッ。それでアンタのことすっぱり諦めて、約束もちゃんと守るからッッ」
聡樹には、その言葉が慟哭に聞こえていた。
決して叶わないと思い込み、それでも諦め切れない夢――悪夢に苦しむ、真理の悲痛な叫び声。
これ以上は聞いていられない。聡樹は、真理の悪夢を終わらせるために来たのだから。
「わかった。でもその前に俺の話を聞いてくれ」
「なによ、もしかして謝るつもり? そんなことしたら、一発どころじゃ済まなくなるわよ……ッ」
「違うよ。俺はただ、真理には夢を諦めて欲しくないって言いたいんだ」
「アンタ今更ッ……。どうやらその軽いおつむじゃ理解できてないみたいね。アタシの夢はアンタが潰したのよッ、聡樹がアタシを選んでくれなかったから……ッ」
「違うよ、そっちじゃない」
「え……?」
「お前には、もう一つ、『本当の夢』があったんだろ?」
「あ、アンタなに言って……!」
真理が動揺した。ネクタイを絞り上げる力が緩んで、喋るのが少し楽になる。
「いいか、真理。俺は今回のことで学んだことがあるんだ。それは、夢は諦めない限り必ず叶うってことだ。叶わない夢なんて、悪夢なんて、ホントは存在しないんだよ」
悪夢の、正体見たり、思い込み。それさえわかれば悪夢なんて恐くない。真理にもそれをわかってほしい。
「だから信じろ。諦めるな。お前の夢は、真理の夢は必ず叶うッ。俺が保証するッ」
「あ、アタシは、アタシは……っ」
真理は今、顔が耳まで真っ赤だ。ネクタイをつかむ手にはもう力が入っていない。
逆に聡樹の上から逃げようとするのを、聡樹が両肩をつかんで逃げられなくしているくらいだ。
聡樹は真理の顔から目を離さない。真理が聡樹から顔を逸らすのも許さない。
「あ……」
やがて観念したのか、真理が口を開いた。
「アタシは、アンタのことが……聡樹のことが、好き。アンタは人間で、アタシはもんすたぁだけど……それでも好きなのっ。アンタと結ばれたいのっ」
「俺もだよ、真理」
「えっ――」
恥ずかしくても、目は逸らさない。鼻の頭も掻かない。絶対にごまかさない。
「俺も真理のことが好きだ」
「えっ、えあっ」
聡樹の言っていることが信じられないのか、はたまた理解が追いついていないのか。
真理は目を白黒させて、口から出るのは意味のない音ばかり。
「あう、あうえ?」
「落ち着けって。俺まで正気を失いそうになるから」
きっと自分の顔もトマトか郵便ポストみたくなっているのだろう。顔がドラゴンブレスを噴き出しそうなほど熱くなっているから間違いない。心臓がんばり過ぎだと思う。
「ほ……ホントなの?」
ようやく、真理の口が意味のある言葉を紡ぐ。
恐いモノ知らずの彼女には似つかわしくない、恐る恐るの、震える声で。
「ホントに、アンタ、アタシのことが――」
「好きだよ。一人の女の子として、真理のことが好きなんだ」
「――ッッ」
ボボンッ。ついに真理の顔が爆発した。聡樹も危うく誘爆しそうになる。
「ごめんな、真理。俺が鈍感なせいで、今までずっとお前の気持ちに気付けなかった。俺はお前のことをただの幼馴染みだって思ってたし、お前も同じように思ってるんだって考えてた。でも、魅麗の口からお前の『本当の夢』を聞いて、半信半疑だったけど、お前が俺を男として見てくれている。そう思ったら、俺もお前のことを女の子として意識するようになって……。気が付いたら、お前のことが好きになってたんだ」
「聡樹……。でもアタシ、もんすたぁなのよ? 人間の女の子とは違うのよ?」
「俺にとってはそんなの関係ないよ。ほら、よく言うじゃんか。愛には種族も年齢も関係ないって」
「でも、法律上人間ともんすたぁは結婚できないし、その、子供だって……」
らしくない。本当にらしくない。普段の彼女からは想像も出来ないくらい弱気な発言だ。
でもきっと、それが彼女の――真理の本当の姿なのだろう。
いつも強がってはいるが、本当はか弱い女の子なのだ。だからここは、男の聡樹が引っ張ってやらないといけない。
「諦めるのか?」
「えっ」
「それが真理の夢なんだろ? それを諦めるのか?」
「アタシは、現実を言っただけで――」
「俺は諦めないぞ」
そう。夢は諦めない限り、必ず叶う。だから。
「俺はもう二度と、夢を諦めたりしない。必ずお前と……その……けっ」
そこまで口にして、ついに聡樹にも限界が訪れた。顔が熱のあまり溶け落ちそうになっている。
「その、あの……けっこ……っ」
ここで決めなきゃ男が廃る。わかっちゃいるけど、口が思うように動いてくれない。
ここまでがんばったのに、このままではヘタレマンに逆戻りだ。心の中でがんばれ、がんばれと自分にエールを送る。
「がんばれ、がんばれ俺……」
「ぷふっっ!」
真理が吹き出した。聡樹はしまったという顔をする。自分へのエールがうっかり口に出てしまっていたのだ。
一度ツボに入るともう止まらない。真理は堰を切ったように笑い出す。
「あははははっ!」
「わっ、笑うことないだろっ」
「っ、ごめんごめん。でもアンタらしいわ。ホント、肝心なときにヘタレなんだから」
そこまで言われてしまっては聡樹も引っ込みが付かない。
「さっきのは失敗だっ。次こそは言うぞ、俺は――ッ」
「ストーップ」
真理の人差し指が聡樹のくちびるに押し当てられる。
「別に無理して言葉にしなくてもいいわよ。アンタの想いは……十分伝わったからさ」
「むぐ……」
真理が優しげにはにかむと、聡樹はもうなにも言えなくなってしまう。
「フフ、さてと」
真理が聡樹の上から身体を離す。
そして勉強机の上に置いてあったコロッケの紙袋を手に取った。
「アタシ昨日からなにも食べてないからお腹空いちゃったのよね。これもらうわよ」
中からコロッケを一つ取り出し、サックリとかじる。
「うん、うまいっ」
本当に美味しそうにコロッケを頬張る真理。
その目尻から一筋のしずくがこぼれ落ちたのを、聡樹は見逃さなかった。
「真理、あのさ」
「ん、なぁに?」
「絶対、一緒に叶えような。俺とお前の、二人の夢をさ」
「聡樹……うん」
うなずいて、そして、真理は笑った。
涙が宝石みたいにきらきら輝いて、今まで見た中で一番ステキな、最高の笑顔だった。
これが、二人の新たな夢のはじまり。
その実現に向けての、第一歩だった。




