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   一章  紗枝の場合


「紗枝、ちょっといい?」

 そう言ったのは、親友の由紀だった。

 私(紗枝)が顔を上げると、青い顔の由紀が立っている。

「何かあったの?」

「……うん。教室では話せないから、ついてきて。」

「え?」

 私は、言いようのない不安に駆られて、席を立った。

「……うん、分かった。」


 ビン底メガネの由紀は、オシャレに全く関心がない。

 代わりに関心があるのは、誰かをからかう事だった。

 由紀が生き生きしているときは、大抵、何か恐ろしい事が起こっていて、反対に、普段の由紀は、つまらなそうにしているのがほとんどだ。

 けれど、そんな由紀が、今日は、そのどちらでもない。

「どうしたの?」

「しっ!」

 由紀は廊下の行き止まりで立ち止まると、きょろきょろと辺りを見回した。よほど人に知られてはならない事なのか。由紀は、誰もいないことを確認すると、ようやく、

「……あのね、聞いてくれる?」

と打ち明け始めた。

「うん、何なの?」

 すでに私は、少し怖い気持ちになっている。

「……実はね。私、つきまとわれているみたいなの。」

「え?」

 由紀に、つきまとい?

「まさか、後をつけられているの?」

「うん、多分。」

「いつから?」

「分からないわ。でも、「ずっと見てた」って。」

「え? 見てた?」

 私は、思わず、辺りを見回した。

 教室の廊下、窓の外、階段の陰。

 けれど、それらしい人物は見つからない。

「どこに?」

 すると、由紀は、分厚いメガネを光らせて、吐き捨てるように、

「それが分かっていたら、もうとっくに捕まえているわよ。」

と言った。

 うん、そうだね。由紀なら、そうするだろうね。

 でも、由紀の話は、いまいちよく分からない。

「……ねえ、それって、由紀を闇討ちするつもりで付きまとっているんじゃ……。」

 最後まで言い終わらないうちに、

「ストーカーよ!」

と、由紀は、きっぱり決め付けた。

「これを見て。」

「!?」

 制服の胸ポケットから取り出した小さな紙。

 それは、内側に花柄がプリントされた便箋だった。

 無数に咲く忘れな草の花の中に、横書きのメッセージが三行。

「今朝ね、これが届いていたの。読むわよ。

   ――――好きです。

     あなたに憧れて、ずっとあなたを応援していました。

     今日の午後六時、銀杏の木の下で、待っています。――――」

「……。」

「ね、腹が立つでしょ? 名前も名乗らずに、私を盗み見ていたのよ! そればかりか、一方的に呼びつけてきて! なんて失礼千万なヤツ!!」

 一方的な感情。一方的な応援。一方的な約束。

 確かにそう読めなくもないのだろう。しかし、私は到底、由紀と同じ気持ちにはなっていなかった。なぜなら、それは、

(わ、私が書いたラブレター!!)

だったからだ。

(ど、どどど、どうして、これがここに?!)

 何度瞬きをしても、間違いなく私が書いたラブレターだ。私が選んだ便箋。私が考えた文章。これは、片思い中の彼に届くはずだった手紙だ。私の手を離れたのは、金曜の午後。あんなに確認して彼の靴に忍ばせたのに、なぜ今、何の因果で、これが、ここに?! 

 私は、受け入れられない現実に凍りついた。

 生きている心地もしない。

「だからね、ちょっと手伝ってほしいのよ。」

「な、ななな、何を?」

 由紀は、私の心中など知りもしないで私の腕をつかんだ。

「私と二人で、こいつを捕まえてやるの! そて、学校中引きずり回してやるのよ!」

(ひ~。)

 目を輝かせて、にっと笑う由紀。

 その瞳に明確な悪意が汲み取れて、私は、がたがたと震え出した。

(な、ななな、なんとしてでも止めなければ! そ、そそそ、そうしないと、わ、わわわ、私の恋心が、学校中にさらされてしまう!)

 そのときだった。

「おはよ。何しているの?」

と、後ろから声がした。

 振り返ると、すぐ後ろにメルがいて、メルは、由紀が持つラブレターを興味深げに覗き込んでいる。

「あら、やだ、ラブレター?」

 メルは、私のもう一人の親友だ。

 男子並みの身長と、キレイ系のルックス。落ち着いた物腰から、入学当初は話しかけづらい相手だった。だが、メルは、とても正義感の強い性格をしていたために、暴走する由紀と対立するようになり、そこに、なぜか私も巻き込まれた。多分、二人には緩衝材となる人間が必要だったのだろう。今では、行き過ぎる由紀を、止めるメル、そして、それについていくだけの私と、明確な立ち位置で落ち着いてしまっている。

「ねえ。このラブレター、誰がもらったの?」

 メルの質問に、由紀は、ムッとした。

「私よ!」

「え? 由紀にラブレター?! へぇ~。由紀も隅に置けないわね。どこで引っ掛けたのよ。」

「引っ掛けたなんて言わないでくれる? 全然知らないヤツなんだから。」

「心当たりはないの?」

「ないの!」

「ふぅん。敬語に、花柄かあ~。年下かもしれないわね。可愛いじゃない。」

「どこが?」

「もう~付き合っちゃいなさいよ。」

「な、なんで、こんなキモイやつと付き合わなくちゃいけないのよ!!」

「キモっ……!」

 突然の「キモい」扱いに、私は倒れそうになった。まさか、あの文面で「キモイ」と断定されることになるなんて。しかし、折れそうな心を隠して顔を上げると、二人が不思議そうな顔でこちらを見ているではないか。

(ひ!)

 私は、慌てて平生を装って、事態の収拾に全力を尽くした。

「あ、あああ、あのさ~。も、もしかしてだけど、それを書いたのって、女の子なんじゃないかしら?」

「女の子!?」

「ほ、ほら、本当は男の子に宛てたはずだったのに、間違って由紀に届いちゃった~、とか、あり得る話じゃない?」

「!」

 すると、二人はきょとんとした顔をして、もう一度ラブレターに視線を落とした。先入観なく読んでみると、確かに女性の文面に見えてくる。

「あ~、なるほど。」

「確かに、宛名も差出人も書かれていないわけだから、由紀宛てって決め付けるのは早いかもしれないわね。」

 ちなみに、由紀は、美術部に在籍しているが、ほぼ帰宅部だ。もう何ヶ月も部活動をしておらず、今の由紀には、応援する要素がほとんど見つからない。

「それじゃ、このラブレターは、元あった所に返してあげましょうよ。」

 私が原状回復を提案すると、そこでなぜか、由紀は「え?」と驚いて私を見た。

「なんで?」

「なんでって、ほら、元に戻さなかったら、困る人も出てくるでしょ?」

 本当に困っているのは私だったが、由紀は、

「誰も困らないわよ。」

と決め付けて、にっと笑った。

「だって、私たちが責任持って仲を取り持ってあげるんだもの。」

(え?! 仲を取り持つ?)

 状況を理解し損ねているうちに、どんどん話が進んでいく。

「まずは、宛て先を調べなきゃね。そこから、差出人を割り出して、この子の告白を全力でバックアップするの。そう、成就するまで、徹底的にね!」

 すると、メルが、

「あら、面白そう。」

と、軽い調子で同意してしまった。

(そ、そんな~。)

 多分、メルは「おせっかいだけど道徳的に問題なし」と判断したのだろう。唯一由紀を止める事ができるメルが賛成に回ると、私の力ではもう、どうすることもできない。過半数を得た提案は、加速度を増して進んでいく。

(や~め~て~ぇぇぇぇ~~~~~!!)

 私の願いむなしく、由紀は、片手を突き上げた。

「よし! じゃ、今から昇降口に行きましょう!!」


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