一章 〜楽園〜
目を覚ますと、そこには砂しかなかった。
その砂の中で、ぼくは眠っていた。
太陽が、ぼくや砂を焼きつくそうとするかのように、さんさんと照っていた。
思わず目を閉じる。
そんな寝ているぼくの顔を覗き込んでいる少女がいた。
ぼくは身体を起こした。
「目、覚めた?」
「うん」
その子の声は、小鳥のさえずりのようだった。
身体中を白い布で覆っていたが、こぼれる黒色の髪がとても綺麗だった。
そして、ぼくは少女にたずねた。
「ねぇ」
「なに?」
「ぼくは誰?」
目が覚めて、思ったこと。
ぼくは、ぼく自身の全てを忘れているようだった。
「あなたは、何も覚えていないの?」
「うん。自分がどうしてこんなとこにいるのかも」
「自分の名前も?」
「親のことも、なんにも」
ぼくは困ったように首を振る。
だけど、それと対照的に、少女は笑顔だった。
「大丈夫。安心して」
少女が手を差し伸べる。
ぼくはその手を借りて立ち上がる。
「いいとこに、連れて行ってあげる」
いいとこ?
尋ねようと思ったけれど、少女はすでにぼくの手を引いて歩き出していた。
…一面、砂。
見渡す限り、砂。
太陽の光を遮るものはなく、身体に巻いている布を通して熱が感じられる。
これを砂漠というのだと、きみは教えてくれた。
「ねぇ」
「なに?」
「いいとこって、どこ?」
ぼくがそう尋ねると、きみはわらって、
「ヒミツ」
とだけ言った。
ぼくらは手を繋いで歩く。
砂に足を持って行かれないように、用心深く。
一瞬でも足を止めたら、このまま砂に埋まってしまうようで、ぼくは歩くのをやめることはできなかった。
とても疲れるので、少し気休めにきみに尋ねごとをしてみよう。
「きみは、知ってる?」
「なにを?」
「ぼくのお母さんがいるところ」
きみは、足を止めた。
少し、砂に足がめり込む。
「…会いに、行きたい?」
「うん」
「…お母さんが、どんな姿だったとしても?」
「うん」
「じゃあ、連れて行ってあげる」
きみは、ぼくの手を強く握った。
ぼくより少し背の低いきみはうつむいてしまっているので、どんな顔をしているのかはわからない。
「いいの?」
「いいとこに行く途中に、いるから。行こう」
「うん」
きみは砂に埋まった足を引き抜いて、ぼくの手をひく。
そしてぼくらはふたたび歩き出した。
喉が、からからになった。
そのことをきみに言うと、
「それは喉が渇いたって言うんだよ」
と言って、腰にさげていた水筒をぼくにくれた。
中には、まだ冷たそうな水が入っている。
口に含むと、全身が冷えていくのがわかった。
とても感動して、ぼくは少し興奮気味にきみに言う。
「水って、すごいね」
そう言うと、きみは笑った。
「うん。そうだね」
つられて、ぼくも笑った。
たのしかった。
さっき出会ったばかりだけれど。
きみは、いろいろなことを教えてくれた。
うれしかった。
ずっと、こんな時が続けばいいのに。
そう思ったんだ。
ぼくは。
「ねぇ」
「なに?」
「きみはずっと、ぼくのとなりにいてくれる?」
「いてほしい?」
きみはいたずらっぽく聞き返す。
だから、ぼくは真面目な顔でうなずいた。
「うん」
「じゃあ、いる」
すると、案外簡単にきみは肯定してくれた。
「本当に?」
「うん」
「本当の本当に?」
「うん」
きみは、強くぼくの手を握った。
「約束だね」
「約束?」
「うん。約束をしたら、それをやぶるのは絶対に無理なの」
「それが、約束?」
「うん」
「わかった。約束」
「ずっと、いっしょ。」
「ずっと、いっしょ。」
約束。
なんだか、少しこそばゆい気持ちになった。
だけれど、やっぱり、うれしい。
きみも笑って、ぼくも笑って。
「ねぇ」
「なに?」
「これを、シアワセって言うのかな」
「そうだよ」
「そっか。じゃあ」
ぼくは、シアワセ者なんだ。
だから、きみもシアワセ者だよね?
だけど、きみの顔は少し強張っているようだった。
「太陽が、真上に来てるね」
「いっぱい歩いたもんね」
「もう、疲れちゃったよ」
だけど、一面の砂景色は変わらなかった。
「大丈夫。日が暮れるまでには着くよ」
「本当に?」
「本当だよ」
「お母さんにも、会える?」
「うん」
きみは笑った。
だけど、今のこの笑顔はあまり好きじゃなかった。
なんでだろう。
なんでだろう。
「ねぇ」
「なに?」
そこでぼくは、さっきから気になっていたことを口にした。
「後ろに、誰かいるね」
ぼくは振り返って後ろを指差す。
「あの人も、いいとこに向かってるのかな。ぼくたちと一緒だね」
きみの顔を覗き込む。
きみの顔は、とても青ざめていた。
「…駄目」
「え?」
きみはいきなり、ぼくの手を引っ張って走り出す。
「あの人たちを、いいとこに連れて行っちゃいけない」
「どうして?」
砂に足をとられそうになりながら、走る。
「あの人たちにとっては、わるいところだから」
きみは、すごく必死だった。
だけど、ぼくらが走ると、あの人たちも走り出した。
「早く」
「うん」
「早く!」
ぼくらは一生懸命走った。
だけど、あの人たちは大人だったから。
子供のぼくらはあっという間につかまった。
「楽園はどこだ」
一番強そうな男が、きみのキレイな髪を引っ張ってたずねる。
それが許せなくて、ぼくを捕まえる男を振り払ってきみのもとへ駆けた。
「放せ!」
ぼくは、腰に下がっていた短剣を抜く。
そして、きみを捕らえた男を刺そうと剣を振り上げた。
だけど、ぼくは男の隣にいた人に蹴られて、無様に転がる。
また、捕まってしまった。
「やめて!」
きみが、叫んだ。
「その子を傷付けちゃ駄目!」
「そうか」
男はぼくを無理やり立たせ、ニヤリと笑う。
「ならば、楽園まで案内してもらおう」
楽園?
きみは、5人くらいの大人に囲まれて歩いた。
その後ろで、ぼくは男に腕を引っ張られながら歩く。
「まだ着かないのか?」
「あと、少しです」
きみが怯えるように答える。
きっと、さっきの男が言っていた「ラクエン」とやらのことだろう。
それから、同じ様なやり取りを3回くらいやった。
すると、きみの答えが変わった。
「まだ着かないのか?」
「もう、すぐそこです」
君は正面を指差す。
そこには、この砂漠には似合わない大きな大きな樹があった。
さっきまでは、何も見えなかったのに。
突然あらわれたみたいだ。
その樹のからだはぽっかりと穴が空いていて、奥に入れそうだった。
「ここが、楽園の入り口か?」
「はい。でも気を付けてください」
「なにをだ?」
男が顔をしかめる。
きみは、無表情のまま、淡々と告げた。
「楽園へ入るお許しを決めるのは、この樹だということを」
「そんなもの」
男は鼻で笑う。
ぼくを放り出し、大人たちは樹のからだの穴に向かって歩き出す。
「ねぇ」
「……」
「ねぇ」
「……」
君は、言葉を返してくれなかった。
代わりに、ぼくの手を引いて歩き出した。
大人たちのあとに続いて。
樹の奥へと入りこむと、そこに足場はなく、二人一緒に落ちていった。
「ねぇ」
「なに?」
「ここはどこ?」
何もない。
ぼくはいま、きみの手だけにふれている。
そして、ふわふわ、浮いてる。
君が手を放せば、ぼくの身体は簡単に飛んでいってしまいそうだ。
見えるのは、淡い緑色。
「いいとこに入る門よ」
「お母さんは?」
「そろそろ、会えるよ」
足に、堅い地面がつく。
「行こ」
「うん」
「あれ?」
ぼくは、見知らぬ街にいるようだった。
家がある。
そして、きみがいない。
家はみんな、風で吹いてくる砂にまみれていた。
なんだろ。
初めて見た街なのに、初めてじゃない。
なんだろ。
ぼくは、近くの家に入る。
そこには、ある幸せそうな家族がいた。
みんな笑っていて、たのしそうだった。
ぼくの顔も、自然とほころぶ。
だけど、扉の前に立つぼくの後ろに人が現れた。
とても怖そうな武器を持っていて、怯えた家族にそれを近付ける。
そして、その人は指にかかる引き金を引いた。
そして、家族みんな殺され、
た。
あぁ、これは。
「思い出したよ。」
そう、ぼくは呟いた。
ぼくの家族。
そう、ぼくもこのシアワセそうな…いや、シアワセだった家族の一人だったんだよ。
誰もいなくなった、この家。
血を撒き散らして倒れた家族も、いない。
ぼくは、砂からのぞく白い物を持ち上げる。
それは、骨だけになった頭。
これが、ぼくのお母さんです。
「お母さん」
ぼくは、それをギュッと抱きしめる。
戦いに、のみこまれたこの町。
逃げ出してきたぼくは、この町のすぐ近くで倒れた。
目を開けたら、なにも覚えていなくて、きみがいた。
そして、今………………。
「うわぁあぁぁあぁっ!?」
遠くで、さっきの大人たちの悲鳴が聞こえてきた。
「あの人たちは、お許しをもらえなかった」
周りはまた緑色に染まっていて、隣には君もいた。
足もしっかり、地面に着いている。
「思い出しちゃった?」
ぼくはうなずく。
「でも、平気だよ」
「そう。よかった」
きみは、ぼくを連れて歩く。
その先にあったのは、全く同じ大きな大きな樹。
「きみなら、きっと大丈夫なはず」
「お許しもらえなかったら、死んじゃう?」
「残念だけど。そうよ」
「きみも行くよね」
「うん」
「それなら、なにも怖くないよ。だって、」
約束、したんだから。
ぼくは、樹の穴に足を踏み込んだ。
すると、強い光がぼくの目を焼き尽くした。
ホントウの意味で。
風が、ぼくの頬をなでる。
草が、横たわるぼくを包み込んでくれた。
右手を、きみが握ってくれている。
でも、見えない。
なにも見えない。
だって、ぼくはいいとこに行く代わりに目を支払ったから。
「この樹の門番はきみを選んだ」
でも、ときみは続ける。
「簡単には入らせてくれなかった」
「うん」
「…ごめんね」
「どうして謝るの?」
ぼくは、隣にいるであろうきみに笑いかける。
なにもみえないけれど。
きっと、
きみは泣いている。
「だって、きみは約束通り隣にいてくれてる」
きみの温かい手を強く握る。
だけど。
「だけど、やっぱりぼくは選ばれなかったんだ」
見えないけど分かるんだ。
自分の足が、だんだん光になって、消えていっていることが。
その光は空高く舞い上がり、そして、
消える。
「行かないで」
きみが、震える声で呟いた。
「大丈夫だよ」
きみを握るぼくの手は、すでに光となり、消えていた。
寒い。
きみの温もりにふれたい。
けれど、それはもう叶わぬ願い…。
「きっと、また会えるから」
なんの根拠もないこの言葉。
信じられないはずの言葉なのに、
きみは、信じてくれた。
「そしたら、今度こそ、
ずっと、一緒だよ?」
一瞬だけ世界を見ることを許された瞳。
そこには涙を流すきみがいて、
だけど、その顔は微笑んでいて、
ぼくへの別れの言葉を告げた。
それは「サヨナラ」じゃなくて、
「またね」
だった。
目を覚ますと、そこには砂しかなかった。
その砂の中で、ぼくは眠っていた。
そんな寝ているぼくの顔を覗き込んでいる少女がいた。
ぼくは身体を起こす。
「目、覚めた?」
「どうか、お願い。
きみと一緒にいたい。
だから、もう一度。
もう一度。
初めから、やり直させてください。
きみが楽園に選ばれるまで。」
これは、 そんな少女の願いが込められた物語。
きっと彼女は、彼が楽園に選ばれるまで、何度でも繰り返すのでしょう。
…この話、私はあまり好きじゃないかな。
だって、二人は絶対報われないもの。
バットエンドもいいけれど、ハッピーエンドのが楽しいもの。
でも、私の知ってる物語で、ハッピーエンドってあまりないかも。
まぁ、いいわ。
次はハッピーエンドに近いバッドエンドの話にしましょう。