あの子
――「どうして私を忘れたの?亮くんが私をころしたのに。」
ドアの向こうから、何か濡れたものを引きずる音がする。
「忘れないでって、約束したじゃない。」
音は徐々に近づいてくる。逃げ道なんてない。
「ねぇ、亮くん?どうして···」
そしてドアは開かれた。
最悪の目覚め···としか言い様がない。身体中に滲む汗がそれを証明している。
今回も内容は覚えていなかった。全く、少しもだ。
藁にもすがる思いで夢占いでもしようかと思っていたが、よく考えたら内容を覚えていないのだから、出来るわけがないではないか。
とにかく今は朝五時五分。少し遅れたので急いで支度をし、クロタの元へと向かう。
玄関を開けて空を見ると雨が降りそうだったので、犬用カッパをクロタに着せた。
そのお陰でかなりのタイムロス。
「これじゃコース変えなきゃかな···」
そう言うとクロタがワフッと吠えたので、銀杏並木には行かないことにした。
銀杏並木の道を短縮し、真っ直ぐ家に帰る。
道中、一瞬昨日のおかしな娘のことを思い出したが、まさかこんな雨の日に居ないだろうと思い直し、気にしないことにした。
「明日も来てね!」
別れるときに少女が満面の笑みで言った言葉。
「また明日、か···」
約束を破った様で、少し悪い気もするが、仕方ないだろうと諦めた。
家に帰り、母さんの作った朝飯を食べ、学校へ向かう。
極めて日常的な光景が目の前を流れていく。
その中で一つだけ光輝く存在に、まだ僕は気づいていなくて。
学校につき、退屈な授業を受け、弁当を食べ、面倒な授業を受けた。
つまらない日常。別に壊したいなんて思っていないけれど、つまらないものはつまらない。
友達も普通にいるし、親友と呼べるヤツもいる。なにも困ってなんかない。
ただ、何故かいつも思うのだ。思ってしまうのだ。
何かが足りない、と。最初から心にぽっかり穴が空いているような。そんな感じで。
···いやいやいや、変なことを考えるのはよそう。きっと疲れているんだろう。
良く考えたら、いつからかは忘れたが、夢のせいで最近よく寝れていない。
先生の言葉もあんまり耳に入ってこない。絶不調である。
「はい、ここテストに出るからねッ!ちゃんとノートとっといてねッ!!」
何処の訛りか分からない口調の先生が、授業の終わりを告げる。
教科書を片付けていると、学級委員の女子が話しかけてきた。
「今日、津川さん休んでしまったんだけど、連絡、届けてくれる?」
どうやら近所の同級生が休んでしまったようだ。
「わかった。早めに届けとくよ。」
そう答えると、急いで次の教科の準備をして、教室を移動した。
帰りの道中に津川の家に寄ると、津川の母親と思われる女性が出てきた。
「わざわざすみませんねー。」
「いえ、困ったときはお互い様ですから。この間休んだ時も連絡もらいましたし。」
「ほんとにすみませんー。」
そう言えば···と津川の母親は続ける。
「そろそろあの子の季節ね···あの子のことは、本当に···」
あの子?
「すみません。あの子って?」
「え?···あ、す、すみませんね!なんでもないわ。こっちの話よ。」
なんだ、僕には関係ない話か。びっくりした。
「では、僕はこれで。娘さんに、お大事にとお伝えください。」
「は、はい、わかったわ。」
何か怪しい気がするけど、僕に気を使っているのかもしれないし、聞かないほうが良いだろう。
もう日も暮れかけているし、急いだほうがいい。
途中、何故か少女の姿が浮かんだ。頭に浮かんだ少女の表情は見たことのないものだった。




