犬と銀杏と君。
――さっきまで目の前にいた君が消えた。赤い残像を残したまま。
視界の端で動くのは、君なんかじゃない。絶対に、君なんかじゃ
「亮くんがころしたんだよ?」
自分の叫び声で目が覚める···何てことはなくて。目覚まし時計の不快な音で目を覚ます。
汗ばむ額に手をやると、自分のものなのに驚くほど冷たく感じた。
なんの夢だったろう。いつも起きた時には忘れてしまっているのだ。涙なんか流しているくせに。
朝五時。妹に押し付けられた日々の日課、愛犬の散歩のために近所の河原へと向かう。
空きっ腹が僅かに痛む。だがまだ飯は炊けていない。けっこうキツイ労働だ。
ゲージを開くと、胸元に飛び付いてきた毛玉。
「うわわ、やめろよクロタ···」
柴犬のクロタである。
大きな声を出してしまい慌てる僕を他所に、クロタは自分でリードを持ってきた。
なかなかに出来た犬である。
「···よし、行こうか」
リードをつけると、玄関へと勢いよく駆けていった。しかし無音である。
···え、なにこいつ、忍び?ジャパニーズニンジャ?
とにかく音を立てないように急いで玄関へと行き、扉を開く。
早朝の冷たい空気が頬を切り、一気に目が覚めていく。夢のことなんかとっくに忘れていて。
いつもの河原についた。クロタは少し疲れているようだ。九歳の中年犬なので、仕方ないが。
「そろそろ、散歩コースを変えないといけないなー、クロター。」
そう言うと、伝わったのか若干苦しそうにワフッと吠えた。
しばらく歩くと、銀杏並木の通りについた。
銀杏の葉も色づき始め、凄く綺麗だ。ひらひらと落ちてくる葉に、クロタがはしゃいでいる。
そんな様子を眺めていると、後ろから声がした。
「可愛いワンコだね~♪」
振り返ると、目鼻立ちがとても整った金髪碧眼の少女がほほえんでいた。
外国出身の娘だろうか···しかし顔立ちは日本風だし、なんと言っても、日本語が流暢すぎる。
十四歳くらいだろうか。どう見ても彼女より年上で、リアルに高校生の僕にタメ口だがキニシナイ。
この様に話しかけてくる人も少なくはないので、たいして驚きはしなかった。
さすがにこんな朝早くに話しかけられたことはなかったけれど。
「名前、何て言うの?」
クロタを撫でながら少女は言う。
「あ、クロタって言います。可愛いでしょ。おじさん犬なんですけどね。」
そう言って笑うと、少女のほうが笑っていた。
「違うよ、君の名前だよ。」
「へ?」
あれ、それって普通逆じゃね?違いますよ、あなたの名前じゃなくてワンちゃんですってヤツじゃ···
ハテナを頭上に五個くらい浮かべていると、少女はにっこりと笑って
「そっか、自分から名乗るのが普通だよね。私は優月!君は?」
そ、そう言うことじゃないんだけど···とは言わない。思ったけど。大人げないしね。
「僕は亮太っていう名前だよ。」
とりあえず答えてみると少女···優月は、
「やっぱり!」
と言って、またにっこりと笑った。
え、やっぱり?
優月は、ハテナの数が十個ほど増えた俺を気にせずに、銀杏きれーい!とはしゃいでいる。
その時、少し強い秋風が吹いて。銀杏の葉が揺れ、ひらひらと落ちていった。
彼女の金の髪と、金の銀杏が舞って、とても綺麗で。
僕は思わずその光景に見とれてしまった。




