失ったモノと得たモノ
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遠くから人の声が聞こえる。
外にいる人の数が多くなってきたようだ。そろそろ昼近くなのだろう、午前中の仕事を終えた村人たちが帰ってきたのだと推察する。
部屋の外から聞こえてくる微かな声を『俺』はボンヤリと寝台の上で聞いていた。
もうとっくに太陽が昇ってるのに、俺が未だに布団の上に寝そべっているのは、あの日の出来事で大怪我を負った為に動くことが出来ないからだ。
俺達が森の奥に行った日から、既に10日が過ぎていた。
崖から落ちた俺はラルとアレスが村に戻って連れてきた大人達によって救出された。
だがその時の俺の状態はもうボロボロで瀕死の状態だったらしく、助けに来た大人達が俺を見つけた時にはもう死んでいると思った程だったそうだ。
そんな状態の中、村まで運ばれた俺は村で唯一の医者に治療を受けたのだが、もう誰もが助かる見込みがないだろうと思われていた。
だが、俺は死ななかった。
当然、生死の境を彷徨い続けてはいたが死ぬことはなかった。
その間、俺はずっと痛みと高熱に襲われていて意識が朦朧とした状態が続いていた。
だが、その時の苦痛はよく覚えている。
宛ら地獄でずっと身を焼かれて続けている様なモノだった。
そんな苦痛に耐え続けた末に―――――俺は生還を果たしたのだった。
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トントン
「私よ、入るね」
甲高い声と共にドアをノックする音が聞こえたかと思ったら扉が開き、1人の少女が少年のいる部屋に入ってきた。
「テリア、返事をする前に部屋に入ってくるのはどうかと思うよ」
俺の姉であるテリアが勝手に部屋に入ってきた様なので、俺はそれに苦笑しながら少し文句を言ってみるが・・・
「何言ってるの。姉弟にそんなのいらないでしょ」
と、我が姉はそれをあっさりと一蹴してくれた。
まぁ、まだ9歳の少女に『マナーだ』なんて言っても仕方ないか。
「お昼ご飯持ってきたわよ。汁物だから食べられるよね」
俺は怪我により、内臓器官もダメージを負った為に消化器官も弱っていたから、碌に食事を口にすることが出来なかった。
なので、目が覚めてからは僅かな量しか食べていなかったので、そろそろ空腹を感じてきていたところだ。ありがたい。
「うん。しっかり食べないと怪我、治らないからね」
「そうよ。早く元気にならなきゃダメだからね」
まったくその通りだ。本当に、切実にそう思う。何時までもこうして寝ている訳にはいかないのだ。
食事はテリアに食べさせて貰った。まだ自分で身体を起こす処か動く事すら困難な状態なので仕方がない。
両親は日々の仕事に出ているのもあって、ほとんど姉のテリアが俺の面倒を見てくれていた。
もう俺は、この姉に一生頭が上がらないかもしれない。
テリアは俺の世話をしながら、いろいろと話を聞かせてくれる。
動くことが出来ない今の俺にはテリアが話してくれることだけが唯一の情報源だ。
唯一である理由は、俺の怪我を気遣ってなのか殆ど誰も見舞いに来ないからだ。
まぁ、大人連中は忙しいし、年少者達には嫌われてるという理由だろうけど。
因みにあの森の冒険の顛末もテリアから聞かせてもらった。
俺が崖下に落ちたことに気付いたラルとアレスの2人は助けを呼ぶ為に大慌てで村へと戻ったそうだが、村の大人達に事態を説明した時には村中大騒ぎになったらしい。
そして俺が村まで担ぎ込まれた後に、やっと村の大人たちはラルたちの無謀な冒険のあらましを知った。
勿論、ラルたちは大目玉を食らった。当然だろう。
それから長いお説教を受けたことに加え、何かしらの罰も受けたらしい。
因みに俺は大怪我の為、お説教も罰もなし。ラル達、ご愁傷様。
だがテリアの話の中に1つだけ聞き捨てならない内容があった。
当初、俺が崖から落ちたのは、俺が不用意に崖に近づきすぎた所為で地盤が崩れたことになっていた。
テリアにそのことを聞いたとき、俺は本気であの3人に殺意を抱いた。
アイツ等は自分達が仕出かした事を反省もせず、無かったことにしていたのだ。
恐らくアイツ等は俺が目を覚ますまでの間、俺がこのまま死んでくれる事をずっと願っていただろう。
アイツ等に悪気・・・はあっただろうが、殺す気までは無かったのだろう。
だが、ソレとコレとは話は別だ。
俺はすぐにアイツ等を殴り飛ばしに行きたかったが、当然それは無理。
なので、テリアに事実を懇切丁寧に教えてあげた。他力本願だが仕方ない。
テリアはそれを聞いてしばらく言葉を失っていたが、次の瞬間には家の外に飛び出して行っていた。
それから暫くすると、何故か外が騒がしくなっていたけど動くことが出来ない俺はそこでどんな事が起こっていたのかは知りようがない。
だがテリアが帰ってきたとき、「ちゃんと始末は付けておいたわよ」と言ったのを聞いて、俺は笑い出しそうになるのを口を歪めて我慢した。
テリアはそれからも毎日、俺の面倒を見続けてくれた。
「大丈夫?何処か痛む?」
姉が心配そうに聞いてくる。
「大丈夫、平気だよ」
もちろん嘘だ。まだ絶え間なく全身が痛みを訴えているが、この優しい姉に心配させまいと虚勢を張る。
姉とはいえ、まだ9歳の子供にこれ以上の心配をかけてしまうのは流石に気が引けた。
まぁ、7歳であるこの俺がそんな風に思ってしまうのは変なのだが、それは『俺』の内面が随分と変わってしまったからなのだが・・・それは、まぁいい。
それからテリアは他にもいろいろ話をしてくれた。
「それでね、あの後にアレスの奴ったら私に土下座してきたのよ」
「・・・それ程、テリアが怖かったんだろうね」
俺は冗談交じりに答えておく。
きっとアレスは俺を誘ったことを後悔しているのだろう。
俺が怪我したのはあの3人の所為だし、アイツが気にすることじゃないだろうに・・・
「それからね・・・」
テリアはそれからも、村での会話や出来事を話してくれた。
俺の世話に加えて、動けない俺が暇をしない様にと気遣ってくれる姉には感謝してもしきれないな。
「それじゃあ、また夕ご飯の時にね」
そろそろ話の種も尽きてしまった為、テリアは空になった食器を持って部屋を出ていく。
俺はそれにお礼を言い、姉を送り出した。
そうしてテリアが部屋から去って部屋には俺1人になった為、辺りに静寂が戻った・・・
姉の足音が遠ざかっていくのを聞いて、俺はまた考え込む。
昨日、俺の怪我の様子を見る為に村で唯一の医者の老婆がやってきた。
その老婆に聞いた話では、俺は全身打撲に骨折多数、特に頭部を強打して頭蓋にヒビが入って、出血もかなりしていた状態で運ばれて来たらしい。
本当によく死ななかったものだ。
「まぁ・・・命が助かっただけでも儲けものだったんだよな」
死にかけはしたが生きている。
そう、俺は幸運だったんだと思う。
俺はそう考える。そう考えるしかなかった。
だが・・・
死の淵から生還はしたが、致命的な後遺症も残ってしまった。
-視力の喪失-
医師の老婆が言うには、恐らく頭を強く打ったことが原因だろうと。
そして『治癒術』でも回復しなかったことから、もう視力は回復しないだろうとも。
当然、俺はショックだった。
老婆の診察が事実なら、本当にどうしようもない。
それを信じずに腕の立つ医者を探してもう1度診てもらえば、という僅かな希望に縋る手もある。
だが、こんな辺境の村人にそんな手段を取る余裕がある訳がない。
つまり、もうどうにもならない。
受け入れるしかないのだ。
『失明』という現実を・・・
失明したことによって、今後の生活において重大な問題が生じるのは間違いない。
これまでと同じように遊びまわる事も当然出来なくなる。
いや、それよりも仕事をする事すら危ういのが問題だ。
働くことが出来ないのに、どうやって日々の糧を得ればいい?
因みに家は農家だ。この村の殆どの人がそうである。
そして考えるまでもなく、目の見えない俺には農作業はまず無理だろう。
ではどうする?
どうすればいい?
探すしかない。
目が見えない自分でも出来ることを見つけなければならない。
誰かに養って貰うなど論外だ。そんな酔狂な奴などいる訳ない。例え家族であっても。
だから俺はずっと考え続けている。自分が生きる術を。
何とかしなければならない。
出来なければこの先、俺はこの世界を生きていくことなど出来ないのだ。
この世界に福祉事業などある訳ないのだから。
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実は誰にも言っていないが怪我から目を覚ました後、『僕』にある異常が起こっていた。
1つは言うまでもなく視力の喪失。
そしてもう1つ・・・・・いつの間にか『僕』の頭の中にあった、全く覚えのない謎の記憶だ。
大きな建物が並ぶ石造りの町。
馬よりも早く走る鉄の箱。
空を飛ぶ巨大な鉄の塊。
知らない国に知らない言葉、知らない世界。
そんなありえない、知らない記憶が突然頭の中に入っていたら、普通は自分が狂ってしまったのかと考えるだろう。
だが幸いにして、そんなことにはならずに済んだ。
俺はこの記憶、恐らくは前世の記憶であると予想を付けることができた。
そんな考えに至ったのも、この記憶にあった情報のおかげだが・・・
『転生』
7歳の子供に別世界で生きた前の自分の記憶が蘇ったのが今の状態なんだろうと。
原因は・・・恐らく頭を強く打ったことだろう。
前世の記憶には似たような架空の物語の話もあった。
しかし前世の記憶といってもすべてを覚えている訳ではなかった。
常識や知識は大体残っているようだが、自分自身の個人情報に関しては全く残っていなかった。
名前、性別、年齢、生い立ちなどは一切不明。
どうしてそれだけが完全に消えていたのか理由は分からない。
だが前世の記憶の復活に伴い、『僕』の精神の変容が起こった。
以前の自分は覚えていなかったが、以前の自己は残っていた。
それは考え方、物事の捉え方などの価値観といったモノ。
それが7歳の子供のモノと融合してしまった。
前世の俺の年齢が幾つだったかは知らないが、少なくとも今の『僕』よりも小さいことはないだろう。
その為、7歳の子供の精神は前世の精神に引っ張られしまい、少なくとも今の俺の精神は7歳児とはいえない状態になってしまった。
こうして臆病で慎重な子供だった『僕』は姿を変え、今の『俺』となったのだ。
そうして変化した『俺』は、それから悩み続けていた。
もう1度、自身の現状を確認してみる。
俺の名前は『ウィル』
年齢は7歳。
小柄な体格で、濃い藍色の髪に空色の瞳。
ファーガス王国南西部の辺境にあるケルト村に在住。
家族は両親2人と姉が1人の4人家族。
これが今の俺のプロフィール。
本来ならば『転生』なんて事になったなら、前世にいる奴なら喜ぶ奴もいるかもしれない。
記憶にある架空の物語では、『前世の記憶を使って成り上がる』とか『特殊な力で暴れまわる』といった話があったが、どうやら俺には到底無理そうだ。
何か特殊な知識でもあれば、それを使って左団扇の生活が出来るかもしれないが、生憎と俺にはそんな知識は無かった。
それに特殊な力も恐らく持っていない。それどころか失明というハンデがあるのだ。
そう、俺はまず何よりも失明という現実的な問題をどうにかしなくてはならない。
だがこの件について、前世の記憶を頼りたい所だがあまり役に立ちそうもない。
俺には医学知識は勿論、視覚障害を持つ人々の生活事情も何も知らなかった。
本当に役立たずな記憶である。
現状を確認したのだがマイナスの要素ばかりしか思い浮かばない。
考えるほどに俺は憂鬱な気分となり、そして頭を抱えたくなる。
その内、現実逃避気味に1つの事を考えてみた。
俺は頭を打った影響で永遠に視力を失った。
俺は頭を打った影響でこの世界ではない前世の記憶を取り戻した。
その失った物と得た物、その価値を天秤に掛けてみて―――――俺は思う。
前世の記憶いらないから、視力返してくれないかなぁ・・・と。
王国歴307年 初春
こうして俺の前途多難な、新たな生活が始まった。