僕が死んだ日
遠くから誰かの声が聞こえてくる。
何を言っているんだろう?
「――ぃ――ょう――か」
「ねぇ―――えない――」
どうも酷く焦っているようだ。一体どうしたのだろうか?
「――ぁく、―――を―――――」
このままではよく聞こえないので、僕は横たえていた身体を起こそうとするが―――――
「あぐっ!?」
凄まじいまでの激痛に襲われて、目から涙が零れ落ち息を詰まらせる。痛みが全身を駆け巡っていった為、ボンヤリとしていた意識が一気に覚醒する。
「うぅぅ・・・痛い、何で・・・」
涙を流しながら、まだ幼い少年は自分の置かれた状況が理解できず、軽いパニック状態になる。
「痛い、痛いよぅ・・・誰、か・・助けてぇ・・・」
声を出す事させ苦痛な為、小さく呻くように助けを求める。
だが、それに応えてくれる者は誰もいない。それ処か遠くから聞こえていた声も、今では聞こえなくなっていた。
少年の耳に聞こえて来るのは自分の呼吸する音のみ。みんな自分を見捨てて、置いて何処かへ行ってしまったのかと不安が押し寄せて来る。
だがそこまで考えた時、ふと『みんな』とは誰のことだったかと疑問に思った所で、瞬間的に少年はすべて思い出した。
その日、何があったか。そして自分に何が起こったかを・・・
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「えっ、森の奥に?」
近所に住む、2つ年上である9歳の少年アレスが僕に話しかけてくる。
「しっ! 声が大きいって」
アレスは大げさに茶色の髪を振り乱しながら周りをキョロキョロ見回す。そして誰にも会話が聞かれていなかったことを確認してホッと息を吐き、彼の性格を表したような赤い瞳をこちらに向ける。
「ああ、そうだよ。ラル達が探検に行こうって言い出してさ」
ラルとはこの村に住む年少の子供たちのリーダー的な少年である。確か自分よりも3つか4つ、年が離れていた筈だ。
「でも、森の奥は危険だから行っちゃダメだって・・・」
少年の住む村には広大な森が隣接しており、子供たちは村の大人から森は危険だから絶対近づくなと厳しく言われていたのだが―――――
「もちろん、大人たちには内緒で行くのさ」
しかし目の前の少年は嬉々としてそう言ってくる。どうやらアレスも一緒に行く気らしい。
「魔物に襲われるかもしれないよ」
「大丈夫だって。今まで森に入ってもそんな事なかっただろ」
僕は止めた方がいいと含みを持たせて警告してみたのだが、この少年はまったく察してはくれない。
確かに自分も内緒で森の入り口付近までは入ったことがある。だがその奥までは足を踏み入れたことがなかった。大人たちに注意されていたこともあるが、何より森の奥に不気味なモノを感じて怖かったので行く気になれなかった。
「でさ、お前も一緒に行こうぜ」
だがアレスは僕が尻込みしているにも関わらず、そんなことなんて一切気にせずに僕を誘ってくる。
まぁ、話を聞かされた時点でそうなるのは分かっていたけど・・・
「うーん」
はっきり言って僕はあまり乗り気になれなかった。
自分にとって森の奥とは、ただ不気味な場所であり・・・・・それに何よりもラル達とはあまり一緒にいたくなかった。
「別にそんなに奥まで行く訳じゃないから危険はないって。それに男なら1度くらいは冒険をしてみるべきだぞ」
「・・・はぁ」
なんてアレスは胸を張って言ってくるが、僕は深い溜息を吐く。
僕は自他共に認める臆病者であり意味もなく危険な冒険なんてしたくないのだが、この2つ年上の幼馴染をこのまま行かせるのは拙い気がした。
アレスは臆病で慎重な僕とは正反対で、お調子者で楽観的な少年だ。アレスなら無警戒に森を歩いていて、うっかり魔獣の尻尾とかを踏みつけてしまいそうだ。
「ふう、仕方ないなぁ」
と言って、僕は不本意ながらも一緒に行くことを了承する。この少年をこのまま1人で行かせてしまうよりも、自分が一緒に行って動向を監視した方がいいと思ったからだ。
しかし本気で止める気ならば誰かに告げ口でもすればいいかもしれないが、それをすればアレスや他の連中に恨まれることは間違いなかった。
そうなるのは僕としても嫌だったので、仕方なくアレスと一緒に行くことにしたのだった。
「おお、そうか! 一緒に来てくれるか!」
アレスは僕がそんなことを考えていたなんて知らずに、一緒に行ってくれることを聞いて嬉しそうに笑い出して更に小躍りまでしだした。
それを見て、あれ? もしかして僕が一緒にいないと不安だったとか? だとしたら僕が行かないと言ったらアレスも行くのを諦めたりしたか?
その考えにたどり着き、失敗した!と思ったがもう後の祭りである。
「はぁ・・・それでいつ行くの?」
この致命的といえる判断ミスで地味に落ち込んでいだ僕だったが、まだ肝心なことを聞かされていなかったのを思い出したのだ。
「えっ、何だって?」
だがアレスはまだ1人で浮かれていたらしく、まったくこっちの話を聞いていなかった。落ち込んでいる僕の前でよくも、と思うが・・・
まぁ、アレスが深く他人の心情を察することなんて期待できない。楽観的でお調子者たる所以だ。
「だから、いつ行くのかって聞いたんだよ・・・」
「ごめん、ごめん、すっかり言うの忘れてたな」
アレスは、ああっ!と言いながら手を打ってそう言う。
笑いながら頭に手を当てているその姿はまったく悪いと思っているようには見えない。
だが・・・・・
「今日の昼過ぎに村の北の森の入り口に集合だぜ!」
その発言を聞いて暫く僕は唖然とする。
だが、直ぐに正気を取り戻してアレスに問い詰める。
「え、今日なの? しかも昼過ぎってもう直ぐじゃないか!」
「仕方ないだろ。俺だってラルに聞いたのが今日の朝だったし・・・」
アレスは俺だってもっと速くに知りたかったとぼやいていたが、僕としてはあまりに急な話であったことに驚きを通り越して呆れていた。
「はぁ、分かったよ。とりあえず、僕はもう家に戻るね」
もともと乗り気じゃないのに、今日すぐに行くと聞いて酷く億劫になるが仕方がないと思い、割り切ることにする。
「おう!また後でな」
と上機嫌に答えてアレスは歩き出すが、
「あっ、そうだ!」
少し歩いたところで思い出したかのように声を上げる。
「くれぐれもテリアには絶対に気付かれない様にしろよな!」
その言葉の意味を僕はしっかり理解している。
間違いなくアレスよりもずっと深く・・・
「うん、分かってるよ」
因みにテリアとは僕の2つ年上の姉である。
薄い茶色の髪をしていて空色の瞳をしている。優しく気立てもいいので村の人気者であるのだが、真面目な性格で怒らせるとかなり怖い。
その姉に今回の計画を知られれば間違いなく、探検の話は村の大人たちにも伝わり確実に中止にされるだろう。そして僕たちは村の大人たちと姉による恐怖のお説教が待っている。
この話に乗り気ではない僕としては中止になってくれた方が嬉しいのだが、そうなった場合も参加予定の子供たちから不況を買うことになるだろう・・・姉でなくこの僕が。
姉は村の人気者である為に手は出しづらいので代わりに僕を標的として狙う・・・姉に痛い目に遭わされた悪ガキたちがそんなことするのは以前から何度かあった。
まぁ、姉とアレスがそういった連中を見つけたら直ぐに叩き潰すので僕にはあまり被害はなかったが、そのことでそいつ等は更に僕を恨んでいるらしい。
2人は基本的にお人よしなので気付いてないが、今でもそいつ等の僕を見る目から、好ましく思われていない事が子供である自分にでもよく分かるのだ。
因みに今回の探検の発案者であるラル達の中にそんな奴等が間違いなく何人かいる筈だ。
そんな筋違いの逆恨みをしている連中と一緒に行動するかと思うと今から気が重くて仕方なかった・・・
~ 昼過ぎ ~
「おっ、テリアの弟か。お前が俺の所に来るなんて珍しいな」
茶色の髪と瞳をした少年が僕に声をかける。
時間になり集合場所に現れた僕を見て少年―――ラルは朗らかにそう言ってきた。
「アレスに誘われてね。それよりも・・・一緒に行くのって、これだけ?」
僕は周りを見渡してみると、いつもラルと一緒に行動している3人がいる。少年が2人に少女が1人。
「ああ、他の奴らはみんなビビッてなぁ」
僕にしてみればその人たちの反応は当然だと思う。僕もそうしたい。ここに来てさらに切実にそう思う。
もう1度ここにいる連中を見てみると、3人とも僕を睨んでいる。
まったく、何でこの3人しかいないんだと叫びたい。
確か少年の名前はヨランとイール、それに少女はアンだったか。
村で僕を一方的に敵視している筆頭がこの3人。何と全員勢揃いである。
因みにヨランとイールは前に村の少女たちにイタズラをしたのを姉に見つかり、派手に叱られたことが原因で何故か僕を逆恨みしている。
アンはどうもラルに惚れてるようだが、ラルは姉に気があるみたいだ。アンはそれが気に入らないらしく、姉とこれまた何故か僕にまで恨みの矛先を向けている。
僕は内心で溜息を吐くが、この場に僕を巻き込んだ張本人であるアレスがいなかったのを思い出す。
「ねえ、アレスはどうしたの?」
気になったのでラルに聞いてみる。
出来れば急用で行けなくなったとかにならないかなぁ・・・そうなれば僕も行く必要がないのに。
「ああ、多分―――」
「悪い、遅れた!」
ラルの言葉を遮るようにアレスが息を切らせて走ってやってきた。
「・・・多分、ただの遅刻だな」
ラルは苦笑するようにアレスを見て続きを答えてくれた。そして僕の淡い期待もあっさり消え失せる。
「さて、これで全員かな」
ラルはみんなを見る。ラルにヨラン、イール、アン、そしてアレスと僕の6人。
それが今回の危険地帯に足を踏み入れる冒険の参加者。
「よし!じゃあ出発だ!」
ラルの号令で一同は森の中へと向かう。みんな嬉々としてラルについて歩いて行ったが、やっぱり僕はそんな気分になれない。ただ僕は魔獣とか危ないモノには出会いませんようにと切に願っていた。
結果だけを見れば、その願いは半ば聞き届けられたことになった。
だが、何でそうなったのだろうと最後に僕は考える。
僕は十分警戒していたつもりだった。
例え、この森の危険に対して子供がする警戒なんて無意味な事だったとしても・・・・・
だが、それでも僕は森と森の危険な生き物に注意を向けていた。そう・・・それだけに向けていたのだ。
どうして忘れていたのだろうと最後に僕は後悔する。
もっとアイツ等に気を配っておけば、こんな最悪の事態は防げたかもしれないのに―――――
僕たちが森の奥へと足を踏み入れてから、もう数時間が経っていた。
僕が危惧していた危険な生物との接触は起こらず、子供たちの冒険は幸いにして順調に進んでいた。
あまりにも順調すぎていた為に僕は拍子抜けしてしまっていた。そして僕は慎重になりすぎていたのかなぁと、アレスのように楽観的に思ってしまった程だ。
その時の自分達がどれほど幸運だったも知らずに・・・・・
ここは森といっても、その奥には坂や川、谷などがある。つまり人の手が入っていない未開の山地であり、当然危険な魔獣も数多く存在している。
にも関わらず・・・まだ入り口付近とはいえ、これまでに全く危険に遭遇しなかった事はもう奇跡としかいえなかった。
そんな事とは知らず、僕たちは冒険を満喫していた。
生い茂る木々に見知らぬ果実、澄んだ川と魚、美しい花や珍しい草。僕たちはまるで未知の楽園を冒険している気分でいた。
みんな興奮していた。この冒険に乗り気でなかった僕ですら高揚していたんだ。これまで危険もなかった。だから気が抜けた、抜いてしまった。
最後に僕たちは森を見渡せる谷の上にいた。谷といっても崖下までは距離は下の木の高さよりも若干低い程度だったが・・・
もうそろそろ帰らないと日が沈むまで戻れない時間になった。流石に夜の森を冒険したいなどとは誰も思わなかったようで反対はなかった。
そして僕はこの景色を目に焼き付けるため、崖の上にいた。今にして思うが、最初の気持ちは何処へいったのやらと呆れてしまうが、その時の僕はもう冒険者気分で気にならなかった。
だから僕は油断していた。
背中を押されるまで気が付かなかった。
後ろを振り返るまで忘れてしまっていた。
僕たちの中にいた敵のことを―――――
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思い出した。すべて思い出した。
僕は崖の上で背中を突き飛ばされた。
前方へとつんのめるも崖淵ギリギリで踏みとどまれたが、僕の心胆を寒からしめた。
そして振り返ってみるとあの3人がいた。ヨラン、イール、アンの3人が嫌らしい笑みを浮かべ僕を見ていた。
それで僕は悟った。これはいつもの嫌がらせであると。
近くにラルやアレスがいるのにも関わらずにやったのだから、恐らく見られない様に行ったのだろう。
だが、これには流石の僕でも怒りで頭に血が上った。実際に1歩間違えれば危険な行為だし、それに気分が高揚していた所にくだらない事で水を注されたのだから当然だ。
だが、僕が怒りの声を上げようとした次の瞬間、足から地面の感触が無くなり、身体が宙に浮くような浮遊感を覚えて・・・・・その後の記憶はない。
つまり僕は崖下まで落ちたのだろう。身体の痛みがそれを証明している。指1本動かすだけで激痛に襲われるので相当な怪我をしているんだろう。
まぁ、あの高さから落ちて即死しなかったのは運がいいのだろうか?
真面に動くことの出来ない僕はボンヤリとしてきた頭で考える。
多分、アイツ等は僕を崖下に突き落す気なんてなかったんだろう。
多分、少し背中を押して脅かしてやろうと思っただけだったんだろう。
ただ突き飛ばされて崖の傍に立った時に、僕の自重でその辺りの地面が崩れ落ちるだなんて思ってもみなかっただけ―――まぁ、だからといって許せる筈もないけど。
ああ、そういえば崖の上にいるアレス達はどうしただろう?
あの3人は別として、ラルとアレスは僕を見捨てるなんて事はしないと思う。
でもここに来てくれても何も出来ないだろうから、出来れば村に戻って助けを呼んで来てほしいなぁ・・・・・
そんな取り留めもないことを考えていた僕だったが、暫くして意識が朦朧としてきた。
それにそれまで現実逃避気味だった僕の思考が焦りだす。
今まで出来るだけ考えないようにしていた自分に迫る‘死’を意識してしまう。
い、いやだ、死にたくない―――
だが、僕の意思に反して瞼が閉じていく。
抗おうとするが、どうにもならない。
いやだ、いやだ、いやだ―――――
僕の思考がそれだけで一杯になっていたが、殆ど無意識に口から言葉が漏れ出た。
「あ、ああ・・・・・僕、は―――」
後からこの時のことを思い返しても、その後に自分が何を言おうとしたのかよく覚えていない。
それを誰に対して言おうとしたのか・・・アレスやラルに助けを求める為か、自分を突き落した3人への恨み言だったのか、それとも姉や両親に対しての謝罪か、それともまったく何かだったのか?
だが何にせよ、その言葉を口にした時には僕はもう自分を襲う死の気配に抗うことが出来なくなっていた。
そして最後にと思い・・・・・僕は真上を、空へと視線と送る。
そこには雲1つない青空があった。
僕の瞳の色と同じ色の大空。
それを見ていると何故か自分の中にあった‘死’への焦燥感が薄れていき、僕は微笑む・・・・・そして、瞳は閉じられた。
それと同時に僕の意識もプッツリと途切れる。
そして、それが『僕』が見た最後の景色となった・・・・・