第8話
秋穂視点と被る部分があります。
気をつけてください。
それから、彼女と会うたびに彼女を目で追うようになり、朧のバーでは彼女と話をする(かなり時間がかかったが)ようにもなった。驚いたことに、彼女は俺と会社で会ってるにもかかわらず、古賀裕一=俺という事に全く気づかなかった。それは、かなりおもしろい反応ではあったが、全く眼中にないと同義であることを痛感させられ、このときすでに秋穂に好意を寄せていた俺は、大きなダメージを食らうこととなった。
そうして彼女と接するうちに、朧の言っていたとおり、彼女の瞳が冷めていることに気づいた。彼女の場合、冷めていると言うよりも興味がないのだ自分にも他人にも。俺が恋情だと思っていた瞳も、よく見てみれば、作り物めいているように感じた。にもかかわらず、彼女はその男のことを好きだと言うのだ。
何よりも、彼女と俺たちとの間には常に見えない壁が存在する。彼女が一定以上自分の中に他人を踏み込ませないために作ったものであろうそれは、無理矢理押し入れば、彼女が自分を拒絶することが目に見えており、なかなかにやっかいな代物だった。
「お人好し、馬鹿、根暗女」
「黙れ、鬼畜、変態、腹黒、イケメンなんて滅んでしまえ」
言い返す彼女はいつの間にか俺たちに敬語を使う事をやめていた。
最近は俺と朧の前だけ壁が取り払われつつあるため、この口調もなじんできたのだが、今日は少し様子がおかしい。
「何があった?」
聞くと、言いたくないのか、彼女は唇を噛んだ。
これは、彼女の癖。言いたくないこと、話したくないこと、隠したいことがあると、彼女は唇を噛むのだ。
「・・・」
「黙りか」
「・・・会社辞めようかな」
呟かれた言葉に絶句した。
「何かあったのか」
「・・・ストーカーもどきの上司がいるの」
「はぁ?」
「だから、付き合ってほしいっていわれて断ったのにしつこいの。今日、会議室で実力行使されかけたわ!あの、くそ上司」
「それで、それで」
怒りで目の前が真っ赤になった。
俺と同じ感想を抱いたであろう朧も声は明るいが、目が据わっている。
「鳩尾と大事なところに一発ずつ」
「・・・」
男は自業自得だが思わず震え上がってしまった。
秋穂に手を出したことは許せないが、ご愁傷様である。彼女の趣味はダイエットを兼ねたキックボクシングであるため、かなり痛かったはずだ。
「帰る」
「あら、秋穂ちゃん、一人で大丈夫」
「大丈夫」
秋穂が出て行くのをみて、俺も、バーをあとにする。
「秋穂ちゃんのこと頼んだわよ。かなり飲んでたし。
・・・お前もいい加減腹決めろよ。見てるだけじゃあ、秋穂は捕まらないぞ」
「余計なお世話だ」
朧なりに心配していたのだろうことが言葉から伝わった。
急いで秋穂を追いかけると、店の前で泣いているのを見つけた。
「で、何があった」
「・・・」
「黙りか」
「・・・」
沈黙が俺と秋穂を包む。
「・・・結婚する」
「はぁ?」
「だから、結婚するって言われたの弘人に!」
どうやら、上司以上にそんなことに悩んでいたのか、この女は
「で、落ち込んでると」
「落ち込んでる?馬鹿にしないで。そりゃあ、上司のこともあって精神状態もおかしかったかもしれないけど、何にも感じなかったのよ!!
好きだったわよ!好きだった、私に気づいてくれたから。でも、彼が選んだのもやっぱりあの子だった」
「だから、諦めた?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
だんだんと小さくなっていく声音に、間合いを詰め、震える体を抱きしめた。
嗚咽混じりの告白は、膝を抱えて泣く彼女を想像させた。
側にいてやりたい、満たしてやりたい、涙をぬぐうのは俺だけでいい。
自分に縋る秋穂を抱き込み古賀の経営するホテルに入った。
古賀さん・・・
何も言うまい・・・