夫に毒を盛られると知ったので、記録して王都ごと巻き込んでから出ていきました
自己紹介をするなら、セラ。
この世界のいわゆる聖女で、異世界転生してきた。
前世は日本に住むごく普通の社畜で、三十一歳で過労死した。
ずっと会社のために働いて、誰かの穴を埋め続けて、気が付いたら体が壊れていた。
もう誰かに怒る気力も、何もなかった。
「あー、終わったんだな」と思ったまま意識がなくなり……
気が付くと白い光に包まれた謎の空間にいた。
どうやら、私は今から異世界に転生するらしい……と、神様が説明してくれた。
しかも、転生時のボーナスで異能力が与えられるらしい。
「よくわからないけど、もう働かなくていいなら異世界転生でもなんでもいいや……」
「転生時のボーナスは記録眼です。見たものを映像として保存して、他の人にも再生して見せられる力です。
すこし地味かもしれませんが……」と神様は控えめに言う。
(見たものを映像として保存して他の人に見せれる力なんて、普通に強くないか…?
異世界ではめられても、証拠をいつでも何でも出せるってこと?)
「いいえ……これ、かなり使えると思います」
神様は予想外だったのか、少し驚いた顔をしている。
「証拠として残せる力ですよね。音声も映像も。地味どころか、場合によっては最強の能力です」
神様はしばらく黙ってから「……頑張ってくださいね」と言い、白い光に包まれ、消えていった。
よほど想定外だったのだろうと思う。
私はとりあえずこの「記録眼」については誰にも言わず、黙っていることにしようと心の中で決めた。
それが私がこの世界に来た最初の日の話だ。
それからこちらの世界に来て、ふらふらとしていたら、神殿に拾われて適正があるとかなんとかで聖女になって……
神殿から侯爵家へ「妻」として貸し出された…のが今の状況だ。
報酬は、転生してきて身寄りのない私を、以後困らない程度の一般人並みの生活にしてくれる。妻としての二年間がその対価らしい。
最初にガルヴィン・ラーゼと会ったとき、「どうぞよろしくお願い致します」と私は軽く挨拶をした。
彼は私を上から下まで見て、「問題ない」と言った。
前世でよく見覚えがある、品定めをする目だった。
「……問題ない、というのはどういう意味でしょうか」
「聖女としての外見が及第点だということです。侯爵家の夫人として社交の場に出ても恥ずかしくない、という意味です」
私は少し考えて「そうですか、それはよかった」と答えた。
怒るより先に、前世の感覚が戻ってきた。
使える間に使われる。それはここでも同じだ。
なら、できる限り安全に、最小限の損で乗り切ろうと思った。
それから半年が過ぎた。
侯爵邸での暮らしは、前世の職場に似ていた。
言われたことをやって、余計なことは言わない。
ガルヴィンが何かを命じてくるたびに「承知しました」と答え続けるだけ。
ガルヴィンから頼みごとがなければ自由だったし、前世よりは楽な仕事だった。
「晩餐会で令嬢たちに話しかけないように。あなたの話し方はどこか庶民的ですから」
「わかりました」
「魔法の力を先週の貿易商との会合でもっとうまく使えましたよね。私が事前に言ったことが聞けていなかったのですか」
「聞けていました。ただ、あの席では別の方向から話を進めた方がうまくいくと判断しました」
「あなたに判断を求めた覚えはありません。次からは言われた通りにしなさい」
「……はい、承知しました」
飲み込んだ言葉は毎回、喉のあたりに引っかかったけれど、沈んでいった。
特に怒りがこみ上げることもなかった。前世でも似たようなことを言われ続けてきたから、今更感情が動かなかったというのもある。
それに、今の私には記録眼がある。何かあってもそれでいい、という安心感が、怒りをずっと遠いところに押しやっていた。
転機はある夜会の帰りに来た。
馬車の中で目を閉じていた。
揺れに身を任せて、早く着かないかなと思いながら、夜空を見つめていた。
そのとき御者台の方から、ガルヴィンと従者ハルムの声が聞こえてきた。
低く、短く、言葉を切るように交わしている。
声はかなり小さく、暗くて表情も読めない。
でも私には記録眼がある。記録眼は常に起動するようにしていた。
唇の動きも、音のかすかな振動も、全部記録して、会話の内容を読み取っていく。
「そろそろ頃合いだな。半年で聖女の力の使い方は十分わかった」
「例の薬師に連絡を入れますか?」
「そうしろ。病死に見せること。神殿が調査に入らないよう、それなりの症状を選べ。あの老神官は勘がいいから派手にするな」
「かしこまりました。リア嬢の件は」
「あちらも待たせすぎた。聖女が片付いたら正式に話を進める」
目を閉じたまま、私は息を止めていた。
……片付けられる。私が。
驚きはなかった。むしろ、ないことの方が自分でも驚きだった。
なんだか前世の最後の日みたいだと思った。
会社の上司に「来期から君のポジションはなくなる」と言われたあの日と、感触が似ていた。
心のどこかで、静かに何かが決まった感じがした。
……今回は、ちゃんと抵抗しよう、私のできる範囲で。
馬車が止まった。もう屋敷についたようだ。
ガルヴィンが何もなかったかのように、手を差し伸べてくる。
私はその手を取りながら、頭の中でやることリストを作り始めていた。
「セラ、顔色がすぐれませんが、医者に診せましょうか」
「少し夜会で疲れてしまっただけです。申し訳ありません」
「無理もない。あなたには社交の場が向いていないのでしょう」
「……そうかもしれません、少し早めに休ませていただきます」
そうかもしれない……ではなくて、ここ半年でこちらの作法はちゃんと覚えたし、令嬢たちとの会話だって問題なくこなしているのだが。
無駄なことは言わなかった。
言っても変わらないし、今は別のことに集中する必要があった。
翌日から、記録眼をフルに使った。
最初の一週間で薬師との密会を三回記録した。
どういう種類の毒を使うか、どのくらいの量を食事に混ぜるか、症状が出るまでの日数まで話し合っている場面だ。
(ずいぶん細かく計画しているな……)
自分が死ぬ話をそんなふうに他人事みたいに聞けるようになったのは、前世のせいかもしれない。死に免疫がついている。
書庫で偶然、もっと大きなものも記録できた。
資料を探していたら、ガルヴィンが入ってきたのだ。
私が棚の陰に隠れていると気づかずに、後ろの扉から愛人のリア嬢を連れて。
「いつまで待たせるおつもり?もう半年になりますわ」リア嬢の声は甘く、少し尖っていた。
「もう少しだ」
「聖女さまはどうするの。まさか本当にあの女のこと……」
「あれはただの道具だ。用が済んだら処分する」ガルヴィンはあっさり言った。
「普通の人間と違って聖女は病死しにくいが……神殿が治せない症状を選んであるから問題ない」
「あら、そんな計画を」
「心配するな。神殿に文句を言わせる隙も作らないさ」
棚の陰で、私は「道具」という言葉が自分の中に落ちていくのを感じた。
……道具、か。
最初から妻と言いながらも道具として雇われたのはわかりきっていた。
けれど……こうも自分が目の前で道具扱いされると、くるものがあった。
半年間、私が丁寧に会話の端々から読もうとしていたガルヴィンの本音が、今はっきりした。
……だったら、私も最初からそのつもりで動いてよかったな。
そのとき初めて、怒りが来た。ゆっくり、じわじわと。
でも声には出さなかった。出す必要がない。
私の記録眼は今も動いている。リア嬢の顔も、ガルヴィンの声も、全部記録している。
棚の陰でじっとして、二人が出て行くのを待った。
扉が閉まったのを確認して、立ち上がる。
「よし、もう証拠は十分ね……」
ニ週間後、食事への細工も三回分記録できた。
料理担当の侍女が私のスープに白い粉を入れる場面だ。
彼女は怯えた顔をしていた、まあ脅されているのだろう。
「大変だなあ」と思いながらも、その記録を丁寧に保存した。
同情はするが、今は動く順番ではない。
食事はすり替えて、別のものを食べるようにした。毒が入っているのがわかっていたら回避するのは簡単だ。
体調が少し悪そうに見せる演技もした。
ガルヴィンが私の顔色を確認して、満足げに視線を外すのも何度か見た。
(……勘違いしてくれていてありがとう)
三週間後、クロヴェール侯爵邸の夜会が予定されていた。
宰相夫人主催の、王都の貴族が全員集まる場だ。
動くのはここと決めた。ここであれば十分に注目が集まるだろう。
前日に神殿へ行き、老神官カルダンに話をした。
「先生、相談があって……」
カルダンは顔を上げた。「どうしましたか」
「記録眼で映像を記録してきました。夫が私の暗殺を薬師に依頼した場面と、実行中の場面の両方です。
証拠として十分だと思いますが、確認していただけますか」
カルダンはしばらく私を見てから「……見せてください」と言った。
記録眼を開くと、映像が私たちの間の空間に浮かんだ。
薬師との密会。書庫でのガルヴィンとリア嬢の会話。侍女が食器に粉を入れる場面。
私はそれを見ながら、カルダンの顔色を確認していた。
「……これは」
「全部本物です、音声も含まれています。あと、私自身は食事をすり替えていたので、体への影響はありません」
「それで、あなたはこれをどうするつもりですか」
「明日の夜会で宰相夫人に渡したいと思っています。
王都の貴族が一堂に会する場なので、情報が広がるのが一番速く、変な隠蔽もされにくいと考えました」
カルダンはまた少し黙ったあと、静かに答えた。
「……あなたは、怖くないのですか」
私は少し考え、答えた。
「怖い、というか……前世でも似たようなことをずっとやってきた気がするので。
状況を整理して、使えるものを使う。それだけなので、怖いという感情がどこに入るのかよくわからないんです」
「前世、というのは」
「ああ、先生には話していませんでしたね。
私、こちらの世界に来る前に一度死んでいるんです。とある国で、働きすぎて……」
「……それは大変でしたね」
「いえ、だいぶ昔のことなので……ただ、そのせいかもしれません。
今回は最後まで自分でやろう、という気持ちが、かなり強くあります」
カルダンは立ち上がった。
「わかりました、明日の夜会に私も同席します。宰相夫人への仲介はこちらで引き受けます」
「ありがとうございます。とても助かります」
夜会当日、ガルヴィンの隣で入場した。
彼は私の顔色を見て、少し満足そうにした。
「今夜はなるべく端にいなさい、顔色が悪い。令嬢たちに心配をかけないように」
「承知しました」
……あと一時間で全部終わりますので、どうぞご安心を、とは言わなかった。
一時間後、私はシャルロット夫人に近づいた。
「夫人、少しよろしいでしょうか、神殿の老神官も来ています。
確認していただきたいものがあるんですが」
夫人はすぐに何かを察したように「廊下で話しましょう」と言った。
人気のない廊下で、記録眼を開いた。映像が空間に浮かぶ。
夫人はひとことも発さずに最後まで映像を見てくれた。
「聖女セラ。これはいつから記録していましたか」
「今から三週間前からです。毒の投与が始まった翌日からです」
「あなた自身は?」
「食事をすり替えていたので実害はありません。体調を崩したふりは演技です」
「怖くなかったですか」
夫人はわずかに目を細めた。
「少しは。でも、動かないまま壊れるよりはいいと思いました」と正直に言った。
「わかりました、ありがとうございます。今夜中に動けるように、宰相へ伝えます。」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
その後、夜会が終わる直前……衛兵がガルヴィンをぐるっと囲んだ。
彼が「何の真似だ、私はラーゼ侯爵だぞ」と声を荒げたとき、書状が差し出された。
広間の奥から、私はそれを見ていた。
ガルヴィンが振り返って私を見つけた。
私は表情を変えず、何も言わなかった。
目を逸らさずにいたら、悔しそうな顔で先に視線を外した。
(……そういうことです、侯爵…)
翌朝、爵位剥奪の知らせが届いた。
リア嬢の件まで追われたようで、リア嬢家は謝罪文を出したようだった。
ガルヴィンに毒を提供した薬師は逃げて捕まり、使用人たちは解雇された。
二日後、ガルヴィンが神殿の玄関先に現れた。
もう爵位のない男が、石畳の前に立っていた。
「セラ。話がしたい」
私は扉を開けた。
彼の顔には、私が半年間一度も見たことのない表情があった。
「誤解があります」
「何が誤解なんでしょうか?映像はなにも手を入れていません。
音声も私の観察眼がそのまま保存したものです」
「あれは、状況が……」
「状況が、なんでしょうか?薬師に依頼した事実がありますよね。
食事に毒が入れられた事実もあります。書庫で私を道具と呼んだ事実もあります」
ガルヴィンは黙った。
「私を道具として使って処分しようとした、その判断自体は、ガルヴィン様の立場からすれば合理的だと思います。
ただ、道具が使い終わられる前に先手を打ったこともまた、私の立場からすると合理的です。お互い様……では、ないでしょうか」
「……そんな話をしに来たわけでは」
「では何のために来ましたか」
ガルヴィンはまた黙った。
「……謝罪するために来た」
「謝罪ですか。正直なところ、それを受け取るつもりが、今の私にはあまりないんです。
ガルヴィン様が誰かを殺そうとしてそれができなかった、というだけの話なので。
私に謝罪することがあるとすれば、それは私が計画を邪魔した点だけではないかと思いますが」
「……ずっとそんなふうに考えていたのですか」
「そうですね。半年間、ずっと」
ガルヴィンはしばらく私を見てから、何も言わずに踵を返した。
廊下に戻ると、見習いの少年が書類を持って待っていた。
「セラ様、本日の聖女業務です。下町の施術院の補助と光魔法の実習です」
「ありがとう。今日の午後から行きますね。ひとつ、聞いてもいいですか?」
「はい」
「この神殿に入って……何年で一人前になれますか」
少年は驚いた顔をした。
「え、聖女様が修行を……ですか?」
「長くいるつもりなので、ちゃんとここの仕事を覚えたいと思って」
少年はしばらく考えて「……三年あれば大体は」と言った。
「じゃあ三年、頑張ります」
廊下の窓から空を見る。王都の空は雲一つなく晴れていた。
前世でも今世でも、私はずっと誰かの都合で動いてきた。
それが当たり前だと思っていたし、それ以外の自分を想像したことがほとんどなかった。
ただ今日は、自分が選んでここにいる。
これから三年間修業して一人前になる。それは私が今日初めて、自分のために決めたことだった。
「これからの私の人生は、私が決める、誰の言いなりにもならないわ」
【完】




