第60章 いざ、カリフォルニアへ その1
千波「それじゃあ、良い知らせを待っているね。」
祐希「ああ、大丈夫だと思うけど、こればかりは誰にもわからないからね。」
千波「もし、ダメだったら長野に戻ってくるのかな。」
祐希「わからない。まあ、ダメだったら、長野に戻るのもいいかもね。」
千波「祐希なら大丈夫だよ。」
間もなく、祐希が乗る特急列車が駅のホームにやってきた。祐希は少し後ろ髪が引かれる思いだったが、ひとり東京に向かった。動き出した列車の窓から見えた千波は少し涙ぐんでいるようだった。東京に到着し、そこから川崎の寮に戻った。
大学から入学許可が送付されてきたのが、約1カ月後のことだった。祐希は相変わらず、午前中は設計2課で青柳とともに業務をこなし、午後からは英語の講習を受けていた。英語のほうは、講師のマイクが話している会話はほとんど問題なく聞き取れるようになっていた。ただ、まだ映画などで話されている、こなれたネイティブの会話はかなり難しく感じていた。
杉下「ここからが英語の聞き取りの難しいところなのよ。」
祐希「マイクが話している英語は理解できるんですけど、なぜか映画の英語は難しく感じるんですよ。」
杉下「まあ、マイクはあなたが日本人だと認識しているからね。それに、スラングとかも交えていないし。」
祐希「でも、このままで大学の講義についていけるのかなー。」
杉下「大丈夫よ。マイクの指示にしたがって、訓練していけばね。」
祐希「やっぱり、映画とかたくさん見たほうがいいんでしょうか。」
杉下「いや、映画を見る時間をいくら長くとっても聞き取り力は伸びないわよ。ちゃんとしたトレーニングを粘り強くってとこね。」
結局、祐希の渡米は7月中旬に決まった。いよいよ、本格的に渡米になるのである。アメリカ現地では、木下がいろいろと事前準備をしてくれているようだった。住まいは大学の寮に入ることになった。そんなある日、寮の祐希の部屋の電話が鳴った。電話は、最初の渡米時に一緒の飛行機になった峰川からだった。
峰川「橘さん、以前アメリカ行きの飛行機でご一緒させていただいた峰川です。覚えてますか。」
祐希「ああ、峰川さん、お久しぶりです。今、日本ですか。」
峰川「ええ、おばあちゃんの家にいます。ところで、大学はどうなりました。」
祐希は、スタンフォードに決まったことや、7月中旬に渡米して、そのまま現地の語学学校に入ることなどを説明した。
峰川「私も、スタンフォードにしようかと思って。」
祐希「じゃあ、いつアメリカに戻るんですか。」
峰川「私も7月中旬になりそうです。あ、そうだ、こんど食事でもいきませんか。」
祐希「いいですけど、峰川さんってまだ未成年ですよね。」
峰川「ええそうです。お酒飲めない年齢です。」
祐希「友人を誘ってもいいですか。」
峰川「もちろんです。」
結局、祐希は新井と森を誘うことにした。食事は、その週の週末に品川で会うことになった。品川駅の高輪口側にあるホテルにあるレストランで食事をすることになった。祐希と新井は、そんな高級な場所には行きたくなかったのだが、峰川がすでに予約してしまっていた。
当日は、品川駅の改札で待ち合わせをした。祐希が来た時には、まだ誰も来ていなかった。新井と森は週末のデートのあとに、ここに来るのだろうと思った。そのうち、峰川がひとりで改札から出てきた。
峰川「お待たせしました。あれ、お友達は。」
祐希「いや、まだ来てないみたい。もう少し待とうか。」
峰川はとても17歳とは思えないほど、大人っぽく見えた。
峰川「スタンフォード入学おめでとう。よかったわね、祐希君。」
峰川はとても4歳年下とは思えないほど、大人びていた。会話をしていると、ほとんど同級生と話しているような感じだった。
峰川「私もスタンフォードにしようかと思って。ところで、祐希君は何を専攻するの。」
祐希「実は、会社から指示されていて、物理学と数学のダブル・メジャーって言われているんだよね。」
峰川「ええ、いきなりダブル・メジャーなの。すごいね。私はまだ専攻決めきれなくて。」
そのうち、新井と森が改札から出てきた。
新井「ごめん、ちょっと遅れたかな。」
祐希「いや、待ち合わせ時間ちょうどだよ。ところで、こちらが峰川さんです。」
峰川「初めまして、峰川スズです。」
新井・森「初めまして。」
森「いま、新井君と声がハモッたね。」
新井「で、峰川さんと祐希はどういう知り合いなの。」
峰川「とりあえず、お店に行きませんか。」
森「ああ、そうですね。峰川さん、予約してくださったそうで、ありがとうございます。」
峰川「よく、家族でくる店なんで大丈夫です。」
峰川は人混みをすり抜けるように駅の外に出て、第1京浜道路の横断歩道まですたすたと歩いて行った。そこの歩行者用信号のところで、祐希のほうに向きかえった。
峰川「橘さんは、渡米されるのは7月中旬でしたよね。」
ふたりで話しているときとは、あきらかに違う話し方だった。新井と森がいることもあって、ちゃんとした話し方に切り替えたようだった。
祐希「7月中旬ですね。峰川さんもだよね。」
峰川「ええ、また一緒の飛行機だといいんですけど。」
祐希「ああ、明日にでも、便名を教えますよ。もう、チケットはとってあるみたいだし。」
歩行者信号が青になり、4人は横断歩道を渡った。目の前に建っているホテルには、何か見覚えがあった。
祐希「新井、このホテルって見覚えないか。」
新井「ここさー、中学校のときに修学旅行で泊まったホテルじゃないか。」
祐希「そうだよな。いや、以前から見たことあるホテルだなって思っていたんだよね。」
森「え、福井の中学生って修学旅行で東京に来るの。」
新井「うちらの時は東京だったね。」
祐希「そうそう。この人の多さに、たまげたもんな。」
新井「そうだよー。思い出したわ。」
祐希「正樹がさ、ここで知らんおっさんに誘拐されたら、もう二度と小浜に戻れないって思ってたみたい。すっごい怖かったって。」
新井「えー、あの正樹がか。誰も、福井の中学生なんか誘拐しねえよな。」
森「えー、地方の中学生って東京のこと、そんな風に考えてるのー。」
祐希「正樹っていう友達だけだよ。」
峰川は相変わらず、すたすたと前を歩いて行った。そして、祐希達が修学旅行で来たホテルとは別のホテルに入っていった。ホテル内は、あの品川駅の喧騒が嘘のように、静かな空間だった。中のエスカレーターで3フロア上に上がり、そこにあるレストランに入っていった。すでに予約はしてあるようで、かなり広い窓側のテーブルに案内された。
峰川「一応、コースで頼んであるので、もし足りなかったら、メニューから選んで追加してください。」
新井「いや、こんな店来たこともないわ。」
森「峰川さんは、おいくつなんですか。」
峰川「今年、17歳になりました。」
新井「ええ、高校生なんですか。同年代かと思っていましたよ。」
祐希「最初の渡米の時に、飛行機で隣の席になってさ。それで、連絡先を交換したんだよ。」
森「そうだったんだ。峰川さんは東京の人なんですか。」
峰川「私は、生まれも育ちもカリフォルニアなんです。いまは、東京のおばあちゃんの家に泊まってます。」
新井「そうなんだ。おい祐希、うちらみたいな福井の片田舎出身とは違うなー。」
祐希「いやいや、福井は福井でいいところだよ。」
そのうち、飲み物が運ばれてきた。ミネラルウォーターと白ワインが別々のグラスに注がれた。
森「いきなりのワインですか。」
峰川「ここ、美味しいし、案外安いんですよ。しかも、静かだし。」
新井「たしかに、本当に品川駅徒歩2分とは思えない静寂だよね。」
4人はワインで乾杯した。
祐希「峰川さんは未成年だよね。大丈夫。」
祐希が小さな声で言うと、峰川は少し笑顔を見せたあと、ワインを飲み干した。
祐希「いや、じつは峰川さんも同じ大学に行くことになりそうなんだよね。」
新井「でも、まだ17歳なんでしょ。」
祐希「飛び級するらしいよ。すごくないか。」
森「え、じゃあ17歳で大学生になるってこと。」
峰川「いや、アメリカでは飛び級はそれほど珍しくないんです。」
新井「じゃあ、峰川さんもスタンフォードですか。」
峰川「日本の大学もたくさん見てみたんですけど、なんかカリフォルニアのほうが住みやすいかなって思って。」
祐希「まあね。カリフォルニアには行ってみたけど、結構みんなのんびりと生きてるって感じだったよ。」
峰川「そうなんですよ。のんびりさが好きなんですよ。日本はご飯がおいしいから、日本も好きなんですけど。」
新井「そうなんだー。俺なんか、映画とかテレビでしかアメリカのことは知らないからな。やっぱり、みんなピストルとか持っているの。」
峰川「いやいや、そんなピストル持って、うろうろしている人なんかいませんよ。まあ、ごく一部には治安の悪い場所がありますけど、そこさえ入らなければ、いたって平和ですよ。」
森「そうなんだ。確かに、こればかりは行ってみないとわからないわよね。」
料理はいわゆるディナーのフルコースというものではなく、お酒に合うような料理が順番に運ばれてくるようなコースだった。肉料理や魚料理、パスタ、サラダなどが、ランダムな順番に運ばれてきた。料理は大皿に盛られており、それぞれ小皿に取り分けて食べるスタイルだった。
森「どれを食べても、おいしいね。ワインも美味しいし。良い店教えてもらったわ。」
新井「そうだね。まじでおいしい。」
峰川「あとで、デザートもきますよ。追加とか頼まれます。」
峰川が気をつかって、新井にメニューを渡してきた。新井はメニューを受け取り、中を見ていたが、追加注文はしないようだった。
新井「ちょっと、もう一皿食べられるほど、お腹の中に余裕ないかも。結構、ボリュームあったもんな。」
峰川「じゃあ、デザートを頼みますね。」
最後にデザートとコーヒーが運ばれてきて、とりあえずコース料理は終わりのようだった。その日は、そのまま解散だった。祐希は新井と川崎方面に帰ることにした。峰川と約束したとおり、明日にでも飛行機の便名と日時を彼女に連絡しようと思った。できれば、アメリカに知り合いが一人でもいるだけで、かなり精神的な負担が軽減されるような気がした。峰川はまだ若いが、現地事情のことも詳しそうだし、いろいろと今後教えてもらえることも多いと思った。




