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第6章 北見、旅に出る

 ようやく、ボヤ騒ぎの件は落ち着き、水曜日には寮生達も出勤してくるようになった。祐希も山下もいつもどおりに、歩いて出勤することにした。


 祐希「いや、北見さん、大丈夫かな。なんか、かなり疲れた感じだったよな。」


 山下「まあ、会社からあれだけ怒られりゃ、そらへこむわな。」


 祐希「タバコも部屋では吸えなくなったしな。」


 山下「まあ、俺は吸わないから影響ないけど。」


 実は、祐希は喫煙者だった。まだ、この時代はだいたいどこでもタバコが吸える時代だった。


 祐希「いや、めんどくせえぞ。毎回、喫煙所までいかなきゃいけねえし。」


 山下「いや、俺はタバコ臭いのが無くなってよかったけど。」


 祐希「まあな、確かにお前にはちょっと引け目感じてたけどな。」


 山下「まあ、気にするなって。うちの親父もヘビースモーカーだったし。」


 祐希「北見さん、ちゃんと出勤してるのかな。朝、顔、見なかったけど。」


 山下「まあ、俺達にはどうすることもできねえしな。」


 祐希「言えてる。」


 会社に着き、祐希と山下はそれぞれの職場に向かった。職場には、すでに富永や竹内が出社していた。ただ、北見の姿はまだ見えなかった。


 竹内「祐希、こないだ逃げたでしょ。」


 祐希「おう、竹内、おはよ。」


 竹内「気が付いてないと思った。」


 祐希「何の話だよ。」


 竹内「日曜日の夜、なんか楽しそうに女の子達と飲んでたじゃん。」


 祐希「ああ、あれね。」


 竹内「声くらいかけてくれてもいいじゃん。」


 祐希「いや、楽しんでいるところを邪魔しちゃいけねえと思ってさ。」


 竹内「私のこと、酒癖の悪い女だと思ってるでしょ。」


 祐希「え、酒癖悪いじゃん。めちゃくちゃ悪いじゃん。」


 竹内「もう、信じられない。私だって、こう見えて、結構気使っているのよ。」


 祐希には竹内の言葉が信じられなかった。彼女の飲み会での態度のどこがどう人に気を使っているのか、彼には全くわからなかった。


 祐希「お前、真剣に言っているのか。」


 そこに富永が祐希を呼ぶ声が聞こえた。


 富永「おい、橘、ちょっといいか。」


 祐希「あ、はい。課長、おはようございます。」


 富永「ああ、おはよう。その後、北見の様子はどうだった。お前、同じ寮だろ。」


 祐希「ええ、日曜日の夜は一緒に食事に行ったんですが、その後は会ってませんね。」


 富永「そうか。まあ、ちょっと、あいつも落ち込んでいるんじゃないかと思ってな。」


 祐希「まあ、確かに、へこんでましたね。」


 その時、竹内が一枚の紙を持って、富永のところにやってきた。


 竹内「課長、こんな紙が北見さんの机の上に。」


 富永「なんだ、これは、なに。」


 祐希「どうしたんですか。」


 富永は、何も言わずに、その紙を祐希に渡した。そして、その紙には以下のようなことが書かれてあった。


 『少し旅に出ます。探さないでください。北見』


 富永「アホか、あいつは。」


 祐希「よほど、ワイフを亡くしたのが、ショックだったんですね。」


 竹内「ご愁傷様です。」


 富永「お前ら、悪乗りするな、ばか者。」


 そのうち、他の課員も出勤してきた。


 佐山「どしたの、三人そろって。」


 田嶋「おはようございます。どうしたんですか、皆さん集まって。」


 祐希「いや、北見さんが家出したみたいです。」


 佐山「家出。どういうこと。」


 祐希は佐山にその置き手紙を渡した。


 祐希「北見さんの机の上に置いてあったそうです。置き手紙。」


 佐山「え、なにこれ。探さないでください、ってなによ、これ。」


 田嶋「そっか、北見さん、相当ショックだったんだね。まあ、しばらく戻ってくるのを待つしかないでしょ。」


 富永「まあ、一応、あいつの実家には、俺から連絡しておく。」


 竹内「でも、朝早く、ここに来て、この手紙を置いて行ったんですかね。」


 田嶋「そうだよね。昨日は、そんな紙なかったしね。」


 富永「おい、橘、ちょっと寮に戻って、北見の部屋を見てきてくれ。」


 祐希「え、俺がですか。いや、ちょっと一人では。」


 富永「じゃ、誰かもう一人行かせるか。誰がいいんだ。」


 祐希「できれば、山下あたりが。」


 富永「ああ、お前の同期のか。わかった、あいつんところの課長には俺から連絡しておくから。」


 祐希「じゃ、山下のところに行ってから、寮に向かいます。」


 祐希は正直言って、あまり気乗りしなかった。ただ、上司の命令なので、仕方なく従った。しぶしぶ、山下の課があるところまで行った。山下はすでに話を聞いていたようで、祐希からの説明は不要だった。


 山下「いま、出勤してきたばかりなのにな。俺も結構仕事たまってるんだけどな。」


 祐希「まあ、仕方ねえじゃん。とりあえず、行こう。」


 二人はロッカーに戻り、再度着替えてから、寮に歩いて向かった。


 山下「つうかさ、俺たちが見にいかなくても、寮の管理人のおやじに頼めば済むじゃんか。」


 祐希「まあ、そうだけど、課長もそこまで思いが及ばなかったんだよ。」


 山下「まあ、北見さんにはいろいろかわいがってもらっているし。」


 祐希「そうそう、スキーにも連れて行ってもらっているしな。」


 山下「メシもおごってもらっているしな。」


 寮に戻り、管理人に事情を話して、北見の部屋の合鍵を受け取り、北見の部屋にまで行った。とりあえず、山下がドアをノックしてみた。


 山下「北見さん。俺です。山下です。いますか。」


 全く反応が無く、静かだった。部屋の中に、誰かがいるような気配が全くなかった。


 祐希「もう、鍵開けて、入ってみようぜ。」


 山下が鍵を開けて、2人で中に入ってみた。中には、誰もおらず、まだ荷物も少なく、がらんとしていた。部屋の奥のほうには、小さな四角いちゃぶ台が置いてあって、その上に遺影のようなものがあった。なんと、写真はあのダッチ・ワイフだった。


 山下「ああ、なんじゃこりゃ。」


 祐希「ワ、ワイフじゃねえか。」


 山下「おい見ろよ、線香もあるぜ。」


 祐希「うわ、本格的だな。よほど、彼女のこと愛していたんだな、北見さん。」


 山下「あかん、泣けてきた、俺。」


 二人は、その場で死ぬほど笑い転げていた。涙が止まらなかった。


 祐希「あかん、ちびってまうって。」


 山下「あかん、腹筋、痛てえ。笑い死にそうだわ。」


 祐希「なんか、戒名みたいなの書いてあるぞ、ダチ子だって。」


 山下「もう、やめてくれ、俺、まじで死にそうだわ。」


 祐希「探さないでくださいって、探すかー。」


 山下「やめろ、橘、俺を殺す気か。」


 ひとしきり笑ったあと、2人とも馬鹿らしくなって会社に戻ることにした。


 祐希「俺さ、課長になんて報告すればいいんだよ。」


 山下「そら、お前の仕事だろ。俺は知らねえよ。」


 祐希「いや、お前も来てくれよ。こんなの、会社に報告できねえだろ。」


 一息ついてから、2人は会社に戻るために寮を出た。


 祐希「いや、まいったな、こりゃ。報告のしようがねえよ。」


 山下「いや、ダチ子には、笑ったわ。北見さん、まじでおもろすぎるわ。」


 結局、山下も祐希に同伴して富永への報告を一緒にしてくれることになった。


 祐希「課長、見てきましたけど、北見さんはいませんでした。」


 富永「そか、で、あいつの部屋はどうなってた。」


 山下「課長、その話はちょっと会議室で。」


 富永は何かを察知したのか、すぐに応じた。


 富永「ああ、じゃあ会議室行くか。」


 会議室で、2人が見たものを富永に報告した。富永は眉間にしわを寄せながら、2人の話を聞いていた。


 富永「全く、北見も何考えてんだか。」


 その時、会議室のドアをノックする音が聞こえた。


 竹内「課長、今よろしいでしょうか。」


 富永「おう、竹内、どうした。」


 竹内がドアを開けて、会議室内に入ってきた。


 竹内「北見さんから電話入ってますよ。」


 富永「おお、北見からか。会議室に回してくれ。」


 会議室の電話が鳴り、富永が電話に出た。


 富永「おう、そっか。おう、わかった。まあ、もう過ぎたことだし、気にすんな。待っているかなら。」


 そう言い終えると、富永は電話を切った。


 富永「ああ、北見な、なんかイボ痔で病院行っているから、明日から出勤するってよ。」


 いったい、あの置き手紙はなんだったのか、祐希には全く理解できなかった。だが、北見が無事だということで、なんだかほっとした気持ちだった。彼は肛門科に旅に出たということだったのだろうか。


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