第51章 東京初心者物語 その2
森「ごめんね。なんか、忙しいのに、いきなり呼び出したりして。」
ある平日の昼食時に新井から、今日の夕方に森に会ってほしいといきなり言われた。祐希には、なぜ森が自分と会いたがっているのか、それもなぜそれを新井経由で伝えてきたのか、さっぱりわからなかった。とはいえ、新井と森の頼みごとということで、何も考えずに了承した。待ち合わせに指定されたのは、職場近くにある喫茶店だった。
祐希「いや別に気にしなくていいよ。何か話があるなら、直接言ってくれればよかったのに。」
森「新井君にも来てもらったのは、祐希と私が二人で会っているところを、会社の人に見られたら、なんか嫌じゃない。」
新井「ということは、俺は誤解防止の役割なわけだ。」
森「まあ、それもあるわね。」
祐希「それで、話ってなに。なんか、いきなり驚きの発表とかじゃないよね。例えば、実は新井と付き合ってましたー、みたいな。」
森「いや、それ結構図星に近いんだけど。」
祐希「え、ちょっと待って。新井、どういうことだよ。」
新井「いやね。まあ、実はそういうことになったわけよ。」
祐希はいきなりの発表で驚いてしまった。いつの間にか、新井と森はそういう関係になっていたのだった。でも考えてみれば、別に何も不思議なことでもなかった。
祐希「いやいや、それはおめでたいことだけど、でもそれを言うためだけに俺を呼び出したってことなの。」
森「いや、実は祐希に知っておいて欲しいことがあってね。」
祐希「ええ、いいですよ。別に会社で話してくれればよかったのに。」
森「まあ、会社じゃねー、話せないようなことなのよ。」
祐希「新井は知っているのか。」
新井「いや、俺は何も知らない。」
森「まあ、新井君にも話してないことだから。」
祐希「その様子だと、あまり人には話せないようなことなんですね。」
森「実は、京子のことなんだけどね。」
祐希「青柳さんのことですか。」
森「そう。実は、あの子も今回の会社派遣留学の候補だったのよ。祐希と京子の二人が最終候補に残ったのよ。」
祐希「ああ、そこまでは新井から聞きました。」
森「そっか、そこだけは新井君にも話したよね。」
新井「まあ、でも俺もそこまでしか知らないけどね。」
森「それでね・・・。」
森が話そうとしたタイミングで、喫茶店のウェイトレスがコーヒーをみっつ運んできた。
森「それでね、もし祐希の進学が上手くいったら、次は京子が行くことになるらしいの。」
新井「ということは、青柳さんが留学に行けるかどうかは、祐希の成功しだいってことですか。」
森「まあ、簡単に言うと、そういうことね。」
祐希「うわ、それってプレッシャーじゃないですか。」
森「私ね、本当は京子に行ってもらいたかったの。だって最初は、祐希のこと全く知らなかったわけだし。」
新井「まあ、普通、そう思うよな。」
祐希「まあ言えてる。」
森「そうそう。最初なんか、誰よこの橘ってやつはって思ったわよ。」
祐希「あはは、そっか。悪役だったわけね。」
森「もう、今はそんなこと思ってないわよ。」
新井「でも、あの青柳さんて人、なんかさ独特っていうか、個性的というか、なんか謎めいているよね。」
森「そう思うでしょ。」
祐希「実は、俺もそれ思っていた。いや、悪い意味はないんだよ。」
森「わかってるわよ。でもね、あの子の家庭ってじつはすっごい複雑なのよ。」
祐希「というと。」
森「実はね・・・。」
そう言うと、森は青柳の家庭のことをいろいろと話し始めた。まず母子家庭で育ったこと。母親はある暴力団幹部の愛人だったということ。青柳はその幹部と母親の間に生まれた私生児であることなどだった。
新井「確かに複雑だな。」
森「そうなのよ。だから、あの子には新しいチャンスをつかんでほしいって思って。」
祐希「いや、俺は直接あの子から仕事の指導をしてもらったからわかるけど、すっごい切れ者だよ。」
新井「確かにあの子って、なんかすっごい精神年齢が俺なんかより上って感じだもんな。」
祐希「まあ、お前が少しガキってとこもあるけどな。」
新井「ほっとけよ。」
森「あの子の母親がひどくてね、全くあの子の面倒なんかみてくれなかったらしくて。」
祐希「でも、よく今の会社に入社できたね。うちって、それなりにしっかりとした会社じゃんか。」
森「実は、あの子にはすっごい年の離れた従姉妹のお姉ちゃんがいたんだって。」
新井「いたんだって、って過去形なの。」
森「そう。去年、ガンで亡くなったのね。それで、その従姉妹のお姉ちゃんっていうのが、ずっと独身だったらしくて、誰もお葬式あげてくれる人がいなくて、全部あの子がひとりで仕切ったのよ。」
祐希「うわ、それはキツイな。」
森「そうなのよ。」
新井「で、お母さんは。」
森「もう絶縁しているみたいで、どこにいるかもわからないって。生きているかもわからないって。」
祐希「で、森さんとしては、あの子にもチャンスをってこと。」
森「そうだよ。あの子は幸せになる権利があるわよ。そう思わない。」
新井「そうだよな。」
森「あの子ね、お盆の時だけ、田舎に帰るの。お墓があるからって。でも、お正月とかは帰省していないの。ずっとひとりで寮にいるのよ。」
祐希「そっかー。でもね、森さん大丈夫だよ。俺は上手くやれるし、それを証明してみせるよ。俺も青柳さんには絶対にこのチャンスをつかんでほしいと思う。」
新井「俺もさ、祐希なら大丈夫って思える。だって、ガキのころからこいつのこと知っているからさ。」
祐希「そうそう。うちらが、まだ1升瓶くらいの大きさのころから知っているから。」
森「すごい自信ね。でも、それを聞いてちょっと安心したわよ。あ、それとね、2回目のトーフルの結果が来たわよ。」
新井「なに、そのトーフルって。なんか、お菓子かなんかか。」
祐希「残念だね、新井君。食べ物じゃないんだよ。」
新井「お前、なんだよその勝ち誇ったような顔は。」
森「英語のテストよ。なに二人とも子供みたいな会話してんのよ。」
祐希「で、何点でした。前よりも悪かったりとかして。」
森「知りたい。」
祐希「うわ、森さんってじらすタイプだね。新井、気をつけろよ、このタイプの女性は手強いぞ。」
新井「90点とか。」
祐希「いや、100点満点じゃないんだよ。」
新井「そうなんや。で、何点だったの。」
森「625点でしたー。はい、クリアしましたねー。」
祐希「おっしゃー。2回目でクリアじゃー、ボケー、あほんだらー。」
新井「いや、ぜんぜんわからんし。その、625点って高いのか、低いのかさえわからんけど。」
森「まあ、2回目にしては、かなり上出来らしいわよ。私も受けたことないからわかんないけど。」
祐希「新井、俺の爪の垢を煎じて飲ませたるわ。」
新井「はい、ありがたく。いや、いらねえし。」
森「あとは、向こうに行って面接を受けるだけね。一応ね、エッセイも提出したらどうかって、あの駐在員の木下さんが言っていたけど、どうする。」
祐希「エッセイってなに。」
森「なんか、人によってはなぜこの大学に入りたいかとか、大学で何をしたいかとか、そういうことを文章で書いて提出する人もいるらしいわよ。」
祐希「それをするとどうなるの。」
森「入学許可の確率があがるみたいね。」
祐希「そうか、ビザが出たとはいえ、まだ語学学校の入学許可しかもらってないもんな。」
新井「なんか、俺にはついていけない世界だな。」
祐希「新井、俺が向こうに行ったら、遊びに来いよ。」
新井「おお、金貯めて行くよ。俺さ、本場のメジャーリーグを生で見てみたい。」
森「ええ、それ私も行きたい。」
祐希は青柳の過去の人生を聞いて少し驚いた。でも、彼にはなぜか根拠のない自信があった。
新井「で、どうする、このあと。」
祐希「まあ、この流れだと、行かざるをえないよな。」
森「わかったわよ。もう本当に飲みに行くのが好きだよね。」
結局、3人は夜の街に消えて行ってしまった。




