第49章 最後の長野生活 その2
祐希の今後のスケジュールがほぼ固まったため、長野事業所の祐希の職場では、送別会を開いてくれることになった。課長である富永が、自分の課員だけでなく、他の課の祐希の親しい同期も交えて送別会を計画するように、竹内に幹事を依頼したのである。
富永「ということで、竹内、幹事を頼む。一応、橘の同期の円山にも依頼してあるから、二人で段取りしてくれ。」
竹内「わかりました。うちの課員と、われわれの同期の合同でいいってことですよね。」
富永「そういうことだ。まあ、お前たちの同期の人選については任せるわ。俺も、全部は把握してないし。」
竹内「まあ、祐希の中の良いグループがあるので、彼らを誘いますよ。」
富永「あ、それと、沢田も誘ってやってくれ。」
竹内「勿論です。」
ということで、竹内と円山が幹事ということで任命された。店の選定などは、すべて幹事の二人に任せられた。
そんなある日の昼休みのことだった。
円山「俺さ、竹内と二人で祐希の送別会の幹事やれって。」
山下「それって、誰から。」
円山「富永さんだよ。職場の送別会らしいけど、同期の連中も誘ってやれっていうことらしい。」
祐希「いや、ありがたいね、それは。」
円山「問題はだ、同期、その他の人たちをどこまで呼ぶかだよ。」
山下「同期全員ってわけにはいかねえだろ。いくらなんでも人数多いしな。」
円山「祐希、誰を呼びたい。」
祐希「お前らだけでいいよ。まあ、あとは野口さんと、円山の職場の女子2人とか。」
円山「佐野ちゃんと遠藤さんね。」
祐希「そうそう。」
山下「沢田さんはどうするの。」
円山「難しいところなんだよな。彼氏の送別会に、その彼女を呼んでいいものか。」
山下「言えてるな。沢田さんとしては、かなり複雑な心境だろうしな。」
祐希「千波も呼んでくれよ。あいつだって、もう事情はわかっているわけだし。なんか、あいつ抜きでうちらだけでワイワイやるものさ。」
円山「まあ、それもそうだな。沢田さんだって大人なんだし。それに、今生の別れってことでもないしな。」
山下「でも、本当は辛いんだろうな。沢田さんってさ、生粋の長野人で、長野のことがすっごい好きじゃんか。」
祐希「そうだな。あいつは、長野で一生終えたいと言ってたことがある。」
円山「でも、祐希についていけば、長野で過ごせる保証はないもんな。」
祐希「そうなんだよ。千波の本音としては、俺と結婚して長野で子育てして、長野で老後を送ってて感じだもんな。」
山下「でも、お前に付いていくって言っていたんだろ。」
円山「祐希、お前さ、長野から出たら、沢田さんはお前しか頼れる人がいなくなるんだぜ。」
祐希「そうだな。」
山下「そうだよ。お前は大学生活で、いろんな人との出会いがあるかもしれないけど、沢田さんはお前以外頼れる人がいなくなる。」
祐希「そっかー。あんまりそこまで深く考えていなかったな。」
円山「まあ、沢田さんがお前のところに行くまでは、俺たちが何かと忙しくしておくよ。そのほうが、気がまぎれるだろうし。」
祐希「いや、感謝するわ。」
結局、3人で相談の結果、同期は山下と円山だけが参加することになった。その他には、千波、佐野、遠藤、野口の4名に声をかけることになった。一方の竹内は、店の予約と課員への連絡をすることになった。祐希が所属している課には、課員が15名ほどいたが、基本的に飲み会には来ない課員も何名かいた。ということで、送別会には約20名の参加が見込まれた。20名であれば、なんとか座敷で予約できるぎりぎりの人数だった。さすがに、それ以上となると、そんなに大きな座敷や宴会室を備えている店は会社近くにはなかったのである。北見が常連の、小澤が経営している店での開催が決まった。あまり時間を気にしなくてもよいように、金曜日の夜の開催になった。
その送別会の当日は、全員が歩いて会場に向かうことになった。祐希は千波と一緒に歩いて小澤の店に向かった。
千波「もう長野で飲む機会もなくなるね。」
祐希「毎月は無理だけど、2週間に1回くらいは長野に来るよ。うちの寮の管理人が、泊まっていってもいいって。」
千波「私ね、車買おうかと思って。軽自動車の中古なんだけど。」
祐希「それは、俺が車を手放すからか。」
千波「そう。祐希がこっちに戻ってきたときに、足がないでしょ。」
祐希「そっか。なんか、悪いね、無理させたみたいで。」
千波「親戚のお姉ちゃんがちょうど車を買い替えしようかと思っていたみたいで、安く譲ってあげるって。」
祐希「車種は。」
千波「アルトワークス。」
祐希「まさか、ターボついてるやつか。」
千波「そうそう。ビュンビュンいくわよ。」
祐希「なんか、千波のイメージにぴったりだよな。小粒だけど、侮れない俊敏さみたいな。」
千波「東京でもアメリカでどこでも行っちゃうわよ。」
祐希「さすがに、アメリカは無理だわ。」
送別会の会場に着いた。すでに半分くらいの参加者が席についていた。山下、円山、野口、佐野、遠藤、竹内、二見なども、すでに到着していた。
山下「ほれ、今日は披露宴だから、その中央の席に二人で座れよ。」
千波「披露宴だったの。じゃあ、もっとちゃんと化粧してくれば良かったわ。」
円山「まあ、それは冗談として、まあまあ主賓席に座ってくれ。」
竹内「ねえ、まだ若い参加者しか来てないね。おっさん連中は遅いね。」
二見「沢田先輩、お疲れ様です。」
千波「二見、お前暴れるなよ。あんた、歓迎会でいろいろやらかしてるんだから。あんまり、ソフトボール部の評判を落とさないでよ。」
山下「ああ、ソフトボール部の先輩、後輩か。」
二見「ええ、沢田さん、けっこうおっかないんですよ。」
二見は小声で言った。
竹内「もうさ、練習始めない。」
円山「どうする。」
祐希「いいんじゃない。多分、課長とか北見さんとか少し遅れてくるよ。」
竹内「じゃあ、幹事の私の権限で、皆さんのお飲み物を頼みまーす。最初はビールでいいですかー。」
山下「ああ、ひとつだけグラスワインにして。」
竹内「山下って、その顔でワイン飲むんだ。」
山下「いや、顔、関係ねえし。野口さんの分だよ。」
野口「すいません。私、炭酸飲めないんです。」
竹内「じゃあ、生ビール8つと、グラスワイン1つね。もう、料理はコースで頼んであるから、どんどん出してもらいますよ。」
円山がカウンターの小澤に直接注文を言いにいった。まだ全員が揃っていないので、人数分の飲み物と、先付だけを出してくれることになった。そして、間もなく飲み物が運ばれてきた。
円山「はい、じゃあ、全員にいきわたりましたか。まあ、堅い挨拶はご年配の方々が来てからということにして、とりあえずわれわれ若者だけで、先に乾杯と行きます。全員、ご起立願います。」
竹内「それじゃあ、祐希と沢田さんの前途を祝して、乾杯。」
全員「乾杯。」
グラスを合わせる音が響いたあと、全員が一口目を飲んだ。その後で、拍手が起こった。そして、全員が着席した。その後、10分程度歓談をしながら飲んでいたが、そのうち一人また一人と店にやってきた。開始、20分後にはようやく全員が揃った。富永、北見、滝田、福田、福山、佐山、田嶋、須山、他3名ほどで全員だった。竹内が追加で飲み物を注文し、あらためて乾杯がとり行われた。そして、料理がどんどんと運ばれてきた。
富永「いやでも、なんとかここまでは順調に物事が運んでいるな。橘、みんな応援しているから、頑張れよ。」
祐希「課長には本当にいろいろとお世話になりました。こんな、チャンスをいただけて、本当に皆さんには感謝してます。」
北見「祐希。頑張れよ。俺はお前がうらやましいよ。でも、うらやましいんだけど、それ以上に嬉しいよ。俺の後輩がさ、アメリカの大学に行くなんて。」
二見「橘さんは、千波さんとどうするんですか。」
千波「二見も直球で聞いてくるよね。」
二見「千波さんは、どうするんですか。」
祐希「千波はまだ時期未定だけど、アメリカに一緒に来てもらうことになった。」
竹内「ええ、そうなの。いいなー、私も海外に住んでみたーい。」
祐希と千波の周りには、富永、北見、竹内、二見が席を取り囲んでいた。
祐希「まあ、東京にいる間は、お互い行ったり来たりかな。」
二見「その離れているがゆえに、再会の時は燃え上がるんですね。いやーん。」
その瞬間、千波が二見の頭をバシッと叩いた。
千波「あんた、アホか。」
二見「イテッ、先輩、痛いですって。」
富永「それわかるわー。俺も学生の時、今の女房と遠距離恋愛でな。久しぶりに会ったときなんか、めっちゃ濃厚なエッチしてたもんな。」
竹内「いやーん、祐希もそうなるのね。」
北見「わかるわかる。俺も一時期ワイフがいない時期があったからよ。もう、新しいワイフが来たときは、堤防が決壊するかのごとく・・・。」
祐希「ええい、やめーい。みんな、一体何なんですか。全員、なんか勝手に妄想して。」
千波「いやいや、結構面白いけど。うちらも、濃厚なのやるか。」
祐希「千波まで何を悪乗りしているんだよ。」
祐希「だいたい、北見さんのワイフってあの口を開けたやつでしょ。まだ、そんなん使っているんですか。」
二見「北見さんのワイフってなんですか。」
竹内「ああ、二見が入社してくる前の事件だから、この子知らないのかも。」
二見「ええ。なんですか。私だけ知らないなんて、ちょっと教えてくださいよ。」
北見「やめろ。お前たちに俺のあの時の気持ちがわかるもんか。」
祐希「ある意味、伝説ですもんね。」
富永「お前ら、あれは笑いごとじゃなかったぞ。俺なんか、えらい会社から怒られてよ。」
北見「やっぱり、課長も怒られたんですか。」
富永「そうだよ。宮下部長なんか、笑いながら怒ってたもんな。」
竹内「いや、あれは真顔では怒れないですよね。最初聞いたときは、笑い死ぬかと思いましたよ。」
二見「橘さん、今度教えてくださいよ。全然、話についていけない。」
祐希「ああ、竹内に聞けば。その話を聞いたら、もう北見さんにコブラツイストはかけられないようになるよ。」
竹内「あったねー。二見のコブラツイスト事件。」
千波「私、それ見たかったわ。あとで祐希に聞いたんだよね。」
北見「いや、あれは悔しかったなー。」
富永「二見は結構力あるよな。」
そのうち、他の参加者たちが、入れ替わり立ち代わり、祐希に酒を注ぎに来た。
田嶋「橘君、頑張ってね。いつでも、長野に戻ってきていいんだから。」
佐山「そうよ。うちの職場は、出戻り大歓迎ですから。」
須山「ところで、二見はなんで職場の机の上に、猪木のブロンズ像があるわけ。」
二見「あれを見ていると、すっごい力が湧いてくるんですよ。」
祐希「あと、デイリーってどこで買ってくるの。」
二見「お父さんが買ってくるんですよ。」
相変わらず、二見は謎の多い女だった。宴会はその後も数時間続いた。そして、その後、同期の仲間と千波と一緒にカラオケボックスに行くことになった。祐希は最後のほうは記憶がなくなっていた。ただ、なぜか大笑いしながら、みんなで歌を歌っていたことだけは覚えていた。そうやって、長野の仲間たちとの夜はふけていった。あと1週間もすれば、東京に引っ越しである。荷物もほとんどないので、引っ越し自体は大した労力でもないのだが、いよいよ始まる新しい生活を考えると、なぜかだんだんと気持ちが張り詰めてくるのである。そして、この飲み会が長野で迎える最後の息抜きの時間になった。
さようなら長野。この土地で、祐希はたくさんの新しい友人に恵まれた。と同時に、千波というかけがえのない女性と出会うこともできた。仕事は楽ではなかったものの、社会に出て自分の力で生きていくという厳しさも教えてもらった。そして、この長野の美しい四季を存分に楽しむこともできた。なぜか、辛いこともあったはずなのに、覚えていることは楽しいことばかりだった。千波がこの地を愛し、ここで生涯過ごしたいという気持ちは痛いほどよくわかった。それくらい、ここは美しい場所だった。いよいよ祐希は東京に移り、そこでまた新しい生活を始める。また、新しい人たち、そして東京で彼を待っている人たちとの生活が始まる。そして、その後に続くアメリカでの生活については、全くどのようなものになるのか、想像さえもつかなかった。祐希には選択肢はなかった。とにかく、前に進む以外の選択肢がなかった。でもそれでいいのかもしれない。選択肢が多いことが、必ずしも人生にとっての豊かさにつながるわけではない。ひとつしかない選択肢を必死に生き抜くことによって、切り開いていく人生もあるのである。祐希は、与えられたこの選択肢に全力を注ぐつもりである。それがどんな大きな壁であっても、なんとか乗り越えていくしかない。それが彼に与えられた唯一の選択肢だからである。




