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第37章 夏の夜の花火

 その日は千曲川での花火大会だった。毎年、祐希と千波は二人で夏の世の花火大会に行くのが恒例になっていた。夏の夜空を明るく照らす花火、浴衣を着た若い女性たち、通りで売られている冷たい飲み物、そして恋人たちの集う夜の河原。二人とも花火と同じくらい、その花火大会の雰囲気が大好きだった。今年も花火の季節がやってきたのである。千波は今年は白い生地に碧の花柄の浴衣を着ていた。


 祐希「あれ、去年着ていた浴衣と違うじゃんか。買ったの。」


 千波「そんな毎年買い換えるほどお金持ちじゃないわよ。今年はね、従姉妹の浴衣と交換したのよ。でも、似合ってるでしょ。」


 祐希「いいよ。すっごいかわいい。その従姉妹っていくつなの。」


 千波「15歳だったかな。」


 祐希「おまえ、子供の浴衣着てきたのかよ。つうか、サイズぴったしだし。」


 千波「まあ、その従姉妹とはちょうど同じくらいの背丈だしね。いいのよ、誰も気が付かないって。」


 祐希「まあ、でも似合ってるからいいよ。」


 千波「ちょっとは女らしく見える。」


 祐希「すっごい女らしく見えるよ。千波って浴衣似合うよな。」


 千波「惚れなおしたでしょ。」


 祐希「いやいや、なかなかのものですよ。」


 千波は祐希の左腕につかまって歩いていた。いつも二人で歩くときは、祐希の左側に千波が並んで歩くのが習慣になっていた。なぜか、逆の並びだと、二人ともなんとなく落ち着かないのだ。千波はちゃんとかわいらしい花柄の鼻緒のついた下駄を履いてきていた。もちろん、歯無しの下駄だった。周囲には、彼らと同じような若いカップルの男女がたくさん歩いていた。もちろん、小さい子供を連れた若い家族連れや、夫婦連れで花火鑑賞に来ている人たちも大勢いた。おそらく、会社の連中も花火を見に来ているに違いなかった。


 今日の千波は髪の毛をカンザシで後ろにまとめていた。祐希はいつも不思議に思うのだが、あの髪の毛を後ろに団子みたいにまとめるのは、一体どういう仕組みになっているのだろうか。しかも、カンザシ1本できれいにまとめているのが、彼には不思議だった。千波のつけていたカンザシも漆塗りのような黒の光沢があって、とてもきれいだった。祐希にはまだまだ女性に関して知らないことがたくさんあるのである。このカンザシの使い方ひとつをとっても、彼にはまったくわからない世界であった。


 千波「絶対、誰かに会うと思わない。」


 祐希「まあ、会社の人もたくさん来てると思うよ。山下なんか野口さんと二人きりになれる絶好のチャンスだもんな。」


 千波「あの二人は上手くいくよ。すっごいお似合いの二人だと思うよ。」


 祐希「そうだな。まあ、山下の体毛の濃さだけだな、問題は。」


 千波「そだったね。あんな胸毛濃い人見たことないわ。びっくりしたわよ。」


 人々は思い思いに場所をとり、花火が始まるのを待っていた。祐希と千波も河原のなかの少し広い場所に腰を下ろして花火を待つことにした。夏の夜のため、まだ午後6時半過ぎでも外は明るかった。場所取りのため、少し早く来てしまったため、時間があまってしまった。


 祐希「なんか、少し早かったかな。」


 千波「いいよ。あんまり遅いと、場所もとれなくなるしさ。」


 祐希「そうだよな。」


 二人は花火開始まで小一時間ばかり待つことにした。外はだんだんと暗くなり、午後7時過ぎたあたりから、場内アナウンスが始まった。いよいよ花火が開始されるのである。毎年花火の打ち上げには、複数の企業のスポンサーがつくことになっていた。そして、花火が上がる前に、どこのスポンサーより提供された花火かが場内にアナウンスされるのが恒例となっている。


 いよいよ花火大会が始まる時間になるようだった。時計を見ると、午後7時半になっていた。千波は祐希の前にしゃがんで、祐希にもたれかかるように地べたに座った。下は芝生になっていた。祐希は両手を後ろにつき、両足の間の千波をはさむようにして座った。場内アナウンスで、まずは花火大会の開催が告げられ、まずは最初の協賛企業の名前が呼ばれた。そして、間もなく花火が打ち上げられた。


 花火が打ちあがると、少し時間差を置いて、打ち上げの音が聞こえてきた。そして、上空高くに上がった花火玉が弾けて、大きく円形の火の玉が広がった。それが、夜空に何玉も同時に開くのである。花火が上がるたびに、周囲は少し明るくなり、千波の横顔を明るく照らした。千波が後ろを振り返り、しばらくして立ち上がって、今後は祐希の横に座った。


 千波「きれいだねー。」


 祐希「うちの会社の花火もそのうち上がるよ。」


 千波「そうだね。毎年うちも協賛してるもんね。」


 千波は右手で、祐希の左手を握りしめてきた。歩くときと同じ並びで千波は祐希の横に座っていた。花火が上空に打ちあがるたびに、大きな歓声があがった。誰もが、この美しい夏の空に気分が高揚しているようだった。少し離れた高校生の集団が、うるさいくらい大はしゃぎしていた。家族連れの親子は、小さい女の子がお父さんに肩車をされていた。みんな思い思いに花火を楽しんでいた。それにしても、大玉が弾けるときの音はズシンと腹に響いた。


 そのうち、千波が頭を祐希の肩に乗せてきた。


 祐希「どうした。もしかして、眠いのか。」


 千波「んーん、綺麗だなって思って。」


 千波の顔を見ると、なんとなくうっとりしているような表情をしていた。祐希は左腕で、千波の頭を抱き寄せた。そして、千波にキスをした。


 千波「どうしたのよ、いきなり。」


 祐希「いや、キスしたかっただけ。」


 千波「なんかさ、春の桜とか、この夏の花火とか、一瞬の美しさのあとに儚く消えていくのがなんか好き。」


 祐希「そうだよな。あらゆる美っていつか消え去る運命だから、美しいのかもしれないな。」


 千波「そうだね。今の私たちもそうなのかもね。人生なんて一瞬なのかもね。」


 祐希「宇宙全体から考えると、俺たちの一生なんて一瞬なんだよ。」


 千波は少し強く祐希の手を握り締めてきた。相変わらず、花火は次から次へと打ち上げられていた。打ち上げられ、夏の夜空に一瞬の美を演出する花火たち。自分たちの人生も、打ち上げられたこれらの花火たちと同じなのかもしれない。人生のピークは、まるで大きく夜空に開いた美しい無数の火の玉たちなのだろう。そして、やがて火の光は消え去り、空中に光の残像とともに消えゆくのである。


 祐希「千波、うちらは後悔しないような人生を送ろうな。」


 千波「そうね。たとえ一瞬の命だとしても、私は精一杯生きるわよ。」


 祐希「なんか、腹減ってきたな。」


 千波「そうだね。そろそろ終わるし、何か食べに行こうか。」


 祐希「何食べたい。」


 千波「そうねー、ハンバーグとか。」


 祐希「いいねー。ほんじゃあ、びっくりドンキーなんかどう。」


 千波「食べたーい。」


 二人は手をつないで、20分程度歩いた。かなりの込み具合だったため、あまり近くに車を停められなかったのだ。足元が暗くて悪いため、ふたりでゆっくりと歩いた。祐希は千波の浴衣姿がとても愛らしく思えた。こんなかわいい浴衣姿で、しかも髪の毛もきれいに後ろにまとめられていた。祐希は今更ながら、千波の美しさに圧倒されていた。


 祐希「千波ってさ、きれいだよな。」


 千波「なんなの、いきなり。でも、ありがとう。めっちゃ、うれしい。」


 千波は幸せそうな顔をして祐希を見上げていた。


大空に 一瞬ひらく 花火かな 恋のはじまり 音の残り香

(北原白秋)

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