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第33章 IQテスト その2

 祐希は会社からの進学の提案について、悩んでいた。そんな祐希を見ていた山下は、彼のいつもと違った様子に何かを察知した。この数年間、同じ寮の同じ部屋でずっと彼のことを見てきているのである。祐希と山下の間には、すでに言葉にしなくても、なんとなく相手の考えていることがわかるような間柄になっていた。山下は、祐希が最近少し物思いにふけっていたりする時間が多いことに気が付いていた。言葉にはできないが、祐希の中に何か言語化されていない何かがあることに薄々気が付いていた。彼は祐希から何かを切り出してくるのを辛抱強く待っていた。もし祐希が何かで悩んでいるのなら、彼も一緒にいろいろと考えるつもりでいた。そんなある日、ようやく祐希のほうから山下に話をしたいと言ってきた。それは、ある平日の夜の寮の部屋の中での出来事だった。


 祐希「なあ、ちょっと聞いて欲しいことがあるんだけど。」


 山下「おう、どうした。なんかあった。」


 山下はなるべく平静をよそおった。


 祐希「まだ、お前の中だけにしまっておいて欲しいんだけど。」


 山下「なんだよ。何か、秘密事項かよ。わかったよ。誰にも言わねえから。」


 祐希「うん、ありがとう。」


 しばらく間を置いたあと、祐希がゆっくりと話し出した。


 祐希「あのさ、俺、会社から大学に行かないかって言われてて。」


 山下は少し驚いた。彼が想像していた話とかなり違うような話だったからである。山下が想定していたのは、祐希と千波がもめたとか、仕事がしんどいとか、そういう話だと思っていたのだが、会社が彼を進学させるというのは、全くの想定外の話だった。


 山下「大学って、どういうこと。うちの会社って、そんな制度あったっけ。」


 祐希「いや、俺もよくわからないんだけど、過去にそういう人はいるらしい。」


 山下「そうなんだ。で、なんで、お前なん。」


 祐希「IQテスト覚えているか。先月、みんな受けただろ。」


 山下「ああ、あれね。それがどうした。」


 祐希「あれさ、俺が社内で1位だったらしい。まあ、びっくりだけどな。」


 山下は、少し驚いたが、よくよく考えてみたら、確かに祐希の地頭の良さは普段から感じていた。だが、それが社内1位のIQというのは、少々驚きだった。


 山下「すげえじゃん。で、お前が優秀だから、会社が大学に行かせてやるってことか。」


 祐希「まあ、優秀かどうかはさておいて、とにかく会社からそういう提案があったってことだよ。」


 山下「お前、悩むことなんかねえだろ。行けよ。絶対、行けよ。こんなチャンスねえぞ。お前ならできるって。」


 祐希「多分、学業面では自分でもやれるって思っている。」


 山下「じゃあ、話は早いじゃんか。もう、明日早速会社に返事しろよ。絶対に、こんなチャンス逃すなよ。俺はお前を応援するよ。みんなそうだと思うよ。みんな応援するよ。沢田さんだってさ。」


 山下は一気にまくしたてた。どちらかというと、山下のほうがこの話に興奮していた。


 祐希「まあ、そうなんだけど、会社としては海外の大学はどうかって言ってきてさ。」


 山下「じゃあ、ますます大きなチャンスじゃないか。絶対に断るなよ。行くべきだって。」


 祐希「以前、お前にも話したけど、親父のこともあるし、それに千波のこととかさ。」


 山下「親父さんが聞いたら、絶対に俺と同じことを言うよ。沢田さんだって、ちゃんと理解してくれるし、あとからなんとでもなるって。」


 祐希は山下の熱気に圧倒されそうだった。そして、正直言うと、ここまで彼が応援してくれるとは思っていなかっただけ、強く背中を押されたような気がした。


 祐希「そうだよな。お前の言う通りかもしれない。」


 山下「沢田さんに話すときは、俺も行くよ。俺からも沢田さんに話をしたい。」


 祐希「いや、お前にそこまで頼むのもなんか違うような気がする。千波には俺から話をするよ。」


 山下「祐希、なんか俺まで興奮してきたよ。絶対にものにしろよ。こんないいチャンスなかなかないぜ。」


 祐希「そうだよな。なんか、お前に話そうかどうか迷ってたけど、話してよかったかも。ありがとう。」


 祐希は思い切って、千波に話をしようと思った。別に別れ話をするわけではないし、いつかは戻ってこられるわけだし、きっと彼女も許してくれるのではと思った。実家に残してきた家族のことも気になったが、自分の母親の性格を考えると、絶対に行けと言ってくるのは間違いなかった。誰だって、人生のなかで何を選択するか迷うことはある。でも、その時に何を基準に意思決定をしていくのかということを、祐希は生まれて初めて真剣に考えた。確かに、今まで進学をあきらめたり、就職先を決めたりということで、自分自身の人生の選択をしてきたことはある。だが今まで彼がしてきた選択は、選択肢がないなかでの選択だった。でも、今度の選択は今までとは異なり、選択肢がたくさんあるなかでの選択だった。そういった経験は彼自身初めてだった。行く、行かないの選択の他に、行くと決めた場合、どこに行くのかという選択も待っていた。祐希の気持ちは少しずつ、進学をするほうに傾いていた。


 その週の週末は、いつものように千波と会う予定をしていた。そこで彼女にも話をしてみようと思った。こういう話は、やはり面と向かって話をしたかった。ただ、千波がどのような反応をするのか、かなり心配だった。どんなに若くて元気のいい女性とはいえ、彼女も年頃の若い女性である。祐希としては、彼女のことは絶対に傷つけたくなかった。だが、やはり距離が離れるということは、彼女にもかなりの精神的な負担を強いることになる。それを考えると、心が痛んだ。祐希はやはり真剣に彼女のことが好きなのである。祐希自身も、千波のいない生活になじんでいけるのか正直言って自信を持てなかった。それくらい、千波の存在は祐希の中で大きくなっていた。


 祐希の中では、優先順位が徐々に決まってきた。まずは、千波との話をつけること。次に実家にいる母親との話。そして最後に会社に最終的な自分の意思を伝えようと思った。会社からは、時間をかけて決断してもよいと言ってもらえていたため、千波とはお互い納得のいくまで話をしたいと考えていた。彼女がどのような反応をしめすのか、正直言って全くわからなかった。もしかしたら、別れを切りだされるかもしれないし、案外あっさりと行かせてくれるかもしれない。こればかりは、いくら千波との関係が深いとはいえ、祐希には全く想像がつかなかった。もし、別れ話を切りだされたらどうしようとか、何か条件を出されたらどうしようなど、考えれば考えるほど、いろんな可能性が頭に浮かんできた。もう、これは当たって砕けろで、千波に話をするしか前には進めないのである。そして、運命の土曜日がやってきた。


 山下「祐希、今日、沢田さんに話をするんだろ。」


 祐希「ああ、そのつもりだよ。」


 山下「大丈夫だって。沢田さんだって、わかってくれるよ。別に別れようって話じゃないわけだし。」


 祐希「ああ、わかってる。でも、あいつどんな反応をするんだろうな。」


 山下「まあ、驚くだろうな。それで、しばらく考えるんじゃないか。」


 祐希「そら、驚くだろうな。俺が逆の立場だったら、驚くもんな。」


 山下「別に今日全ての結論を出す必要はないわけだし。沢田さんも考える時間が欲しいだろうしさ。」


 祐希「まあな。とりあえず今日は、会社からそういう提案があったってことだけを話すよ。」


 山下「そうだな。それから、二人で時間かけて考えればいいじゃんか。」


 祐希はいつもの土曜日のように、寮から駐車場に向かった。もうすでに季節は初夏を迎えていた。鬱陶しかった梅雨の季節もようやく終わりに近づき、本格的な夏がやってきた。その日も、朝からカンカン照りの天気で、外にでるとセミの大合唱が聞こえてきていた。外の世界は、まぶしいくらい青々と茂った草木で覆われ、まさに圧倒的な生命力が躍動していた。車に乗り込むと、中は火傷しそうな熱気のかたまりが充満していた。エンジンをかけ、窓を開け、エアコンを全開にしながら、しばらくアイドリングをしていた。車内にいるだけで、汗がだらだらと流れてきた。そして、そのうちだんだんと冷房が効いてきたため、窓を閉めて、さらにしばらく待った。フロントガラスに洗浄液を噴射し、ワイパーを二往復ほどさせた。フロントガラスについていた土埃が拭き取られ、前がクリアになった。ゆっくりとギアをローに入れて、ゆっくりと車を出した。女子寮までは、ほんの数分の距離である。女子寮にはすぐに到着した。祐希が車で女子寮の前に着いたと同時に、寮の中から千波が出てきた。千波はジーンズ生地の半ズボンをはいており、上は大きな英語のロゴの入ったTシャツを着ていた。


 千波「おはよう。暑いね。」


 祐希「夏だよな。今度、海行こうぜ。」


 千波「海。行きたいけど、その前にダイエットしないと。」


 祐希「ダイエットっていつも言ってるじゃんか。でも、千波は太ってないから、必要ないよ。」


 千波「そういうわけにはいかないのよ、女はね。あと、3キロくらいは痩せないと。」


 祐希「今くらいでちょうどいいと思うけどね。」


 千波「で、どこ行く。」


 祐希「今日さ、ちょっと千波に相談というか、話があるんだけど。」


 千波「話。ちょっと、いきなり何よ。実は、女よりも男が好きだったとか、そういうのはやめてよ。」


 祐希「そう、その通り。俺、山下と付き合うわ。」


 千波「アホか、しょうもな。まあ、話がなんなのかわからないけど、あとでじっくり聞いてあげるわよ。」


 祐希「たまにはさ、朝からマックでも行くか。」


 千波「いきなりジャンク。まあ、いいけど。」


 暑さのためか、千波の顔から首筋にはうっすらと汗がにじんでいた。顔も少し紅潮していて、それが祐希には少し色っぽく見えた。千波はすでにこの6月に22回目の誕生日を迎え、22歳になっていた。それにしても、22歳の女性の少し汗ばんだ表情は、祐希にはとても美しく見えた。


 千波「どうしたの、なんかジロジロ見てきて。」


 祐希「いや、結構汗かいてんなって。」


 千波「そりゃあね。この暑さだしね。」


 祐希は車を出して、長野市内のマックに向けて走り出した。今日は千波に進学のことを話そうと思っているが、どのタイミングで話すべきか彼なりにいろいろと考えてしまう。千波がどんな反応をするのか、祐希は正直言って心配だった。アスファルトの遥か先には、逃げ水という蜃気楼が見えていた。


 千波「ねえ、祐希って夏は好き。」


 祐希「好きだね。だって、気持ちいい季節だよ。泳ぐのも好きだし、海も好きだしね。あと、花火とか、スイカとか、高校野球とか、いろいろと楽しめることが多いじゃんか。」


 千波「そうだね。私も夏は好きだよ。寒くないのがいいよね。私、寒いのが苦手だし。」


 祐希「苦手だけど、長野は好きなんだろ。冬の長野は結構寒いよな。」


 千波「みんなそう言うけど、私はここしか知らないからね。比較のしようがないのよ。」


 祐希「いいところだよ長野って。ちょっと、他の県とは違った風景が見られるもんな。」


 千波「そう、長野好きなのね。すっごい嬉しい。やっぱさ、私も地元愛というか、そういうのあるからさ、長野が褒められるとうれしいのよね。」


 祐希「長野ってさ、陸の孤島みたいなところがあるじゃんか。高速道路もないし、新幹線もないし、飛行場もないしさ。でも、俺はそれが逆に好きなんだよな。」


 千波「なんで。」


 祐希「だってさ、来るのに時間がかかるってことは、本当にここが好きな人しか来ないってことじゃないか。」


 千波「そっか。福井の県歌ってどんな歌なの。」


 祐希「ケンカってなに。県の花のこと。」


 千波「いや違うわよ。県の歌だよ。」


 祐希「県の歌。いや、そんなのあるの。」


 千波「え、県歌を知らないの。」


 祐希「いや、普通知らねえだろ。」


 千波「うっそ、本当に知らないの。」


 祐希「福井県の県歌は聴いたことない。つうか、長野の県歌知っているのか。」


 千波「当たり前じゃんか。長野県民、全員歌えるわよ。」


 祐希「はぁー、本当にか。」


 千波「いや、まじで。会社の長野県民に聞いてみなよ。全員、間違いなく歌えるから。」


 祐希は、県に歌があるということを知らなかった。でも、長野県に県歌があるということは、福井県にもあるのだろうと思った。だがしかし、今までの人生で一度も福井県歌というものを聴いたことがなかった。反対に千波にとっては、祐希が県歌を知らないというのが少し信じられなかった。長野県内の小中学校では、普通に県歌を生徒が歌わされていたからである。当然、全国どこの都道府県でも県歌が歌われているのが普通だと思っていたのである。そうしているうちに、長野市の市街地に着いた。いつも駐車する東急の駐車場に車を入れて、そこから歩いて近くのマックに行った。


 千波「そっかー、他の県では県歌を歌わないのね。」


 祐希「いや、それはわからない。まあでも、少なくとも福井県内では聞いたことないな。」


 二人は歩いてマックに入店した。朝マックを注文し、カウンターで受け取ると、適当に空いているテーブルに向かった。祐希は、ここで千波に話をしようと思った。ちょっと、マックの店内というのが少し気になったが、こういうことは早めに話しておきたかった。


 祐希「あのさ、千波。」


 千波「え、なに。」


 祐希「あの、すっごい大事な話があるんだけど。」


 祐希の顔つきがかなり真剣に見えたのか、千波は少し困惑したような表情を浮かべた。


 千波「いいよ。大事な話って。」


 祐希「うん、じつは・・・。」

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