第28章 梅雨の季節
今日は祐希と千波は、新しくカップルになった山下と野口と一緒にダブルデートをする予定である。いよいよ梅雨の到来であったが、その日の朝は珍しく晴れていた。祐希と山下は、祐希の車でまずは千波を迎えに行くことにした。
今朝方の早朝まで降っていた雨はようやく止み、外の植物たちは、しっぽりと濡れていた。青々とした植物の葉には、いまだ雨露が滴っており、その葉と茎のあちらこちらに、カタツムリがつかまっていた。寮から駐車場に向かう小道の途中に、淡い紫色の花を咲かせた紫陽花の植え込みがある。とある一軒家の庭に咲いている紫陽花だが、ブロック塀を越えて、塀の外にまで枝を伸ばし、そこに丸い形をした美しい花が咲いている。祐希は、毎年この季節になると、その紫陽花を見るのを楽しみにしていた。あまり花には詳しくはないのだが、少なくとも小学生のころに、学校に生えていたり、自分で栽培したことのある花くらいは名前を知っていた。紫陽花は、彼が幼いころに近所にあった一軒家の庭に毎年梅雨の時期に花が咲いていた。なぜだかわからないが、紫陽花という花は、いつも雨露との組み合わせで、祐希の記憶の中に残っていた。晴れた日の紫陽花の記憶はあまりなく、彼の記憶にある紫陽花はいつも雨に濡れた紫陽花だった。その日見た紫陽花も、また例外なく雨露に濡れた紫陽花だった。
祐希「おい山下、見ろよ、この紫陽花。」
山下「紫陽花がどうした。」
祐希「紫陽花ってさ、梅雨のイメージがあるよな。いつも、雨に濡れているような。」
山下「そうか。全然、気にしたことなかったよ。」
祐希「なんか、雨上がりに、虹をバックに紫色の小さな花が丸く固まって咲き誇っているという感じかな。」
山下「確かに、濡れている紫陽花ってこうやって見ると、きれいだよな。」
祐希「そうなんだよ。そして、ほら、こうやってカタツムリがさ。」
山下「良く見ると、結構いるね、カタツムリ。」
祐希「気が付かなかっただろ。」
山下「なんか、頑張って生きてますって感じだよな。」
祐希「そうなんだよ。お前、カタツムリに塩なんかかけるなよ。」
山下「やったことねえけど、やっぱ縮むのか。」
祐希「そう、塩がカタツムリの体内の水分を吸い取ってしまうからね。」
山下「そっか、まあやったことねえし、そんなことするつもりもないけどな。」
祐希「なんか、空が怪しいな。今は雨が止んでいるけど、結構上空は風が強そうだし。いつ、雨雲がこっちにくるかわからないよな。」
山下「そうだな。でも、この梅雨が終わると、一気に真夏になるぜ。」
祐希「日本ってさ、四季って言うじゃんか。でも、本当は五季じゃないかなって、いつも思うよ。春、梅雨、夏、秋、そして冬で、5つの季節だろ。」
山下「言えてる。外国だと、ちゃんと雨季として、ひとつの季節としてカウントされているもんな。」
祐希「そうそう。そういうことなんだよ。春と梅雨は違うし、夏と梅雨とも違う季節なんだよ。」
山下「沢田さんが待っているから、行こうか。」
祐希「だな。」
祐希と山下は駐車場へ急いだ。祐希の車に乗り込み、女子寮に向かった。千波はすでに寮の外に出て、祐希達を待っていた。
千波「おはよう。男子諸君。」
祐希「おはよー。」
山下「おはよー、沢田さん。」
千波「で、今日はどうするの。なんか、ダブルデートって聞いているけど。」
祐希「もう、いつ雨が降るかわからないから、屋内デートってやつだな。」
千波「いいよ。で、何か今日のプランみたいなものってあるわけ。」
山下「いや、あんまり具体的に決めていなくて。」
千波「あらあら、とりあえず野口さんを迎えに行くんでしょ。」
祐希「ああ、彼女は実家住まいだしね。」
千波「そっか、山ちゃん、ドキドキだね。でも、よかったじゃん。なんてったってさ、美女コンテスト3位ですよ。」
山下「ええ、おかげさまで。」
祐希「いや、お前の努力とかじゃねえし。」
千波「まあ、とりあえず、車出してよ。しかし、この後部座席は狭いよね。」
祐希「そうそう、この車は2人乗り前提の設計だからね。」
千波「まあ、今日は山ちゃんのために我慢してあげるよ。」
山下「ありがとうございます。」
祐希は車を出し、一路、野口の住んでいる家に向かった。いまだ、雲行きは怪しく、雨は降ってはいないものの、ゴロゴロと雷の音がしていた。空を見上げると、どす黒い雲がかなり早い速度で風に流されていた。そうかと思えば、遥か彼方の前方の一部分には陽の光が差し込んでいるようで、典型的なまだら模様の天候である。なんか気が滅入りそうな天気だったので、祐希は音楽をかけることにした。
祐希「千波、なんかCD持ってきた。」
千波「あるわよ。ほんじゃあ、これかけてよ。」
祐希は千波から一枚のCDを受け取った。千波の大好きな、PSY・SのCDだった。
祐希「ああ、いいねこれ。俺も好きなCDだわ。」
走り出して間もなく雨がぱらぱらと降り出してきた。
山下「いよいよ降ってきましたね。これで、屋外活動はアウトだな。」
祐希「なんか、軽く食ってから、映画でも行くか。」
千波「いま、どんな映画やっているの。」
祐希「インディー・ジョーンズでしょ。それか、メジャー・リーグとか。」
千波「アニメとかないの。私、アニメがいいな。」
祐希「アニメって、例えば。」
千波「魔女の宅急便はまだやってないのかな。」
祐希「わからない。とりあえず、野口さんの好みもあるし、朝飯食いながら決めるか。」
千波は山下から教えてもらった野口の住所で、おおよそ彼女の自宅のある場所がわかるようだった。祐希は、千波の案内で車を走らせた。およそ20分走ったあと、野口の自宅周辺まで来ることができた。
千波「多分ね、この辺だと思うのよ。」
祐希は車を徐行させて、付近の一軒家の表札を一軒一軒見てみた。山下と千波も窓から表札を見ているようだった。すぐにみつかると思っていた野口の家は、なかなか見つけることができなかった。
千波「いや、この辺のはずなんだけど。」
祐希「山下、近くの電話ボックス行ってやるから、電話してみろよ。」
山下「まあ、そのほうが早いか。」
そう言うと、祐希は大通りに出て、最初に目に入った電話ボックスの近くの路肩に車を一時停車させ、ハザードランプを点灯させた。山下が助手席から一人外に出て、電話ボックスに駆け込んだ。相変わらず、雨はパラパラと降っていた。電話ボックスの中の様子を祐希と千波は見ていた。
千波「野口さんてさ、どんな感じの人なの。ほら、私はまだ話したことないからさ。」
祐希「どうだろう。普通の人だよ。それほど、強烈な個性があるとか、そういうんじゃないよ。」
千波「そっかー。じゃあ、割と私みたいな感じなのね。」
祐希「いや、全然違うと思うけど。」
千波「いや、だって、私って結構普通で、あまり個性も強くないっていうかさ。」
祐希「いやいや、千波はかなり個性強いぜ。」
千波「そうかなー。普通の女の子じゃん。」
祐希「んー、どちらかというと、かなり男勝りの女子って感じだぜ。」
千波「そうかー。非力で健気で無口な女子って感じじゃない。」
祐希「無口ではないわな。いや、むしろよく喋るし、よく食べるし、よく笑うし。」
千波「たしかに、良く笑うのは、そうかもね。だって、祐希のまわりってアホな人多いしさ。」
祐希「まあ、それは否定できないな。」
そのうち山下が車に戻ってきた。
山下「さっきさ、この辺来るときに、コンビニあっただろ。そこまで来てくれるってさ。」
祐希「ああ、あそこね。じゃあ、そこに駐車場まで移動するか。」
そう言うと、祐希はハザードランプを消して、車を出した。その後、今来た道路の反対車線に出るために、一度脇道をぐるりと迂回して、道路の反対車線に出た。そこから、数分でコンビニに到着した。
祐希「俺さ、外でタバコ吸ってくるわ。」
千波「私もちょっと外に出たい。この後部座席狭くってさ。」
二人は外に出た。祐希はコンビニの前で、タバコに火をつけた。千波は思いっきり背伸びをしていた。
千波「いや、あの後部座席に2人はきついぜ。」
祐希「まあ、15分程度の我慢だよ。」
千波「そうだね。仕方ないよね。私、体が柔らかいし、体も小さいからなんとかなるけどね。」
しばらくコンビニの駐車場でまっていると、そこに傘をさした野口がやってきた。山下が、すかさず車外に出て、野口に声をかけた。助手席のイスを前に倒し、うしろの狭いシートに野口を乗せた。
祐希「ごめんね、野口さん、狭い車内でさ。今から、モーニングを食べに行くから、少し我慢していて。」
野口「すいません。わかりにくかったですよね。」
千波「はじめまして、沢田です。よろしくお願いします。」
野口「沢田さん、おはようございます。祐希さんの彼女さんですよね。お会いしたかったんですよ。」
祐希の目線でみると、野口という女性はものすごくまともな女性に見えた。とにかく、まわりの女性はことごとく一癖も二癖もあるような人ばかりなのである。竹内、二見、佐野など、誰をとっても彼の周りには個性の強い女性ばかりである。千波もそれなりに個性が強いが、それでも二見や竹内に比べるとかなり普通に感じるのである。だが、それ以上に、野口はごくごく普通に感じられるのである。
祐希は車を出すと、いつもよりも気を付けて運転をした。なぜか、この車に4人も乗ると緊張してくるのである。いつも千波と朝食を取りに行く、国道沿いの喫茶店に行った。千波以外の人とその喫茶店に行くのは初めてである。
山下「これが、祐希がいつも行っている喫茶店か。初めて来るな。」
山下は車外に出て、背伸びをしていた。外の雨はようやく止んだようだが、まだ湿気をたっぷりと吸い込んだ空気が肌にまとわりついた。腕の産毛に、細かい水滴がつくような空気だった。
野口「なんか、天気が不安定ですね。」
千波「さ、中に入ろうよ。」
千波に促されて、全員が店内に入った。祐希と千波はいつものようにモーニングを注文した。山下と野口も同じものを注文していた。
山下「喫茶店なんか久しぶりに入ったよ。祐希と沢田さんは、いつもこういうところに来ているわけね。」
千波「そうだよ。うちらだって、普通のデートしているんだから。」
野口「いい感じのお店ですよね。なんか、レトロな感じがして。」
店内には、店長のお気に入りのクラシック音楽が会話の妨げにならない程度の音量でかかっている。祐希は全くクラシック音楽についての知識がないため、誰が書いた曲で、どのオーケストラが演奏しているのかさっぱりわからないのである。
野口「チャイコフスキーですね。くるみ割り人形。」
祐希「いや、俺は全然クラシックはわからないですね。この曲も聴いたことはありますが、一体誰の曲なのかさっぱり。」
野口「私もそれほど詳しくないですけど、少しはわかりますよ。」
小雨の休日の朝に、チャイコフスキーを聴きながら飲むコーヒーというものも、なんだかいいもんだなと、祐希は思った。いつもは、千波の好きなJ-Popか、祐希が好きな洋楽やJazzばかり聴いているが、クラシック音楽もじっくりと聴いてみると、なんか心に沁みた。やはり、時間が経過しても人々から愛されるものは、それが音楽であれ、文学であれ、哲学であれ、絵画であれ、それらは本物の価値を持ちうるものなのだ。祐希には、クラシック音楽の詳しい歴史や作曲家のことなどはわからなかったが、長く愛されている曲があるということは、やはりクラシック音楽には人類にとって普遍的な価値があるのだと思った。
四人はその後、ゆっくりと朝食を取りながら、会話を楽しんだ。
千波「野口さんは何かスポーツとするの。」
野口「冬になるとスキーに行きます。うちは家族全員がアウトドアが好きなので、春や秋は登山に、夏はキャンプによく行きます。まあ、キャンプはスポーツというよりも趣味ですけど。」
山下「もう雪が無くなったから、スキーは無理だけど、また年末年始ごろに行きましょう。」
祐希「キャンプ行ってみようよ。もうすぐ夏だしさ。長野県内の避暑地に行けば、たくさんキャンプ場あるぜ。」
千波「いいねーそれ。私も賛成です。行こうよ、行こうよ。みんな大勢さそってさ、わいわいとさ。楽しそうじゃん。」
野口「私も行きたいです。バーベキューしましょうよ。」
山下「よし、じゃあみなさん、今年の夏は泊まりでキャンプということで。」
千波の何気ない質問から、話はキャンプの話へと広がった。祐希は長野に来てから、何回か仲間たちとキャンプに行っていた。長野県内に住んでいると、わざわざ遠出しなくても、近郊に素晴らしいキャンプ場がたくさんあるのである。
祐希「いいね。バンガローにするか、それともテントがいい。俺はどっちでもいいぜ。」
山下「そりゃ、テントでしょうよ。やっぱり自然を感じたいじゃんか。」
千波「そうね、いいかもね。でさ、お風呂は日帰り温泉とかでいいじゃん。」
野口「花火とかしましょうよ。」
朝の喫茶店では、四人の若者たちが、夏のキャンプの話でどんどん盛り上がっていった。結局、その日は、その後映画を見に行ったあと、洋食屋で軽めの昼食を済ませ、ボーリング場に行って、2ゲームをこなした。帰りは、野口を実家に送り届け、その後千波も長野市内の実家に送り届けた。日曜日は実家の町内会の手伝いがあるとのことだった。2人を送り届けたあと、祐希と山下は寮に戻ることにした。駐車場に車を停めて、そこから歩いて2人で小澤さんの店で軽く飲むことにした。早速、ビールを注文し、乾杯することにした。
祐希「いや、一日お疲れさまでした。」
山下「かんぱい。」
二人はジョッキをかかげて乾杯をした。いつもなら、誰かしら顔見知りがいるのだが、今日は誰も知っている顔は見かけなかった。
祐希「山下、いや、よかったよ。野口さんとも、仲良さそうじゃんか。」
山下「いや、おまえらのおかげだよ。」
祐希「なんかさ、普段から竹内とか二見とか見ているせいか、野口さんがいかにまともで普通の女性かって、あらためて思うよな。」
山下「まあね。うちらの周りって、個性の強烈な連中が男女とも多いからな。」
祐希「言えてる。」
その後、祐希と山下はほろ酔い加減で寮に戻った。祐希は、心の底から思った。まったく、今日という日は本当に何もバカな出来事がない、良い一日だったと。こんなに普通の休日を送ったのは久しぶりだった。




