第23章 桜の季節
新人歓迎会も無事かどうかはわからないが、なんとか終わった。祐希は、週末に千波とあらためて、2人で桜を見に行くことにした。土曜日の朝に、千波のいる女子寮に車で迎えに行った。まずは、いつもの週末と同じように、国道沿いの喫茶店でモーニングを食べて、その後朝から桜を見に行った。
その日は、朝から結構暖かく、天気も良く快晴だった。花見会場には、カップルや友人同士、家族連れなどが、思い思いに、お花見を楽しんでいた。桜の花びらは風が吹くたびに、ひらひらと舞い散り、淡いピンクの花びらが青い空の下の空間を、まるで風の形を形成するかのように舞っていた。天気は良かったものの、時々強い風が吹いており、そのたびに桜の花が舞い散るのだった。
千波「きれーい。なんか、春になって、桜を見るたびに、日本人として日本に生まれて良かったって思うよね。」
祐希「そうだなー。桜ってさ、なぜか日本人の心に何かこうぐっと迫ってくるんだよな。うまく言えないけどさ。」
足元には、すでに散り終えた桜の花びらが一面に落ちていた。その姿を見ると、一瞬の生をすでに終えた花々たちの、儚い夢のように過ぎ去った命の輝きを見て取ることができた。よく日本人は、人の一生を桜の花にたとえることがあるが、確かに宇宙全体から見たら、自分達の一生も花が散るが如く、一瞬の出来事だと思える。
祐希「でも、やっぱりまだ結構寒いよな。ほら、日陰のところにはまだ雪が残っているし。」
千波「そうね。まだ4月だし。そりゃ、寒いわよ。」
青い空には、遥か高いところに飛行機が飛んでおり、長い飛行機雲が後ろに伸びていた。一体、どこに向かう飛行機なのだろうか。そもそも、祐希も千波も飛行機に乗って行くような、遠方には行ったことがなかった。
千波「ねえ、祐希って飛行機に乗ったことある。」
祐希「ないよ。そんな遠いところに行くような用事もないし。」
千波「私もないな。1回乗ってみたいよね。飛行機から下の世界を見ると、どんな感じなんだろうね。」
祐希「わからないな。でも、最初は怖いと思うよ。あんな金属のかたまりが空を飛ぶんだぜ。なんか、怖いよな。」
千波「でもさ、毎日毎日、いっぱい飛行機が飛んでいるのに、そんないつも事故が起きてるわけないじゃん。」
祐希「いやでもさ、何年か前に墜落したじゃんか。ああいうこともあるんだしさ。」
千波「あーあれね。有名だよね。誰だっけ、有名な人が乗っていたって。」
祐希「そうそう。いくら有名人でも、いくらお金持ちでも、死んでしまったら終わりだもんな。」
千波「そうよね。」
しばらく、2人で飛行機が飛んでいるのを見ていた。飛行機雲は、飛行機が遠ざかるにつれて、横に広がり薄くなっていった。どんな人たちが、あの飛行機に乗って、いったいどこへ行くのだろうか。
千波「ねえ、あっちの広場でキャッチボールしようよ。」
祐希「おお、いいねー。やるか。」
二人は車に戻って、グローブとソフトボールを持ってきた。よく休み中に暇になると、最寄りの公園に行ってキャッチボールをしていた。まずは、軽く肩慣らしで、二人とも立ってキャッチボールをした。
祐希「そういえばさ、うちの課に入ってきた新人なんだけど、ソフトボール部でピッチャーって言ってたぞ。」
千波「二見でしょ。私と同じ高校の子だよ。まあ、あの子が入学してきたときは、私は卒業してもういなかったけどね。」
祐希「こないださー、新人歓迎会やったんだけどさ。」
千波「ああ、聞いたよ。暴れたらしいね、二見。」
二人はいつもこうやってキャッチボールをしながら、会話をすることが多かった。
祐希「え、もう知っているのか。」
千波「当たり前じゃない。二見って、なんか相当なプロレス・マニアらしいよ。」
祐希「やっぱりか。ありゃ、只者じゃなかったもんな。」
千波「北見さん、そうとうやられたそうね。」
祐希「そうそう、ギブアップしてさ。大変だったんだよ。なんで、うちの課の女子ってあんなのしかいないのかなぁ。」
千波「あのねー、たまにいるのよ、なんていうか、ああいうプロレス・マニアの女の子が。」
祐希「そうなん。」
千波「聞いた話だけど、二見の部屋なんか、30㎝くらいのブロンズの猪木像が置いてあるらしいよ。こうやって、腰に手を当てて仁王立ちしているんだって。」
そう言うと、千波は両手の手の甲を腰の側面に当てて、お腹を前に突き出すようなポーズをとった。
祐希「まじで。」
千波「そうそう。なんかよく、デイリー・スポーツ読んでるらしいしよ。」
祐希「ということは、阪神ファンなのか。」
千波「そうそう。あの、バックスクリーン3連発のときは号泣したらしいわよ。」
祐希「もう好みが関西のおっさんみたいやな。」
千波「もうね、バースを崇拝しているからね、あの子。神様、仏様、バース様なのよ。」
祐希「いや、バースはすげえよ。しかし、プロレス・マニアで阪神ファンか。なんか、好みがすごいね。」
千波「そうそう、デイリー・スポーツなんか、一面が『猪木、血まみれ』みたいなさ。」
祐希「ああ、そういうイメージあるよな。でもさ、長野でもデイリーって売っているんだ。」
千波「私もどこで入手してくるのかわからないんだけどね。」
祐希には、長野でデイリーが売っているような記憶はなかった。だが、案外阪神ファンという人種は、全国に広く満遍なくいるため、どこかで入手可能なのかもしれないと思った。
千波「ねえ、どこかでお弁当でも買ってきて、外で食べない。」
祐希「そうだな。車にピクニック用のシート積んであるし。」
その後、祐希は座って、千波の球を20球くらい受けた。冬の間に少し肩がなまっているようだったので、千波としてはそろそろ肩を作っておきたかったのかもしれない。最初は軽めに投げていたが、徐々にスピードを上げてきた。
祐希「いいね。だんだん、いい球になってきたよ。」
千波「徐々に肩も作っていかないとね。」
その後、一旦車で近くのコンビニに行って、サンドイッチ、スナック菓子、飲み物などを買ってきた。お花見ランチをするためだった。公園の緑地にピクニックシートを敷いて、そのうえで二人で買ってきたものを食べた。
千波「コンビニのサンドイッチって美味しいよね。この、普通の玉子サンドとか、めっちゃ美味しいわ。」
祐希は、千波の膝を枕にして、横になった。見上げると、そこには千波の顔が近くにあった。下から見上げる千波の顔もすごく可愛く思えた。
祐希「このアングルから見ても、千波は可愛いよな。」
千波「そう、可愛いでしょ。」
祐希「ああ、可愛いよ、やっぱ千波は。」
千波の顔のはるか後ろには、青い空が広がっていた。また、空には一機の飛行機が飛んでいた。いったい、ここからどのくらい高いところをあの飛行機は飛んでいるのだろうか。祐希にはそんなことに関する知識さえなかった。千波は姿勢を変えるために少し動いた。両手を後ろ側に回して、上体を支え、両足は前に揃えて伸ばした。その膝の上に、祐希が頭を乗せて空を見ていた。いい天気だった。午後には、外はぼかぼかと温かくなってきた。耳には、ゴーっという街中に響く暗騒音が聞こえてきていた。遠くから、誰かがバイオリンを弾いているのが聞こえた。
千波「ああ、あれ山ちゃんじゃない。なんか、女の子と歩いているよ。」
いきなり千波が言い出した。祐希は、ゆっくりと上体を起こすと、千波が指さしたほうを見てみた。千波が指さした先には、山下が野口さんと二人で仲良さそうに歩いていた。
祐希「あの子だよ。野口さん。」
千波「えー、あんなきれいな子に、あんな言葉を言ったのね、山ちゃんは。そら、落ち込むわな。でも、なんか仲良さそうじゃん。」
祐希「だなー。いつの間にか。なんか、あいつも隅に置けないね。」
千波「だってさ、山ちゃんって優しいじゃんか。あの子は、本当の山ちゃんのことを知ったんだよ。」
祐希「なんか、あいつ鼻の下めっちゃ伸びてるやんか。どえらい、スケベ顔してんな。」
千波「まあ、いいんじゃない。収まるところに収まったのよ。」
祐希「そっかー、あいつにもとうとう春が来たのか。」
千波「祐希は私がいるから、万年春状態でしょ。」
祐希「いや、千波は春というより、真夏って感じだよ、どちらかと言うと。」
山下と野口は、祐希達には気が付かずに行ってしまった。なんかここで声をかけるのも、野暮なような気がした。あいつらには、あいつらの世界があるのである。
千波「あ、そうだ、あの例の東京お上り計画なんだけどさ、そろそろ計画たてない。」
祐希「おお、そうだったな。いいよ。」
千波「私、『るるぶ』でも買ってこようかな。」
祐希「あとで本屋でも行くか。どうせ、今晩はホテルにしけこむだろ。」
千波「もう、やる気満々ですね、君は。」
祐希「いや、俺はどこか静かな場所で、一緒にプランを立てた方がいいと思ってさ。」
千波「はいはい、わかりましたよ。」
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その日の夜、祐希は久しぶりに千波と交わった。最近は、毎日バタバタしていて、あまりまとまった時間が取れなかったのだ。千波は今日もベッドのなかでは、最高に優しく、そして柔らかく、そして温かかった。まるで、真っ白い上質なシルクのような艶のある、なめらかな肌である。いや、最上質のシルクでさえはるかに及ぶこともできないような、艶やかでなめらかな肌であった。そして、春に咲き誇る桜の花びらを思わせる淡いピンク色に、そっと上気した頬がなんとも愛らしかった。淡い桜色の唇は初夏の早朝に収穫されたばかりの初々しい果実のような、しっとりとした湿り気をたたえていた。体全体からは、何とも言えない、オスを静的に興奮させるような淡い香りがただよっている。まったく、これじゃ祐希はいつも千波には全面降伏せざるをえないような、圧倒的な美とエロスがそこには感じられた。こんな女性を前にして、男として我慢できるほうがどうかしてると思えてくる。まったく、女ってずるいよなって思えてきた。
千波は、いつものように白くて細い両腕を使って、祐希の頭を胸に抱きしめてきた。なぜか、千波はこうやって祐希の頭を抱きかかえるのが好きなのである。祐希の顔は、均整の取れた千波のふたつの乳房の間にうずめられるようなかたちになる。そこからは、何とも言えない、柔らかい女の匂いを感じ取ることができる。おそらく、かつて、もうすでに記憶を失っている、はるか幼いころに経験した、母親の体から感じたであろうあの匂いである。無意識の一番奥底にしまわれていた、あの遠くて深い記憶に刻まれたのと同じ匂い。
祐希「千波の肌ってきれいだよな。」
千波「私、けっこう色が白いからね。」
祐希「なんか、頬とか薄い桜色に見えるよ。」
千波「血色いいからね。」
確かに、白く透明感のある肌である。そして、太ももや背中の肌には、青白い静脈が筋状に細かく走っていた。そこには、弾けそうな若さと生命力を感じることができた。女性の体の美しさには、時々めまいを覚えるほど圧倒されるものである。祐希も千波のその均整のとれた健康的な肉体の美しさに、ただただ見ほれるだけである。
おまけに、目の悪い千波の瞳は、メガネをとると角膜がぶ厚いせいか、本当にキラキラと光をうけて輝くのである。その目の輝きが、なんとも瞳の美しさを引き立てており、時々本当にそこに吸い込まれそうな錯覚に陥る。
祐希「女って、ずるいよな。」
千波「え、何のこと。」
少し微笑みながら千波が返した。まったく、こいつは小悪魔だよなと思えてきた。
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ
細川ガラシャ




