第21章 新入社員 野口さん その2
結局、下見のあとの2週間後の金曜日の夜に食事会をすることになった。表向きは、野口さんの歓迎会みたいな理由にして、彼女を誘ったようだった。円山の言ったとおり、佐野と遠藤もやってくることになった。
今日は、祐希が車を出した。山下と円山には酒を飲ませて、祐希はあまり目立たずに振舞おうと決めていた。店に到着し、予約してあった個室のテーブル席に案内された。前回の下見のときとはまた別の少し大きい部屋だった。まだ、女性3人は店には来ていないようだった。
祐希「まだ来てないね。」
円山「山下が真ん中の席でいいだろ。」
山下「おう、そうしてくれ。」
祐希「まあ、山下、頑張れよ。」
山下「おまえ、なに余裕ぶっこいてるんだよ。」
円山が山下の肩をもみながら、山下にささやいた。
円山「山下、ほら肩の力ぬいて、リラックスだよ。リラックス。」
山下「リラックスしてるよ、大丈夫だって。」
そうしているうちに、女性3人が個室に案内されて入ってきた。
遠藤「あら、祐希、久しぶりねぇ。」
祐希「遠藤さん、お久しぶりですね。あの、から揚げ以来ですね。」
佐野「祐希君、山ちゃん、久しぶり。」
山下「佐野ちゃん、竹内に負けたんだって、1個差だって聞いたけど。」
佐野「そうなのよー。でもね、しっかり賞金もらったわよ。」
遠藤「あの、紹介するね、こちらが野口さんです。」
遠藤は野口を祐希と山下に紹介してくれた。
山下「山下です。円山とは同期で、同じ寮に住んでます。よろしくお願いいたします。」
野口「こちらこそ、よろしくお願いいたします。」
祐希「橘です。俺も、円山と山下と同期で、同じ寮に住んでいます。山下とは同じ部屋に住んでます。」
野口「野口です。よろしくお願いいたします。」
円山「まあ、とりあえず座りましょうか。」
円山がそう言うと、全員が椅子に座った。前回の下見どおり、まずは円山が飲み物の注文を行った。まずは、飲み物が運ばれてきたので、全員で乾杯を行った。円山が佐野から聞き出した情報によると、野口さんには彼氏はいないということだった。山下にとっては、絶好のチャンス到来である。藤崎と別れて以来、ずっと一人だったが、これが上手くいけば、ようやく山下にも彼女ができることになる。
野口は、心なしか少し緊張しているような感じだった。確かにまだ会社に入ったばかりで、右も左もわからないなか、いきなり知らない男性も交えた食事会となれば、緊張してもおかしくない状況だった。野口は、確かにきれいな女性だった。すごく清潔感があり、服装も比較的保守的ないでたちだった。なんか、昭和初期のころの財閥のお嬢様みたいな雰囲気を醸し出していた。爪はきれいに切り揃えられ、薄いピンクのマニュキュアがきれいに塗られていた。メイクも薄いファンデーションに、口紅もそれほど派手な色合いの藻ではなく、うっすらと紅い健康的な色を選んでいた。白のブラウスも、小さな襟のところに、小さなお花の細かい刺繍がしてあり、とても上品な装飾だった。生地もかなり上質なものを使用しているようだった。髪の毛は、美しいストレートの黒髪で、頭の後ろで束ねられていた。ほんのりとだったが、ずっと昔の幼児だったころに、まだ若かった母親から匂ってきた、ほのかな石鹸のような清潔な香りがした。体型も細すぎず、太すぎず、ちょうど良く均整がとれており、胸のふくらみも自然な感じで整っていた。
それに比べて、男性3人はかなり野暮ったい恰好だった。山下と円山はチノパンだったし、祐希にいたっては、最後にいつ洗ったかわからないようなジーンズを履いていた。佐野と遠藤もそれなりにお洒落をしてきていた。
遠藤「でも、こないだのスキーは楽しかったね。また行こうよ。」
祐希「行きましょう、また、是非。そうだ、今日のコース料理の前菜に、イナゴの佃煮がでてきますよ。」
佐野「え、そうなの。」
山下「おいおい、しょうもない冗談やめろって。」
円山「ところで、野口さんって、スキーとかするんですか。」
野口「ええ、うちは家族全員やります。私はそんなに上手じゃないですけど。」
山下「よろしかったら、今度行きませんか。」
野口「そうですね、是非誘ってください。」
上々の滑り出しではないかと、祐希は思った。まずは、スキーに誘うことができた。まあ、この話の流れとはいえ、いい流れである。あとは、佐野と遠藤がどうアシストしてくれるかにかかっている。佐野と遠藤は、円山から話を聞いているのだろうか。祐希は、佐野と遠藤とも事前に話をしておくべきだったと思ったが、後の祭りだった。まだ、野口の表情は少し固い印象を受けた。山下の様子も見てみたが、彼もまたまだ少し緊張しているようだった。やれやれという感じだった。少しは話のネタとか事前に考えてこいよと思った。これが、野口さんがいないと、いきなりくだけた感じになるようなメンバーだったが、なんせこの状況で、いつものようなバカ騒ぎをしてよいかどうかわからなかった。
円山「えっと、みなさん飲み物はどうしますか。お酒もありますよ。」
円山が気を利かせて、お酒の注文を集めだした。
佐野「最初はビールだよね。」
遠藤「じゃあ、私もビール。」
祐希「俺は車運転するんで、ウーロン茶にしときます。」
山下「野口さんは、どうしますか。」
野口「私、炭酸飲めないんです。ビール以外のものを頼んでもいいですか。」
佐野「野口さん、ワインもあるみたいよ。」
野口「じゃあ、グラスワインの白をお願いします。」
円山「山下はビールでいいか。」
山下「じゃあ、俺も白ワイン。」
円山が祐希の目を見つめてきた。円山の言いたいことは、祐希にははっきりと伝わった。円山は、「おまえは、何を気取っとるんや」と言いたいのだ。
円山「それじゃあ、えっと、白ワイン2つ、ビール3つ、ウーロン茶1つでいいかな。」
祐希「おう、それで頼んでよ、円ちゃん。」
円山はにやりと少し笑い、祐希に目くばせをしたあとで、電話に向かって飲み物を注文していた。そのうち最初の料理と飲み物が運ばれてきた。まずは下見の時と同じように、先附が運ばれてきた。今回は、白子ポン酢だった。これは、祐希の大好物だった。
祐希「いや、白子ポン酢大好きなんですよ。おいしいです。」
野口「橘さんって、長野の人なんですか。」
祐希「いや、違いますね。僕は福井で、山下は新潟です。」
野口「そうなんですか。遠いところからいらしているんですね。」
山下「僕は新潟なんで、割と近いですけどね。」
遠藤「じゃあ、ここで長野人は、円ちゃん、佐野ちゃん、野口さんってことね。」
佐野「そうですね。でも、福井とか新潟だと、お魚が美味しそうだよね。」
祐希「でも、もう今は物流も発達しているから、長野でも十分美味しいお魚を食べられるよ。この白子ポン酢だって、すっごい美味しいもん。」
佐野「祐希君、一回、福井に連れてってよ。行ってみたい。」
佐野が甘えたような声で言ってきた。
祐希「いや、佐野ちゃん、なんもないよ。それほど、観光するところも少ないし。」
野口「私も行ってみたいです。あんまり、県外とかに出たことなくて。」
次に前菜が運ばれてきた。お皿は前回と同じだったが、乗っかっている料理は前回とは違っていた。その後の、椀物、お造りなども、中身が前回とは違っていた。だが、どの料理も味は申し分なく、美味しかった。ただ、祐希は山下のほうに話題が流れて欲しかった。なんとか山下が頑張って、話題を彼の話題に引き戻してくれるようにと思った。飲み物がなくなってきたので、円山がお代わりのビールを頼んでいた。
佐野「ねえねえ、福井ってさ、日本酒美味しいんでしょ。」
祐希「美味しいよ。そっか、佐野ちゃんは日本酒好きだったよな。」
山下「新潟も美味しい日本酒ありますけど。」
祐希は、心の中で、山下が話題の主導権を握ってくれるのを願ったのだが、どうも今日の山下の話はぎこちなかった。
祐希「野口さんは、日本酒は飲めるんですか。」
野口「あんまり飲んだことないです。どの日本酒が美味しいかわからなくて。ほら、日本酒っていっぱい種類あるじゃないですか。」
山下「今度、僕が新潟の美味しい日本酒を買ってきますよ。飲んでみてください。」
ようやく、山下と野口の会話がつながったと思った。料理は代わる代わる運ばれてきており、お酒も円山が上手くタイミングをみて、追加で注文をしていてくれた。佐野も遠藤も、やんわりと山下と野口が一緒の話題で盛り上がるようにアシストしてくれているようだった。ただ、佐野がとにかく祐希と会話で盛り上がりたいようで、いろいろと話を振ってくるのが気になった。そんな食事会も最後のデザートだけになっていた。
野口「うわ、デザート美味しそう。これ何かな。」
山下「えっと、抹茶のブラマンジェだそうです。」
遠藤「なんか、ぷるぷるしてる。黒蜜かかってるよね。美味しそう。」
円山「佐野ちゃんと遠藤さんは、あと3人前くらい食えるんじゃない。」
祐希「いや、あのから揚げにはたまげたよ、まじで。」
野口はそのから揚げの話がよくわからないようだった。祐希は心のなかで、山下がこの話題を面白おかしく話すのを期待した。
野口「そのから揚げって何の話ですか。」
祐希は心の中で叫んだ。山下、ここで爆笑をさらってくれと思った。おそらく、円山も同じように思っているはずだった。
山下「から揚げの話ですか、あれはすごかったんですよ、『ノグソさん』。」
一瞬、その場の空気が凍り付いた。祐希は自分の耳を疑った。いま、確かに山下は、『ノグソさん』と言ったように聞こえた。それは、一瞬での出来事だったが、なぜか時間がものすごくスローに流れているように思えた。円山の目が引きつっていた。佐野がビールを吹き出しそうになっていた。遠藤が大きく目を見開いていた。野口はものすごく驚いたような顔をしており、山下は自分の発した言葉に全く気が付いていないようだった。円山の声で、ようやく、時間が元の普通の速度に戻ったような感じがした。
円山「山下、おまえ・・・。」
山下が怪訝そうな顔をしていた。佐野が、ビールを吹き出しそうになり、むせかえって、咳をしていた。
遠藤「山下君、ひどいじゃん、いくらなんでも。」
山下「えっ、ちょっと俺なんか言った。」
野口の顔色がみるみるうちに変わっていった。そのうち、目から涙がこぼれてきた。
祐希「山下、お前、謝れって。」
山下「ちょっと待って。ごめん、えっ、一体何・・・。」
その時、円山が山下の手をつかんで、個室の外に連れ出した。おそらく、山下が気が付いていないため、事情を説明するのだと思った。野口は真っ赤な顔をして、下を向いていた。佐野と遠藤はどうしていいかわからないようで、少しうろたえていた。
祐希「いや、あの、わざとじゃないですから。」
祐希はそう言うのが精一杯だった。
佐野「まあ、わざとだったら許せないけど、まあ無意識にってところかな。」
遠藤「でも、山ちゃんの無意識のなかって、何が入っているんだろうね。やっぱ、ノグソも入っているのかな。」
佐野「もう、遠藤さんまで、やめてくださいよ。」
佐野の言葉も祐希の言葉も何のフォローにもならなかった。
祐希「野口さん、本当にごめんなさい。俺たち、本当に野口さんのことを大歓迎したくて、こうやって食事会を計画したんです。」
佐野「野口さん。山ちゃんね、悪い人じゃないから。ちょっと、おバカなだけでさ。」
野口「ええ、ありがとうございます。」
遠藤「びっくりしたわ。それにしても、いきなりで心臓止まるかと思ったわよ。」
野口は、山下には別に怒ってはいないようだった。ただ、彼女はものすごく恥ずかしかったのだと思った。佐野も遠藤もそこは大人の態度だった。
佐野「またさー、今後はおちゃらけた居酒屋で飲もうよ。ばーっと、日本酒いくぞーみたいなさ。」
遠藤「そうそう。この同じ面子で行こう行こう。」
祐希「そうですね。また行きましょうか。」
佐野「私は、祐希君が来る飲み会には、絶対行きますからね。」
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千波「ぎゃはははははー。あかん、私を笑い殺す気か、山ちゃん。」
円山「もうさー、あのあとのフォロー大変だったんだぜ。だって、俺はあの女子3人とも同じ職場だしさ。」
千波「『ノグソさん』って、山ちゃん。あかん、腹痛えー、涙出てくるわ。」
祐希「千波、笑い過ぎだって。こいつ、珍しくへこんでんだからよ。」
千波「山ちゃん、まあ飲め。飲んで忘れろ。」
水曜日の夜に4人で居酒屋に集まったのである。千波が食事会の結果を早く知りたいと言うので、一席もうけたのである。
山下「沢田さん、ぜんぜん笑えないですよ。よりによって、あんなきれいな子に向かって、『ノグソさん』って・・・。」
円山「普段から、おまえの頭の中がそうなっているから、そういう言葉が出てくるんだよ。」
祐希「円も言い過ぎだって。」
円山「あのさー、俺もかなり苦労して、あの食事会をセッティングしたんだぜ。」
千波「まあね、それがあの一言で、ぶち壊しってことか。」
山下「あー、俺何やってんだろう。」
千波「おう、山ちゃん、ほらどんどん飲めって。千波さまがつきあってやるからさ。」
祐希「そうだよ、山下、飲めよ。また、次回があるって。円山がなんとかしてくれるよ。」
円山「しかしさー、『ノグソさん』って、あかん思い出すだけで、おもろすぎるわ。」
千波「あの、北見さんのワイフ以来のネタだったね。」




