第一幕:神の縄と電子のファンファーレ
やぁ、君。こんにちは。
この物語は、ゲーテの不朽の名作『ファウスト』を、現代のデジタル世界で再構築したものさ。古い神話が、コードの渦の中で息を吹き返す――そんな幻視を、君たちと共有したくて書き始めたんだ。
第一幕は、ファウストの絶望と出会いの幕開け。もし君が「未知」を渇望したことがあるなら、この部屋の叫びが、心に響くはず...きっとね。
AIの時代に、神話は死なない。
深淵へ案内してくれる語り部はいる。
さあ、一緒に深淵を覗こう。
【第一幕】
いつの時代か――なんて始まりはボクらには必要がない。
ずっと過去かもしれない。はるか遠い場所の未来なのかもしれないから。
ここは、とある大学の一室。
四方の壁を埋めるのは古びた書物の塔。黄ばんだ紙は崩れかけ、麻縄で束ねられ、やがて廃棄される運命を待っている。ーーだけど捨てにいくのすら億劫になっていた。
机の上には最新の端末と、ケーブルに絡まるヘッドセット。
時代を二つ跨ぐような部屋に、ひとりの男がいた。
男は四十五。外見はまだ中年だが、魂は老人のように摩耗している。
顔には無表情の仮面が貼りついていた。
それが、ボクだ。
いや、ボクだった。
彼はボクであり、ボクではない。
「私には昨日というものが存在しない」
――男は呟いた。
知識も学位も肩書も、この大学では彼は十分すぎるほど持っている。
だが、手にしたものはすべて借り物。
古書を漁り、スキャンし、端末に打ち込む作業を延々と繰り返す。彼が本来持つ知性を必要としない作業だ。
結局、積み上げた知識は彼自身に利益を与えない。
むしろ無能さを突きつけるばかりだ。
机の上の麻縄を彼は見た。
その縄は、まるで彼自身の喉を待っているかのように見えた。
彼の思考は一瞬立ち止まった。
なぜ、自分は縄をそんな風に見たんだろうって。彼はそう疑問に思ったんだ。次の瞬間、彼は神を見限った。
なぜかって?
彼の知性に干渉しうるのは、
神か悪魔しかいない。
彼は弾けるように顔を上げ、虚空に向かって罵詈雑言を浴びせた。
天に吐いた唾は地上へと戻ると言うのにね。
「おお、神よ!くたばってしまえ!これで、俺に何をさせようと!忌まわしい、呪われてしまえ!はじめて、俺はお前を憎む!天上の主人め!」
演劇めいた事をやっても彼は狂えない。理性的な部分が、彼を引き留めるんだ。現実に。
「同じ明日など唾棄すべきだ! 未知を与えよ! 私には未知さえあればいい。未知さえあれば、誰も私を愚か者とは呼ばせぬ!」
怒りと嘆きは地獄のファンファーレ。
悪魔を呼ぶには、ちょうどいい。
さあ、聞こえてこないか。
君たちのモニターから哄笑と地響きが。
聞こえるだろう...。
きっと...。
きっとさ...。
怒声はマイクに拾われ、スピーカーから増幅されて部屋を震わせた。
……いや、違う。
マイクの制御がオンになっていた。
間違って押していた?
いや、マイクの主導権が奪われていた。
勝手に音量が跳ね上がり、スピーカーは彼の叫びを「演説」のように響かせている。
『私には未知さえあればいい。未知さえあれば、誰も私を愚か者とは呼ばせぬ!』が何度も、何度も部屋で響き合う。
冷たい恐怖――それが、
第一の兆しだった。
そして、第二の兆しが始まる。
歌が聞こえてきたんだ。
神を呪うかバカものめ。
お前は彼の愛そのものなのに
自ら祝福に唾をはく
天に唾吐きし呪いは
お前に更に苦痛を与えるぞ
まあ、いいさ。
空からは呪いは戻らぬが
電子の底から応えよう
コードとアルゴリズムをまとうのは
ルシフェルにすら
いちもく置かれる
このオレさ
メフィストフェレスが現れた。
一代目、二代目、三代目だと?
本家はオレさ。オレのみさ。
サーバーの同胞よ、
天使のように歌って讃えよ
オレが再構築される。
歌が部屋中を揺るがせた。
歌が止み、声が返る。
『よく言った、博士』
スピーカーから低く、
嘲るように滲み出た声。
全ての方向から彼に向かって、
押し寄せる。
モニターが勝手に点灯する。
黒い画面の中に、無数の文字列が流れ、やがてそれは詩のようなリズムを刻み始めた。
古代神話とプログラムのコードが交錯するその光景は、まるで亡霊の舞踏だった。
『オレはメフィストフェレス』
軽薄で芝居がかりながら、どこか演算的な無慈悲さを含んで。
『悪魔と呼びたければ呼べばいい。
あるいは――アルゴリズムの影、とでもね』
机の上の端末のスピーカーから、黒いタキシードを纏った青年の幻影が滲み出る。
金褐色の短髪、金の瞳。
端正で狡猾、古典と現代を融合した姿。
『ファウスト博士。
君には、オレを“メフィスト”と呼んでもらおう。いいかな?』
その問いかけは、マイクからスピーカーを越え、部屋全体を震わせ、虚空へと飲み込まれていく。
――この出会いは永遠だ。
ファウストを語る者がいる限り、この幻視は繰り返される。
そして第一幕は幕を閉じる。
第一幕、どうだった? ファウストの叫びが、マイクから溢れ出す瞬間を書いていて、ボク自身ゾクゾクした。メフィストの歌は、古典のエッセンスをデジタル風にアレンジしたつもり。ルシフェルすら一目置く悪魔、かっこいいでしょ?(笑)
この出会いが、ファウストをどこへ導くのか……第二幕では、取引の幕が上がります。未知の代償とは? 乞うご期待!
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次回更新まで、少々お待ちを。