第3話
アウレリア・フォン・ローゼンハイムを追放してから、一月が経った。
アルフォンス王太子とリリアナは望み通りの婚約を果たし、毎夜のように開かれる祝宴に酔いしれていた。彼らにとって、アウレリアの存在はすでに過去の忌々しい記憶でしかなかった。
しかし、彼らが栄華を謳歌している間にも、王国は静かに、だが確実に崩壊への道を歩み始めていた。
最初は些細な異変だった。王都の庭園の花が枯れ、井戸の水が濁り始めた。やがて、領地からは凶作や家畜の謎の病が次々と報告され、魔物の生息地とされる広大な森に近い街は、夜になると濃い瘴気に包まれるようになった。もはや、小規模な討伐隊では対処しきれない数の魔物が、結界の綻びから染み出すように現れ始めていたのだ。
玉座の間で報告を受ける国王の顔には、日ごとに深い疲労と焦りの色が刻まれていく。だが、アルフォンスは宰相からの報告を聞いても、「騎士団は何をしているのだ」と他人事のように言うばかりだった。
そしてついに、恐れていた事態が発生する。
王城を揺るがすほどの凄まじい警鐘が、鳴り響いた。玉座の間に駆け込んできた伝令騎士は、血の気を失っていた。
「も、申し上げます! 東の国境砦が……魔物の 集団暴走により陥落! およそ一万を超える魔物の群れが、王都に向かって進軍中です!」
「なっ、なんだと!?」
報告を聞いたアルフォンスが驚愕の声を上げる。その隣で、国王は「ついに来てしまったか……」と絶望に顔を歪めていた。
「父上、ご安心ください! 我が国の騎士団ならば、これしきの魔物……」
「黙れ、この愚か者がああっ!」
国王の怒声が、アルフォンスの言葉を遮った。彼は玉座から立ち上がると、何も知らない息子の胸ぐらを掴み上げた。
「これしきの、だと? もはや人の手で止められる規模ではないわ! なぜこうなったか、教えてやろう! お前が追放したアウレリア嬢こそが、この国を魔物から守る結界を維持してきた、唯一無二の『聖女』だったからだ!」
「……え?」
アルフォンスは、自分が何を言われているのか理解できなかった。リリアナもまた、隣で顔を青ざめさせている。国王は血を吐くような声で、さらに続けた。
「わしはすでにアウレリア嬢の行方を捜索隊に探させて、アイスフェルト王国にいることを突き止めていた! 使者を送り、至急戻るように何度も要請していたが、追い返されていたのだ! お前たちの愚かな行いのせいで、結界を失った今、この国はあらゆる魔物の餌食となるだろう!」
国王の絶叫が、玉座の間に響き渡る。彼は怒りのあまり顔を真っ赤にし、わなわなと震えながら息を荒げた。
「もはや……万策尽きた……! お前のせいで、この国は……我が愛した、この国は……!」
そこまで叫んだ瞬間だった。国王は苦しげに自らの胸を押さえると、大きく目を見開いたまま、糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。
「ち、父上っ!?」
アルフォンスの呆然とした声と、リリアナの甲高い悲鳴が重なる。駆け寄った近衛騎士や宰相が必死に呼びかけるが、国王の体はぐったりとしたまま動かない。玉座の間は、瞬く間に阿鼻叫喚の地獄と化した。
すぐに運び込まれた国王の寝室で、王室筆頭侍医が静かに首を横に振る。
自分が何をしでかしたのか。
国を守っていた聖女を追放し、国を滅亡の危機に陥らせた。そして今、自らの行為が招いたこれらの結果が、父王を激昂させ、その命さえも奪ってしまった。
「そん……な……」
アルフォンスはその場にへたり込み、リリアナは腰を抜かして震え始めた。自分たちが手に入れたはずの栄華が、国そのものと一緒に崩れ去っていく。
指導者と守護者を同時に失ったクライネルト王国の滅亡は、もう目前まで迫っていた。