第1話
「アウレリア・フォン・ローゼンハイム! 貴様との婚約を、今この時をもって破棄する!」
きらびやかなシャンデリアの下、すべての視線が声の主――この国の王太子アルフォンス殿下と、その腕に守られるように立つ男爵令嬢リリアナ、そして糾弾される私に突き刺さる。周囲から上がる驚きと好奇の囁きが、肌を焼くようだった。
(ああ、この展開。前世で読んだ物語にそっくりだわ)
目の前の光景に、私はどこか冷めた頭でそんなことを考えていた。
私には日本人であった前世の記憶がある。薬剤師として多忙な日々を送っていた私は、過労で意識を失い、気がつけば、クライネルト王国の公爵令嬢アウレリア・フォン・ローゼンハイムとして、この異世界に転生していた。
薬草学やポーションの調合は、前世の知識を多少なりとも活かせる分野で楽しかったけれど、まさか自分が、前世で読んだ物語の悪役令嬢のように断罪されることになるとは夢にも思わなかった。
「アウレリア! 貴様がその嫉妬心から、リリアナに陰湿ないじめを繰り返していたことは調査済みだ! 聖女とまで呼ばれる清らかなリリアナを苦しめるなど、万死に値する!」
アルフォンス殿下の隣で、リリアナがびくりと肩を震わせ、か弱い子鹿のように殿下の胸に顔をうずめる。その瞳の奥に、私だけがわかる嘲笑の色が浮かんでいることに、殿下も、周りの誰も気づきはしない。
(原因と結果が、あまりにも単純すぎるわ)
前世の癖で、物事を分析してしまう。原因(リリアナの嘘)、症状(殿下の激昂)、処方箋(弁明)。けれど、この劇的な状況で私の言葉に耳を傾ける者はいないだろう。誤った診断で下される処方は、いつだって悲劇しか生まない。
それに、アルフォンス殿下が言う「聖女」はリリアナではない。この私だ。
この国に数百年ぶりに生まれ、その祈りによって魔物の侵入を防ぐ神聖な結界を維持する役目を担う存在。そのことは国家機密として、国王陛下とごく一部の者しか知らない。
私が黙して佇んでいると、人垣をかき分けて一人の壮年の男性が進み出てきた。私の実の父親、ローゼンハイム公爵その人だった。
「アルフォンス殿下、この度は我が娘が大変なご無礼を!……アウレリア! お前は、なんということをしてくれたのだ!」
私の目の前で足を止めた父は、失望と怒りに満ちた目で私を断罪した。
「王家への忠誠を誓う我がローゼンハイム家の顔に泥を塗りおって! もはやお前は我が娘ではない! 今この時をもって勘当とする! どこへなりと去るがいい!」
私を守るべき立場の実の父親からの、決定的な拒絶の言葉。これで、私の帰る場所はなくなった。
だが、不思議と涙は出なかった。むしろ、これでようやく全てのしがらみから解放されるのだという、晴れやかな気持ちさえあった。聖女の責務からも、公爵令嬢の立場からも、そして愚かな婚約者と冷たい家族からも。
「……殿下、そしてお父様。皆様のお望み通り、この身はどこへでも」
私はスカートの裾を優雅につまみ、最後の一礼をする。その淡々とした態度が、さらに彼らの怒りを買ったようだった。
「ふん、反省の色なしか! 衛兵、この女を城からつまみ出せ! 二度とこの国の土を踏ませるな!」
アルフォンス殿下の命令で、衛兵が私の両腕を掴む。
こうして私は、着ていた豪奢なドレス一枚で、祝福の場であるはずのパーティー会場から引きずり出された。背後でリリアナのか細い「あの方は、本当は悪い方では……」という猫なで声と、それを慰める殿下の声が聞こえた気がしたが、私は一度も振り返らなかった。
(さようなら、殿下。お父様。そして、私の祈りがなくなったこの国がどうなるか、せいぜい見物させてもらうわ)