表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
学校回譚  作者: のゝ助
1/1

生徒会室、某日

短編。数分で読めます。

〈序章〉─


牧歌ぼっかとは、「牧人や農夫の生活を主題とする詩歌で、抒情じょじょう的で素朴なもの」を指す。

──出典:広辞苑第七版



〈西野 かなた〉─


6月下旬。夕立。

窓に雨粒が細かく打ちつける音。静かな連打に混じって、雑な足音が聞こえてくる。


西野にしのかなたは、スカートの内側にこもった熱を払うように、バッサバッサと大股で廊下を歩いていた。

少しクセのある長い髪が、湿気で幾分か膨らんでいる。青みがかった黒髪がいつもより重たそうに見える。


向かう先は、2F、突き当たり─生徒会室。

西野はドアノブを握った。



〈東雲 司〉─


生徒会室。扇風機がゆるく回る中、東雲しののめ つかさは整然とした手つきで書類をまとめていた。

茶色がかったまっすぐな髪と黒縁眼鏡の隙間から、手元のプリントに視線を落とす。

時折ノートに短くメモを書き込み、無駄のない動きで机の上を整えていく。


雨粒がぽつぽつと窓に当たり、つ─と流れる。


嫌でも音が耳に入る。


ドアの向こうから雑な足音が滲み始め─

次の瞬間、勢いよく開かれた。



〈本編〉─


「アア!!!」

入ってくるなり、西野の声が空を割った。


東雲はゆっくり顔をあげる。

奥の席から正面の西野を一瞥いちべつし、またすぐ視線を手元に戻した。

「おかえりなさい、西野さん。…意外と早く済んだんですね」

プリントをめくりながら、東雲は淡々と言った。


「ただいま。だ、東雲。まぁ書類を先生に渡しただけだからな、すぐ終わった。…それにしても湿気がひどい、嫌になる」

西野は「ギッ」と鳴らして椅子を引き、東雲の左前に座った。


「だからと言って奇声を上げながらドアを開けないでください。迷惑なので。─あとそれ、校内アンケートの結果です。集計お願いします」

東雲は淡々と告げ、西野の机上にある書類の山を指し示した。

西野はそれを見て、肩を落としながら息を吐いた。わかりにくいが「了承の意」である。ペンを取り、書類に手を伸ばした。

生徒会室に、二人の書記がそろう。


生徒会の仕事は大体が雑用である。書類とのにらめっこや、議案書の作成、その他は資料のホチキス止めだとか。

講演や外部との交流などで何かと忙しい会長と副会長に代わり、書記のこの2人に雑用が回ることが多い。東雲は理知的に物事をこなせるし、マルチタスクも可能だ。西野もなんだかんだ手際は悪くない。

雨はまだ、鬱陶うっとうしく窓を打ち続けている。天気が悪い。ガラスについた模様が不規則に揺らぐ。

生徒会室では黙々と作業を続ける音が、梅雨の湿り気とともにこもっていく。


西野が大きめのため息をついた。


東雲は眼鏡の奥から、目線だけを西野に向けた。

「…今のそれ、"無意識に出たもの"ではなく、"意図を持った発信"ですよね。やめてもらえますか、そういうの」

そう言って再び手元に集中する。

西野はペンを持ったまま伸びをし、そのまま椅子の背にもたれかかった。長い髪がわずかに膨らむ。

「よぉーわかってるな、東雲。今のは、"この書類の山に辟易へきえきしている。手伝ってくれ"という意図の発信だ」

東雲はそれを聞いて肩を落とす。手元の動作は止めずに、声だけ西野に向けた。

「“察して動け”というのは最も非効率な指示です。協力を求めるなら、明確に、論理的に要請してください。…とはいえ今は僕も作業中ですので、要請されても差し戻しますが」


西野は姿勢をよりだらしなくし、もう一度ため息を出した。しぶしぶ、目の前の書類に向かう。

「この雨音…うっとおしいなぁ…」

ブツブツと文句を言いつつ、だらだらと紙をめくる。

東雲は紙の束をトンと揃えた。

「口よりも先に手を動かしてください」

しかし、横目で窓を見ながら雨音に耳を傾けつつ、

「…まぁ、気持ちはわかりますよ。こう、かされている感じがするのが」

東雲も、この音は苦手な類であった。


「気になるなら音楽でも聞けばいいんじゃないですか」

ぽつぽつ、ぽつと小気味よく、窓が鳴っている。


「音楽、ねぇ…」

西野はペンで紙をコツコツと叩いた。


「牧歌でも流すか」

「誰がそんな情緒を求めていると」


東雲は手を止め、明らかに眉をひそめた。しかし、西野のスマホからゆったりとした音楽が流れると─

「……」

牧歌的なメロディが空気を包んだ。

「……無音よりは…マシかもしれません。…曲の選定は悪くないですよ」

東雲はぎこちなくも、音に耳を預けた。


西野は音楽を鳴らしたまま、スマホを机の隅にコト、と置いた。

生徒会室に再びペンの音が戻っていく。

窓から見える空は相変わらず灰色だが、雨音がかすかに和らいだ。


落ち着いたハーモニー。のびやかな低音。

どこまでも続く高原、穏やかな光に照らされる草木。

起伏のゆるやかな旋律せんりつが、雄大な大地を物語る。空気は澄み、きらりと川の水が流れるようだ。─羊が、鳴いた。


東雲は一瞬、まばたきをした。気のせいか─と再びペンを走らせるが


メェッ


今度は近くで鳴いた。羊だ。

「──西野さん」

メェェェェッッ

コケッコッコッコッ

ンモォォォォォ

コケコッッ

ンメェェェ、ンメ゛ッ

西野の机に置かれたスマホから次々と動物たちが鳴き出し、東雲の声はかき消された。

モォォォォォォォォォ

東雲はゆっくり眼鏡を押し上げ、低く声を落とす。

「なんですか──これは」


西野は顔を上げ、真顔で言った。

「"牧歌を流す"と言っただろ」

東雲は机に伏しそうになったのを途中でこらえ、こめかみを押さえる。その間にも、牛が声を伸ばしている。

「やめてください…牧歌とは、もっと静かで、のどかで、……動物が主役じゃない」

優雅な音に混じって、揚々と家畜の声が重なる。

「馬もいる……西野さん。これは"牧歌"じゃなく、"牧場"です」

賑やかに、自由に、各々が主張していた。


一瞬、鳴き声がひときわ高くなり─東雲の肩がわずかに跳ねた。

「……馬が、叫んだ?何に追われてるんです、こいつら」

西野はあっさりと答える。

「チュパカブラだろう」

「なぜ家畜の血を吸う未確認生物《U M A》が出てくるんですか。君の中の“牧歌”という言葉の定義を、今すぐ国語辞典と突き合わせたい。──ッまた叫んだ」


場の空気が、ぐっと不穏なものになったのを東雲は感じた。

羊、牛、鳥、馬たちの鳴き声が次々と連鎖していく。

牛がうなる。馬が雄叫びを上げ、鳥が羽をばたつかせる。

「…もう止めてください。もはや牧場ホラーです、牧歌を返してください」

東雲は止めるように指で示しながら言った。


「しょうがないな──」西野がスマホに手をかける。しかし、

「……あれ、画面が固まってる。止まらない」

タン、タンと指でスマホの画面を叩いたが、反応しない。西野は諦めてスマホを置き直した。

「嘘でしょう。どうにかして止めてください。集中の妨げにも程があります…ほら、また鳥がやられました」

「まぁ、そのうち終わるんだから。待っとけ東雲」

西野はそう言って肩をすくめたあと、再びペンを持ち机に向かった。

東雲はペンを握る手に力が入った。

「なぜ君がそう平然としていられるのか、理解しかねます。あと、これの終わりって──」  

その瞬間、きん──と耳にくるような羊の叫びが室内に響き渡った。東雲は思わず耳に手を当てた。

低いストリングスが長く鳴り、重なる。

そこにあるのは、豊かな自然を揺るがす、恐怖──。

つんざくような声が机を振動させる。東雲は頭痛を覚えた。眼鏡を外し、こめかみを押さえながら「止めてくれ…」と小声で呟いた。

鳴り止まない、叫喚。

農夫の叫び声も聞こえた気がした。

だが、それもようやく終焉しゅうえんを迎える。


走らせていたペンを止め、西野がわずかに首をかしげた。

「なんか、数が減ってきてないか」

「家畜の数、ですか。やめてください、生々しい」

東雲は即座に制す。

だが確かに、動物の鳴き声が段々数を減らしているように聞こえる。羊が三匹、二匹、最後の一匹になり…小さく一鳴きしたあと───途絶えた。

…メェッ


───静寂。


空気がしん、と静まる。扇風機の羽が、ゆっくり風を送る。

楽器の音も、動物の声も聞こえない。


「あぁほら、終わった」

西野はペンでスマホをトン、と軽くついた。


東雲は眉間に指を当てている。息を吸い、吐いて、止めた。

西野はプリントをめくり、再びペンを走らせている。


「……こんな不穏な静寂、いらない」


東雲の声がぽつりと落ちた。


雨はもう、んでいた。






〈余談〉─


「蒸し暑さで眠れないな。羊でも数えるか。羊が100匹、羊が99匹、羊が98匹──」


「減らして数えることあるんですか。──いや、待って。まさか、また…」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ