第7話 悪夢
1
「…なんだよこれ、なんなんだよ!」
「おい、みんな!」
「起きろよ。目を、目を開けてくれっ!」
「うわっ、こっちに来るな!」
「痛い…」
「苦しい…」
「熱い、熱いよ…」
「誰か、助け…て…」
2
「ーーうわっ!」
鳥のさえずりが聞こえる。窓から差し込む木漏れ日が部屋を優しく照らす早朝。冷たい風がアルヴァスの汗に濡れた肌を撫でていく。枕元のネビュラネットを確認すると、時刻は五時半を指していた。
普段なら決してこんな早朝に目覚めることのないアルヴァス。しかし今、彼は悪夢の恐怖に促されて高鳴る心臓と、窓から吹き込む冷たい風との狭間で、暑くも寒くもない奇妙な感覚に包まれていた。
それは薄暗い空間で無力な者たちが逃げ惑う悪夢だった。ある者は赤い炎に全身を焼かれ「熱い、熱い…」と苦しみながら力尽き、またある者は得体の知れない影のような何かに飲み込まれ、生温かい血を撒き散らしていく。虚空から湧き上がる炎、襲い掛かる正体不明の物体。そこにいた大勢が断末魔の叫びとともに次々と命を落としていく様は、まさに地獄絵図そのものだった。
アルヴァスは深く息を吐き出すと、汗でべたついたシャツを脱ぎ捨て、トランクケースから取り出した清潔なシャツに着替えた。
「なんだったんだよ、あの夢は」
昨日、フェリシアに村を案内してもらっていた途中で目にした、あの遺体が未だに忘れられないということなのだろうか。昨夜の宴では、辛気臭いことを極力忘れるようにして、フェリシアに痛みを言われながらも楽しく食事をしていた。そうやってつらい現実を受け入れつつも、後ろ向きな気持ちを表に出さないようにしていた。
それにもかかわらず、あんなおぞましい夢を見ることになるとは。
単純に自分の中で気持ちが整理し切れていないとか、そういう範疇では収まらないもののように思えた。近い将来自分の身に何か、衝撃的な何かが起こるような。そんな気がしてならなかった。
アルトスの者が活動がまだ本格的に始まらない静寂な時間。アルヴァスはしばらく布団の上に座り込んで、考え込んだ。
3
目を覚まして二時間が経過した頃。いつものようにアルトスの者たちが活動をし始めていた。窓越しからその様子が窺える。
そして、
「アルヴァスさん、おはようございます」
自分を呼ぶ声とノック音が同時に聞こえる。扉を開けると、短い金髪の少女イリスが立っていた。
「…ああ、おはよう。今日はイリスだったか」
ニッコリと頭を下げるイリスだが、アルヴァスの顔を見て、
「アルヴァスさん、大丈夫ですか。顔色が悪いですよ?」
イリスは、アルヴァスが深く考え込んでいるのを察したようだった。
「いや、大丈夫だ」
なんとか軽く笑ってみせる。
今日もフェリシアがやってくるものかと思っていたアルヴァスだったが、目の前の優しい少女の存在を認識するのと同時にひと安心するのだった。
「今日はフェリシアはいないのか?」
「フェリシアですか?本日、フェリシアはツバキと一緒に、早朝から北の方に遠征しています。長老からの罰で」
「遠征?ーーっていうか、長老からの罰ってまだ続いてんの!」
一昨日の晩、フレスヴェルク長老が二人に科した罰は継続中とのこと。
「ええ。北方にも我々の同胞が暮らす集落があるんです。その道中の警備から、不審人物と遭遇した際の武力による取り締まり、その者のアジトの探索から偵察…。そしてグランフェローズ十頭の討伐。大方、二人がやることはこんなところですね」
「最後、さらっととんでもないミッションを言わなかったか?グランフェローズってたしか、この森で最も恐ろしい猛獣だっていう」
あの二人が長老の威厳に怯えるのも納得がいく。
今日はイリスが案内してくれることになった。フェリシアやツバキよりも、彼女から村について教えてもらえるのは非常に嬉しいことだが、
「悪いけど…今日はもうコルトに帰ろうと思う」
せっかくの彼女の厚意に甘えたい気持ちはあるものの、今朝見た悪夢が頭から離れず、不安が募る。一刻も早くコルトへ、カリストの街へ戻らなければならない。そんな切迫感を感じていた。
「そう…ですか」
イリスは少ししょんぼりとした顔を見せる。
「では、森の出口まで案内しますね」
「ああ頼む」
荷物をトランクにまとめて帰る準備をする。そして、二泊させてもらっていた部屋をあとにし、矢筒を背負うイリスのあとについていく。
それにしても、この胸騒ぎはなんだ。自分の周りあるいはカリストで、何か良からぬことが起ころうとしているのか。しかし、カリストでは、ラーゼン・シュタールによる襲撃があっても、リーダーシップに優れるクラウスを始め、積極的に戦える住民もいる。アルヴァスが不在でも街のみんなが返り討ちにしてくれるに違いない。何も心配することはないはずなのだが。
「本当に大丈夫ですか、アルヴァスさん?ずっと黙りこんでおられますが」
イリスはこちらを振り向き、アルヴァスの顔をうかがう。
「…ああ」
いくら平常心を装おうとしても、不安が表情に出てしまい、イリスにまで心配をかけてしまう。本当に自分が情けない。
4
アルヴァスとイリスは、アルトスの村を後にして森の中を進んだ。朝の光が木々の間から差し込み、道を照らしている。
「この森は複雑に入り組んでいて、村を知らない者が一人で進むと確実に迷ってしまうんです。昔、他の部族から村への訪問を試みた者たちも、途中で方向を見失い、数日間森をさまよったという話もありますよ」
イリスは前を歩きながら、小さな声で説明する。アルヴァスは黙って彼女の後ろをついていく。今朝見た悪夢のことと、カリストで何が起きているのかという不安が頭から離れない。
「ここを左に曲がって、あの大きな木の根っこを越えたら……」
イリスは慣れた様子で森の中を進んでいく。時折立ち止まっては目印となる木々の特徴や、地面に刻まれた小さな印を確認している。アルヴァスには同じように見える木々の間を、彼女は迷いなく進んでいた。
「アルトスの者は幼い頃から、この森の歩き方を教わるんです。どの木がどこにあって、どの道が安全で、どこに危険な獣が潜んでいるか……すべて体に染み込ませるように」
話しながら、イリスは振り返ることなく足を進める。アルヴァスの不安な気持ちを察してか、あえて会話を続けようとしているようだった。
「森の外に出ましたよ。遠くに宇宙港が見えるでしょ?」
やがて木々の間から光が強く差し込み始め、森の出口が見えてきた。イリスはそこで立ち止まり、アルヴァスの方を振り向く。
「ここでお別れですね」
「ああ、案内してくれてありがとうな。あの二人にもよろしくと伝えてくれ」
苦し紛れの笑顔を繕ってそう話すと突如、腕に装着していたネビュラネットが突然鳴り出した。母からの通信だ。
「なんだ、母さんから?」
アルヴァスはネビュラネットから現れた立体ユーザーインターフェースを押下し、通話を試みる。
「アルヴァス、大変なの!巨大な飛翔体がカリストに」ザ…ザザ…
母、エスティアの姿が立体映像として出現する。
「飛翔体って、ラーゼン・シュタールなのか?」
横ではイリスが不思議そうに、アルヴァスとエスティアのやり取りを聞いている。
通信先のエスティアは「巨大な飛翔体」と口にした。今までアルヴァスたちが相手にしてきたラーゼン・シュタールで、そんなタイプの敵はいない。
その言葉に悪寒が走った。母からの危機的な叫びを耳にするのは初めてのことだ。とてつもない何がが故郷で勃発している。今朝の悪夢はこれを暗示していたというのか?
これまでもアルヴァスたちは、ラーゼン・シュタールを何度も撃退してきた。ちょっとやそっとで動揺する我々ではない。カリストに残る者たちの実力でも特に問題はないはずだが。
「今までのとは規模が違う!完全に別物よ!」ザザ…ザ…
ネビュラネットの向こう側から、母の悲痛な声が響く。
これまでと違う巨大なラーゼン・シュタールが出現したというのか?それに先ほどから、ノイズが酷い。出力される立体映像も乱れている。
「顔見知りの人たちも何人かが…犠牲になった」ザザザ…ザザ…
母は緊迫した表情で、カリストで死者が出たという事実を告げてきた。
「嘘だろ…」
突然の知らせに、頭が真っ白になる。
「何かあったんですか?」
横にいたイリスが心配そうな顔で尋ねてくる。
アルヴァスは驚愕のあまり目を見開いたまま、イリスの方を振り向く。
「…悪い、ここでお別れだ」
イリスに向かって落ち着いた声で言ったつもりだが、内心は激しく動揺していた。
「フェリシアとツバキによろしく伝えておいてくれ!」
「えっ、ちょっと待って!」
アルヴァスは金髪の小柄な女の子ひとりを残し、宇宙港目掛けて駆け出した。
――馬鹿だ。
緊急事態で取り乱しているとはいえ、もう少しまともな挨拶で去れないのか。そう自己嫌悪に陥りながらも、故郷のカリストに戻るべく全力疾走した。




