第3話 夜風と邂逅
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星環歴772年 5月15日
惑星ウィンストン
ヴェルテイル公国の首都プロスティアから約六千光年離れた惑星ウィンストンへと、一隻の宇宙船が降り立った。
夕陽に染まるウィンストンの空。広大な森林と蛇行する河川、そびえ立つ山々。都会の喧騒から遠く離れた原生の地は、窓越しに眺める青年の心に眠っていた冒険心を呼び覚ます。
「待ってたぜ、ウィンストン!」
数年ぶりの宇宙旅行。アルヴァスは胸の高鳴りを抑えきれず、思わず声を上げた。
船はウィンストン西南部、この惑星唯一の宇宙港へと静かに着陸。乗客たちは次々と降り立っていく。
やがて入国ゲートが見えてきた。旅行客たちは整然と列を作り、順番を待つ。
「あれ?」
アルヴァスは違和感を覚えた。通常ならすぐに通過できるはずのゲートで、列が一向に進まない。
――軍人だった。
緑と水色を基調とした軍服。胸部には、矛とそれに巻き付いた蛇が描かれた紋章を掲げている。
惑星ソルに拠点を置く大国、セルペンティア王国の軍である。
「名前と住所を言え」
入国審査の順番が回ってきた。セルペンティア軍人は冷たい目でアルヴァスを見下ろす。
「旅行者に個人情報を?理由は?」
「素性不明の者は通せん。無分別に入国を許せば、反乱の恐れもある」
「反乱?私は普通の市民ですが」
「黙れ。一般人を装った隣国の高官がクーデターを起こし、我々の基地を奪った前例もあるのだ」
アルヴァスは「重臣になれる歳に見えるのか」と突っ込みたい気持ちを抑え、渋々と質問に答えることにした。
「…アルヴァス・ストラットです。住所はヴェルテイル公国、カリスト市西部、Fの十二地区、六十三番地」
「ここにきた目的はなんだ」
「観光です」
「こんな遅い時間にか?」
「到着時刻をちゃんと把握していなかったもので」
「では、その腰に付けている物はなんだ」
セルペンティアの軍人は、アルヴァスが腰に装備している武器、バイルトに視線を向ける。
「護身用にですよ。俺の住んでる星と違って、こっちの星じゃラーゼン・シュタールはいないでしょうけど、万が一猛獣とかに出くわすかもしれませんからね」
軍人は今一度、無言のままアルヴァスの身なりを見た後、
「ふん、まあ良いだろう」
ぶっきらぼうながらも、彼はアルヴァスの武器の持ち込みを許可したのだった。
軍人はそれを聞き、片手に持ったタブレット端末を馴れた手つきで操作し出す。アルヴァスの個人情報を入力し、ネットワークを通して素性を明らかにしている様子だった。
セルペンティアが数十年前からこの星を植民支配していることは、アルヴァスもよく知っていた。
しかし、過去に訪れた際には、今回のような検閲は一切無かった。ここ最近になって、入国審査が厳重に強化されたのだろうか。
「ほう。料理店<サークルオブストラット>を経営する、ストラット家の一人息子か。店番サボって親不孝な倅だな」
入国審査を執り行う者の台詞とは思えない。何故、そのような侮蔑的な文句を言われなければならないのか。アルヴァスは、イラっとしながらも聞き流すことに専念する。
ウィンストンでの滞在期間、過去の来訪歴、そのときの要件といった質問を受け、面倒ながらも答えることとなった。
しつこい詰問にもなんとか全て応じ、アルヴァスはやっとのことでゲートを抜けることが出来た。
堅苦しいセルペンティア軍とのやりとりを無事に済ませ、アルヴァスは宇宙港を後にした。このセルペンティア王国領、惑星ウィンストンに到着して早々、余計な気疲れを負ってしまった。アルヴァスは、人工物の一切見えない自然の風景に目を向け、しばらく己の憤りを清めることにした。
軍というものは、どうにも好きになれない。本来、平和と安全を守るはずの存在が、いつの間にか国の在り方そのものを歪めているように思えてならない。
五、六年前、カリスト市でラーゼン・シュタールと交戦していた公国軍の力は不十分だった。当時十二歳だったアルヴァスは、店の窓から鉄の化け物に街が荒らされる様子を目の当たりにした。多くの犠牲者が出たあの日々から、「守られるべき者は守られない」という思いが彼の心に刻まれていった。
「公国にも事情があるんだろうけど、市民を第一に考えられない国はクソくらえだな」
宇宙港で横柄な態度で接してきたセルペンティアの軍人に対しても、かつて自分たちカリスト市民の人命を軽視したヴェルテイル公国軍に対しても、不信感と嫌悪感は湧くばかり。
地平線の彼方に沈みかける夕日は、彼のやり切れない思いを叙情的に見せているかのようだった。
「あぁ、もういいや。辛気臭いことを考えんのはヤメだヤメだ!」
アルヴァスは頭を掻きむしりながら、一人呟いた。
国や軍に対する不満は積もる一方だが、いちいち気にしたところで何にもならない。これ以上考えるのをやめることにした。
「さてと」
空はすっかり暗くなっていた。ゆっくりと観光するのは明日からにして、今夜は野宿を決めた。
ウィンストンには小さな集落はあるものの、住民のほとんどは自然の中で暮らしている。この星の魅力は、高度に文明化された宇宙の中にあって、手つかずの自然が残されていることだ。高層ビルの林立する都会とは正反対の、大地の息吹を全身で感じられる場所。社交的なアルヴァスといえども、初対面の集落に飛び込んで宿を求めるほど厚かましくはない。
アルヴァスは持参したトランクケースからキャンプセット一式を取り出した。慣れた手つきでテントや椅子を組み立て、頭上にはランタンも灯して視界を確保した。椅子に深く座り込み、持参した携帯食料を頬張り、コーラを飲んだ。そして、ウィンストンの星空を眺める。
「ああ、星がきれいだ」
しみじみとそう呟いたアルヴァスの瞳に、無数の星々が宝石を散りばめたように輝きを放つ。漆黒の天空に浮かぶその光の群れは、まるで永遠の時を映し出す鏡のようだった。星々の静かな瞬きに見守られ、夜の闇も優しい絹のヴェールへと変わり、アルヴァスの心は深い安らぎに包まれていく。その意識は星屑の海へと溶けゆき、夢の縁へと近づいていた。かすかに聞こえる足音は、現実と夢の境界線で揺らめいていた。ザッ、ザッ。小動物の気配か、それとも夢の入り口で紡がれる幻か。判断する気力も失せるほど、深い眠りが全身を包み込んでいくが、
――――ドス!
「ぐはぁ!?」
眠りの深淵から、激痛が意識を容赦なく引き剥がした。
丘の斜面を転がり落ちる体。なだらかな斜面からすれば、これは自然な転落ではない。何者かに投げ捨てられたことを悟ったアルヴァスが体を起こそうとした矢先、
「うぐっ!」
アルヴァスはうつ伏せのまま、何者かに背中を踏みつけられた。その重圧はあまりに強く、押し返して反撃できる状況ではない。
「あんた、何者?あたしたちの縄張りにノコノコ現れるなんてね」
アルヴァスを襲った主は、強気な声色で問う。少女の声だった。
「お前か!俺を叩き起こしたのは。いきなり何すんだ!」
少女からの質問よりも先に、一方的に自分を襲ったことへの回答を求めるアルヴァス。しかし、
「うっ…」
謎の少女は、より強い力でアルヴァスを踏みつける。
生暖かい土壌が、顔や服に付着する。何故、快眠していたところを捉えられているのか。思考の整理が追い付かない。
アルヴァスは首をくねらし、自分を押さえ込む相手の顔を見ようと試みる。彼女は赤髪をツインテールに結っており、碧眼をしていた。その横にはもう一人、長く黒い髪をした長身の女性が、こちらを冷徹そうに見下ろす。
ロバートの言っていた通りだった。本当に野蛮な部族がいたとは。
「なんだか分からないけど、俺はただの観光客だ。離してくれ!」
「観光だと。ならば、その剣はなんだ?」
黒髪の女が、アルヴァスの所持していた武器、バイルトを手にして彼に問う。
「この星には猛獣もいるって聞いてるからな。護身用として持っている」
戦闘せざるを得ない状況のことを想定して、普段から使い慣れているバイルトを持ってきたが、取り押さえられているこの体勢では、握ることすら出来ない。二人の少女は、そんな惨めなアルヴァスに追い打ちをかけるように、
「猛獣どころか、こんな美女二人にすら勝てないじゃない!まっ、あたしたちは猛獣なんかよりも強いけどね」
「全く。笑止千万もいいところだ」
泣きっ面に蜂。力の差を見せつけられ、言いたい放題の煽り文句を浴びせられる。
腹ただしい限りだが、猛獣より強いというのは誇張ではないのかもしれない。奇襲とはいえ、普段からラーゼン・シュタールとの交戦に慣れているアルヴァスが、手も足も出せない程なのだから。
「いい加減にしろ!遠い星から遥々やってきた旅人が、なんでこんな仕打ちを受けなきゃならねぇんだよ」
自分を解放するよう抗議するアルヴァス。
「どうする?ツバキ」
「武器を所持しているが、こいつに戦意がないのは分かった。仲間もいそうにないからな」
「そうね。じゃあ放してあげるわ」
こちらの必死の希求を受け入れてくれたのか、赤髪の女はアルヴァスを押さえていた手足をゆっくりと除け、
「悪かったわね。どうやら敵だと勘違いしちゃったみたい。あんた、名前は?」
「…アルヴァスだ。アルヴァス・ストラット」
「あたしはフェリシア。こっちはツバキ」
簡単な自己紹介を終えて、
「アルヴァス、背中痛かったでしょう?ほら」
フェリシアはアルヴァスに手を差し伸べる。立て、ということか。彼女は笑みを浮かべていた。先ほどまでの殺意はすでに消え去っていた。二人は自分のことを敵だと勘違いしていたようだが、その誤解も解けたのだと安堵したアルヴァスは、差し伸べられた手を掴もうとする――が、アルヴァスの手は空を切り、逆に自分の手首が掴まれた。同時に、身体は強引に上方へと引き上げられ、
――ドスッ!
「―っ!」
鳩尾に衝撃が走った。フェリシアは容赦なく、アルヴァスに渾身の拳をぶつけたのだ。熟睡前に食べた携帯食料が胃から逆流しそうになる。
「お、お前… 」
「押さえ込むのって結構疲れるのよね。悪いけどもう一回、オネンネしてもらうわ」
「相変わらずのフェイントだな」
一部始終を隣で見ていた黒髪の女は、溜息まじりに呟く。
彼女らの話し声や虫の音色、夜風の音すらも徐々に聞こえなくなってきた。視界までもが朦朧とし始め、意識は遠のいていく。
「とりあえずコイツ、村に連れてくわよ」
意識を失う刹那、彼女のそんな言葉が聞こえた。
このまま自分は誘拐され、いけにえにでもされてしまうのだろうか。
未開の者からの予期せぬ奇襲を受けながら、アルヴァスはそんな不安に駆られ、
――やがて意識は途絶えた。




