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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

響と未確認生物

作者: 折田高人

「いや~。随分と溜まったな~」

 長い鼻で頬を掻きつつ、メイサは嘆息する。

 小柄な人間でも抱えられそうなくらいの小さな体。

 聖天を戯画化したような二足歩行の象のような生き物。それがメイサであった。

 そんなメイサの両手でジタバタと暴れるのは彼女よりも更に小さなヒト型。ロープでぐるぐる巻きにされながらも、メイサの腕から抜け出ようと必死になっている。

 メイサが訪れたのは通称、人形部屋。彼女が住まう御桜館の一室である。

 当初はただ西洋人形のコレクションが数点飾られていただけだったのだが、今のこの部屋には溢れんばかりの西洋人形の姿。明確な意思を持ったそれらが、メイサの腕の中でも藻掻く新入りを見つめていた。

 これら呪いの人形の一団は、御桜館にもたらされた奇妙なゲームの副産物である。

 明らかに呪われていると思われるそのゲームの名は『GO! GO! MARY!』。凶器を持った西洋人形を操作してゴールに向かうシンプルなアクションゲームだが、どうにも現実と連動しているらしく、ゲームクリアと同時に背後に現れた人形に襲われると言う厄介な性質を持っている。

 しかし、そこは怪異慣れしている御桜館の面々である。一度性質が分かってしまえば背後に迫る呪いの人形への対処は容易かった。

 とは言え、呪いのゲームと分かっているのに何で何度もプレイしているのかとの疑問も残るだろう。

 呪いのなせる業なのかもしれないが、このゲームはどうにも中毒性が高いようだった。

 結果、人形に対処しつつ何度もプレイ。現在はRTA動画を配信する程に住人のめり込んでいる始末であった。

「いい加減、あのゲーム取り上げるべきじゃないか?」

 呆れた様子で部屋の捕囚共を見つめるメイサであったが、隣にいる金髪碧眼の垢抜けない少女、来栖遼は困ったような笑みを浮かべる。

 知らず知らずのうちにとは言え、呪いのゲームを持ち込んでしまった張本人である。

「でも、私達だけならまだしも、燈子さんも嵌ってるから……」

 楢燈子。このアルビノのメイド少女のささやかな楽しみを奪う事は出来る限りしたくないのが遼の本音であった。

 何しろ、怪異の溜まり場として無法地帯と化していた御桜館が曲がりなりにも秩序を取り戻し、人が住めるようになったのは彼女の功績によるものが大きい。

 しかも彼女は契約上の仕事である怪異の対処だけではなく、御桜館の家事も率先して執り行っていた。

 日々怪異への対処に追われながら、掃除や洗濯、自分達寮生への弁当の準備……涼しい顔でこなしているとはいえ、仕事外での激務で自分達を支える燈子の楽しみがゲームであった。

 短い時間でプレイでき中毒性もある『GO! GO! MARY!』に燈子は相当入れ込んでいる。呪いの人形がもはや脅威になっていない御桜館において、この呪いのゲームは最早脅威足りえない。自分達の為に日々奮闘しているメイドを労うのならば、多少の問題は受け入れるべきだと遼は考えていた。

 とはいえ。

「流石にこれはなあ……」

 メイサの目の前には足の踏み場もない程に敷き詰められた人形達。棚は占領され、床を埋め尽くす捕囚の群れ。初めはロープを解いて配置していたものの、現在はそのまま天井からぶら下げる為に人形はグルグル巻きのまま……。

 正直、置き場がないのである。

「ホント、どうしたものかな~。物が物だけに適当に処分する訳にもいかないだろうし」

 手にした人形を天井から吊り下げつつ、メイサは溜息をついた。

「空き部屋、もう一つくらい用意してもらった方がいいかな?」

「その場しのぎにしかならないと思う。遼があのゲームを仕入れて半年も経たずにこれだし。いくらウチに空き部屋が多いって言っても簡単に埋まるんじゃない?」

「だよね……」

 天井から吊り下げられた人形と目が合う。無機質な瞳からはしかし、狭いから如何にかしろと急かすような意志を感じた。

 呪いの人形。破壊して廃棄しようにも抵抗され、かと言って投棄しようものなら堅洲に更なる怪異が蔓延る事になる。

 どうしたものか。頭を悩ませるメイサと遼、そして捕囚達であった。


 晴れ渡る青空の下、朗々と読み上げられる祝詞。

 光をキラキラと反射する川に、小さな葦船が流れ行く。

 葦船の上には西洋人形。無機質ながらも、どこか意志を感じさせる視線に、物珍しさで集まっていた観客達は背筋が凍る感覚を覚えていた。

 ここは天児川。滅三川から分かれたこの川では、代々人形流しの儀式を行っていた。

 人形や形代に穢れを移して流す祓いの儀式はしかし、堅洲においては普通の供養ではどうにもならない曰く付きの人形を処分する為の儀式として定着していた。

 怪異渦巻く堅洲において、曰く付きの人形などは珍しくもない……が、流石に今回ばかりは様子が違う。

 延々ループする祝詞に合わせて流れ作業で川に投入されて行く葦船の数々。

 いくら何でも多すぎやしないか? そんな疑問を抱いた通行人は少なくないようで、多くの野次馬が西洋人形の大軍勢を呆気に取られた様子で眺めていた。

「……声が掠れてきたな」

 祝詞を繰り返す機械に成り果てている巫女の事を憐れみつつ、宮辺響は最早数えるのも馬鹿らしくなったと言わんばかりに葦船に人形を載せて川にリリースしていた。

「今度からは定期的に放流すべきですわね」

 滋野妃もまた、巫女の心配をしている様子だった。

 輝く金糸の如き髪に、空に広がる青にすら負けない程の鮮やかな蒼い瞳。女神のような美貌の持ち主でありながら、その実不思議と冒険が大好きで仕方ない残念なお嬢様が妃である。

 最初は物珍しい今回の儀式に目を輝かせていたのだが、延々と繰り返される流れ作業の中で徐々に力を無くしていくBGMを聞いている内、今では好奇心よりも巫女への同情心が勝っているようだ。

 そんな巫女の惨状とはどこ吹く風で、楽しそうに葦船を流す少女が一人。

 そのはしゃぎ様は流れ作業すら楽しんでいる事がうかがえる

 加藤環。容姿も言動も小学生低学年にしか見えないが、響達と同じ高校一年生だ。

 生まれついての堅洲民である彼女は、育ての親の仕事柄かやけに奇妙な人脈を持っており、今回の人形流しに関しても彼女が提案したものである。

 巫女も、知り合いの少女の頼みを快く受け入れてくれたのだが……まさかこれ程の数の呪いの人形を供養するはめになるとは思ってもいなかった事だろう。

「第一九四号駆逐艦、はっしーん!」

 逐一数えていたのだろうか。それとも適当な事を言っているのか分からない環の側で、来栖遼が辛そうな顔で葦船の上の人形を見つめていた。

 一つは現在進行形で川に放流されているモノと同じ雰囲気を持つ西洋人形。もう一つは口が三日月状に裂け眼窩が空洞になった不気味な和人形である。

「うう……菖蒲ちゃん……牡丹ちゃん……」

 悲し気に語り掛ける遼に向かって、和人形の口から「ホホホ」と声が漏れる。その様子にざわつく野次馬達にも、今の遼は気付かない。

「ハル……そいつらで最後だ。気持ちは分かるがそろそろ別れを済ませろ」

「……うん。この子達が望んだことだもんね」

 菖蒲と名付けられた西洋人形。これは遼が呪いのゲームを始めてプレイした際に彼女を襲おうとした怪異であった。

 偶然が重なり身体がバラバラになった人形を、遼は徹夜して元に戻したのである。標的だった少女に救われたのが意外だったのか、以降この人形は遼に恩を返すべく彼女の趣味であるジャンク品の修理作業を手伝うようになったのであった。

 牡丹と名付けられた和人形についてはよく分からない。気がついたら御桜館に住み着いていたのだが、この人形も物を大切にする遼が気に入ったようで、彼女の部屋に入り浸っていた。

 決して長い期間を過ごしたわけではなかったが、この人形達と共に部屋でジャンク品を弄繰り回す時間を過ごす内、人形達はいつしか遼にとって大切な存在になっていたのだった。

 響達もそれは承知していた。今回流すのはあくまで人形部屋に屯している連中だけのつもりであった。遼の部屋で共に過ごしている菖蒲と牡丹を流すつもりなど毛頭なかったのだが。この人形流しの話を聞いていた牡丹と菖蒲が、自分達も流して欲しいと名乗りを上げたのである。

 理由は分からない。だが、大切な存在の意志は尊重したいと考えた遼は、泣く泣く彼女達を流す事を同意したのである。

 踏ん切りが漸くついたらしい遼が、二つの葦船を流す。見る見る内に小さくなっていく菖蒲と牡丹を、遼は涙目になりながら見つめ続けていた。


「お疲れさま、椛ちゃん! はい、のど飴!」

「ありがと、タマちゃん……今度頼む時は小分けにして持ってきてね……」

 ぜえぜえと息を吐くこくりこ神社の巫女、椛。

 お勤めからようやく解放され、一息つけるとばかりに河川敷に大の字になる。

 大規模な人形流しが終わった事を悟った野次馬達が、ぞろぞろと現場を後にし始めた。

 響は奇妙な事に気付く。野次馬達の進行方向が全て同じなのだ。よくよく思い返せば、彼らはカメラなどの装備に加えて奇怪な機材を持つ者もチラホラ。

 この川の先に何かあるのか、と思案していたその時だった。

「あ~っ!」

 晴天の中響く、甲高い声。その方向に視線を向けると、響の見知った顔があった。

「滋野妃! 宮辺響! ここであったが百年目なのだわ!」

 黒髪をツインテールにした小柄な少女。彼女の名は龍王院一華。名家のお嬢様である。

 中学生時代、妃の同級生であった彼女は何かにつけては妃に勝とうと因縁を付けていた。

 古くからの名門である龍王院家が、一代で財を成し財閥を築いた成り上がりの滋野家に劣るのは我慢が出来ないのだと言う。

 そんなこんなで妃に勝負を挑んでは敗北を続けている一華であるが、幼い敵意丸出しの彼女に対して等の妃は楽しい友人として認識している始末。

 どう足搔いても遊び相手どまり。好敵手には程遠いのが一華に対する評価であった。

「なんすかなんすか? さっきまでここで人がいっぱい集まってたっすけど、ヒナッシーが遡上してきたんっすか?」

 高級そうなカメラを手に、短髪の少女が問うてくる。その隣では根暗そうな少女が大きな背嚢を背負っていた。

「人形流しだよ、人形流し。ウチに呪いの人形が溜まっちまってな。祓ってもらいに来てたんだ」

「な~んだ。ヒナッシーじゃないんすね。残念っす」

 ケラケラ笑う獅堂二葉。背嚢を背負った少女、蔵馬三樹と共に一華の侍女を務める彼女に響は逆に問うた。

「なあ、何だそのヒナッシーって」

「そんな事も知らないのだわ? 流石廃れた元名家の娘は流行に乗るのが遅いのだわ~!」

 つまらない事でマウントを取る一華。得意げに逸らした胸には揺れるものが全くなく、彼女の幼児体系を際立たせる。そんな一華の姿を微笑まし気に見つめる妃の胸は……一目でこれが格差社会かという程の差があった。

「我が叡智の書庫をここに……」

 ヘレン・ファウストの新刊の話で環と盛り上がっていた三樹が、携帯の画面を見せてくる。

 そこには比較的新しい地方ニュースが載せられていた。


『雛住湖に未確認生物? 新UMAヒナッシー! 読者諸君、調査協力を集う!』


『先日、月之宮大学の主導で如月市・堅洲町にある雛住湖の生物調査が実地された。

 この生物調査は毎年行われており、今年もつつがなく終了するはずであった。

 ところが、湖中に設置されたカメラに奇妙な影が。無数の棘が生えた巨体が悠々と泳ぎ去る姿が確かに捉えられていた。

 雛住湖は奇妙な湖として知られている。

 堅洲町では人形流しにという祓いの儀式が今日も行われている。穢れに染まった人形の供養を水神様に嘆願する儀式とも言われるが、流されたはず人形は雛住湖の底には全く見当たらないのだ。

 もしやこの怪生物が関係しているのだろうか?

 此度の知らせを受けた央端書房代表の犬養堂央端丸氏はこの未確認生物にヒナッシーとの愛称をつけ、写真付きの目撃情報に報酬を支払う事を約束した』


「報酬? いくらだオイ!」

 三樹の携帯を引っ手繰って熱心に読み出す響。三樹は気にした様子もなく、バックパックを漁りだした。

 そしてこの手の話題に目が無い妃はというと。

「未確認生物! UMAですわ! UMAですわ! U! M! A! Unidentified Mysterious Animalですわ~!」

 好奇心が天元突破。青空を思わせる瞳の中で、夜でもないのに星々が瞬いているような輝きようである。

「おお、やっぱり滋野のお嬢も好きなんすね~」

「そうでなくちゃ面白くないのだわ! 妃、どっちが先にヒナッシーを見つけられるのか早速勝負なのだわ!」

「当然、受けて立ちますわ……と、少々お待ちくださいまし」

 身に着けたウェストバッグの中からカメラを取り出す妃。むう、と唸る。

「ありゃ? フィルム切れっすか?」

「はい……。人形流しを記録に残そうと張り切ったのが仇になりましたわ……」

「スマホ撮影でもOKってあるっすけど……」

「勿論、そちらでも撮りますわ。でも、こういったモノは電子媒体だけでなく写真でも残したいんですの!」

「まったく……しょうがないのだわ。蔵馬!」

「御意」

 三樹はバックパックからフィルムを取り出し妃に手渡す。

 それだけでなく、カメラを人数分、響達に貸し出した。

「お~! ありがと~みっちゃん!」

「……有難いっちゃ有難いが、レンタル代とか取らねーよな?」

「零落れてビンボーな宮辺家と一緒にしないで欲しいのだわ! それが無ければ勝負できないのだわ! それに私には賞金何てはした金より大切なものがあるのだわ!」

「そうかい。じゃあ遠慮なく使わせてもらおうかね」

「それじゃあ、決戦の場、雛住湖にレッツゴーっす!」

「ヒナッシーを見つけて龍王院家の偉大さを歴史に刻みつけてやるのだわ~!」


 雛住湖。天児川の終着点であるこの湖は本来閑散とした場所である。人々の居住区から離れている事から、散歩に赴く者も少ない。、精々、釣り人がチラホラ見られる程度の賑わいしかない侘しい雰囲気の湖だったのだが。

「うわ~! いっぱい人がいるね~!」

「こちらも負けてられませんわね、環さん!」

 見渡す限りの人、人、人。未確認生物を激写してやろうと、あらゆる場所から集まった人の群れ。

 湖畔に陣取ってカメラを回す者達はどこか渋い顔をしている。よく見ると、畔に申し訳程度に用意されていた釣り人用の小さなレンタルボート店から、ボートが一切合切消えていた。

 湖の上では、特等席だとばかりに回遊するボート達。無いよりマシといわんばかりに足をばたつかせるアヒルボートの姿すら見える。

 どうやら湖畔に取り残されたのは出遅れた連中らしい。ベストショットを撮るのが難しくなるとばかりにピリピリしている連中がいる中で、興味本位出来ていると思しき野次馬達が燥ぎながらカメラで記念撮影をしていた。

「……なあシオン、お前ってボートとか持ってるか?」

『持ってるわけないじゃん、そんな高いの。これに懲りたらビニールボートでも用意しておくんだね』

 影の中から聞こえてくる呆れを含んだ幼女の声。

 どうにかして湖の上に出て、撮影のチャンスを増やしたい響はうんうんと頭を悩ませている。

 そんな響を後目に、妃と環が和気藹々とした様子で湖に向おうとしたその矢先だった。

「あれ? どうしたの、ハルちゃん?」

 愛しい人形との別れを引き摺っているのか、これまでだんまりしていた遼だったが、急にカメラのシャッターを切った。

 一華から借り受けたポラロイドカメラから出てきた写真を、遼はマジマジと見ている。

 響達が覗き込むと、そこには湖に映る巨大な影。それがゆっくりと湖底に沈みこむ姿が映し出されていた。

「わ~! すごいすご……もがもが」

「お手柄ですわ遼さん! ヒナッ……むぐぐ」

 環と妃のあげる歓喜の声を手で遮って、響は周囲を見渡した。

「よし、気付かれてないな」

「もが……ぷはっ。どうしたの、ヒビキちゃん?」

「あのな、タマ。湖のあの惨状を見りゃ分かるだろうが。ボートを借りるのですら争奪戦だ。その写真が連中に気付かれてみろ。たちまちこいつの出現地点に殺到されて写真を撮るどころじゃなくなるだろ」

「むう……私達だけで情報を共有しようと?」

「不満か、妃?」

「ええ、まあ。未確認生物の目撃情報は多ければ多い方が信憑性が増しますわ。私としては情報を皆に公開したい所ですが……」

「だけどさ、ベストポジションでヒナッシー、見たくないか?」

「うう……確かに魅力的ですわね……」

「早いもん勝ちだよ、早いもん勝ち! さ、バレないうちに早速……」

「おっ? 何だお前ら。また変なバイトでもしてるのか?」

 集ってこそこそと話していた響達に掛けられた声に、響は慌てて振り返る。

「うげっ! 秀吉! 何でお前がここに居んだよ?」

 眼鏡をかけたボサボサ頭の青年、新田秀吉がそこに居た。響達のクラスの担任である彼は、湖のにぎわい様に些か困惑しているようだった。

「せんせーもヒナッシーを撮りに来たの?」

「あ、こらタマ! いちいち競争相手を増やすな!」

「ヒナッシー? 何だそりゃ?」

「……本当に知らないんだな、太閤様?」

 よくよく見れば、秀吉はカメラを持ち合わせていない。携帯電話は持っているのだろうが、報奨金目当ての連中が挙ってカメラを手にしているあたり、この担任がヒナッシー目当てで訪れたとは考えられなかった。

 妃が事情を掻い摘んで話すと、担任は興味が有るのか無いのか分からない、何とも微妙な顔をした。

「未確認生物ねえ……。正体がデカい河童だったら興味が出るんだが……」

「河童?」

「ああ。俺は河童を調べに来たんだ」

「ここ、カッパなんているの?」

 環が困惑した表情を浮かべている。堅洲生まれの生粋の地元民である環である。雛住湖に河童が出るという話があれば、耳にしていても不思議ではなかった。

「おい、タマが混乱してるぞ? 本当に河童なんて居るのかよ?」

「まあ、そう思うだろうな。加藤、お前が思い浮かべている河童は頭に皿を乗せた奴だろう?」

「うん。お皿と甲羅できゅうりとお相撲好きなんだよね?」

「それが一般的に思い浮かべるだろう河童なんだが……河童の正体には色々な説があるんだ。零落した水神、獺、子供の水死体、突飛なもんだと宇宙人って説もあるな」

「まあ、興味深いですわ!」

「そんで幾多の説の中に、人形説ってのがあるんだ。建設作業を手伝わせる為に命を吹き込まれた藁人形が、工事後に不要になって川に捨てられたんだが、そいつらが化けて出たのが河童だって話だな」

「藁人形……てか人形か。それが本当だとすると、確かに川に捨てられた人形も河童といえるな」

「人形流し、知ってるか?」

「さっきやってきた」

「おう、そうか……。まあ、呪いの人形の行きつく先がここな訳でな。最近になってここに釣りに来たっていう同僚が面白い事を言っていたんだ」

「なんですの? なんですの?」

「滋野……お前本当にこういう話好きだな……俺としちゃ嬉しいがな。まあ、話としては単純でな。人形を同僚の知人がここで人形を釣り上げたんだそうだ。それだけなら湖に捨てられた人形が引っかかったってだけで済むんだがな、釣り上げる際に抵抗したそうだ。その人形。まるで生きている魚みたいに暴れまわったって言ってたよ」

「……ふしぎなはなしですな~」

「白けるなよ宮辺。化け物屋敷に住んでいて感覚が麻痺しているお前らにゃ大した事ないんだろうが、一般人からすれば肝を潰されるような現象だろ?」

「……そうですよね。人形が暴れたら驚く……それが普通の反応ですよね」

 遼が遠い目をしている。友人たる人形との別れを思い出し……ついでに人形が暴れる話を当然のように受け入れていた自分の変化に今更ながらに気付いて落ち込んだようだ。

「てなわけでだ。雛住湖の河童……生人形について調べようと足を運んだんだが……人が多すぎるな。ヒナッシーだったか? ブームが落ち着くまで研究は先送りにした方がよさそうだ」

「ちょい待て」

 立ち去ろうとする担任を、響が引き留める。

 遼が撮影した写真をこっそり見せ、「どう思う?」と問うてみた。

 担任は少し思案すると口を開く。

「流石にこれは河童とは思えん。この影の大きさ、天児川の川幅より広いだろ。流れてきた人形というには無理がある」


 視線を感じる。誰かに見られている。それは罪を犯したが故に感じる錯覚なのだろうか。

 女は天を見上げた。木々の中に光る無機質な瞳。

 和人形、西洋人形、子供用の玩具人形に巨大なマネキン。無数の人形が木々の上に放置されている。まるで自分を監視しているようであった。

 何て悪趣味。一体どこの馬鹿がこんな飾り付けをしたのだろう。

 女は焦っていた。手にした大きな黒ビニールの袋。この中身をどうにかして湖に廃棄しなければならない。

 簡単な仕事の筈だった。少数の釣り人以外は滅多に人が来ない雛住湖。他人にバレずにこのゴミを投棄するのは、難しくないはずだったのだ。

 だというのに。何故、今日に限ってこんなに人が詰めかけているのだろうか。

 湖を囲む鬱蒼とした木々の中、女は忍耐強く好機を待つ。その時だった。

「そこの庶民! 失礼するのだわ!」

 何とも失礼な声が背後から掛けられる。

 跳ね上がる心臓の鼓動を何とか抑えながら振り返ると、そこには能天気そうな表情をした三人の少女の姿。龍王院一華一行であった。

「いや~、お姉さんも目敏いっすねえ! あんな一瞬の影を見落とさずに真っ先にここに駆け付けるなんて!」

「一番乗りを逃したのだわ! 悔しいのだわ!」

「でも、滋野のお嬢よりは早く来れたっす! これはこの勝負、勝ったも同然っすよ!」

 女は黙りこくったまま。少女達の言葉が全く理解できないでいた。

 来栖遼が湖面の影を激写したそのタイミング。一華達もその影をしっかりと目にしていたのだ。何という偶然か、女が潜んでいた場所はその巨影がよく見える正にベストポジションであったのだ。

 女の隣で三樹がせっせとカメラを設置し始める。駄目だ。これ以上ここには居られない。

 女がこの場を立ち去ろうとすると、後ろから手を掴まれた。

「ちょっと、どこに行くのだわ? 別にこの場所を独り占めするつもりはないのだわ?」

「そうっすよ! お姉さんが一番乗りしてたんっすから、遠慮なく撮影の準備をするっすよ!」

「ほらほら、その袋から撮影機材をとっとと出して……」

 厚かましくも、一華なりの善意の行動であった。女が制止する間もなく、一華はビニール袋の中を確認し、固まる。

 小さな手があった。小さな足があった。無機質な瞳を向ける頭があった。はて、この女はなぜこんな人形を?

 現実逃避する一華の考えはあっさりと吹き飛ぶ。肉々しい断面が、そのヒトガタがかつて生きていたモノだという事実を脳内に伝え……湖に絶叫が迸る。

 どこまで邪魔をすれば気が済むのだ?

 女は激情に駆られる。あの男との間に生まれた存在というだけでも腹立たしいのに、死して尚自分の人生に影を投げかけるとは。

 愛人を作り自分達を捨てて出ていった男を未だに父と慕う頭の悪さ。

 新たに恋仲になった男を「パパじゃない」と拒絶するこの餓鬼が存在する限り、自分は新しい人生を始める事は出来ない。

 これ以上この耳障りな声を聞きたくない。これ以上自分の幸せの邪魔をされたくない。だからこうして黙らせてやったというのに!

 目の前の少女達が青ざめた様子で袋を見ている。腰を抜かしてへたり込んだ一華はもちろん、二葉も三樹も余りの出来事に硬直していた。

 ヤるしかない。娘だったモノに釘付けになっている内に、急いで口封じしなければ。

 女は懐からナイフを取り出し、涙目で震える一華に向かってその刃を振り下ろす。

 甲高い金属音が響いた。女の手に衝撃が走り、ナイフが弾き飛ばされる。

 何事かと目をやれば、地面に落ちたナイフの近くに先の尖った奇妙な金属製の棒が転がっている。

 木々を掻き分け、何者かが近付いてくる音が聞こえた。

 女は舌打ち一つ、この場を逃げ出そうとする。

 次の瞬間、上からの衝撃を受けて女は卒倒した。

 女の上には、木々の上から飛び降りた人形達が、逃がすものかと言わんばかりに覆いかぶさっていた。


「なんだこれ……?」

 写真の地点に赴く最中、一華の悲鳴を聞いて駆け付けた響達の前に広がる光景。

「別に怖くなかったのだわ! ちょっと驚いただけなのだわ!」と涙目になりながらも強気に振る舞う一華と、ショックを受けながらも彼女を宥めようと必死な侍女二人。

 樹木に気絶した女性を縛り付け、周りをグルグル回っている人形達。

 その側では金髪碧眼の優男が黒いビニール袋の中身を確認していた。

「スミス様?」

「ジョンにーちゃんだ!」

 その声を耳にした優男は、響達の姿を認めて破顔する。

「やあやあ、お嬢さん方! こんな所で奇遇だねえ」

「全くだ。あんたもヒナッシーを探しに来たのか?」

「ヒナッシー? 良く分からないけど、今日やたら人が多いのはそのヒナッシーって奴のせいなのかい?」

 ビニール袋の口を固く縛る。

 ジョン・スミス。ここ堅洲にて「湖畔の夢の啓示団」なるカルト組織を開いているイギリス人である。

 新興のオカルト組織故に人材不足で困っているらしく、信者の会得の機会を少しでも増やそうと積極的に町民達と交流していた。

 その一環として、新人魔術師達の憩いの場でもある顎門会の会館において夢占いの講座を無料で開いており、度々会館に足を運んでいる響達とは顔馴染みであった。

「ジョンにーちゃん、その袋なーに?」

「うん。見ない方がいいな。バラバラにされた娘さんが入っているよ。どうにもそこのレディはこの遺体を捨てに来ていたらしいね」

「死体遺棄事件か。警察は?」

「もうすぐ天草君が来るはずさ」

「天草? 何でアイツ呼ぶんだよ。どう見てもオカルトがらみの事件じゃねーだろーが」

「うん、まあ。ちょっとお願いしたい事があってね。彼が居た方が融通が利くんだ」

 暇になったのか、楽しそうだったからなのか。人形達に混ざって木の周りをグルグル回りだした環を微笑まし気に眺めつつ、ジョンは大地に転がる金属の棒を拾い上げた。響はそれが、神の棘だという事をジョンから教わっていた。突き刺さると同時に棘の中から湖の神の体液が注入され、犠牲者は同胞という名の生ける死者へと変えられてしまうのだと。

 そのことに気付いて、響は顔を顰める。頭で繋がった考えを、出来れば外れていてくれと懇願しながらジョンに尋ねた。

「なあ、スミス。アンタの神様って棘がたくさん生えているんだよな?」

「うん。そうだよ」

「湖に住んでいる……つまり水棲なんだよな?」

「甘く見ちゃいけないなあ。陸だって行けるさ」

「……アンタの神様、イギリスに住んでいるんだよな?」

「そうなんだよ。だから、我が神から棘を分けていただくのに今まで不便していたんだけどね。実は最近、武藤のお姫様に頼んで神のお住まいになる湖とこの雛住湖を繋ぐ門を開通させたんだ。旅行費が浮くし、我が神に顔を合わせやすくなって本当に助かってるよ」

 響は頭を抱えた。「どうかしたのかい」等と能天気な顔でのたまうジョンに、携帯電話を取り出して呆れた様子で「ヒナッシー」の記事を突き付けた。

「……あちゃ~。僕、やっちゃったかな?」

「思いっきりやらかしてるだろ。アンタの神様、未確認生物扱いされてるぞ」

「まいったな~。ここの人形君達に門を開く許可が取れた事に浮かれて、人目まで気にしていなかったのがまずかったか」

 その言葉を聞いてケタケタと揺れるこの湖の住人たる人形達。そちらに苦笑いを向けるジョンを見て、響は大きなため息をついた。

 流石にこれはいけない。真っ当な人間が魔術の深淵に触れる事は害にしかならないだろう。

 とても報奨金が欲しいなどと言える状況ではなくなった。

 ヒナッシーとして集められた湖の神に繋がる情報を出来るだけ隠蔽し、市民を怪異から遠ざけるよう星の智慧派教会の牧師に通達しなければならない。

 気落ちした様子で教会へと電話を掛ける響を人形達が慰めるように囲んでいた。


 一華達の警察の事情聴取に付き合い、死体遺棄事件に一時騒然とした雛住湖を後にした響達。

 一連の騒動の後、落ち込む響と遼を元気付ける為、妃がマモン協会の「甘いもん」に寄って奢りの大判焼きを買い込んで帰宅する頃には、すっかり日が落ちていた。

「たっだいま~!」

 環の元気な声に反応して、客間からトテトテと走ってくる毛むくじゃらの獣と、ゼラチン質の身体に複数の眼を持った奇妙な生き物が響達を出迎える。

「茅さん、柏さん。ただいま帰りましたわ。お土産も買ってきてますわよ」

 妃の手に納まる大判焼きの袋を認め、きゃいきゃいとはしゃぐ二匹の謎生物を環は抱き上た。

 客間に入ると、アルビノのメイドが夕食の準備をしながら響達を出迎える。

「お帰り。随分遅かったな。ヒナッシーとやらは見つかったのか?」

「見つかんなかったよ~トーコちゃん……ってあれ~?」

 彼女が夕食を並べている机の上に鎮座するものは。

「菖蒲ちゃん? 牡丹ちゃん?」

 紛れもなく、響達が天児川に流したはずの二体の人形であった。

 人形達は遼を認めると、ふよふよと浮遊して遼の下に。

「え? なんで? どうして?」

 混乱する遼に、燈子が答える。

「お前達よりも早く帰宅していたぞ。雛住湖に溜まった穢れを取り込んで魔力を強化するのが目的だったようだな」

「カッパパワーでパワーアップだ!」

「お帰り! 二人とも!」

 今日一番の笑顔を浮かべ、二体の人形を抱きしめる遼。

「めでたしめでたし……って言いたいが、誰か私の懐具合も救ってくれねーかなー」

 遼から手渡された湖の神の写真を響は恨めし気に眺める。神の存在を隠蔽しなければならない以上、もはや響には価値がないものだ。

 半日かけた探索が無駄になり、気分が晴れない響なのだった。

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