こいはじめ
「ぅわっ!?」
授業開始1分前。隣の席の男子が小さく悲鳴を上げた。なんだろう?と思いながらちらりと見ると、何だかひどく慌てた様子で、机の中をがさがさとしていた。どうやら、次の授業の国語の教科書を忘れたようだ。
「うそだろまじかよ……羽田は次体育って言ってたから教室に居ないだろうし、桑井は……科学がどうとか言ってたからもう教室に居ないよな。どうしよう……」
机の中を探る手を止め、呆然とする男子。すると。
「あ……の、市川君その……教科書、一緒に見る?」
と、私は気づいたらその男子に言っていた。
私は昔から内気で人見知りで。特に異性とは、目を合わせることも話すことも大の苦手で。席替えして二週間経つけど、市川君と話すのはこの日が初めてだった。ほとんど他人で、しかも苦手な男子──私から話しかけるなんて普段なら有り得ない。だから、市川君に声をかけた自分自身に驚いた。
「あ……え?」
突然のことに驚いたのか、市川君は目を見開かせた。
「あっ!ごめん、教科書忘れて困ってるっぽいからどうかな……って。あ、私と一緒に私の教科書見るとか嫌だよね!?あの……ははは……」
手をパタパタさせ、あたふたしながら私は言った。動揺しすぎな自分が滑稽で恥ずかしくなってきて。顔が熱くなってきてそして笑えてきて。
高校生にもなって、このくらいのことで動揺しすぎでしょ私。あーあ……市川君に「なんだこいつキモッ」って思われちゃったかな~……思ったよね……
と、内心で思いながら泣きそうになった。すると。
「……え?い、いいの?ありがとう!」
市川君はほっとした顔をしながら、ぺこんと頭を下げた。
キーンコーンカーンコーン……
「授業始めるぞー席つけー」
授業開始のチャイムが鳴った。それと同時に国語の先生が教室に入ってきた。
──カツン。
私と市川君は慌てて席をくっつけると、私は机の中から国語の教科書を出して、私の机と市川君の机の間に置いた。机をくっつけた瞬間、ドキドキしてきた。なんか、緊張する。だって普段、男子と話すこともなければ、こうして教科書を一緒に見ることなんてないし。
ああ……「教科書、一緒に見る?」って言ったのはいいけど、気まずい。授業が始まったばかりなのに、早く授業が終わって欲しいと思った。
「昨日の続きからだからえ~っと~……123ページを開いてください」
先生がそう言うと、私はそのページを捲った。すると。
「はゎ!?」
と、小さく変な声が漏れた。開いたページは、昨日書いた落書きだらけだったのだ。
「ご、ごめん!落書きだらけで汚いね。ちょっと待ってて、今消すから!」
そう言いながら私は、慌ててペンケースから消ゴムを出そうとした。けど。
「え?いいよ別に。ていうか、真面目な平瀬さんでも教科書に落書きとかするんだな」
と、市川君はふっと笑って言った。
「わ、私だって落書きくらいするよ。てか私別に真面目じゃないし。陰キャなだけだし……」
「それ俺に言ってる?俺こそ超陰キャなんだけど?」
「『超陰キャ』ってなにそれ?なんか強そう」
「そうだよ、最強の陰キャだよ。陰キャレベルで俺に敵うやつはいないよ」
こそこそと市川君とそんなことを話しながら、気づいたら私はくすくすと笑っていた。すると。
「おーい、市川と平瀬。いちゃつくのは良いけど、休み時間にしろ~」
と、先生がそう言うと、クラスのみんなが私たちの方を向いてどっと笑った。
「「す、すみません……」」
と、私と市川君が同じ調子で謝ると、クラスのみんなは「ナイスカップル!」だの「いつの間に付き合ってたんだよ~」だの「ヒューヒュー」と、まるで小学生のようにひやかした。私は顔中を熱くさせながら、恥ずかしさのあまり俯いた。てか、市川君とは今日初めて話したばっかりだし。付き合うとか……そんな……
「はいはい、そんなことよりみんな前向け~。成績落とすぞ~」
と、先生が言うと、みんなは黒板の方に向き直った。
みんなに注目されてしまって恥ずかしくなりながら、市川君に申し訳ないことをしたなと思っていると、市川君はトントンと、開いた自身のノートを小さく叩いた。なにか、ノートに文字が書いてあるようで、それに指をさしているようだ。なんだろう?と思いながら、指の先にある文字を見ると。
『……ごめん。俺のせいで変なこと言われて……』
と書かれていた。私も慌てて自分のノートを広げて文字を書く。
『ううん、私の方こそごめんなさい。私なんかと……付き合ってるなんて言われて。不快にさせてごめんね』
と、私はノートにそう書いた。すると、市川君はまたノートになにかを書きはじめた。うーんと悩むような顔をしながら文字を書き、その文字を指でさした。そこには。
『全然不快じゃないよ。それに、平瀬さんって超真面目で取っつきにくい人かなって勝手に思ってたけど、今日初めてしゃべってみたら話しやすくて、なんか、いいなって思ったよ』
って書いてあった。
私も……────ん?
と、ノートに文字を書こうとして──手がピタッと止まった。
なんか、いいな?
って、どういう意味?
そう思いながらちらりと、市川君の方を見る。市川君は頬杖を突きながら、窓の方に顔を向けていた。微かに見える頬は赤く、耳も真っ赤に染まっていた。
じわじわと、私の顔が熱くなる。胸がドキドキしてきた。さっきの緊張していた時と少し違う、ドキドキ。
男子は苦手だけど、市川君とはもっとたくさん話したいなって。市川君の微笑みをもっと見たいなって思った。
……今度は私が、教科書忘れよっかな──なんて。
窓の方に顔を向ける、市川君の真っ赤な耳を見つめながら。私はそんなことを思うのだった────