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千手の湖 Ep.10

この二週間で色々分かったことがある。課長は甘党で、釣り好きで、スポーツ観戦が趣味だということだ。大学時代は釣りに嵌っていたため、話を合わせやすかった。


使用している疑似餌のメーカー、釣ったことがある魚の種類、行きつけの穴場スポット。話が弾む。そして気付けば、再び湖の畔まで戻ってきていた。もちろん、荷台に掘りたてホヤホヤの土砂を満載している。      

「一度ここで釣りをしてみたかったんですが、できず終いでした」澄んでいた水は、今や工業地帯のそれより濁っている。魚は生き埋めになっているか、酸素不足で死んでいるに違いない。そして、この湖は数日の内に消滅する。


「何事も、思い立ったら吉日だ」


「毎年、解禁日に限って事件が起こるんです」


「今やってみたらどうだ。手が釣れるぞ」


「リリースします」


「外来種を戻すのはマナー違反だ」果たして『手』が生物に入るのかは疑問だった。渋滞が動く。タイヤは醸成されたばかりの土地を踏みしめる。ガクン、ガクンと座席が揺れる。  


ミラーに何本も、何十本も『手』が映る。それらを押し退け、ダンプは後進する。今日はまだ日が出ているのでいささか恐怖が軽減される、ということはなかった。


「震えてるぞ。大丈夫か?」


「大丈夫です」


バックの警告音が鳴り止んだ、その時だ。夢の中で落下するような浮遊感がした。エアバッグが膨らみ、衝撃が車体を襲う。俺の叫び声が響く。課長はすかさずサイドブレーキを入れる。タイヤは固定されているはずなのに、車は地面を滑り続ける。バックミラーも、サイドガラスも、フロントガラスも、隙間無く白い手で埋め尽くされる。課長はギアをドライブに切り替えた。エンジンは悲鳴を上げ、自由を取り戻したタイヤが全力で回転する。ガラスに張り付いた手が後ろに消え、視界が晴れる。ミラーに映る手は、俺が捕まれたときよりも太くなっているように見えた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


消防の広報車から、町中の防災無線から、暴力的なサイレンが響く。脳の生存本能に関わる部位を直接刺激する音は、山々に衝突し、元の場所へと帰ってくる。重なり合った音の波が、捻れて歪む。


船を惑わす人魚みたいに唄うスピーカーの根元で、俺と課長は望遠レンズを覗いていた。ガラスの向こうにある湖は、今日も『手』で埋めつくされている。昨日までと違うのは、その太さだ。枯れ柳のようだった腕は長さを変えぬまま、体積を10倍以上に増している。分析班が言うには『腕の本数と太さは反比例している』とのことだ。膨張した上腕二頭筋に美しさはなく、ステロイドで無理に筋肉をつけたボディービルダーのようになっていた。肘より先がないので、プロポーションもへったくれもない。


周波数の合わないラジオに似た音がして、ファインダーから目を放す。細波で賑わう水面に、円形のヒビがくっきり入っていた。ノイズの発生源を辿り、視線を上に向ける。濁った湖と比較しようがないくらい澄んだ空。そこにヘリコプターが一機、この世から切り離されたように静止していた。黒い機体は太陽光を浴び、甲殻虫みたいに鈍く輝く。湖面は鬱陶しそうに腕を伸ばすが、空には届かない。


サイレンが鳴り止むと同時に、ヘリは脇に抱えたロケットを手放した。円筒はオレンジ色の閃光を吐きながら、真っ直ぐ湖に飛び込む。僅かな静寂の後、水飛沫が上がった。銀色の水滴は宙を舞い、ズタズタに裂かれた手の断片が降り注ぐ。その肉や骨に色はなく、子供向けに修正されたみたいに黒く塗りつぶされている。血が苦手な身にはありがたい。黒い塊は音も立てず、湖の底に沈む。


「やりましたね」ロケットの炸薬は、爆心地から半径五メートル内の腕を一掃した。湖の人口分布はドーナツ化現象さながら、中心に穴が開いている状態だ。課長は何も応えず、カメラを覗き続ける。


赤く濁った水に、細い影が現われた。その影は濃く、長くなっていき、ついに水面から顔を出す。案の定、それは『腕』だった。彼らは『ずっとここにいましたよ』とばかりに、元の位置へと戻る。数もロケットを撃ち込む前と同じだ。


「だめそうだな」課長は望遠レンズをケースに戻す。険しい表情をしているが、元の顔が強面なので感情が読み取れない。


「そうですね」失敗したのは今日で三度目。一度目は特殊班による狙撃。二度目は巨大鋏を装備したショベルカー用いての切断。いずれの場合も腕の破壊は可能だった。しかし無限に湧いてくる彼らに対し、有効な解決策ではなかった。


「心配するな。とっておきの手段を残ってある」


「それを一番に実行すればよいのでは?」ヒーローが遅れてやってくるのは、フィクションの中だけで十分だ。


「手配するのに時間が掛かってな」


「ちなみに、どんな方法なんですか?」


「ダンプだ」なんだか、聞き覚えがある単語だった。


「振り出しに戻ってませんか?」


「ただのダンプではない。安心しろ」揺れる腕が敗者を煽っているように見えて、少し不愉快になった。


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