えま目線
その子を初めて見たのは、まりのお墓の前でのことだった
一心に手を合わせる姿を見て、不思議に思った
16、17くらいか。使用人としてはおかしくない年で、ただまりの亡くなった年を考えると違和感があった
えまの妹、まりが亡くなったのは確かもう8 年前。
娘が産まれてから、少しずつ身体を悪くして、文字通り眠るように逝ったという
なら、その頃この子はまだ8つか、多く見ても9つ。
使用人の子どもで、お嬢様と育てられた可能性もあるが、8年経ってもまだ参るものだろうか?
それに…えまは他にもある違和感に気づく
古くなった衣服が、いわゆる使用人のお仕着せではない、と思った
街で奉公していることも考えたが、公爵家とどう繋がるのだろう
何なの…? えまは不思議に思いつつ、立ち去ることもできないで立ち尽くしていた
さぁっと風が吹く
ようやく祈りを終えて少女が立ち上がる
ふと、こちらを見上げた彼女の髪は、まりと似た金色をしていた
汚れているせいか、随分暗く見える
「おはようございます。まさか、まだ参られてる方がいるとは思わなかったわ」
えまはにこやかに話しかけて、墓前に花を手向けた
少女は立ち去らない
「あの…」と言いかけて口ごもる
「私はまりの知り合いで、えま、というの」
「私はすず…」
そう言って、すずはぺこりと頭を下げると足早に逃げるように去っていった
すず? えまはまりの娘と同じ名前に、まさかと思った
墓前に花を手向けると、えまは、そこにまりの名前の他に、公爵である、れいの名前を見つけた
えまが国を離れている間に亡くなったらしい
えまは、まじまじと彫られた二つの名前を見て、二人の娘であるすずはどうなったのだろうと思った
調べると、すずは父親の死後、哀しい思い出のあるこの土地から離れて寄宿舎で生活している、とのことだった
公爵は再婚して、屋敷は現公爵夫人とその二人の娘とが住んでいる
ちょうど父親の亡くなった年と、入学できる年とが同じで、再婚相手ともその娘とも反りが合わなかったのかもしれない
えまは、すずが今どこの寄宿舎にいるのか、詳しく調べてもらおうと思った
すずはえまが参ると必ずそこにいた
ふた言みことは喋るが、えまが来るとそそくさとその場を後にする
埒が開かないわ。
えまは思わず、すずを自宅に招いた
異常に恐縮するすずを宥めて、軒先でお茶をした
すずは、一度も自分がまりの娘だと言わなかった
まりとの思い出はすずを思わず綻ばせたけど、母と娘としての思い出は出てこない
文字を教えていただいたんです。とか、絵本を読んでくださって…とか、どこか余所余所しく、ぽつりぽつりとすずは語った
えまは、この子がまりの子でもそうでなくても、気にかけてやりたい気持ちが芽生えた
ぎこちないけれど、所作も言葉遣いも礼儀正しい
えまは少しずつ、すずの心に入り込むようにして、少しずつ身なりを整えてやった
すずは自然と笑顔が増えて、えまはそんなすずがまるで我が子のように可愛く思えた
毎週のようにお茶をして、お茶菓子を包む
そうこうしているうちに、えまの元にはすずの居所を知らせる報告が届いた
その日もえまは朝の散歩がてら墓地を覗いたが、すずはいなかった
そろそろかと思ったけど変ね、とえまは踵を返す
朝一で報告を届けてくれたのは、騎士である甥っ子のかいだ
「おばさまがわざわざ調べるなんて、何かあったのですか?」
かいは報告書を携えて、怪訝そうにそう言っていた
えまは、ちょっとね。と答えると、散歩に行くと言って、墓地まで足を運んだのだった
家に戻ると、かいは井戸の側で剣を振るって鍛錬をしていた
軒先には、この家の使用人みみの用意したお茶がほとんど手をつけられずに残っている
相変わらずね、とえまは思いながら、玄関を開けた
すぐに、みみがカップを手に現れる
「ありがとう、みみ」
えまはお礼を言うと、かいの持ってきた報告書を玄関のキャビネットから取り出した
軒先に戻ると、みみはカップを軒先のテーブルに置いて待っていた。
えまが現れると、お茶をカップに注ぐ
みみが下がるのを確認して、えまは井戸に向かった
「ただいま、かい。相変わらずね」と、かいに声をかけて、井戸で手を洗う
そしてみみの入れてくれたお茶を飲みながら、報告を読み始めた
すずが現れたのはそんなときだ。
「良かった、今日は会えないかもと思ったのよ」
えまは、すずが来てくれたのを嬉しく思い、甥っ子を紹介した
ぎこちなく挨拶を交した二人を見て、手を洗いに井戸へと行かせる
えまは、すずとかいとが井戸にいる隙に手早く報告書を片付けた。
その手紙に書かれていたのは、すずはこの国のどの学校にもいない、ということ
自ら遠い寄宿舎を希望した、というので、特に調べもせず、そっとしておいたのだろう
えまはまさか、と思いながらも、すずが何かしら、まりの娘だという証拠を持っていてくれたらいいのに…と思った
あの髪色はまり譲りで、あの瞳の色は父親譲りだろうか
屋敷の使用人たちに聞けば、お嬢様だと証言してくれる
ただ、すずのあの様子を見るに、どうなのだろう、と思ってしまう
荘園の地代に、遺産に…わざわざ、すずに家のことをさせるほど困窮するだろうか
修道院にでもいるのかしら? えまは、まりの娘のことを手紙でしか知らない。
すずがまりの娘だと、まだ何となく思えずにいた
手を洗って戻ってきた二人は、きゃらきゃらと笑いあっている
かいは、使用人だと思って気さくに話しかけたのだろう
すずも、気のいいお兄さんくらいに思っているようだ
「すずちゃん」
えまが声をかけると、すずはその笑顔をえまにも向ける
「せっかくだから、かいに、騎士団のお話をしてもらいましょうよ」