えま
母は文字通りお姫様で、側近として、名家として、貴族として、可愛がられていた父とは、話こそしないもののよく知った仲だったという
美しかったが身体は弱く、到底遠くへ嫁に出せるような娘ではなかった母
仕事ぶりも、優しさも、全て知られていた、身分としては釣り合いのとれた父
そして…あぁそうだったっけ? とすずは思い出した
その仲を取り持ってくれたのが、義母に縁のある人だった気がする
さぁっと、また風が吹く
風が足音を乗せて、すずは、ふと目線をやった
「おはようございます」
花を持ったその人は、すずに挨拶をする
「おはようございます」
すずは挨拶を返して、少し横にずれた
彼女は確か、えまと言った。2、3ヶ月前から、ひと月に1度ほど母の墓に参ってくれている
母と同じ青い瞳の色をしている、美しい貴婦人だ。
彼女は母の知り合い、らしい
いつも黒いドレスを着て、美しい花を手向けてくれる。
母、まりが亡くなったこともお墓も聞いたけれど、遠くにいたから来られなかったと聞いた
お互いの名前と、それ以上は知らないけれど、こうして母を偲んでくれる人がいるのは嬉しい
すずは何となくまだ、まりの娘だと言えずにいた
この霊園に埋まる人々と自身の身なりのちぐはぐさに、自分でも違和感があったからだと思う
「ありがとうございます」
すずは、いつも通り頭を下げて帰ろうとした
「あら、ちょっと…」
それを彼女が遮る
「たまにはお話しましょうよ」
すずは、にこやかに笑うその人を見て少し怪訝に思った
すずはえまが話しかけるような身なりなどしていない
むしろ早くどこかへ消えた方が良いだろう、と思うのだが、えまは気にすることもなくニコニコとしている
「いっつもそそくさと帰っちゃうんですもの」
「あの、私、家のことをしなくてはいけなくて…」
「あら…」
えまは驚いたように口に手を当てる
休憩時間だからいいだろう、と思ったのだろうか?
「ねぇ…でも私あなたとお話したいのよ。私の知らないお話を聞かせてほしいの」
あぁ、とすずは合点する
この方とはまだ片手で足りるほどしか会っていないが、すずは頻繁に墓参りをしているのだ
いつ行ってもいたのだとしたら、母のことを良く慕っている、親しい人だと思ったのだろう
すずは、少しなら…と久しぶりに、とてもぎこちなく微笑んだ
えまとは1時間だけ、という約束でお話をすることになった
近くに家があるから、と、しぶるすずを自宅に案内する
すずが入ってきた反対側から墓地を出て、木々がトンネルを作る小道を抜けていく
一体どんな屋敷だろう、とすずがドキドキしながら付いていくと、そこは独り暮らしには丁度よさそうな、とても小さな平屋だった
煉瓦と漆喰で作られた、絵本に出てきそうな可愛らしいお家だ
妖精の庭師たちが住んでいる、と言われても子どもなら納得するんじゃないだろうか
思わず見惚れていると、えまはカンカンとドアノックを鳴らした
すぐに、1人の使用人がドアを開ける
すずはそれを見てハッとした
「奥さま、私こんななりで上がらせていただくわけには参りません」
「あら、いいのよ」
「いえ、あの…」
すずはどうしようか、と思わず後ずさる
えまはそれを見て、玄関先のデッキにあるテーブルに手を向けた
「ここなら…?」
「あ、えぇ…そこなら…はい」
すずは恐縮しながらもコクコクと頷く
えまは使用人に、お茶をここに持ってくるようにと言いつけた
それから、固くなっているすずに笑顔を向ける
「すぐそこに井戸があるから、手を洗いましょうか