第57話 二度目の博士研究員
朝。
授業期間中ではないが、1限目が始まる時間を目途にして宿からハン大へ向かった。
力強い陽光に照らされて、道路わきの花壇も春の訪れを祝っている。
研究室に到着すると、既にマリさんは在室していた。
眼鏡をかけたマリさんを見て、思わず硬直する。
「おはよう!」
「お、おはようございます!」
「昨日はちゃんと寝れた?」
「は、はい! お陰様で……」
いや、本当はあれこれ考えてしまい一睡もできなかったが、さすがにそれは言えない。
マリさんはいつも通りだし、特に昨晩の出来事について話さないので夢のようだ。
「ちょっと実験するにはまだ太陽の光が弱いかな。今のうちに魔力吸収材の原理について話しておくね」
そう言うとマリさんはお茶を入れてくれた。
お茶の湯気で眼鏡が曇ったので、マリさんは眼鏡を机の上に置いた。
……ああ、今日ももう眼鏡とってしまうんだ――
そんな私の気持ちをよそに、マリさんは魔力吸収材の仕組みを詳しく解説してくれた。
魔力吸収材は本体となる魔材の上に薄い魔材を乗せた構造になっている。
本体はスポンジのように魔力をたくさん吸収できる魔材。これが体積の大部分を占める。
その上に、空気中の魔力を採り入れるための薄い魔材を乗せる。
表面の魔材はプリコン金属という魔材であるが、あえてそれに少々別の魔材を混合しておくことで魔材中の魔力保持力を不安定にしてある。
それに太陽の光を当てると、プリコン金属中の魔力が活発化し、一部が下層に移動して魔材に蓄えられる、といった仕組みのようだ。
しかし、まだ課題がある。
「耐久性が低いのよね。魔畜器もそうだけど、魔力の吸収、放出の繰り返しがあまりできないの。徐々に魔力吸収量が減っていって、最後には魔材がボロボロになっちゃうのよね。そうならない魔材を見つけないといけないのだけど」
「なるほど……でも魔材は魔力を受けたら徐々にダメージを受ける性質を持ってますよね? そんな魔材あるんでしょうか?」
「わからないわ。でも少しでも耐久力のある魔材を探したいの。理想は魔力弾性域のある魔材。あ、魔力弾性域というのは――」
「あっ!! それってもしかしてアダマース研究室にいたときに話していたやつですか?」
初めての論文投稿時、考察の書き方を相談した時に聞いた記憶がある。
「それそれ! よく覚えているわね。そのアイデアはずっと温めているんだけど、まだ実現できてなくてね」
「かなり難しそうですね」
「だけど、それが実現できればおもしろいと思うのよね」
「確かに……。他にはどんな課題があるんですか?」
「表面層と本体の魔材もまだまだ改良の余地があるんだけど、何より形状ね。表面層をできる限り薄くしたいのだけど、それができなくて……」
「今はどれぐらいの厚さなんですか?」
「厚紙よりもちょっと厚いぐらいかな。魔材が脆いので、これ以上薄くできないの。なんとかならないかな?」
「わかりません。でも加工の話ですから、工夫の余地はありそうですね」
「でしょ? これ、カイくんにお願いしていい?」
「もちろんです! できる限り薄くすればいいんですよね?」
「うん。あと、隙間が空くのはダメ。ぴったりくっつくようにしてね」
「わかりました。凸凹があると隙間ができるでしょうから、そうならないようにしないといけませんね」
「そうね。あ、研究費は私の使って良いよ。魔研費の基盤Bが4月から始まるから、カイくんを研究分担者として追加登録しておくね」
「えっ? 基盤Bが採択されたんですか? それはすごいですね!」
「ふふーん、すごいでしょ。研究代表者だから、外部資金獲得のテニュア基準はこれでもうクリアしたんだよ」
マリさんがわざとらしく腰に手をやり、胸を張ってドヤ顔をした。
「おめでとうございます! となると、テニュアに必要なのはあと論文だけですか?」
「もちろん学内業務や教育活動もしっかりしないといけないけど、明確に足りないのは確かに論文だけね。あと4本を筆頭著者か責任著者で出せば最低限の基準はクリアかな」
あと4本!
「じゃあ、魔力吸収材の研究で論文量産しましょう! しかもあと2年で!」
「それができたら良いんだけど。カイくんも気が早いねぇ」
「魔物を弱体化させるには、魔力吸収材をできるだけ早く開発する必要があるんですよね? だから急いで研究しましょう! それに――」
『早くちゃんとお付き合いをしたい』
と言おうとしたが、言えない。
「――いえ、何でもないです」
「そうよね、早く魔力吸収材を実用化しないとね」
そう言いつつも、マリさんは私の気持ちを察したように微笑んだ。
「さて、日も高くなってきたから、そろそろ体験してもらおうかな?」
そう言うと、マリさんは厚めの硬貨サイズの小さな魔材を私にくれた。
「これを日に当ててみて」
私は言われるまま窓際に行き、手のひらの上の魔力吸収材に日光を当てた。
すると、魔力吸収材がぼんやりと光り、徐々に魔力量が増えていくのが実感できる。
絶対量としてはわずかであるが、不思議な現象が自らの手のひらの上で起こっている。
「す、すごいっ! すごいですね!」
「そうでしょ。その魔材、持って帰ってあげて。それと調合した魔材もね」
そう言うと、数種類の魔材を私にくれた。
そして、その後は時間の許す限りどのような魔材が有望か意見交換した。
しかし、楽しい時間は一瞬で過ぎる。気が付いたら帰る時間になっていた。
「また近いうちに来たいと思います。もちろんちゃんと成果を出して!」
「うん、期待している。いつでも歓迎だよ」
私は魔力吸収材を握りしめ、そこに蓄えられた小さな魔力を感じながら王都へ戻った。
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王都へ戻ったものの、その足でツクラック大へ移動した。
既にあたりは暗くなっているが、シラテア先生はまだ研究室にいた。
先生へ有意義な出張であったことを報告し、正式に博士研究員として雇用して欲しい旨、決意を伝えた。
しかし、先生は『大丈夫です。もう手続きは終えています』と言うものだからびっくりした。
通常は人事手続きに1月以上かかるのだが、年度末の人事と言うことで特別に持ち回り決裁をしてくれたようだ。
雇用期間に空白ができないよう配慮して頂けたのはうれしいのだが……もし断っていたらどうするつもりだったのだろうか?
まあ、結果オーライだ。
私は関係書類に署名し、正式に雇用手続きをした。
他に学位記の写しなど、いくつか必要な提出物もあるが後日で問題ないとのこと。
特任助教まで進んだが、いったん博士研究員に逆戻り。
周りから見たら一歩後退だが、これから楽しくやりがいのある研究生活が始まりそうだ。




