第56話 女性限定公募
しばらく他愛もない話をしていると、急にマリさんはぐっと身を乗り出し、私の目を見てきた。
「ねえ、カイくん」
「は、はい……」
「私のこと、大学では陰でなんて呼ばれているか知ってる?」
今日初めてハン大にきたのだ。他に誰とも会話してないのだし、知っている訳がない。
「い、いえ、知りません。やはり『アルキュミア先生』でしょうか?」
ピシッと私の眉間にマリさんの手刀が当たった。
「そんなんじゃないわよ。陰口よ、かーげーぐーち!」
そんな……マリさんの陰口を言う人なんているんだろうか? 信じられない。
私が困惑して何も言えずにいると、マリさんは深呼吸してからポツリと呟いた。
「私ね、『アファマ講師』って呼ばれているの」
???
「ア、アファマ講師? どんな意味なんですか?」
「え? 積極的格差是正措置って聞いたことないの? 今、大学では男性教員が多いでしょ。だから女性比率を高めるために、能力や業績が同じ程度だったら優先的に女性を採用するケースがあるのよ」
「あっ! そういえば公募文章の最後の方に定型文のように『男女共同参画』がどーのこーのといった文言があったような……」
「そー、それそれ。特にウチの基礎魔工学研究科は教員の女性比率が特に低くて問題になってるみたいでね。だから私のテニュアトラック講師公募のときは『女性限定公募』だったの」
「そう言えば、ハン大ではないですが、『女性限定公募』見たことあります。せっかく研究分野が適合していても、男というだけで応募できなくてすごく悔しかった記憶があります。『なんで男というだけで応募できないんだ、逆差別なんじゃないか?』って」
「まあ、そうよねぇー。だから私がハン大のこんな職位に就けたのも実力じゃないのよねぇ……」
「あ、い、いや、そんなつもりで言った訳では――」
「しかも、他の教員からはどうせテニュア取ったらすぐに育休取ってしばらくいなくなるんだと思われてるんじゃないかな……」
「えええっ!? マ、マリさん育休取るんですか?」
……も、もう良い人がいるのかな?
「そりゃーもし子供ができたら取るよ。まあ、テニュアトラック期間中も産休・育休制度は一応あるんだけどね。でも育休1年とって、その後復帰してテニュア審査通過する業績出せると思う? 赤ちゃん育てながらだよ? すごく優秀な人なら可能なんだろうけどねぇ……。私はできそうにない。無理。だから、テニュア取るまでは子供はお預け」
私が黙っていると、マリさんは続けた。
「ただ、テニュア取った後でも育休は歓迎されないのよね。育休で教員が抜けたらさ、他の教員が学内業務を負担する必要があるからね。例えば入学試験の作問をする入学試験委員会とか、他にも学生生活委員会とかいろいろあって、教員はそれを分担しているんだけど、産休や育休で人が抜けたら誰かが余計に業務を負担するのよね。もちろん講義や演習もその間は別の人が余計に負担しないといけないし」
「確かに……」
「ただでさえ運営交付金が減って教員削減をしてさ、昔より講義負担も学内業務負担も増えてみんな気が立っているときに、育休とか言い出すの想像してみてよ。しかもペーペーの新入りがよ。そりゃもうね、制度がどうだ、労働者の権利がどうだとか、頭ではわかっていても迷惑なのよ、組織に女を入れること自体が!!」
マリさんは机をバンッ! と叩いた。
「い、いや、そ、そんなことはないですよ。組織には多様性が大事で――」
「いいのよ、そんなキレイごとは! 文部魔学省は補助金とかの飴で女性比率を増やそうとしているけど、『そんな目先の金に釣られるな』っていう先生も結構いるのよ。組織の効率性を考えたらそりゃそうよね。正規雇用したと思ったら突然1年間いなくなるんだよ。しかも、それが場合によっては2度3度。大学側に断る権利は一切なし。どうせ補助金なんて数年しか出ないんだから、損得勘定したら女を入れるなんて絶対に損!」
こんな悲しそうなマリさんの顔を見るのは初めてだ。
なんとか支えたいが、どう言葉をかけたらいいのか皆目見当がつかない。
「私は研究科のお荷物教員なの。女性比率といった指標を上げるためだけの不良債権。わかってるのよ、それぐらい。でも私にどうしろっていうの? 女性限定公募は不公平だから応募を見送れって言うの? せめて常識人らしくテニュア取って3年ぐらいは育休取らずにまずは大学にご奉公しろっていうの? そんなの無理。私もう36歳だよ。4年後にテニュア無事に取れたとしても、そこからさらに数年経ったらもう完全におばさんだよ。そうなったら……子供……欲しくても……もう……もう……遅いよ……」
マリさんの声はいつの間にか涙声になっている。
……胸が張り裂けそうだ。何とかしたいが、自分は本当に無力だ。今までのマリさんの業績はすばらしいのに、出産・育児というライフイベントがこれからあるだろう、というだけで、ここまで追い込んでしまう現状はどうなんだろうか……
しばらく沈黙した後、マリさんが呟いた。
「……ごめんね、なんか愚痴っちゃって。もおぉ、カイくんまで泣かなくていいのに」
マリさんは私の髪の毛を派手にぐしゃぐしゃっとした。
頭を撫でてもらったみたいだ。
「……そんな状況とは全然知らなかったです……。でも、マリさんはこれからもガンガン論文出すでしょうし、絶対に絶対に超優良物件です。お荷物でも不良債権でもないですよ。僕でよければ何でもしますから、遠慮なく言ってください!」
「ありがとう。じゃあカイくんには………………早くテニュア取れるように、いっぱい研究してもらおうかな?」
マリさんが笑顔を見せてくれる。
「もちろんです!」
と応じたものの、さっきから『育休』だの『赤ちゃん』だの、そんな単語がマリさんの口から出てきて私は落ち着かない。
「そ、そのぉ、ご、ご、ご結婚を考えているような……だ、男性の方はいらっしゃるのでしょうか?」
思い切って聞いてみると、マリさんは即答した。
「いるわけないでしょ! キュウセニル大学とガタクルス大学でそれぞれ1年間だけ博士研究員。で、そのあとはホクジンパ大学で3年間助教。常に転々とした生活をしているのよ。研究テーマもコロコロ変わるから、それについていくだけでも精一杯。周りからは『研究者同士は別居前提になるからやめとけ』とか、『特に同じ専門だけはケンカになるから絶対やめとけ』とかそんなのばっかり。でもそんなのどーでもいいと思わない? 私は大学にずっといるんだよ? いつ・どこで出会いをしたらいいの? あーあ、どこかに良いオトコいないかなぁー」
そう言うとマリさんは居酒屋の中を見渡した。
「いやいや、さすがにここにはいませんよ」
いきなり居酒屋でお客さんを物色しないでくださいよ……
「そ、そうよねぇー……はぁぁぁー」
マリさんは頬杖を付き、残念そうなため息をした。
い、いま、ここで自分の想いを伝えるべきだろうか?
二人だけで話す機会なんて貴重だ。明日には王都トオヴェルロに戻ることになる。
でも、せっかく一緒に研究する関係になったのだ。
今は、良い感じの先輩と後輩の関係。
もしうまくいかなかったら、これからの研究活動に明らかに支障が出るだろう。
それに、私は1年契約の身分不安定な博士研究員。それに対してマリさんは既に宮廷大学であるハン大の講師。明らかにつり合いが取れていない。
身の程知らずもいいところだ。
でも……ダメもとでいいじゃないか。挑戦しないと始まらないぞ!
そ、そうだ、冗談めかして『僕なんてどうですか?』とか聞いたらダメだった時も誤魔化せるかな?
いや、やはりストレートに『前から好きでした』と言うべきか。
考えろ考えろ考えろ!!
……
ダメだ、正解がわからない。
どうしたらいいんだ?
すると、
「さて、そろそろ帰ろっか? 明日も大学だからね」
という、冷静なマリさんの声が聞こえた。
どうやら私は無言の時間を作りすぎたようだ。
これでいいのか?
いや、もう素直に言うしかない!
「マリさん、今日再会できて、本当にうれしかったです。それでやっぱり再確認しました。僕はマリさんのことが好きです」
マリさんは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに優しい顔になった。
「ありがとう。ごめんね、気を遣わせてしまって。それだけでうれしいよ」
「いえ、本気です! 本当に好きです!」
そんな同情のようなもんじゃない。
笑顔と困惑が混ざったマリさんの表情が見える。
「もう私はおばさんだよ。カイくんはまだまだ若いから、これからもっと良い人とたくさん出会えるよ。まだ30歳だっけ。それに今は任期の定めのない職を取るために他のことを考える余裕はないし……」
「じゃ、じゃあ、テニュア取ったあとならいいですか?」
売り言葉に買い言葉のように、自然と言葉が出てくる。自分でも信じられないぐらい積極的だ。
大丈夫か、自分?
もう後戻りできないぞ?
「本気なの? じゃあ、そのときまでカイくんの気持ちが変わってなければね。無理しないでいいよ」
!!
「無理してないですよ! 約束ですからね。テニュア取ったらですからね。だから、絶対にテニュア取りましょう! あ……あと自分もちゃんとした仕事を見つけます!」
「ありがとう。じゃあ一緒に研究がんばろうね。でも、もしカイくんの仕事が無かったら養ってあげるから、心配しなくていいよ」
マリさんが笑顔でおどけた。
も、もしかしてこれは大成功なんじゃないだろうか?
「よ、宜しくお願いします!」
私が改めて挨拶をすると、マリさんは再び笑った。
あっ、これだと養ってくれってお願いしてるみたいだな……




