第50話 捏造・改ざん
なんとか前期の学生実験を乗り切り、夏休みとなった。
実験装置の据え付けや実験前の安全確認手続きなど、意外なところで時間がかかってしまい、あまり研究らしい研究はできなかった。
研究室への学生配属は来年度からのため、指導対象となる学生はまだいない。夏休みは自らの研究に専念する期間となった。
ただ、今日は来客があるとのことで、アートルム先生と私は研究室での待機を命じられていた。
まだ閑散とした研究室にアートルム先生と二人で手持無沙汰にいると、彼が口を開いた。
「カイくん、助教や博士研究員、そのあたりの人事は運の要素が多いよな。でも准教授になるには論文の本数が重要なのは知ってるよね?」
「そうですね、准教授戦となると、ウチの分野では筆頭10本、共著20本が足切りだと聞いたことがあります」
「そうだな。ただ、それはあくまで足切り。最近は業績がインフレ気味で、公募で勝つには筆頭15本、共著30本はないと厳しいという話もある。でだ、カイくんは今のペースでそれが達成できると思う?」
そう、それは最近気になっていたことだ。
現在、私の業績は筆頭5本に共著1本。
アダマース研究室にいたときは忙しいながらも多くの研究テーマに関わり、結果的に共著論文発表や学会発表もたくさんした。しかし、ここプロケラ研にきてからは自らの発表ばかりで、論文や学会発表実績の“量産”ができていない。
今は30歳。准教授戦が40歳前後と考えると、あと10年。
単純に考えると1年に3本弱の共著論文が必要である。
このままでは共著30本どころか20本にも到達できない。
「確かに……今のペースでは無理そうです」
「そうなんだ。普通に一人で研究していたら無理なんだ。でだ。私が今やっている“巨大魔法陣の極小転写”の実験だけど、そろそろ論文化の目途が立ちそうなんだ。また“魔法材料”に投稿しようと思うんだが、カイくんも共著者にならない? 」
え!?
そんなすごい論文の共著者にしてもらっていいのだろうか?
たとえ第二著者以降であっても、一流学術誌の論文が業績リストにあると“映える”。
でも、それってギフトオーサーと言って研究倫理に反すんじゃないだろうか?
「あ、ありがとうございます。でも何も論文に貢献してないのに、名前を入れて頂くのはあまり良くないような気がします」
「そ、そうか……」
アートルム先生はしばらく考えた後、
「じゃあ、論文ができた後に、考察に何か1~2行追記してもらう形で貢献してもらえないかな。同じ研究室なんだ。自然な話だと思うんだが」
た、確かにそれは一理ある。
ちゃんと論文に貢献しているのなら、共著者にしてもらっても問題が無いような気がする。でも、そんな程度の貢献で共著者になっていいんだろうか?
「そんなので良ければ……。ご配慮ありがとうございます」
ちょっと違和感が残るが、業績を増やせるのは魅力的。しかも超一流誌だ。
「良かった。研究室の中では協力していかないとな」
まあ、確かにそうだ。
「ところで、次のカイくんの論文だけど、それに私も共著として関わらしてもらえないかな? まだどんな論文になるか知らないけど……」
えっ?
自分自身、どんな研究成果がこれから出るかわかっていない。
共著予約みたいなもの?
そ、それってもしかして、物々交換として共著をお互いに贈り合うというやつ?
でも、事前に研究に関与してもらうと決めて、実際に関与してもらうのならおかしくない……のかな。
共著に入れて頂く話をされた後だから、断るわけにはいかない。
「そ、そうですね……」
そ、そうだ。
アートルム先生の実験装置の原理を研究させて頂くのなら、共著にふさわしいかもしれない。
それを提案しようとしたところ、研究室にプロケラ先生がいらした。
「おお、待たせて悪かったな。今日は魔学技術振興機構からお客さんが来てな、アートルム先生の研究成果をぜひ見たいというんだ。それにプルウィア先生もな」
「失礼します。魔学技術振興機構のアイリ・サピュルスです」
!!
なんと、そこにはアイリさんがいた。
大人の魅力を出す眼鏡女子になっている。
眼鏡も新しいものになっている。
そして、その隣にいるのはジャスの上司に相当するプルウィア教授だ。
「おお、アイリさん、お久しぶり! あれ? 文部魔学省じゃなかったっけ?」
私は思わず聞いてしまった。
アイリさんはチラッと私を見て、眼鏡の奥で少し眉間にしわを寄せた。
し、しまった。
先生方がいる前で先輩風を吹かせてしまった。
もうお互い社会人だ。場をわきまえないと。
「はい、今は文部魔学省から出向でこちらにきています」
彼女は昔と変わらない透き通るような声で答えた。
「おお、キミらは知り合いか。それはいい。彼女はこのプロジェクトの担当者なんだ。早速だけど、アートルム先生、魔法陣の縮小転写したヤツを見せてやってくれ」
アートルム先生は硬貨のようなピカピカの金属片を布の包みから慎重に取り出した。
「……は、はい、こ、これが……そ、それです」
ん? なぜかアートルム先生の態度がアイリさんの前ではぎこちない。
もしかして、アートルム先生も眼鏡女子派なのか?
「ありがとうございます。では、拝見します」
「で、ですが、目では見えないほど小さいのですが……」
「大丈夫です」
すると、アイリさんは鞄から高倍率の拡大鏡を取り出した。
「こ、ここに拡大したものがあります」
アートルム先生は紙に魔法陣を拡大転写したものをアイリさんの目の前に差し出した。
「いえ、結構です」
アイリさんはその紙をそっと押しのけ、拡大鏡でじっくりと観察し始めた。
そして、しばらくして
「何もありませんね」
とつぶやいた。
えっ?
ええっ?
「プルウィア先生も確認を」
とアイリさんは言い、次はプルウィア先生が拡大鏡を覗き込んだ。
「確かに何もありません。これはどういうことですか?」
「あ、あ、あ、もしかしたら、加工前のを間違ってお渡ししたのかもしれません。も、申し訳ありません」
アートルム先生は明らかに狼狽している。
「では加工後のものを見せて頂けますか?」
アイリさんの冷静な声が部屋に響く。
「い、今は、ここにはなく……」
「えっ、そこにいっぱいあるだろ?」
プロケラ先生は棚を指さした。
そうだ。確かにそこには魔法陣を縮小転写した金属片がいくつも並んでいる。
「い、いや、そ、それも未加工の見本でして……」
あれ?
いつもその棚にあるので実験しているような……
「じゃあ完成品はどこにあるんだ? いや、失敗作でも縮小転写されたのが見れたらそれでいいんだが」
プロケラ先生はさらに訊く。
研究室にしばしの沈黙が続く。
そして、アートルム先生が口を開いた。
「……じ、実家にあります」
……
え?
なんでここにないの?
なんで実家に持って帰るの?
その棚にあるのは違うの?
それで実験してたよね?
え?
ええ?
も、もしかして……
そういえば、私は自分の目で確かめることを一度もしなかった。
顕微鏡の画像を拡大転写したものだと言われた紙を見て、それを信じていただけだ。
それに、演習場での試射には最近アートルム先生しか行っていない。
そうだ、実験に成功した時はアートルム先生が一人で出張した時だ。
プロケラ先生は
「私にも見せてください」
といって拡大鏡を覗き込んだ。
そして、しばらくしてから大きなため息をついた。
「アートルム先生、これはどういうことだ。ちゃんと説明しろ。もし、もし…………そうなのなら、諦めて素直になれ。俺も責任を取る」
プロケラ先生の怒気を含んだ大きな声がした。
アートルム先生は微動だにしない。
しかし、しばらくして、ゆっくりと床に崩れ落ちた。
プルウィア先生が口を開いた。
「プロケラ先生、大変心苦しいのですが、状況を文章にし、教授会で報告して頂けないでしょうか」
「わかりました。もちろんです。た、大変申し訳ございません」
プロケラ先生が謝罪した。
こうして、本プロジェクトの全ての予算執行が凍結された。




