第10話 査読結果
博士課程の入試はあっけなく終わった。
この専攻では同じ大学の修士課程から進学する場合、外国語の試験や筆記試験が免除される。
内部進学である私には研究計画書と修士課程までの成績だけで評価される。
つまり、書類審査である。
気が付いたら合格通知書が下宿先に届いていた。
次の4月から『センカディン大学大学院 魔工学研究科 魔材学専攻 博士課程1年生』となることが決まった。
学部4年の卒論発表を見届け、そして自らの修士論文の提出、発表会が終了すると、2月になった。
下宿先から大学への道のりも、この時期はまるでミニ冬山登山だ。
市街地から乗合魔動車も出ているが、お金を節約したいので私はいつも徒歩通学をしている。ちゃんと魔石カイロを使えば寒くはないし。
ただ、徘徊黒熊という魔物が大学敷地で目撃されたという話もある。比較的弱い魔物だとしても、素人が相手をするものではない。さすがに冬は冬眠しているだろうが、もし遭遇したら逃げるしかない。
周囲に人がいないときは念のため注意して歩くことにしている。
この時期になると研究室にいる学生の数は必然と少なくなる。
既に卒業/修了が決まった学生は私物を持ち帰り、研究室が少し広くなった感じだ。
しかし、引き続き研究室に在籍する私は、研究室に通うのがルーチンである。
アダマース先生が研究室に顔を出すたびに
「相変わらず魔材学会誌は査読が遅いな」
と愚痴をこぼすようになったころ、それはきた。
学食で昼食をとり、研究室に戻ると査読結果報告書と書かれた数枚の紙が私の机の上に置かれていた。
----
《査読結果報告書》
《判定:C(大幅修正の後、再査読)》
《本論文には一定の新規性・学術性が認められるが、結論に至るまでの論理展開が不十分である。特に反復して氷系魔法を付与した後、破断前におけるモグナイト金属の劣化状態を示す具体的な実験データが乏しい。例えば一定量の魔法を付与した状態においてモグナイト金属の応力・ひずみ曲線を作成するなどして、定量的に魔材の劣化具合を論ずべきである》
厳しい査読者からのコメントだ。
査読結果には、他にA(受理)、B(軽微な修正で受理可)、D(却下)がある。
却下でないのは良かったが、大幅な修正が必要とはかなりショックだ。
これに加え、細かな修正指摘事項がいくつも並んでいる。
3年分の実験データを詰め込んだ渾身の論文にダメ出しをこれでもかとされている。査読報告書を読めば読むほどへこむ。
しかし、査読者が2名いることに気づいた。
今のは査読者Aのコメントだ。
2人目の査読者Bのコメントは
《モグナイト金属へ氷系魔法を連続的に負荷し、劣化状態を分析評価した本事例研究に相当する既往研究は存在せず、新規性が十分に認められる。また、当該金属は近年防具への採用が増加しつつあり、その破壊を予測することは極めて重要性の高い課題である。よって本研究の重要性も十分にあると考えられる。そのため本論文は魔材学会誌へ掲載する十分な学術的価値を有するものと判断する。ただし、掲載前に以下の点について微修正されることが望ましい》
とあり、いくつか指摘が並んでいる。しかし、どれも表現上の指摘事項で簡単に修正できそうだ。
っっおお!
自分の論文が認められたことがわかり、自然と頬が緩む。
査読者Bに感謝!
すると、
『部屋に来てください』
というアダマース先生のメモが添えられていることに気づいた。
対応策のディスカッションだろう。
私はすぐに先生の居室へと向かった。
……トントン
と部屋をノックすると、間髪を置かずに
「どうぞ」
という先生の声がする。
「失礼します」
と声を出して部屋に入ると、先生は苦笑いしている。
「まあそこに座ってください」
と先生はまずは私を着席させた。
私は所狭しと床に鎮座している多くの書籍にぶつからないよう、慎重に椅子に座る。
研究についてはとかくせっかちな先生であるが、今日は座って落ち着いて話がしたいようだ。
「う~ん、残念。魔材学会誌だから通ると思っていましたが、ちゃんと査読されましたね。査読者Aは厳しい査読者だったようです。でも妥当な指摘だから、受け入れるしかないですね。実験してデータを追加しましょう。それに、査読者Bはおそらく『軽微な修正で受理可』というB判定をしてくれたのだと思います。全体的にはB判定に近いC判定ですから、適切に対応すれば問題なく掲載されます」
先生は前向きだ。あまり落ち込んでいない。
「査読者Aは……あの人かなぁ……。まあ真面目な人だからこんなコメントになるかな」
先生は独り言をぶつぶつ言っている。
「先生、査読者が誰かわかるんですか?」
査読者は匿名のはずだ。私は素朴な疑問をぶつける。
「いや、本当のところはわからないですよ。ただそう広くはない業界ですからね。たぶんあの人かな、というのはありますね。あ、ちなみにカイさんは一般的な査読のプロセスを知っていますか?」
「いえ、あまり知りません」
「では少し解説しましょう。論文の投稿があると、まずはその学術誌の編集委員の中でその分野に詳しい担当編集者に論文が渡ります。そして、その担当編集者は論文の妥当性をチェックできる専門家を指定して、査読依頼をするのです。今回2名でしたね。」
「はい。」
「私も月に数件は査読依頼がきます。自分の専門外でない限りは引き受けていますが、これ、全部ボランティアなんですよ」
「えっそうなんですか? 謝礼とかないんですか?」
査読は最低でも数時間はかかる作業だろう。
「謝礼を出す学会誌もありますが、微々たるものですね。それは気にしていません。自分も論文投稿するわけですから、お互い様というものです」
「そうなんですか…」
大学の先生にはこんな仕事もあるんだな。
「そして、2名が査読者となり、査読報告書を作成します。査読者は他に査読者が何人いるのか、それが誰か、といったことは一切わかりません。そして、その査読報告書をもとに、担当編集者はA判定からD判定のどれがふさわしいか、最終決定をします。担当編集者が迷った場合は3人目の査読者へ依頼することもあります」
「3人目に依頼することもあるんですか! それだとさらに査読に時間がかかりますね」
「そうですね。今回はこれで十分な査読がされたと担当編集者が判断したのでしょう」
「さらに時間がかからなくて良かったです。でも次の査読でまた追加の指摘がされたりするんでしょうか?」
「いや、査読者は1回目ですべての懸念点を伝えるのが原則です。1回目で指摘したことへの修正が不十分であればもちろん再度指摘してもいいですが。なので、適切に今回の指摘に対応すれば2回目はA判定かB判定なるでしょう」
「それは安心しました」
「ただ、適切に対応できないと判断された場合、次はもうC判定はありません。D判定、つまり却下になります。なので、しっかり対応しましょう」
「わかりました」
「査読者の指摘の通り、このようなデータを追加すればより良い論文になることは確実です。細かな指摘もほぼ妥当です。若干ですが査読者の勘違いによる指摘もあるので、それに関しては反論する必要があるでしょうが。いずれにせよ、少しデータ取りに時間はかかりますが、がんばりましょう」
「わかりました!」
先生が前向きなのだ。私も前向きに応える。
「では、共同試験室に引張試験機がありますから、それで魔材の弱化状態を示すデータ収集しましょう。ちなみにカイさんはどのような条件でデータ収集すべきだと思いますか?」
アダマース先生はおそらくイメージがあるのだろうが、あえて学生の意見を聞いてくることがある。
今がまさにそれだろう。
「破断までの魔力付与回数は既に私たちの実験でわかっているので、それの1/4の回数で試験してはどうでしょうか。それを3パターンの魔力深度でするイメージです。負荷付与前は試料の規格値が使えるでしょうから、各3点を3つの魔力深度帯でデータ収集するといった感じでしょうか」
正解に自信はないが、グラフにある程度の確からしさをもって線が引けそうなサンプル数と、実験の労力のバランスを考えた。
「そのような感じでいいでしょう。ただ規格値はあくまで規格値なので、ゼロ負荷についても念のため試験してください。それと破断時の回数はわかっているわけですから、その直前についてもデータ収集してください。負荷状況の異なる4点を3つの魔力深度帯でデータ収集するということですね。これにゼロ負荷のデータを加え、合計13回の試験ですね」
ちょっと想定よりも労力は増えたが、なんとかなるだろう。
「では2週間でデータを出せそうですか?」
「2週間ですか? まず試料に負荷をかける作業が必要ですし、狙った魔力深度帯が出るとは限らないのでかなり厳しいスケジュールだと思います。それに共通試験室の引張試験機が空いているかわかりませんし」
あまりに急な話でびっくりした。
「卒論や修論も終わったので、今の時期は試験機もきっと空いているでしょう。それに再来週には学会発表がありますよね? これに関する質問や指摘が来る可能性があります。誰が査読者かはわかりませんが、査読者も学会に来ている可能性が高いですし。それまでに実験データを集め、準備しておきましょう」
先生はそういうと、矢継ぎ早に実験方法を指示した。
2月はゆっくりできると思っていたが、このようにして追加の実験でそんな甘いことにはならなかった。
私は研究発表会までに実験データを収集し、また必要な考察を追記し、なんとか修正原稿を再投稿することができた。
今度こそ受理されますように!
本人のスケジュールとは関係なく返ってくる査読結果。
そして、追加される急な実験。査読あるあるです。
さて、次は学会発表です。




