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火星にニンジャが舞い降りたとき  作者: 大和モモタロー
第1章 最後の継承者
3/25

2 母さん、達者で暮らすんだよ。おれ火星行ってくるから。

 2


 警視庁のある桜田門から電車を二度乗り継ぎ揺られること一時間半、おれは鎌倉の海沿いにある実家に戻った。昨年の正月に帰って以来、一年四ヶ月ぶりか。

「あら、悠蔵なの? どうしたの、急に?」

突然の帰郷に驚いたお袋の佳世子は一年四ヶ月分老けていた。気づけば、お袋も今年還暦だ。前に会ったときより頭が白くなり、顔のしわが増え、背も小さくなったような気がする。年を取ると背が小さくなるというが、それは内面的なところもそうで、お袋は子供時代に戻っているようだ。そう遠くないうちに、おれとお袋の年齢が逆転してしまうんじゃないかと不安を覚えるほど。

警視総監から辞令を受け、明日の朝、火星に発つことを伝えると、お袋はひとしきり驚いたあと、おれが小さいころから大好物だったホワイトシチューをつくってあげるとキッチンに向かった。ホワイトシチューづくりには時間がかかる。おれはリビングの椅子に座り、お袋がジャガイモの皮を剥いたり、ニンジンを乱切りしたりするさまを記憶に刻むようにずっと見つめていた。

必要なものはすべてリュックサックに詰め込んだので、明日、ベイエリアのスペースポートへはここから直接向かえばいい。今日は地球最後の夜なのだから、できる限りゆっくりしようと思った。

久々にバスタブにゆっくりと浸かって上がってみると、リビングのテーブルの上で鍋に入ったホワイトシチューから湯気が上がっていた。おれは椅子に座ってうっとりとした。お袋が深皿にとりわけ、久々にホワイトシチューを頬張った。一人で生活をしていると、シチューを食べることはまずない。ましてホワイトシチューは滅多にお目にかからない。お袋のホワイトシチューは相変わらず最高だった。

「旨い、旨い」と絶賛すると、お袋はそんなおれの食べっぷりを見ながら言った。

「悠蔵、おまえはいつか偉大なことをするんじゃないかって、わたし思っていたんだよ」

「偉大なこと? このおれが?」

お袋はこくりとうなずいた。

「わたしにとっておまえは特別な子だからね。親にとってわが子っていうのはそういうもんだから。おまえも結婚して子供ができたらわかるわ」

 お袋は「どうしておまえが火星に行くの?」とか、「火星でいったい何をするの?」とか、具体的なことは何も聞いてこなかった。興味がないからというのではなく、すべてを運命に任せているからとでもいうように。

ふと、テーブルの上に見慣れない古びた箱が置かれているのに気づいた。

「それ、何?」

 お袋はおれの視線をたどり、古びた箱を見やった。

「ああ、これ。悠蔵に渡しておいたほうがいいかと思って。お父さんの形見だから」

「形見……。そんなものがあったのか」

 親父はおれが七歳になったある日、仕事へ行くと言って出かけたきり、戻ってこなかった。親父もまた警察官だった。いまもって親父が蒸発した理由はわからない。七歳というと、ある程度世の中のことがわかってくる年齢だ。親父はお袋とおれを捨てたのだと思った。ずいぶんうちひしがれたのを覚えている。お袋も深く傷つき、その姿におれはさらに傷ついた。

 人間二十七年も生きれば、日々心を削るような出来事は繰り返し起き、親父の蒸発という深い傷も、無数の傷によって埋もれ、ほとんど気にしなくなった。

 お袋が古びた箱を開けると、外の箱よりも古そうな一巻の巻物が入っていた。

「何、これ。巻物?」

 手に取って巻かれている紐をほどき、巻物をするすると開いてみると、墨で書かれた達筆な文字が連なり、ところどころに挿絵が描かれてあった。

左手で少し開き、その分を右手で巻き込む。文字や絵が左から右へと流れていく。紙は茶色く変色して、ところどころ虫が食っていたが、文字は判読可能だった。いまで言うところの解説書だろうか。文字や絵から判断するに、忍者の忍術について解説したものだ。

「服部家に代々伝わるものなんだって。ほら、お父さんは伊賀の血引いてるから」

「伊賀? 伊賀って忍者の?」

「そう。前言ったでしょ?」

「いや、初耳だけど……」

お袋は口を尖らせた。

「言ったわよ。言ったって。絶対言ってます」

「いやいや、絶対聞いてないって――」

「言ってますったら言ってます!」

「聞いてない……。まあ、いいや。へえ、おれの先祖が忍者だったとはね」

初代服部半蔵(はんぞう)らしいわよ」

 服部半蔵とは戦国から江戸時代にかけて活躍した伊賀流忍者の首領で、忍者の中でももっとも知名度が高く、〝忍者の中の忍者〟とも言われる存在だ。

そんな忍者のおれは末裔だというのか。古色蒼然とした巻物を見ていると感慨が湧いてきた。

「そういえば、おれ小学校のころ、足早かったな」

「そうでしょ? 忍者の血よ」

「リトルリーグに入ってたやつらより野球もうまかった」

「でしょう? 忍者の血ね」

 忍者の血を引くことが誇らしい気分になって、おれは巻物を大事に仕舞った。

お袋は食後のお茶を淹れてくれた。子供のころからずっと使っている湯飲みだ。二人で向かい合ってお茶を啜る。久しくこんなにもゆっくりと進む時間の中に身を置いたことはなかった。この何でもない時間が、とてつもなく愛おしく感じられた。

お袋は一抹の寂しさと期待の混じった眼差しでおれを見た。

「それ、悠蔵が持ってなさい。あと、押し入れに忍者の装束と手裏剣とかもあるから。あと、日本刀もあったかしら……」

「お、おう……」

 おれは箱を大切にリュックに仕舞った。


 翌朝、五時半に目が覚めたときには、お袋はすでに起きて朝ご飯をつくってくれていた。白米と豆腐の味噌汁、鯖の煮付けときんぴらゴボウというメニューを平らげ、おれはいろいろなものが詰め込まれたリュックサックを背負うと玄関に立った。忍び装束や手裏剣、刀の入ったスーツケースも一緒だ。

「母さん、身体に気をつけろよ。もう若くないんだから……」

「何言ってるのよ。元気はつらつよ」

 お袋は強がって両手でガッツポーズをつくって見せた。

「悠蔵こそ身体に気をつけなさい。少々仕事がきつくても泣き言言っちゃダメよ」

「わかった。母さん、ありがとう。元気で。また絶対帰ってくるよ」

 おれは久しぶりにお袋とハグをした。わが家と安らぎの懐かしい匂いがした。


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