07.ユーリではない
(なんということだ! 俺は今まで番の名を呼んでいるつもりで、呼んでいなかった、だと!?)
(いや、名前を隠すのは自衛手段として正しいことだ。現に、そのおかげで従属の魔術から逃れられている)
(だが、知りたい! ユーリを、彼女と早く『番の誓約』を為したい! そうすればもっと近くに感じられるのに!)
表面上は何とか取り繕いながら、ぐるぐると考え込んでいたフィルだったが、焦るな、と自分に言い聞かせながら1つずつ謎を明かしていくことにした。できるだけユーリを不快にさせないよう順序を考える。
「名前を偽っていた理由を聞いてもいいだろうか」
「あの、偽るつもりはなかったんです。ただ、最初に名前を聞かれたときに、その……ここが違う世界だって信じたくなくて、ちょっと現実逃避をしてしまっていて」
申し訳ない、というよりも恥ずかしそうにユーリは答えた。
「以前、読んだ小説で似たような――異世界に転移してしまった主人公のことを思い出して、あの小説の『ユーリ』みたい、って呟いたのが、名前だと思われてしまったんです。その後、訂正する機会をうまく作れずに――――」
「今に至る、と」
はい、と頷くユーリは、再び「ごめんなさい」と謝罪を口にする。
「いや、真名を隠すことは一部の術士もやっていることだ。そこまで謝ることではない」
「そうなんですか?」
「あぁ、彼らにとっては自衛手段の一つだ。それに、ユーリが名前を偽っていたからこそ、シュルツの王に取り込まれずに済んでいる」
本当のところを言えば、シュルツの王に魔術を掛けられるより先にフィルの守護が効いていたはずなので、どちらにしろ被害はなかっただろう。だが、今は彼女の罪悪感を和らげることの方が優先事項だった。
「それで、その……本当の名前を聞いても?」
「それは……」
ユーリは迷うように視線を下に向けた。その迷い自体が、まだフィルを信用しきれていない証左のようで、彼の胸がずきりと痛む。
「すまない。あれだけ自衛になると説明しておいて、尋ねることでもなかったな」
「ごめんなさい。でも、話を聞いていたら、名前をこのまま偽っていた方がいいように思えて」
「あぁ、その慎重さは大事だ。俺もつい暴走してユーリの承諾を得ずに番の誓約をしてしまうかもしれない。このままの方がいいだろう」
「あのっ! ……その、フィルさんを信用していないわけじゃないんです。だって、得体の知れない私なんかに良くしてくれていますし、優しくて気配りもしてくれて――」
「分かっている。少なくとも偽名であることを教えてくれる程度には、信用してくれているのだろう?」
「……はい」
フィルの言葉に、ユーリはようやく安堵したようだった。少し腰を浮かせて弁明していたところを座り直し、冷めてしまったハーブティーを飲み干している。
そんな彼女を見ながら、フィルは長期戦で頑張ろうと心に決めた。
(それに、悪いことばかりじゃない)
フィルの言うことを鵜呑みにするのではなく、自分でちゃんと考えて結論を出そうとする姿に好感が持てた。番を持たない種族の中には、自分が獣人や竜人の番であることを知ると、まるでその相手を奴隷か何かのように錯覚するのか、我儘を言いたい放題になる者もいると聞いた。それを考えれば、思慮深いユーリが番だというのは随分と幸運なことだ。まぁ、万事を頼って貰えない寂しさはあるが。
「あの、『番の誓約』ってどういうものなんですか?」
異世界から来たことを告白したことで、遠慮が多少なくなったのだろう。こうして先程の会話の中で分からなかった言葉を素直に尋ねるのだから。常識の範囲内のことをあれこれ尋ねてしまえば、不審に思われると自重していたらしいし。
だが、正直なところ、まだフィルのことを「親切な人」程度にしか認識していないユーリに説明したくない単語でもあった。
「魔術の一種だ。簡単に言えば、番と共に生きることを誓うことだな。離れていても互いのいる方向や距離がおおまかに分かったり、相手がユーリのような人間なら、物理的な衝撃や魔術攻撃に耐性が……要は頑丈になる」
簡単な言葉を選んで説明すると、ユーリは「GPSに、防御力のバフか……」と呟いた。フィルには何のことかは分からないが、彼女のいた世界でも、似たようなものがあるのかもしれない。
なお、番の誓約をすることで、互いの寿命が均されることは意図的に説明を省いた。竜人は人間に比べ長命だ。番の誓約をすることで、フィルに引っ張られるように寿命が延びることを、ユーリがどう捉えるのか予想できなかったのだ。もし、「普通の人間と同じように一生を終えたい」と言われたらと思っただけで、フィルの胸がじくじくと痛んだ。
「――――あの、これからのことも聞いていいですか?」
「構わないが、何が聞きたい?」
「明日もあのウィングタイガー、でしたっけ? あの子に乗るのか、とか、そもそも地理が全く分かっていないので、どこをどう移動してるのか分からなくて、……地図があれば、見せてもらえたらな、って」
指折り数えながら疑問を口にするユーリに、フィルはこれまで「違う世界から来たこと」を隠していた彼女の賢さを褒め称えたくなった。
(なるほど、常識が違うのは確かに危ういな。これでは良からぬ輩に目をつけられる)
フィルはユーリに許可を得てから投影の魔術を使った。小さな机の上に少し浮かせるように、フィルの記憶にある空からの視点を映像化したのだ。
「えっ! 立体映像? すごい!」
目を輝かせて喜ぶユーリに気を良くしながら、フィルはシュルツの王都の場所に赤い球を浮かせる。
「ここがユーリと出会った場所、シュルツという国の王都だ」
「はい」
映像を食い入るように見るユーリの前で、今度は昨日泊まった国境の町の上と、現在位置、レンタルしているウィングタイガーを返却する予定の街の上に黄色い三角錐を浮かせながら説明を続ける。
「明日の午前中はこの町で少し買い物をして。昼頃に出発するつもりだ。もう一日はこの国で泊まることになるだろうが、明後日には東側の国境の町に到着するだろう。そこで騎獣は返却する」
「はい」
「それで、ここから先はうちの国だから、俺の相棒を呼ぶ予定だ」
「相棒……ですか?」
「あぁ、俺の騎獣だ。ウィングタイガーに負けず劣らずの体格だから、二人で乗っても問題ない。どういう種類の騎獣かは、見てのお楽しみだ」
「分かりました。楽しみにしておきます」
騎獣の正体については食い下がろうとしないユーリだったが、フィルが投影した地図には食いついているようで、じっと凝視している。
「これ、空から見た地上ですよね。こういう魔術って普通にあるんですか?」
「記憶を可視化させるものは、そう難しくない。あと、俺のように空を飛べる種族は、国境をしっかり覚えておく必要があるから、こうしてはっきり明瞭に投影できるんだ」
フィルが指で空間をなぞる。すると、赤い線で映像の中の地上が区切られていく。
「これが国境線。うっかり越えると国家間の問題になるから、しっかり叩き込まれた。――――あと、ここからが大事なことなんだが」
「はい」
「一般的に地図は流通していない。街道やおおまかな位置関係の分かるものぐらいは売られているのかもしれないが、詳細な地図は軍事的に重要なものだから、むしろ規制されている」
ユーリは目を見開いて驚いたが、ふ、と自分の知識の中の何かを見つけたのだろう。半目になって「あー、シーボルトか……」と呟いた。
「あれ、でもそうすると、こうしてフィルさんが詳細に覚えていることも、問題になってしまうんじゃないですか?」
「大侵攻の対処のために特例で上空を通過させてもらったときの記憶だ。自国でも隣接国のおおまかな地理は頭に叩き込まれていたから、それとすり合わせて覚えるのは比較的簡単だったな」
「……あの、もしかしてフィルさんて、外交官とか、そういう偉い地位の人だったりします?」
今更と言えば今更な質問だったが、そういえば自分がユーリのことについて尋ねるばかりで、逆に尋ねられたのは初めてだったとフィルは気がついた。
「英傑がどうの、とは言われてたので、魔物の大侵攻で活躍した人なのかな、とは思っていたんですけど、そういえばちゃんと聞いたことありませんでしたよね」
「……それは、地位や功績で見られたくなかったのもあって、今までちゃんと名乗ってはいなかった。ユーリが尋ねるのなら、改めて名乗ろう。俺の名前はフィル・リングルス。俺のような竜人が大半を占めるシドレンという国で軍務についていた」
「軍人さんだったんですね。それなら英傑という話も納得です」
「外交を担っているのは、むしろ次兄だな。長兄を補佐するためにと軍に籍を置くことにしたが、思った以上に性に合っていたようだ」
「……え、待ってください。お兄さんが二人、いえ、一番上のお兄さんを補佐するというのは」
「父も健在なので代替わりはまだ先だが、国王という重責を長兄一人に背負わせるわけにはいかないだろう?」
フィルの決定的な言葉に、ユーリの目は限界まで開かれた。今にも黒い瞳がこぼれおちそうだな、という感想を、フィルはそっと飲み込む。
「フィルさん、もしかして、王子様だったんですか!?」
その大声に、こっそり遮音の魔術を掛けておいてよかったな、とフィルは場違いなことを思った。




