06.騎獣の背で
「あぁ、似合うな」
店内にある着替えのために区切られたスペースから出てきたユーリを見て、フィルは満面の笑みを浮かべた。ともに戦場を駆け抜けた者からすれば、目を疑うほどの笑顔だ。仏頂面を浮かべることの多かったフィルに「何が楽しくて生きてるの?」と遠慮なく問いかけたのは、魔女イングリッドぐらいだったが。
「あ、りがとうございます」
ストレートな賞賛に慣れていないのか、恥ずかしげに応えるユーリは、この国で一般的な長袖のワンピースにベストを羽織っていた。襟と袖に少しだけ刺繍のほどこされた、いたってシンプルなものだ。
「何やら店員に熱心に話しかけられていたようだが、問題でも?」
「あ、違います。私がもともと着ていた服の仕立てが気になっていて、できればどこで買ったのか教えて欲しいと言われて」
そういえば、とフィルは思う。服飾に疎いフィルでも、正確かつ緻密な針仕事だと分かるぐらいだ。本職が見れば、余計に気になるだろう。
(あれだけの仕事をする者に普段着を縫わせるほどだ、やはり、裕福な家の生まれなのだろう)
あの格好では目立つからと説得し、服はもちろん、鞄や靴まで買い揃えたユーリは、どこにでもいそうな女性として十分、町に溶け込める外見になった。特に靴は職人に無理を言ってその場であつらえさせた。使った革もフィルが吟味に吟味を重ねたものだ。万が一にでも、靴擦れで痛い思いをさせるわけにはいかないという一心だった。
「すみません、これだけで午前中を潰してしまって」
「あぁ、それは気にすることはない。昨日はシュルツを出るために急いだのだし、どちらにしろ騎獣を用意するのに時間が必要だったのだから」
「きじゅう?」
首を傾げるユーリも可愛いな、と思いつつ、フィルは彼女の手を引いて町の外に向かう道を歩く。
先日までの大侵攻程ではないが、町と町とを繋ぐ街道には、魔物が出没する。そのため、人の住む町は外壁に護られていることが多い。特にこの町は国境にあるので、魔物だけではなく隣国の動きにも警戒しなければならない。なので、この町はしっかりとした石壁で囲まれていた。
フィルが向かったのは、国境とは逆側にある、国の中央へ向かう街道の入り口にある店だった。
「今朝、連絡をしたものだが」
その店に入った途端、鼻をつく牧場のような臭いにユーリが口元をそっと押さえたのが分かった。フィルは気にしないが、慣れていなければつらい臭いだろう。
「あぁ、ウィングタイガーをご所望のお大尽さんかい。外に繋いであるから案内するよ」
店員に先導され、フィルはユーリの手を引いて隣接した空き地に出る。そこには虎種の魔物がふてぶてしい面構えで寝そべっていた。フィルの姿を見ても、気圧される様子のないことから、これで大丈夫だろう、と彼は頷いた。
「ウィングタイガーはあまり頭数を扱っていないから、国内限定になってしまうけど、いいかい?」
「そうなると、2、3日しか借りられないな。まぁ、仕方ない。他の騎獣だと怯えられてしまうからな」
「竜人さんも難儀だねぇ」
フィルは店員に前金でレンタル料を払い、簡単な契約書にサインをする。そのようすを興味深そうに眺めていたユーリだが、邪魔になると思っているのか、口を挟むことはなかった。
店を後にすると、ユーリの手を離さず、もう片方の手に騎獣の手綱を引いたまま街門を出る。程々に整備された街道と、その両側に広がる平原に、ユーリの口から感嘆の声が漏れた。
「ユーリ、ウィングタイガーは初めて?」
「え? あ、はい……」
少しウィングタイガーに怯えた様子のユーリが頷くのを見て「そうだよな……」とフィルは頷いた。
フィルの母国まで距離があることと、移動に一般的な馬や馬車では、どうしても竜人であるフィルが怯えられてしまうことを説明した彼は、ふんふん、と素直に頷くユーリをちょっと覗き込むように屈んだ。
「俺がユーリを抱き上げて飛んで行ってもいいんだが、昨日、怖がっていただろう? だから、騎獣の方がいいかと考えたんだが、まずかっただろうか?」
「あ、いえ、大丈夫です。……その、昨日みたいな移動だと、ちょっと怖かったので、助かります」
本音を言えば、怖がったユーリがしがみついてくるのが嬉しかったので、今後も同じ方法で移動したかった。だが、ユーリを不快にさせてはいけないと思い直せる程度にはまだ理性は働いていた。
「であれば、鞄をくくりつけるから、貸してもらえるか?」
「はい」
ユーリが背負っていた鞄をウィングタイガーの鞍にくくりつけ、自分の荷物も同様に固定したフィルは、ユーリを軽々と抱き上げ、ウィングタイガーにひょい、と飛び乗る。
「最初はちょっと歩こう。慣れて来たら飛ぶから」
「……やっぱり飛ぶんですね」
ユーリの腰に太めのベルトを巻き、落下防止のカラビナをはめる。
「速過ぎたり、怖かったりしたら遠慮なく言ってくれ」
「はい、ありがとうございます」
ウィングタイガーの背を軽く叩いて合図をすると、ゆっくりと歩き出す。ウィングタイガーは賢い種で、竜人に怯えはしないが、強さをしっかりわきまえるので、反抗の素振りも見せない。騎獣としてはクセが強く、自分より弱いと見た相手には反抗する面もあるが、機動力・攻撃力ともに高いので、一定の需要がある。もちろん、竜人のように強過ぎて他の騎獣に怯えられる者にも人気だ。
「あの、騎獣って、みんな、こんなふうに従順なんですか?」
「種類によるな。気に入った相手以外は乗せない騎獣もいるし、逆に人に懐きやすい騎獣もいる」
昨日は腕の中にいながらも強ばった表情のままだったユーリが、こうして会話をしてくれる。それだけでフィルの心が浮き立った。
(少しは、気を許してもらえた、ということだろうか)
このまま、ゆっくりとでいいから距離を縮めていけるだろうか。そんなことを考えながら、フィルは手綱を操って街道を進んでいた。
・‥…━━━☆
途中、主にユーリのための休憩を何度か挟みつつ、フィルはこの国で3番目に大きい交易都市を今夜の宿場に定めた。
そこそこのランクの宿を見つけることができてホッとしたが、何故かユーリの表情は硬く、宿での食事中も考え込むように真剣な顔で動作を止めることが多かった。
「ユーリ?」
「あ、はい、なんでしょう?」
まさか当然のように二人部屋を取ったことを問題視されているのだろうか、とフィルは不安に思う。だが、一人部屋でもし何かあったときに駆けつけるのが遅れたら困るのだ。これはフィルには絶対に譲れないラインだった。許されるならダブルベッドで抱きしめて寝たいぐらいなのに。
「疲れているのか? それとも何か不満が?」
「え? いえ、とんでもないです。不満とかではなくて、その……」
言葉を探すように彷徨うユーリの視線は、ゆっくりと床の方に向けられていく。
「あの、フィルさんに、ちゃんとお話しないといけないことがあって、……聞いてもらえますか?」
黒い瞳で上目遣いに見られ、フィルの心臓が打ち抜かれる。だが、それと同時に、ユーリの言う「お話」がとんでもなく悪いことなのかもという不安も去来した。
「構わないが、長い話になるなら、茶でも頼もう。先に部屋へ戻っていてくれ」
「はい。お気遣いありがとうございます」
部屋に入るユーリを見送り、階下の食堂へ戻るフィルは心臓の辺りを手で押さえた。かつて感じたことのない恐怖に、臓腑が縮み上がっている気さえした。巨躯を持つ魔物と対峙したときでさえ、これほどの恐れは感じなかっただろう。
リラックスできるというハーブティーの入ったポットを手に、フィルは断頭台に上がる死刑囚のような心持ちで階段を上がる。
(まさか、竜人だから生理的に受け入れられない、とかじゃないだろうな……)
(それとも、ユーリの目がこちらに向いていないときに、舐めるように見つめていたことに気付かれた、とか?)
(移動中に、好きな色や、好みの味付けとか、質問し過ぎたとかだろうか)
どれもあり得そうで、フィルは背中に冷たい汗をかいていた。
深呼吸をして、扉をノックし、できるだけ平静を取り繕ってユーリに話しかける。
「ハーブティーだが、嫌いではなかっただろうか?」
「はい、大丈夫です」
ユーリが座っていた小さなテーブルの、向かいの席に座る。ポットを持ち上げた彼女がカップにお茶を注いでいるのを見つめながら、フィルは必死で壁に使われている木材の節の数を数えていた。そうでなければ、奇声を上げて逃げてしまいそうだったのだ。
「……それで、話というのは?」
ハーブティーを一口飲んで、唇を湿らせた彼女が話し始めたのは、フィルがまったく予想もしないことだった。
・‥…━━━☆
「……そうか」
ユーリがところどころ言葉に迷いながらの説明を、全て聞き終えたフィルは、なんとかこの言葉を絞り出した。彼女の話を全て理解しきれたとは言いがたいが、さりとて否定や不信の言葉を告げることは絶対にしたくなかった。
「あの、自分でも、荒唐無稽な話だって分かっています。だから、無理矢理に信じてくれなくても、いいんですよ」
「いや、そうではない。確かに理解しきれないこともあったが、納得できる部分もある。……失礼な言い方になってしまうが、あまりにも常識に疎いとは思っていた」
――――ユーリの話を端的にまとめると、こうだ。買い物の帰りに突然見知らぬ場所に迷い込んでしまった。全く知らない場所で、話している言葉も違うようだが、何故か意味は理解できた。だが、使えるお金もなく、困っているところを獣人の少女――シャナが声を掛けてくれた。ただ、シャナも避難民である以上、あまり他人の面倒を見ている余裕もないし、とにかく仕事を見つけて最低限の衣食住を確保しようと考えて、色々な店に頭を下げて頼んでみたが断られ続けていた。何件目かでまた断られようとしていたところに、フィルと出会った、と。
「『妖精の悪戯』という現象がある。これは、妖精が自分の気に入った相手を自分の領域に呼び寄せたり、もしくはとんでもなく気に入らない相手を雪山や海に飛ばしたりする現象だが――――」
フィルは、ユーリが首を小さく振っているのに気付いて言葉を止めた。
「違うんです。おそらく、なんですが、世界そのものが違う、のだと思います」
「世界?」
「私の国は、地球という星にある小さな島国です。地球全体で70億人以上の人間が住んでいて、私の国だけでも人口は1億人を超えています。地球にはフィルさんのような竜人も、シャナみたいな獣人も住んでいなくて、地球の周りには月っていう衛星が1つ回っていて、地球そのものも太陽の周りを回っていて……」
ユーリが自分の住んでいた場所について説明を重ねていくのを、フィルは目を瞬かせながら聞いていた。正直、億という日頃使わない単位を言われても、まったく想像がつかない。けれど、確かに言えることはあった。
「彷徨い人、か」
「さまよいびと?」
フィルは頷き、ハーブティーをこくりと口に含んだ。
「俺も話に聞いただけだ。そういうのは弟の方が専門だったからな。世界を違えてやってきてしまった者を、『彷徨い人』『客人』『落人』などと呼ぶのだそうだ。彼らは総じて不思議とどんな言語をも理解できるという話で、外交を仕事にしている次兄がうらやましがっていたのを覚えている」
「……私、だけじゃないんですね」
どこか複雑そうな表情で呟くユーリの葛藤は分からない。だが、フィルには掛ける言葉が見つからなかった。
「あのクソ王が掛けようとしていた従属の魔術や、俺の守護の魔術が効かなかったのも、異なる世界から来ていることが原因なのかもしれないな」
もしそうなら、今後もユーリを守り続けるためにどうすればいいかと考えをめぐらせる。ふと、そこで、ユーリの表情が微妙なものに変わっていることに気がついた。先程の深刻に何かを思い悩んでいるような風情ではなく、どこか言いたいことを言えずに困っているような。
「ユーリ?」
「……あの、魔法、じゃなかった、魔術について聞いてもいいですか?」
「あぁ、ユーリのいたところにはなかったと言っていたな」
こくり、と頷いた彼女は、逡巡するように目線を少し彷徨わせ、こわごわと口を開いた。
「誰かに魔術を掛けるときって、必ず自分の名前や相手の名前を言わなければいけないんでしょうか」
「全て、というわけではないが、手っ取り早く強力な魔術を使おうとすれば、自然とそうなるな。世界に対して対象を認識させるには、名前が確実だし早い」
「それなら、たぶん……、そのせいだと思います」
要領を得ないユーリの言葉だったが、フィルはすぐに彼女の意図を掴めた。
「ユーリ、というのは貴女の名前ではないのか?」
「ごめんなさい!」
ユーリは勢いよく頭を下げた。