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24.あなたのそばで

 パリィン、と硬質な音とともに、アンクレットの鎖が壊れると、イングリッドは「フィルのくせにやたらと厄介なものを仕込んでくれるじゃない」と呟いた。


「厄介、ですか?」

「そうよ。壊れた途端に強い魔力が放たれたわ。あれはおそらくこの場所を伝えるためのものね。――――すぐに移動するわよ」


 立てとでも言うようにイングリッドはユーリに手を伸ばした。だが、ユーリは小さく首を横に振る。


「どうしたのよ。早くしないと……はァ!?」


 イングリッドは手首にひんやりと感じた冷たい硬質な感触に、自然と目を向け、そしてその目がこぼれるかと言うほどに見開いた。そこには黒く分厚く無骨な腕輪が嵌められていたのだ。それが何かを悟った瞬間、ユーリの襟首を掴み、馬乗りになった。


「アンタ! やってくれたわね! いますぐこれを外せ!」


 大声が洞窟に反響して、わんわんと響く。一方、今にも噛みつかれそうな勢いで怒鳴られているユーリの声音は冷静なものだった。


「もう私の意思で外せないのは、ご存知でしょう」


 ユーリは自分の腕にはめられていたその腕輪を、差し伸べられたイングリッドの手首に付けただけだ。ただ、その腕輪が『絶縁の枷』と呼ばれているだけだ。


「ユーリ! 無事か!?」


 その声とともに、ユーリの上からイングリッドの身体が文字通り吹っ飛んで行った。軽くなったと感じた途端、ユーリの身体が苦しい程に抱きしめられる。


「こらこら、フィル。力加減を間違っているよ。それだとユーリさんが苦しいだけだ」

「あ、すまない! ユーリ! 大丈夫か!?」


 肋骨が軋むような音が聞こえるどころか、そこから気が遠くなりかけていたユーリは、ようやく呼吸ができるようになったと、慌てて酸素を取り込む。怒るべきところだろうが、あまりに心配そうなフィルの顔を見ると、その気持ちが消え失せてしまった。


「……次からは気をつけてくださいね」

「すまない」


 ユーリはフィルの腕の中から、へたりこんだままのイングリッドに向き直った。


「一通り、これについて説明を受けました。枷を付ける際に枷を外すための条件を設定するのだと」


 自分が狙われているのなら、万が一襲われてもいいように、それだけでなく囮として役立てるようにと提案したユーリの作戦は、もちろんフィルの猛反対に遭った。

 最終的に目指すのは、イングリッドに絶縁の枷を付けることだ。魔術特化のイングリッドは、その魔力を封じてしまえば拘束するのはたやすく、逃げられる心配がほとんどなくなるからだ。

 ただし、絶縁の枷をつけても、その場にいるのがユーリ一人だけだと、隙を突かれて逃げられてしまう可能性が残る。そこで、アンクレットを外した時にその位置を知らせる仕掛けと、そこに駆けつける要員として、転移を使えるエクセが加わることになった。

 枷を隠し持つのではバレてしまいそうだからと、自ら枷を付けることを提案したユーリは、フィルの反対を押し切って自分で二の腕に枷をはめた。その際に設定した条件は「緊張状態にあること」という緩いものである。魔力を封じられても、そもそも魔術を使えないユーリにとっては大した痛手にはならないため、枷をつけることに忌避感はなかった。


「ちょっと! 何を条件にしたのよ! 教えなさいよ!」


 エクセによって押さえ込まれているイングリッドが、死に物狂いで暴れながら絶叫する。そこにはいつもの余裕は一欠片もなかった。


「それほど難しい条件ではないはずです。あまりに厳しい条件であれば、私の方に反動が来ると聞いていたので」


 例えば「死ぬときに外れる」という厳しい条件の場合、足一本動かなくなったり、状況によっては死ぬこともあるのだという。だが、ユーリには何も反動が来なかった。それはつまり、厳しい条件だと判断されなかった、ということだ。

 一応、今回ユーリが設定した条件が、厳しいと判断されるかどうかを過去の事例を調べてもらったが、問題ないと判断された。元々『絶縁の枷』は罪人に対して使われることを目的にしていたらしく、本人の更生を促すような条件は、反動は来ないらしい。


「その枷は、あなたが他人のためにその魔力と知識を使おうと心から考えたときに外れるよう条件付けをしました」


 そう告げられたときのイングリッドの表情は、とても見物(みもの)だったと、のちにフィルは語った。



・‥…━━━☆



「フィルさん、ちょっと恥ずかしいです」

「断る。せっかく時間がとれたのだから、このままがいい」


 中庭の東屋で、ユーリはフィルの膝の上に横向きに座ったまま、焼き菓子を口に運ばれるという羞恥プレイを強要されていた。

 チヤ王女に教えられたことによると、竜人の給餌行為は、熱烈な求愛行為らしいのだが、ユーリの常識からするとありえないぐらいに恥ずかしい行為である。


 あれから、イングリッドは拘束され、今は母国サランナータと引き渡しについて調整中となっている。あのときフィルと共に助けに来てくれたエクセには申し訳ないが、外交担当である以上、彼が適任なことは間違いなかった。


「あの、もうイングリッドさんはいないわけですし、もう無茶なことはしませんよ?」


 無事に助け出された後、しばらく離して貰えなかったことを思い出して告げるが、フィルは首を横に振って「俺がこうしていたいだけだ」と解放するようすはない。

 仕方なく、ユーリは観念することにした。それに、これから話そうとしている内容は、彼の顔を真正面から見ない方がきっとスムーズに口にできる、とポジティブに考える。


「……あのとき、あの洞窟でイングリッドさんから色々と言われたときに、思ったことがありまして」

「なんだ?」

「イングリッドさんは、ただひたすら自分の知識欲を満たしたいだけのように思えました。その知識が危険なものかもしれないのに、迷うことなく我欲のために」

「そうだろうな。あの魔女はそういう性格だ」


 フィルは魔物の大侵攻のときのイングリッドの行状を思い出し、深く頷いた。


「でも、フィルさんや、フィルさんの周りの人たちは違います。私の意思を尊重してくれますし、私が持ち込んだ知識を、広く還元しようと動いてくれる。だから、彷徨い人として、先に出会ったのがフィルさんで、本当に良かったと思ったんです」


 ユーリの頭に、フィルの武骨な手が乗せられた。まるで褒めるように撫でられると、自然とユーリの緊張がほどけていく。


「過去の為政者の中には、彷徨い人を囲い込み、いいように扱った者もいた。だからこそ、彷徨い人を秘匿してはならないと言われている」

「はい。近くお披露目をしなければならない、と王妃様から伺いました」


 国の威信をかけてお披露目の衣装を作るのだと瞳を輝かせていたことを思い出し、ユーリは小さく身震いをした。


「大丈夫か」

「大丈夫です。ちょっとこれから大変だなって思っただけなので」


 ユーリは「話が少し脱線したな」と思って、一つ、咳払いをする。


「フィルさん。……私、どう言ったらいいのか分からないんですけど、フィルさんの隣でなら、きっと楽に息ができると思うんです」

「? あれから、うっかりユーリを抱き潰さないように気をつけているが」

「ふふっ、そういう話じゃないんです。もう、フィルさんには率直に言いますね」


 ユーリはフィルの顔をそっと見上げた。


「フィルさんの隣でなら、長い年月でも安心して生きていけそうかな、って」

「! ……それは、もしや」


 フィルの表情がじわじわと喜色を帯びていく。ユーリはそれを見つめながら、恥ずかしげに小さく頷いた。


「私の名前は、(うしお) 日向(ひなた)って言います。あ、この世界で言うなら、ヒナタ・ウシオでしょうか。ヒナタが名前で、ウシオが名字――家名なので」

「ヒナタ?」

「はい」

「ヒナタ。そうか、ヒナタか……」


 陶然と彼女の名前を繰り返していたフィルだったが、何かに気付いたように慌てて周囲を見回す。誰もいないことを確認してから胸をなで下ろすと、ゆっくりユーリに向けて顔を近づけた。


「ユー……ヒナタ」

「はい」


 ゆっくりと引かれ合うように違いの距離が縮まり、唇が重なる。どちらからともなく離れ、元の距離に戻ったところで、フィルがあっさり暴走した。

 突然、自分の親指の先を噛み切ったのだ。


「え、ちょっと、フィルさん? 何を……むぐっ」


 前触れなく血の滲む親指を口の中に入れられ、ユーリは目を白黒させた。一体何を、と問いかける間もなく、フィルは今度はユーリの親指の先に小さな傷を作り、自分の口に含む。


『我フィル・リングルスはヒナタ・ウシオと命脈の絆を結び、彼女を唯一無二の相手として守り尊び、運命を共にすることを誓う!』


 フィルの宣言が終わるや否や、ユーリの全身に温かい風が吹き渡った。それが風そのものではなく、番の誓約が為されたことによるものだと知るのは、後のことである。


「え、フィルさん……?」

「あぁ、少し巻き戻った(・・・・・)か。だが、違和感はないな」


 もしや、とは思うものの、未だに実感のないユーリに向かって、フィルは空気中の水分を集め、空中に水鏡を作った。


「え? 嘘、こんなことって……」


 ユーリは自分の頬に手を当てた。劇的に変わったわけではないが、顔の輪郭や肌の感じに違和感がある。


「寿命の変化に引きずられて外見が少し若返ったかもしれない。だが、そこまで劇的なものではないから、気付かれることもないだろう」

「えええぇぇぇっ! 聞いてないですよ、そんなの!」


 また知らない常識に翻弄された、と嘆くユーリの元に、大声を聞きつけた者が駆けつけてくる。だが、そんなことお構いなしで、ようやく番を自分の庇護下に入れることができたフィルは、愛する彼女にキスの雨を降らせるのだった。



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