22.会話だけでも疲れる
「他人を騙した時点で、既に穏便ではないと思いますが?」
「は? 誰も傷つけてないじゃん」
「少なくともここでフィルさんとお茶ができると思っていた私の心は傷つきました」
「うっそ、あのフィルのこと好きなわけ?」
理性がちゃんと仕事していなければ、とっさに頬を引っぱたいていたかもしれない。バカにしたような口調で言われれば、きっとどんな聖人でも腹が立つだろう。それだけムカつく言葉だった。
「あんな脳筋のこと好きだなんて、変人なんだね。かわいそーに」
「……」
「そうだよ。戦闘のことになると考えるより先に身体が動く人種。脳みそまで筋肉でできてるから、そんなことができるんじゃん」
「――あなたも同じでは?」
「はァ?」
ユーリは、それが怒らせる言い回しだと分かって反論した。単なる時間稼ぎをしたいのなら、もっと他に言うことがあったはずだった。
(――――それでも、自分の恋人をバカにされてへらへらできるほど、できた人間じゃないのよ)
意図的にバカを見るような目を向けて、説明を続けるユーリの頭からは、王妃様から聞いたイングリッドの危険度についての情報はすっかり抜け落ちていた。
「他人を騙して招き寄せておきながら、自分の名前すら名乗らない。それどころか、自分の知りたいことだけを優先してもてなす気配もない。頭の回る方であれば、いくつもの根回しを経て、それこそ穏便に私と話をする場をセッティングすることも可能だったでしょうに。とりあえず魔術に頼ればいいや、と考えているあなたはフィルさんと同じでしょう。いえ、フィルさんは相手に対する配慮ができるようになってきたので、あなたの方が劣っていますね」
淡々と指摘してやれば、イングリッドの顔が真っ赤に染まるのが見えた。彼女の怒りに呼応するように、風がぶわりとイングリッドの華奢な身体を中心に渦を巻き始めた。
「あたしが誰かを知ってなお、そういうことを言うんだね?」
「いいえ? そもそも名乗られませんでしたし」
城下町で会ったときも、茶会に乱入されたときも、ここに呼び寄せられたときも、イングリッドはユーリに対して名乗ったことはない。礼を欠いているのはそっちだと指摘すると、イングリッドはギッと睨み付けてきた。
「知らないなら、教えてあげるよ。あたしは――」
ちょうどそのとき、ズダァンッ!という激しい音とともにドアがはじけ飛んだ。
「ユーリ! 無事か!」
「フィルさん」
部屋に飛び込んできたフィルに抱きしめられたかと思えば、身体のあちこちを撫でられながら、「大丈夫か? 怪我はないか? 変なことをされていないか?」と矢継ぎ早に尋ねられる。
「イングリッド、お前、ユーリに何をした!」
「何もしてないよ。有意義な話もさせてもらえなかったし。あーあ、時間切れかぁ」
「ユーリ、本当か?」
悪びれるようすもないイングリッドに、本当に苛々していたユーリは、心強い味方がやってきてくれたこともあって、最後にちくりと刺すことに決めた。
「特に何もありませんでしたよ。それよりも、フィルさん。この人はお知り合いですか?」
「え、……は?」
「お知り合いなら、早々に縁を切った方がいいと思いますよ? 大人として最低限の名乗りも挨拶もできないのに、他人をこき下ろすことばかりが一人前で、他人の都合も考えず自分の望みばかり押しつけて。こう言ってはなんですけど、幼児並みなんですから」
ユーリの物言いに唖然としたフィルだったが、言わんとすることを理解したのだろう。突然、大声で笑い出した。
「はははっ、確かにユーリの言う通りだな。来賓としてもてなすにしても、ここまで礼儀を欠いた振る舞いをされては、もう対応はしきれん。――――イングリッド、そういうわけだから、とっととお帰り願おうか。エクセ兄上もそれでいいでしょう?」
フィルの呼びかけに答えるように、壊れたドアの向こうから入ってきた竜人が、ゆっくりとイングリッドの前に立った。
「こればかりは庇いようがないね。――――イングリッド殿。我が国から早々に退去願えるかな。貴女ほどの力ある魔女であれば、本日中に我が国の領土から出ることも可能だろう」
「はァ? だってまだあたしはラカダ文明の訳文をゲットしただけなんだけど? まだ竜人の頑丈さについて――」
「我が国で違法とされる傀儡魔術の行使、王族の番の誘拐未遂、第三王子に対する侮辱、この3点については、貴女の母国サランナータに抗議させてもらおう」
温度を感じさせない声音で告げるエクセを前に、イングリッドは、ふん、と鼻を鳴らした。
「別にうちの国に抗議したって、あんな老害ばっかりの国に戻る予定なんてないから構わないよ」
「それはどうでしょうね。もし自分が貴女の国の者なら、周囲からの評価が高い今のうちに捕獲して国内で監視下におきますよ。自らの好奇心を何より優先する貴女は、せっかく上がったサランナータという国の心証を悪くしかねない危険因子だ。なんでしたら、今この場で捕縛して差し上げてもよろしいんですよ?」
「は、……はっ、あたしを捕まえられるなんて思ってるのかい。もしかして竜人はみんな脳筋なのかなぁ? どんなに力の強い竜人が揃ったって、あたしの魔術の前には――――」
「絶縁の枷を、ご存知でしょう?」
「っ!」
「とても貴重な魔道具ですが、我が国でも保有しているんですよ」
エクセの口に出した名詞に、さっと顔色を変えたイングリッドは杖を一振りすると、さっきまではビクともしなかった窓を開け、そこから飛び出して行った。
「おや、気の早い」
エクセは窓の外に目をやると、魔術で作った鳥を飛ばし、後を追わせる。確実に国外に出たかどうかだけでも確認したかったのだ。
「さて」
エクセはフィルの腕の中にいるユーリに視線を動かした。
「詳しい経緯を聞かせてもらえるかな。もちろん、愚弟もセットでいいよ」
少しばかり感情にまかせてやらかした自覚のあるユーリは、素直に頷いた。
・‥…━━━☆
「――――感情に任せた応対をしてしまい、申し訳ありませんでした」
エクセに連れられて青の間へ入ったユーリは、騙されてあの部屋に案内されてからの一連の言動を報告すると、深々と頭を下げた。その隣で「ユーリが謝る必要はない」とフィルが慌てているが、やらかしたのは事実だと、頭を上げない。
「とりあえず、頭を上げてくれるかな、ユーリさん」
向かいに座るエクセの許可に、ユーリはゆっくりと頭を上げる。きつい叱責を覚悟していた彼女だが、予想に反してエクセの顔は穏やかなものだった。
「今回のことは、そこまで強引な手口に出ると想定していなかった、こちらの落ち度でもあるからね。ユーリさんがそうだとバレる前からそんなに興味を持たれるとは――番という理由で隠し過ぎたかな」
「いや、獣人の国でも同じようなことを仕出かしていたようだし、エルフにはない『番』というものに、そもそも興味があったのだろう」
「おや、フィルにしては珍しく冷静だね」
「まさか、冷静でなどいられるか。いますぐアレを追いかけて八つ裂きにしたいとも」
物騒なことを言い出した隣のフィルに、ユーリはちょんちょん、と二の腕をつついて注意を向けさせた。
「フィルさんが思ったより早く来てくれて助かりました。ありがとうございました」
「あ……たり前だろう! 俺は、ユーリがいなくなったと聞いて……!」
「やっぱり、このアンクレットで位置把握をしてました?」
一応今後のために確認しておこうと口にしただけなのだが、フィルは一気にしゅんとしぼむ。
「……すまない」
「いえ、お店で加護を付けて貰ったときに、なんとなくそうじゃないかな、と思っていたので。むしろ、最初に確認しておかずにすみませんでした?」
「いい、のか?」
「あまりよくはないと思うんですけど、でも、私のことを守ろうと思ってくれた結果ですよね? 実際、今回は助かったわけですし」
やり取りを眺めていたエクセが「随分と寛大だな」と呟いたが無視することにした。本音を言えば、あまり気持ちのいい話ではない。それでも、身の危険の回避のためには仕方のないことだと割り切っただけだ。
「それで……その、あの人、あれで諦めるんでしょうか」
「さて、どうだろうね。フィルはどう思う? 戦地でそれなりに交流はあったんだろう?」
エクセに尋ねられ、フィルは渋い顔をした。
「正直なところ、まだ諦めていないと思う。あの魔女は研究のこととなると貪欲になるからな。竜人の番について知りたいのなら、市井の番持ちの竜人を探すかもしれないが、ユーリの魔力の特異性に気付いたのなら――――」
フィルは自然と俯いてしまっていたユーリの肩を抱き寄せ、「大丈夫だ、俺が守る」と囁いた。
「弟に目の前でイチャつかれると面映ゆいな。まぁ、しばらくは要警戒だろうね。ユーリさんも本当に申し訳ないが、そのアンクレットはまだ肌身離さず身につけてもらえるかい? 愚弟の執着が詰まって気持ち悪いかもしれないけどさ」
「エクセ兄上、さすがにひどくないか?」
「じゃぁ、フィル。それ、本当に気持ち悪くないと思うか?」
「俺の愛情が詰まっているんです!」
「まぁ、盗聴をつけなかったことだけは褒めておくよ」
ぽんぽんとテンポ良く交わされる兄弟間の気の置けない会話を聞きながら(盗聴機能もつけられるのか……)とユーリは若干遠い目をした。
とりあえず気を取り直して今後のことを考えたユーリは、ふと、確認しようとしてまだ聞いていなかったことを思い出した。
「あの、あの人が逃げたきっかけの、えぇと、『ゼツエンノカセ』というのは、どういうものなんですか?」
その質問に、エクセは「よく覚えていたね。ちゃんと人の話を聞いている人は好きだよ」とにっこり微笑み「ユーリは俺のですから!」とフィルに怒られていた。
「はぁ、見苦しい愚弟ですまないね。――――『絶縁の枷』は身につけた者の魔力を封じる道具だよ。古い遺跡などでまれに発見される遺物で、仕組みも材料もよく分かっていないのに、使用法だけはしっかり伝わっているんだ。魔女殿はフィルなんかと違って魔術特化だからね。脅しとしては効果覿面だったようだ」
確かに魔法使いキャラに魔封じをされたら、役立たずになるもんなぁ、とユーリは元の世界でプレイしたRPGゲームを思い出す。そうなったら状態異常付きの武器で叩くしかないんだよね、と懐かしく思い出す。
(あ、そうか。もしかしたら……?)
国民的RPGを物理攻撃特化のパーティーでクリアしたことを思い出したユーリは、絶縁の枷についていくつか確認をしたところで、うん、と頷いた。
「あの、もしも可能なら、なんですけど――――」
ユーリの申し出に、フィルは間髪入れず却下を叫び、逆にエクセは「一考の価値あり」と評価した。




