表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/25

21.自分本位にもほどがある

 自室で一人、せっせと書き物に励んでいたユーリは、ふとペンを止めた。机の上に広げられているのは、自分がこの世界に持ち込んだ刺繍のマニュアル本だ。表紙には大きく「一から始める刺繍の本」と書かれており、内容は刺繍用の針など刺繍道具、色々な刺繍について図解入りでわかりやすく書かれている。暇を持て余してこれらの翻訳を自主的に始めていた。


(……そういえば、あのハンカチ、すごく喜んでくれてたな)


 思い出すのは、湖デートでフィルに渡した刺繍入りハンカチだ。初心者の拙い作品だったというのに、フィルは大袈裟なぐらいに喜び、勿体ないから使わないとさえ口にした。しまいには額に入れて飾るというので、さすがにそれは恥ずかし過ぎると死ぬ気で止めた。


「また何か作ってみようかな。刺繍もいいけど、定番のマフラーも……いや、鱗に引っかかりそうで怖いかも」


 刺繍、かぎ針編み、棒針編み、タティングレース……我ながら節操なしに買ったもんだ、と自嘲する。家庭的な女と言われてカッとなって極端に走ってしまったが、元彼のあの発言は、もっと精神的なものを指していたのかもしれないと思うようになった。ダブルインカムでバリバリ働くような相手ではなく、主婦となり家庭を守る存在を求めていたのなら、最初からミスマッチだったのだろう。


(冷静に考えられるようになったのも、たぶん、フィルさんのおかげ……だよね)


 初対面はなかなか酷いものだったが、今ではそれだけ必死だったんだと理解できる。理解できているからこそ、もういっそのこと彼に名を預けてしまってもいいと思っている。それでも踏ん切りがつかないのは――――


(私が臆病だから、だよね)


 まだ自分の知らない『常識』が残っているんじゃないか、とか、もっとよく考えた方がいいんじゃないか、とか、考えればキリがない。せめてもっと若い頃なら、深く考えることなく疑うことなく目の前の美味しい話に飛びつけただろうに。自分だけと言ってくれる金も地位もある男性がいる。取り立てて美人でも有能でもない自分にそんなことを言うなんて、きっと裏があるんだろうと、どうしても考えてしまうのだ。


「……ユーリ様、そろそろフィル殿下とのお約束の時間ですが」

「あ、ありがとうございます!」


 教えてくれた侍女に感謝して、慌てて机の上を片付けたユーリは、いそいそと中庭に向かう。今日は昼食こそ一緒にできなかったけれど、休憩時間にお茶をしようと言伝があったのだ。また邪魔が入らないようにと、いつもの中庭ではなく一室を用意するという所に、誰にも邪魔されたくないというフィルの本音が透けて見えた。


「部屋はどのあたりなんですか?」

「中庭が一望できる所だと伺っております」


 侍女に先導され、ユーリは「上から眺めるのもまた素敵かも」と弾むような足取りで廊下を歩く。


「こちらでございます」

「失礼します……って、まだ、フィルさんは来ていないんですね」


 部屋に入り、ぐるりと見回すがお茶と茶菓子がテーブルに用意されているだけで、彼の姿はない。仕事が推しているのかと考えた矢先、部屋の隅から小柄な人影が姿を現した。


「来てないよ。だって、呼んだのはあたしだし」

「……!」


 透き通るような白い肌を隠すかのように真っ黒なローブを身につけたその人は、にっこりと無邪気な笑みを浮かべた。


「こんにちは、フィルの(つがい)ちゃん」

「どうして……」


 フィルの誘いではなかったのかと侍女を振り返れば、どこかぼんやりとした表情の侍女が「それでは、わたくしはこれで」と辞去の挨拶を告げる。


「うん、お疲れ~。アンタはここで何も見なかったし、アンタはいつも通りお仕事をしていなよ。この番ちゃんの部屋を守るっていう仕事をね」


 軽い口調で手を振るイングリッドに、ユーリは目を見開いた。思い出すのは、イングリッドが「魔女」と呼ばれていることと、王妃から「探究心の塊」と称されていたことだ。


(まさか、催眠とか洗脳とか、そういうこと?)


 まずいと思って退室した侍女の後を追おうと動くが、何故か扉は開かなかった。


「そんなにすぐ逃げることないじゃん。ちょっとフィルとの話を聞いてみたいだけだって」

「人を騙して呼び出すような人と話すことはありませんが」

「だって、こうでもしないと会わせてくれないんだもん、仕方がないじゃん」


 ぷくりと頬を膨らませる彼女を見て、ユーリは心の中で嘆息した。以前、チヤ王女との茶会の席に乱入したときにも思った。空気を読まないし、他人の都合も考えない、まるで子どものような傍若無人っぷりだと。そして、絶対にお近づきになりたくないタイプだと。


「それでは、イングリッド様はたとえば……そう、見知らぬ興味深い文献を見せてあげると言われて誘われて、行ってみればそんなものはどこにもなかったと知ったらどうされますか? その後にその誘い相手と楽しくお喋りできますか?」


 話に聞いていたイングリッドの情報を組み合わせて、具体例を挙げて尋ねてみる。


「え? 相手を氷漬けにするか灰にするか肉塊にするかして、とっとと帰るに決まってるじゃん。――――でも、アンタはそんなことできないでしょ?」


 成程、相手を不快にさせることはちゃんと理解しているのか。少女のような外見を裏切るような性格の悪さを知れば、ユーリの行動はもう決まっていた。


(あいにくと、腹芸しながらお喋りできるほど賢くないのよね)


 それならば無視一択だ。相手を怒らせることは分かっているけれど、話せば話すほどユーリの方が不快になるのは明らかだったし、こんな強引な手を使ってくるイングリッドに一欠片も情報を渡してなるものか、という意地もあった。

 ユーリはドアノブをガチャガチャと回してみたり、ドンドンと叩いてみる。一向に開く気配もなければ、誰かが来るようすもない。


「ねー、無駄だよ?」


 イングリッドの声を無視して、今度は窓に近寄る。残念ながら窓もドアと同じように開けることはできなかった。ガラスを割れるだろうかと、軽くコンコンと叩いてみる。素手では無理だが、イスを叩きつけてみたらどうだろう、と考える。


「ねぇ、ちょっとアンタ聞いてる? 無駄だって言ってんじゃん!」


 無視を貫き通し、イスの背もたれを掴む。かなり重かったが持ち上げることはできた。何とか頭の上に持ち上げたユーリを見て「何? それでやる気?」と身構えるイングリッドをちらりとも見ずに、イスの重さを利用して窓に叩きつける。


「っ!」


 ガギィン、と窓としてはあり得ない音がしてイスが跳ね飛ばされた。衝撃に尻餅をついたユーリの隣に、イングリッドがやってくる。


「あたしが窓も対策してないとでも思ってんの? 番ちゃん……ユーリちゃんだっけ? アンタ、バカなの?」


 侮蔑の言葉に返事もせず、ユーリは起き上がってスカートを軽くはたく。しゃらり、と微かに金属の擦れ合う音がして、自分の足首に付けたままのアンクレットの存在を思い出した。


(障壁と反射、追尾って言ってたよね)


 攻撃を『反射』して相手を『追尾』する『障壁』とフィルから説明されたが、ユーリはそれを鵜呑みしたわけではない。『追尾』は絶対に違う意味だと思っている。


(絶対GPS的な意味だよね。信じていいよね……!)


 この場合、信じるものはフィルの言葉ではなく、GPSを相手に付けることを拒否されるのではないか、というフィルの常識的な心配の方である。

 立ち上がったユーリはスカートを軽く手で払い、イスを元に戻した。


「はァ、ようやく話す気になったってわ、け……?」


 ユーリは部屋に備え付けの棚や引き出しを漁り始めた。衝撃がだめなら、火を(おこ)すものでもないかと思ったのだ。魔術が使えれば、ささっと火を点けられるかもしれないが、魔術でなくとも火を点ける道具がないかと思ったのだ。この世界にマッチやライターがあるとは思わないが、それでもただ助けを待つよりはいい。

 少なくとも目の前で喚く相手と話をするよりは、ずっと建設的だった。


「ちょっと! アンタいい加減にしなさいよね!」


 ユーリを指差したイングリッドは、怒りに目をつり上げる。


『ユーリよ、汝、我が意に従いイスに座れ!』


 聞き覚えのある言葉だな、と思った直後、ユーリの足がぴくりと動く。だが、それだけだった。籠められた魔力の違いなのか、少しだけ足が勝手に動きそうな気はしたが、相変わらずユーリは棚を漁ることができている。


「ちょっと、なんで効かないのよ! フィルが何かするにしても、あたしの方が上の筈でしょ!?」


 金切り声をあげたイングリッドは、懐から細長い棒――魔術師の杖を取り出した。どうやら本気で魔術を行使するつもりらしいと、ユーリの身体が強ばった。


『魔力よ、その流れを示せ』

「――って、やっぱりフィルがめちゃくちゃ守護を付けてるんじゃない。……はァ? 何これきしょいし!」


 何が見えているのか、イングリッドはユーリを凝視したまま、ぶつぶつと小さな声で呟き始めた。


「守護は足首が起点、でもこれしきの守護であたしの魔術が防げるはずもないし、それなら名前を隠してる? フィルのくせにずる賢い真似するじゃない。それにしたって、この魔力の色はおかしくない? 加護も生来のものじゃないわね、もう少し後天的な……」


 何かを見られて分析されていることは分かったが、ユーリにはそれを防ぐ手も思いつかないし、静かならそれでいいと割り切ることにした。

 棚から蝋燭を見つけたけれど、マッチもライターも見つからない。火種がないことにはどうしようもないなぁ、とユーリが考えていると、ふいに手首を掴まれた。


「アンタ、いったいどこの人間なの? 魔力の色が気持ち悪すぎるんだけど!」


 思わず振り向くと、イングリッドの薄墨色の瞳が、まっすぐにユーリを捉えていた。その表情に研究心というより狂気めいたものを感じ、思わず後退ったユーリだが、掴まれた手首はその華奢な外見からは信じられないぐらい強い力で握られていた。


(どうして『気持ち悪い』とか形容しておいて、快く答えてもらえると思っているんだろう。理解できないし、理解したくもないわ)


 無言のまま振り払おうとしたが、さすがにそうさせては貰えない。魔術の腕だけで『英雄』とされているのではないらしく、ユーリが振り払おうとするたびに、その力を別の方向に逸らされてしまう。


「ねぇねぇねぇ! その加護もどこから来ているの? 後天的にそれだけの加護がつくって考えられないんだけど! もしかして西の果てに隠れ里でもあったのかな? いい加減に答えてくれないと、そろそろアタシも穏便じゃない手を使わなきゃいけないんだけど?」


 とうとう脅迫めいたことを口にし始めたイングリッドに、ユーリは諦めのため息をついた。


(どうやら無視を決められるのは、ここまでみたいね)



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ