02.運命の出会い(強引)
「その……どうでしょうか?」
シュルツの城下町で、服飾を扱う店の裏手では、がっしりとした体格の女店主と線の細い女性が立ち話をしていた。
「う~ん、確かに見たことのない技法だけどねぇ」
渡された布に目を凝らし、店主は難しい顔を浮かべている。自分を雇ってもらえないか、という女性が来たのは昨日のことだ。「刺繍ならたぶんできる」というあやふやな売り込みに、それなら作品を見せてくれと言って追い返したのだが、翌日にこうして刺繍入りのハンカチを持ってやって来たのであれば、確認しないわけにもいかない。
刺繍の技法は店主が目にしたことのないものだ。この女性は遠くの国から流れて来た難民なのは間違いないだろう。魔物の大侵攻によって住まいを追われた者や、難民に雇用先を奪われてしまった者もいる。魔物の大侵攻によって、人の住む地域が削られ、結果、土地に対する人口が過多になってしまっているのだ。
「お前さん、あぁ、ユーリって言ったかい? こういう仕事はしたことないんだろ? 技法はともかく、針と糸に不慣れなのが丸わかりだよ。もっと違った仕事をしてたんなら、そういう仕事を探せばいいと思うんだけどねぇ」
「でも、このせ……国では、前職みたいなことができないので……」
「そうなのかい? そりゃ、困ったねぇ」
店主はどうやってこの女性を断ろうかと頭を悩ませた。何しろ、針子の数は足りているのだ。そこに経験不足の針子を加えるメリットは一切ない。
「悪いけど――――」
ズダァンッ!
突如、店主と女性の目の前に空から人が降ってきた。目を丸くした二人は降って来た男を見つめる。
「あぁ、見つけた……」
男は店の裏手に相応しくない礼服を身に纏っていた。藍色の髪を短く刈り込み、金色の虹彩に浮かぶ縦長の瞳孔が、まっすぐに彼女を捉えていた。伸ばした黒髪を三つ編みにして横に垂らしている彼女の黒い瞳が戸惑うように揺れるのを、目に焼き付けるように視線を定めている。
「俺の唯一」
女性の前に膝をつき、その手を取る。まさか自分に用があったとも知らず、思わず半歩退いた彼女だったが、手を強く握られてしまえば逃げることもできなかった。
「どうか、俺と共に生きることを選んでくれないか。貴女がいるだけで、俺はこの上ない幸福を感じていられる。衣食住にも不自由させない。だから、どうか――」
「え」
戸惑う様子の女性に、女店主は「良かったじゃないか」と声を掛けた。
「亜人種には番と呼ばれる存在がいるって話を聞いたことがあるよ。この人の番がお前さんなんだろうよ。こんなちんけな服屋で仕事するより、ずっといい暮らしができるだろうさ」
「え、つが……え?」
理解できない、ときょときょとする彼女の手を引き、男は軽々と抱き上げた。
「あぁ、仕事などする必要はない。貴女は俺の隣にいてくれればいいんだから」
「え? あの、ちょ……」
困惑する女性を抱き上げたまま、男は高く跳躍した、そのまま翼を広げ、城の方へと飛んでいく。
――――滅多に出会えないという番に出会えた喜びで我を失う程だった男が、腕の中で女性が気絶したことに気がついたのは、王城に到着してからだった。もちろん、盛大に慌てたことは言うまでもない。
・‥…━━━☆
(ん、……あと5分)
そう思いながら、彼女はもぞもぞと寝返りを打った。もう5分ぐらいは寝ててもいいだろう。そう思えるぐらいに何故か疲労が溜まっていた。
(どうして、こんなに疲れてるんだっけ?)
あまりのだるさに昨日の記憶を呼び起こそうとして、慌てて彼女は起き上がった。あまりに勢いを付けすぎてしまったせいか、くらり、と目眩を感じて再びベッドに逆戻りしそうになる。
「あぁ、そんなに勢いを付けるから」
彼女を支えたのは、大きな手のひらを持つ男だ。どうやら気を失った自分を見ていてくれたらしい。申し訳ない……と謝ろうとしたが、そもそもの原因になった男だと気付いて、ぐ、と黙り込んだ。
「すまない。そもそも俺が焦って求婚したことで、精神的に負荷をかけてしまったのだろう?」
「……いえ」
むしろ、自分を抱えて空高く飛んだ事の方が問題だったと思ったが、そもそも常識が違うから仕方ない、と彼女は曖昧な返事をするに留めた。
「まだ顔色が悪い。もう少し休むといい」
「あ、あの!」
「なんだ?」
どうしていきなり求婚してきたのか、どうしてこんなに親切にしてくれるのか、色々と聞きたいことはあったが、彼女は意を決して告白することにした。恥ずかしいのは山々だが、かといって、このままにはできない。
「顔色が悪いと言うのなら、その……お腹が空いているからだと、思います」
最後の言葉はあまりの恥ずかしさに蚊の鳴くような声量になってしまったが、男はしっかりと聞き取れたらしく「それは一大事だな」と真面目に頷いた。
「何か食べるものを貰って来よう」
背中に添えていた手を離すと、ベッドサイドから立ち上がった男は彼女に背を向けかけたところで「あぁ、忘れていた」と立ち止まった。
「俺の名前はフィルと言う。貴女の名前は……ユーリ、で合っているか?」
「私……名前を言いましたっけ?」
「いや、服屋の店主が貴女をそう呼んでいたのを聞いてな」
「そう、ですか」
少し歯切れ悪そうに頷いた彼女――ユーリの手を、フィルは壊れ物でも扱うようにそっと掬いとった。
『フィル・リングルスの名にかけて、ユーリに害為す全てのものから護る』
魔術言語で守護をかけようとしたフィルだが、その手応えもなく不発に終わり、眉間に皺を寄せた。
「あの、……今のは?」
「あぁ、いや、なんでもない。俺の誓いのようなものだ。すぐ戻るから大人しくしておいてくれるか?」
「はい。ここがどこなのかもよく分からないし、動く気力もあまりないので、大丈夫です」
従順にユーリが頷いたにもかかわらず、フィルは「絶対だぞ!」とまるで聞き分けのない子どもにするように念押しをして、慌てて部屋を出ていった。
「あ、荷物……」
ベッド脇のテーブルに、頑張って刺繍したハンカチが綺麗に畳まれているのを見つけ、ユーリは誰にともなく呟いた。
(誰にも見つかってないといいんだけど)
ここ2、3日は路上での生活を余儀なくされていたユーリは、自分の荷物が無事であるようにと祈る。わかりにくいところに隠すように置いたし、何より金目のものも大してないはずなので、無事だと信じたいところだった。
ご飯を食べたら、荷物を取りに行かせてもらうように頼もう、と考えたところで、不意にノックの音が響いた。
「ど、どうぞ……?」
恐る恐る許可を告げると、部屋に3人の男たちが入って来た。一人は神経質そうな顔立ちの中年男性で、着ているものが何やら上等そうに見えるので、身分の高い人だろうと推測できる。もう一人は黒いフード付きマントを纏った男性で、老人と言っていいほどの年齢だ。まさに「ザ・魔法使い」という出で立ちに、ユーリのテンションがひっそりと上がる。最後の一人は若い騎士のようで、腰に下げた剣といい、扉のすぐ横で守りを固める態度といい、こちらも騎士の模範みたいな人だな、とユーリは感想を持つ。
「我が国の出身ではないと聞いたが、相違ないか」
「え、あ、はい。この国の生まれではないです」
偉そうな男性に尋ねられ、ユーリは挙動不審になりながらも、慌てて答えた。
「確かに大侵攻があってから流民も増えたと聞く。だが、東方へと流れるならともかく、最前線であった我が国に留まるのも不思議な話よ。そうは思わんか、ミヨルよ?」
「陛下、追及は後でいくらでも叶いましょう。今は、彼の英傑が戻る前に」
「あぁ、そうであったな」
ミヨルという名の魔法使いに促され、陛下と呼ばれた男がユーリに向き直る。
「名はユーリ。相違ないな?」
「はい……」
ユーリは寝台に腰掛けたままで、何が何やら分からないままに頷いた。空腹なのもあって、あまり頭が働かないのだ。正常であれば、女性が寝ているところに男三人で押しかけること自体に危機感を抱いたのだろうが。
「ミヨル」
「はい」
ミヨルがユーリの前に立ち、手にした杖を彼女に向ける。
『ユーリよ、汝は我がシュルツの国王の意に従え。そして従属の魔術をかけられたことを忘却の彼方に捨て去るのだ』
杖の先が光り、ユーリに当たる。だが、それだけだった。
「……あの?」
今のは何だったのだろうか。詳しく聞いてもいいんだろうかと言葉を選ぶユーリの目の前で、ミヨルが目に見えて狼狽していた。
「陛下、この女性には魔術が効きません」
「なんと!」
「もしかしたら、フィル殿が既に誓いを……」
「あ、確かに守護の誓いがどうとか言ってました。ついさっきのことなんですけど……」
ユーリのもたらした情報に、中年の男が顔を歪ませた。
「陛下、わたくしの術では、彼の英傑の技には足下にも及びません」
「……ぐ、ユーリとやら、何か不足しているものはないか? 五英傑の番となるのだから、いろいろと準備せねばならんものもあるだろう?」
ユーリは『英傑』だの『番』だのと知らない単語を並べ立てられ、困惑したまま首を振る。
「私は別に――――」
ユーリの言葉は、ドゴッという鈍い音に遮られた。彼女が音の発生源の方を向くと、開け放たれた扉にはついさっき去った筈のフィルが立っており、その近くに立っていたはずの騎士が蹲っていた。
「何の用だ」
まるで地を這うような低い声に、びくっとしたのはユーリだけではなかった。彼女の正面に立つ二人の男も同じように身体を強ばらせている。