19.不利益しかないので
ユーリは先導してくれる侍女の後について歩きながら、頭の中を整理していた。
今日一日だけで、色々なことがあり過ぎた。チヤ王女の勉強に付き合い、その後の茶会だけも失礼なことをしてしまわないかとヒヤヒヤするというのに、今日はフィルがそこに乱入して、何故か羞恥心耐久レースが強制的に開催され、さらなる乱入者によって、癒しの場であるはずの中庭がとんでもないことになってしまった。
(フィルさん、かなりしょげてたわよね……)
倒れる寸前だったユーリにずっと付き添うと言って聞かないフィルに、「一人でゆっくり休みたい」と告げて部屋を追い出したときの顔を思い出す。あれは取り返しのつかない失敗をしたと思っている顔だった。
ユーリは、その後しばらく一人で考えを巡らせ、王妃様に会えないかと部屋付きの侍女に話してみた。相手は王妃様だし、2、3日待たされるだろうからと思い立ってすぐに侍女に相談したのだが、なんとすぐに時間がとれるということで、こうして向かっている。
(うぅ……、もう少し考えを纏める時間が欲しかった)
より近くて話しやすいクレットや、フィルの片腕でもあるロシュではなく、王妃を選んだ理由はちゃんとある。あるのだが……。
(緊張する……っ!)
キリキリと痛む胃の辺りをそっと撫でながら、ユーリは長い廊下をひたすら歩く。
「失礼いたします。ユーリ様をお連れしました」
「入ってちょうだい」
侍女の後について入室すると、優しげな微笑みを浮かべる王妃が待っていた。何故かそこには王太子であるレータもいる。
(王妃様はともかく、王太子様もいらっしゃるとか聞いてないんですけど――――っ!)
心の中で大絶叫したユーリは元の世界では一般市民だ。ロイヤルな方々との接点などあるはずもなく、文字通り雲の上の人物が二人も揃ったこの状況に、ずん、と胃が重くなる。
「どうぞ、座ってちょうだい」
「はい、失礼します」
困った、と思いながらもユーリは勧められたソファに素直に腰掛ける。
「相談したいことがあるということだけど、レータも同席させて構わないかしら? もちろん、女性同士の秘密の話があるのなら、退席させるけれど」
気配りに満ちた提案に、ユーリは(本当にフィルの実のお母さんなのかな)と疑問を抱きながら、自分の相談内容を思い返す。
「いいえ、そういった類いの相談はありませんので……。お気遣いありがとうございます」
「そうなの。それで、相談内容はやっぱりフィルのことかしら? 今日のことで愛想尽かしてしまった? それなら安心してちょうだい。フィルを辺境に左遷して処理するから」
「母上!」
一瞬、何を言われたのか分からず、ユーリは目を瞬かせた。
「先走り過ぎです。ユーリさんがびっくりしているじゃありませんか」
「あら、ユーリさんとしても不安でしょう? だから先に言っておいた方が、気が楽かと思って」
ころころと笑う王妃に、ユーリは恐る恐る確認の言葉をぶつけてみることにした。
「あの、今、フィルさんを左遷させるとおっしゃいました?」
「そうよ。正直なところを言ってしまうとね。我が国にとって、力はともかく頭がいまいちな第三王子よりも、確実に富をもたらすと分かっているユーリさんの方が優先順位は高いのよ」
「でも、……実の息子さん、ですよね?」
「そうよ。でも、国益を考えたら仕方のないことだもの」
ユーリは「これが本物のノブリス・オブリージェってやつなのか」と震え上がった。特に家族仲が悪くもない平々凡々な家族しかしらない彼女にとって、家族より国を優先させるという考え方は奇異としか映らない。だが、それを否定する言葉を吐くほど若くもなかった。王妃の隣に座っている王太子がそこまで非難する様子もないということは、ここではそれが普通、ということなのだろうと自分の心を強引に納得させた。
「そうおっしゃるということは、先程の中庭の件は既に耳に入っていらっしゃる、んですか?」
「もちろんよ。あのバカ息子のことで怖い思いをさせてしまったわね」
「あ、いいんです。あの後、散々フィルさん本人に謝ってもらったので。……でも、そのことで相談、というか、教えていただきたいことがいくつかありまして」
このタイミングで相談を持ちかけられるとしたら、怒りを撒き散らしたフィルが怖すぎて無理という話だろう、そう勝手に思い込んでいたレータが目を丸くした。
「その、フィルさんが、えぇと、イングリッド様、でしたっけ、あの人に怒ったときに、非常に情けない話なのですが、呼吸もしにくい状況になってしまいまして。――――あの、フィルさんの性格からすると、今後も同じようなことがあるかなぁ、と」
「本当に短気な息子でごめんなさいね。ただでさえ怒りの沸点が低いところに、番に関わることだと余計にキレやすくなってしまうようなの」
「あ、そういうものなんですか。あ……、でも、違うんです。フィルさんがそういう性格なのは分かってる部分もあるのでいいんですけど、また似たようなことがあったときに、平静を保つコツとかあれば教えていただけないかと、思いまして」
クレットさんに相談しようかと思ったんですけど、なんだかフィルさん以外の異性に頼むと、変に拗れそうで……と正直に告げるユーリの正面で、王妃は「あらあら」と微笑んだ。最初はどうなることかと思ったけれど、意外とフィルも頑張っているじゃない、と。
「レータ、チヤと侍女も似たような状態だったのかしら?」
「そうですね。と言ってもお察しの通り怒気のせいではありませんが」
その場にいなかった王妃の確認に頷いた王太子は、改めてユーリを『視』た。魔力を帯びた彼の瞳が青い光を帯びる。
「ん? ユーリさん、君、彷徨い人なのに、加護を持っているんだね。それも水と光の2種類?」
「カゴ、ですか?」
レータは、魔術を使うにはその属性の加護が必要であること、その加護は生まれ持った先天的なものと、後天的に身につけられるものがあることを説明した。ちなみに、それを聞いたユーリの感想は「まだ私の知らない常識が……」というそれだけだ。常識的なこと程、あまりに自然なこと過ぎて、誰も改めてユーリに説明してはくれないのだ。
「あの、どうしてその『加護』の話になったんでしょうか」
「それは、フィルの怒りに、あなたが怯えたわけでも気圧されたわけでもないからです。フィルが怒りのままに魔力を撒き散らしたせいで、呼吸を阻害されてしまったの」
「魔力で、呼吸が、阻害?」
また謎理論が出て来た、とユーリは心の中でため息をついた。もういっそ元の世界で学んだ物理的な話は全部忘れてしまった方が楽なのかもしれないとさえ思う。
「あなたが加護を持っているなら、訓練次第で他人の魔力の影響を防ぐことはできるかもしれないわ」
「本当ですか!?」
「ユーリさんが良ければ、チヤと一緒に訓練してみる?」
「是非お願いします! 本当に息苦しくてつらかったんです!」
頭を下げるユーリを見て、王妃は「本格的にフィルを絞ろうかしら」と考える。いや、このやり取りを教えるだけで十分な反省材料になるだろう。何しろ己の番を守るどころか苦しめたのだから。その事実だけでフィルの苦悩する姿が目に浮かぶ。
「それなら手配するわ。相談事はそれだけかしら?」
「あの、あと一つあるんですが、お時間大丈夫でしょうか」
「えぇ、もちろん」
ユーリはどう穏便に伝えようかと考え、言葉を選ぶ。だが、どう言っても角が立ちそうだと気付いて、直球で尋ねることにした。
「あのお客様――イングリッド様は、あとどれくらい滞在される予定なんでしょうか」
イングリッドの滞在予定についてユーリから尋ねられた王妃は、一瞬、彼女があの探究心の塊であるイングリッドに連れられてエルフの国サランナータへ行ってしまうのではないかという危惧を抱いた。
「どうして、そのことを確認するのか、理由を聞いても?」
王妃の質問に、ユーリは逡巡する様子を見せた。そこには不安が見え隠れする。
「あぁ、違うのよ。純粋にそんなにあの方のことが気になったのかと思って」
「……違うんです」
ユーリはゆっくりと頭を振った。
「あの人が来てから、フィルさんとの夕食もなくなりましたし、お仕事も中断することになって、それに先程のことも……、えっと、あの人がどういう身分の方なのか、ちゃんと理解できていないので、不敬になってしまうかもしれないんですけど」
ぽつぽつと語るその表情に、王妃は自分の懸念が霧消するのが分かった。
「――――あの人が来てから、不利益しか被ってないので」
最後のセリフを吐いたユーリの表情には、困惑よりも嫌悪が強く彩られていた。
「そうね、この国にとってあの方は『フィルの客人』でしかありません。世界という目で見ればまた別なのだけど、――フィルはその説明もあなたにしなかったのかしら?」
「魔物の大侵攻で、フィルさんと並び称される英雄だということは伺いました。ただ、その魔物の大侵攻がこの世界にとってどういうものだったのか、ちゃんと理解できている自信がなくて……」
ユーリの不安を聞いた王妃は、ここにいない残念な三男に対して何度目かのため息をついた。本当に言葉が足りていない、と。
「話の邪魔をしてしまうようだけど、確認してもいいかい? わたしたちはフィルと君の親交を深める邪魔にならないようにと、君とフィルが二人で夕食をとれるよう取り計らっていたんだけど、君たちはそこで何を話していたのかな」
「夕食の席で話すのは、だいたいその日にあったことが多いです」
「つまり、君の常識を補完……あぁ、言い方が悪かったね。君にこの世界のことを深く知ってもらう場にはなっていない、と」
「そういう話はむしろクレットさんとすることが多かったと思います。……あ、でも、今回の話はそもそもイングリッド様がいらっしゃってから改めて疑問に思ったことなので」
「あぁ、いいんだ。ちょっとこちらとしての目論見が少し外れてしまったというか、いや、改めて世界を違えた人への対応の難しさを再確認したというか、うん、ユーリさんのせいじゃない」
弟が、ユーリにこの世界に溶け込んでもらうことよりも、自分に好意を持ってもらうことを優先したのだとわかり、少しばかり頭痛を堪えたレータは、こっそりため息をついた。次期国王たる自分からすれば、もう少し国益を考えて欲しかったところだ。だが、相手が番となるとそういう配慮も薄れてしまうのだろうと弟を弁護する結論づけておく。なんだかんだ言っても弟が可愛いのだ。
「レータの言うように、こちらとしても彷徨い人であるあなたへの接し方は手探りの部分が多いの。だから、こうして申し出てくれたことは本当にありがたいということは、覚えておいてもらえるかしら」
「い、いえ、とんでもないです」
正直なところ、この場にくるだけでも心臓が破裂しそうな程に緊張していたユーリだが、王妃から感謝の言葉を告げられるとなんだか逆に申し訳ない気分になる。
「常識を身につけるというのは、本当に難しいものね。子どもではないから、疑問に思ったことをすぐにその場で口にするのは難しいでしょう。こちらとしても誤解や齟齬のないように、すぐに確認できる場を整える配慮が足りなかったのね」
「そんな、その、王妃様が謝るようなことではないと思います。私も、その都度面倒がらずに聞いてしまえば良かっただけのことなので」
「そう言ってもらえると嬉しいわ」
にこりと上品に微笑んだ王妃は、レータの口から魔物の大侵攻について説明をさせた。あの大侵攻を放置していれば、この大陸全土が壊滅していたであろう未曾有の大災害だったと聞いて、ユーリは少し青ざめる。そんな災害の最前線にいたとは思わなかったのだ。
「フィルと同じく英雄と称される方々は、その侵攻を食い止めるために目覚ましい活躍をした方々なので、イングリッド殿も生まれ持った身分という観点でみれば、平民でしかありません」
「そうなんですか」
ユーリはホッと胸をなで下ろした。ただでさえ王族な方々に囲まれて恐縮する日々なのに、さらにその相手が増えるなど考えたくなかったのだ。
「ただし、個人の武力という観点であれば、要注意と言えるでしょう」
「え?」
せっかくイングリッドが王族貴族ではないと聞いてホッとしたユーリだったが、武力の面では要注意だと釘を刺され、思ってもいない内容に目をぱちくりとさせた。
「あのフィルと同等、もしくはそれ以上に魔物を屠ったのです。もし、何かのきっかけでイングリッド殿が暴れることになれば、被害なくそれを止めることは難しい。そういうことです」
フィルと同等と言われ、ユーリはここへ来る途中のことを思い出した。角の生えた巨体の熊を、フィルが文字通り瞬殺したことだ。
(あれと同じくらい、強い? あの人が?)
ユーリはちゃんとイングリッドを見たわけではないが、小柄で非力な少女というたたずまいだったことは覚えている。それなのに、鍛え上げられた身体を持つフィルと同じくらい強いとは、とても信じられなかった。
「ですから、丁重におもてなしをして、とっととお帰り願いたいというのが本音ですね」
「えぇと、世間知らずの私では、気分を害される恐れがあるということで良いんでしょうか」
「違います」
「え?」
即座に否定され、ユーリの頭に疑問符が浮かぶ。
「あの魔女殿は探究心の塊です。あなたが彷徨い人と知れば、ずっと居着かれてしまうでしょう。いえ、もっと強硬手段に出てくるかもしれない。だからこそ、あなたの存在を隠しました」
「探究心の塊……」
王妃の使った「探究心の塊」という言葉が、何故か「マッド・サイエンティスト」に聞こえてしまったユーリは、ぶるっと身体を震わせた。
「現時点で疑問に思っていることは、もうありませんか?」
「あ、あのっ、『番の誓約』について、なんですけど」
この場が打ち切られそうな雰囲気に、ユーリはイングリッドのセリフを思い出して、慌てて声を出した。
「イングリッド様が、『番の誓約』をしていないから、私とフィルさんの間にパスが繋がっていない、と言っていたんです。……私は、『番の誓約』は単にお互いの場所が分かるようになるぐらいのものだと思っていたんですが、違うんでしょうか?」
その質問に、王妃とレータは揃って額に手をやった。あまりに同じタイミングで同じ仕草をされてしまったので、逆にユーリは不安になる。
王妃はちらりとレータを見て、王太子も同じく王妃を見た。
((彼女の理解不足ではなく、フィルによる意図的な情報制限では?))
母子の心配は一致していた。先に答えを告げるべく口を開いたのは王妃だ。
「あの子は、大事なことが抜けているのか、それとも、それだけ自信がないのか。本当に考えの浅い息子でごめんなさいね」
「え?」
質問とは全く異なることを言われ、ユーリは困惑する。
「同種族であれば、いまユーリさんが言った程度の理解で問題ないんだよ。ただ、異種族間や実力差が極端な場合は少し変わってくるのが『番の誓約』の性質で」
レータは一度言葉を切り、そして、改めて告げる。
「ユーリさんに一番影響のある話をすると、二人の間で寿命が均されるんだ」
(あああぁ~~~~っ!)
ユーリは心の中で大絶叫して頭を抱えた。
(小説でもあったじゃん。サブキャラだったけど、寿命差があって切ない感じのカップルが! どうして忘れてたの、私ぃ!)
自分の間抜けっぷりを散々に罵倒して、ようやく顔を上げる。心配そうな表情の王妃とレータに対し「すみません、ちょっと取り乱しました」と謝ってから、この世界に住む様々な人種の平均年齢について尋ねることにした。
そこも教えていないのか、という呻きとともにレータに説明されたことをまとめると、人間の寿命は80年前後と医療・衛生がそれほど発達しているように見えない割に魔法の助けがあるせいか、母国とあまり変わらないことが分かってホッとしたユーリだったが、獣人が60年前後とやや短いことに驚き、エルフや竜人に至っては魔力保有量に左右されるものの軽く数百を超え、長い者は四桁になると説明されて、魂が抜けそうになった。
「つまり、その誓約をしてしまえば、フィルさんの寿命は半分になってしまうということでしょうか?」
「あぁ、誤解させてしまったね。寿命を均すというのは純粋に足して二で割るということではないんだ」
レータは水槽とフルートグラスに例えて説明し始めた。人にはそれぞれ器があり、フィルが水槽だとすると、人間であるユーリはシャンパンを飲むときなどに使われる細長いフルートグラスのようなものだと。水がいっぱいに満たされた水槽からフルートグラスに水(=生命力のようなもの?)を注いで水の深さを合わせたとしても、水槽の水の深さはあまり減らないだろう、と。
「フィルさんの今の年齢って、いくつぐらいでしたっけ」
「フィルは……、えーと、まだ100に届かないぐらいだったかな? 細かい数字は本人に確認してみてくれるかな」
「イエ、イイデス……」
ユーリは、このままだと自分の寿命が途方もない数字になりそうだと遠い目をしながら、王妃と王太子に丁寧にお礼を言って自室へと戻って行った。
「大事なことでしょうに、意図的に隠していたのかしら」
「フィルのことですから、寿命が長くなるのは良いことだ、ぐらいにしか思っていないかもしれませんよ、母上」
「……はぁ、本当に困ったものね」
なお、さらに残念認定された三男には、何度目かの説教が待っていた。




